フードコートを出たあとは、ショッピングモール内を散策した。目について気になったテナントを覗き、気になった商品を物色していく。
そうしている間に時間は過ぎ去り、時刻は六時過ぎ。数十という商品を物色したにもかかわらず、最終的に買った商品は冬海が夏用の服をワンセットのみだ。
彼女は買った服をいたく気に入ったようで、大事そうに抱えて歩いていた。
「そろそろ日が暮れるな」
「……あ、そうですね……」
店内から見える外の景色は茜色を通り越して、夕闇という言葉が思い浮かぶ。あと三十分もすれば夜闇に包まれるだろう。
冬海は幸せそうな顔から一転、少しだけ寂しそうに声を落とした。
「どうした?」
「……」
声を掛けても彼女は前を向いたまま、物憂げに視線を落としている。少しの間無言で歩いていると、その口から小さな呟きが零れた。
「……もう、この時間も終わるんだなと思うと少しだけ……寂しくて」
わざと聞こえづらくなるように呟いた冬海は、ぎゅっと紙袋を抱く。
「それだけ楽しんでもらえたならよかったよ」
「……はい」
噛み締めるように返した冬海は、そっと視線を上げた。しかし、視線は逸らしたままだ。
「そ、それでですね、先輩……」
「ん?」
「今日のお礼に、もしよければ……私が手料理をご馳走しようと思うんですけど、どうですか……?」
おずおずと提案してきた冬海は、全力で視線を逸らしている。ただその耳は真っ赤でなぜか恥ずかしがっているようだった。
「え?マジ?」
手料理。手料理って言った?
冬海の作りたての手料理を食べられるの?
俺は驚き過ぎて、少しだけ声を荒げてしまう。
「お弁当ではなく?」
「はい。夕飯を作ろうかと」
「食べる。食べます。食べさせてください」
俺は半ば食い気味に冬海の提案に乗った。
「……そ、それでは買い物をして帰りましょうか」
そうと決まれば話は早い。大型ショッピングモール内の生鮮食品売り場に移動した。
野菜コーナーの入り口で、冬海は野菜類を見回す。
「先輩、何が食べたいですか?」
「ん?う〜ん、そうだなぁ……」
こんな二度とないチャンスを与えられた以上、有効活用しないのは勿体無い。食べたいものは多々あるが、やはり一番食べたいものを選ぶべきか……。
「ぬぅ。迷うなぁ」
「……そんなに食べたいものがあるんですか?」
「いや、こんな機会二度とないだろうし」
「先輩さえよければ、何度だって作りますよ」
「え?マジ?」
それじゃあ……。と、考えても迷うわけだが。少なくとも二択までは決まっている。さらに数秒悩んだところで迷いを断ち切るようにその願いを口にする。
「それじゃあ冬海の一番得意な料理で」
「得意な料理ですか……パスタ、いや……オムライスですかね?」
「……なんでそんな曖昧なん?」
「よくリクエストされる料理なので」
ちょっともやっとした感情が浮かんでしまう。いったい誰にリクエストされたというのか。元カレか?元カレなのか?
なにもありえないという話ではない。こんな美人を放っておく男がいるはずがないのだから。
「……」
「なんか顔についてるか?」
「いえ、先輩が変な顔していたので」
「おう……」
つい感情が出ていたところを恥じて、俺は目を逸らした。
「そんなことよりオムライスの材料探しにいくぞ」
「そうですね」
そしてそのまま歩き出した。
「先輩、待ってください」
「ん?」
「玉葱素通りしてますよ」
何も考えずに動いたせいで目当ての食材の前を素通りして、くるりと踵を返して戻る。すると籠に玉葱を冬海が入れた。
「で、次は?」
「にんじんとピーマン、トマト、鶏肉、卵ですかね」
「トマト?ケチャップではなく?」
「はい。トマトから作ります」
……ちょっと何言ってるかわからなかった。その間にも冬海は籠に材料を入れていく。
「この材料は?」
「スープも欲しいのでポトフでも作ろうかと」
「なるほど……」
その後も適当についていくと籠に材料が次々と放り込まれていく。同じ売り場に戻るというミスを一切せずに食品売り場を巡回すると、満足そうに彼女は頷いた。
「これくらいですかね」
「……グリンピースはいらないんだな」
「あれは“好まれない”んですよね。先輩はグリンピースありの方がいいですか?」
「いんや、俺も進んで食べはしないけど」
それは誰の味の好みなのかと突っ込むと火傷しそうなので突っ込まないが、非常に気になってしまいもやもやが加速する。
オムライスにグリンピースを放り込むという邪道をしなかった“人物”を褒めるべきか、俺は複雑な思いを抱いていた。
「それじゃあ買って帰りましょうか」
冬海は迷うことなく無人レジへ向かった。セルフレジで俺が品物を通して、冬海がレジ袋に詰める。阿吽の呼吸で買い物を済ませると、支払いを終えた俺に冬海は感心したような顔を向けてきた。
「先輩、スーパーでバイトでもしてました?」
「いや、してないけど」
「なんというかレジに通す品物が奥に詰めるものからになっていて、口を挟む隙もありませんでしたから。先輩ってもうちょっと雑なタイプかと」
「そりゃ買い物してたら誰だって身につくだろ」
「先輩と結婚できる女性は余計なストレスに悩まされず済みそうですね」
薔薇の鞭で叩かれたような棘のある言葉に、俺は内心喜んでいいのか微妙な表情になる。
「褒めてんのそれ?」
「褒めてますよ」
なんだか機嫌がいい冬海の様子を見るに、本当に褒められているようだ。少し言葉に棘はあるが。
「それはそうと先輩、今さらっと材料費全額払いましたよね?」
「あ〜、ほら、作ってもらうんだしこれくらいはな?」
「ダメです。折半に決まってるじゃないですか。こういうのはきちんとしないと関係が拗れてしまうんですから」
「……じゃあ、ほら。人件費ってことで」
「今日のお礼に私が作るのに、それじゃあお礼にならないじゃないですか」
少しむっとしながら半額を突き出してくる冬海から渋々金銭を受け取ると、彼女は満足したように頷きながらも嗜めるように言った。
「先輩って貢ぎ癖ありますよね」
「唐突になに?」
「今日だってプレゼントと称して私に服を買ってくれたじゃないですか」
「俺は女の子には輝いていて欲しいだけだよ」
「そういうところですよ。……麗花先輩にもしてるんですか?」
「…………たぶんな」
思い当たる節があり過ぎて、俺は目を逸らしつつ自白した。
すると冬海は不機嫌そうに唇を尖らせる。
「……先輩のバカ」
ツンとそっぽを向いて冬海が先を歩いていく。そのまま一緒にショッピングモールを出て、帰路を二人一緒に歩いた。すっかり夜闇に包まれた街は街灯の明かりで照らされていた。
「ほら、もうちょっとそっち行け」
道路側に体を割り込ませると、冬海はそっと手が触れる距離を歩く。むしろたまに手が当たっているので、レジ袋が音を立てて揺れていた。
「先輩」
「なんだ?」
「……」
冬海が無言で手を差し出してくる。俺はその意味を二秒ほど考えた。
「ん」
「……」
レジ袋を反対の手に移して、彼女の手を握る。するとそっぽを向きながら早口にこう口にした。
「違いますよ。荷物を半分持ってあげようとしただけです。……ですが、これはこれで悪くありませんね」
仕方ないという体を装って、冬海は恋人繋ぎに指を絡めてくる。
ただ言葉や口調では誤魔化せても、体温は誤魔化せないようで少しだけ掌が熱かった。
「じゃあ、半分持ってもらおうかな」
「もう遅いです」
そう言って冬海は、締め付けるように指を挟んできた。もう手を離さないとそう主張するかのように。
◇
それから二十分近く掛けて進むと、大学付近の住宅街の一つに辿り着いた。視界には次第に大きくなる十階建てほどのマンションが映っており、徐々に近づいていっているのがわかる。
「ここが私の住むマンションです」
「マジかよ……。家賃いくらだよ?」
「二桁には届かないくらいですかね」
「いや、絶対嘘だろ」
「学生割とか色々利いたので」
二桁とは、万札の単位で、数万程度という意味だろう。その建物のエントランスでオートロックを解除して、冬海はさっさと中に入った。
俺は敷居の高そうなエントランスを彼女に付いて歩き、エレベーターに乗り込むと、そのまま彼女の住む部屋のあるフロアまで移動した。
「ここです」
それからフロア内を歩き、角まで来ると鍵を取り出した。
どうやら彼女の住む部屋は角部屋らしい。
施錠されたドアをその鍵で開錠して、冬海はドアを開く。しかも二重の鍵付きで、ドアひとつとっても高額そうだというのが所感であった。
「先輩、荷物はキッチンへ置いておいてください。すぐ使うので」
「はいよ」
キッチンへ荷物を置いて……そして、手持ち無沙汰になって俺はようやく気づいた。
(女の子の部屋だ!女の子の部屋だ!!)
ここがとんでもない敵地だということに。
夕食を食べたあと送るのが面倒だから、夕食会の会場を冬海の家でと受け入れてしまったがそれが間違いだった。異性の家に、それも二人きりという状況を意識すると、妙に意識してしまう。
俺は広いリビングを見回しながら、「わぁ〜、ひろーい」と現実逃避をしながらなんとか打開策を考えた。
そして、最強の手札を切ることを思いつく。
「なんか手伝おうか?」
「いいですよ。先輩は座っていてください」
–––試す間もなく戦力外通告。
「あぁ……そう」
俺はカウンターをくらい、リビングのソファーに座る。
汚してはならないという強迫観念に駆られて、背凭れを使わない行儀のいい姿勢で何も映らないテレビを見つめた。
「……あの、先輩なにやってるんですか?」
「……強いて言うなら、息してるかな」
「?変ですよ先輩?」
「悪かったな変で。女の子の家は初めてなんだよ」
「……面白いジョークですね」
面白いジョークという割には全く笑わない冬海の目がこちらを見ている。
「麗花先輩の家には行ったことないんですか?」
「ないよ」
意外そうな目で見られた。
「信用されてないのでは?」
「そんなことはない、と思うけど……」
「……」
「なんだよその目は?」
「いいえ、なにも」
雰囲気が柔らかくなった冬海が、シャカシャカと米を研ぐ。
炊飯器に米をセットしたあと、まな板を取り出して野菜の皮を剥き、材料の下拵えをはじめた。
トン、トン、というリズミカルな音が跳ねるようにリビングに届く。その音はなんだか楽しそうだ。
「……そうですか。私が初めてなんですね……」
ぼそっと呟いた一言が、急に胸を刺してくる。
とてもいやらしい意味に聞こえたのは、俺の心が穢れているせいだろう。
材料を切る音が数分もしないうちに止み、今度は油の跳ねる音が訊こえてきた。
「先輩、テレビ見てていいですよ」
「……おう。そうする」
言われた通りにテレビをつけて、各テレビ局の番組を物色する。特に見たい番組は見当たらない。
それから適当な番組をつけてじっとテレビを見つめていたが、内容のほとんどが頭の中に入ってこなかった。
「先輩、できましたよ」
それから四十分して、キッチンから声が掛かる。
ダイニングで食事をするようで、そちらのテーブルの方に皿が用意されていた。
美味しそうな匂いをさせる、バターを絡めた卵の匂い。見ればぷるっぷるの半熟卵オムライスが黄金の輝きを放っていた。
俺はそれに誘われて、用意されていた席の一つに腰を下ろした。
「お〜、美味そう」
「ふふ、先輩が待ち切れなさそうなので冷めないうちに食べちゃいましょうか」
「「いただきます」」
合掌をして、スプーンを手に取る。そして、ぷるっぷるの半熟卵オムライスに突き立てた。
「……」
中から顔を出したチキンライスと一緒に掬い、口に運ぶ。
「!?」
思わずその美味しさに言葉を失ってしまった。褒め称えようと思うも、語彙が吹き飛んで言葉が出ない。オムライス一口で語彙力が死んだ。
「どうですか先輩?」
「め––––––っちゃ美味い」
もはや幼稚園児並みの感想しか出てこない。噛めば噛むほど味が深まり、なおかつチキンライスが濃過ぎることもなく、卵との調和が……おや、語彙力が噛めば噛むほど出てくる。
「今まで食った弁当より美味い。最高だ。というか、俺の人生の中でも一番かも」
「もう、大袈裟ですね」
口ではそう言いつつも満更ではない様子で、冬海もほっとしたように自分のオムライスにスプーンを差し込んだ。味を確認すると、自分でも満足そうに小さく頷く。
「ポトフもどうぞ」
「あぁ」
オムライスで得た感動もそのままに、俺はポトフにスプーンを突っ込む。中から玉葱とじゃがいも、ソーセージを一緒に掬って口に運んだ。
「……優しい味だな」
こちらも具材にはよく味が染みていて、優しくなるような気持ちにさせられる。
その後、冬海の温かい料理の虜になった俺は無言で食事を続けた。ポトフはおかわりを二回、一人で鍋の大半を平らげてしまった。
「……はぁ。美味かった」
「ふふ、お粗末さまでした」
食べ終わった食器を流れるように冬海が重ねる。それをシンクへと持っていこうとした彼女に、俺は慌てて声を掛けた。
「皿洗いなら俺がやるぞ?」
「先輩はお客様なんですから座っていてください。それにここは私の戦場です」
「……わかった」
他人にキッチンという領分を侵されたくない、と主張されれば引き下がるしかなかった。
ならばせめて彼女が食器を洗い終えるまで見守っていようか、という考えが浮かぶがこれには否定的な意見もあった。早くお暇した方がいいのではないかという考えだ。
俺は悩んだ結果の末、見守ることに決めた。–––が、それは叶わなかった。
「ん?」
食器を水につけて、冬海がすぐに戻ってきたからだ。
「……おまえってすぐに皿洗うタイプじゃなかったっけ?」
「そうですね。でも、今は可能な限り先輩と一緒に過ごしたいので」
「おう……」
直球のストレートを鳩尾にぶち込まれて、なんとも言えない感想が出てくる。死ぬほど甘いデザートを口に詰められた気分だった。
「……そうか」
想定していた帰宅のタイミングを逃し、俺はどうするべきか迷う。
『抱け!』と唆す小悪魔陽菜先輩が脳の片隅に出現したが、縄でぐるぐる巻きにして隅っこに放り投げておいた。
さすがにそれはまずい。俺の中の紳士が警鐘を鳴らしている。自らの手で穢すべきではないと。
『こいつもしかして俺のこと好きなんじゃねぇの?』という考えも浮かび、ぶんぶんと首を振った。
「冬海」
「……なんですか?」
「……いいや、なんでもない」
これは彼氏彼女のフリの延長線上にある不思議な関係。他意はない、と自分に言い聞かせるように喉まで出かかった言葉を引っ込めた。