鹿島都襲来の翌週のこと。
最近は仕事が忙しいらしく頻繁に残業のお知らせが愛理から来るため、今日も俺は誰も待つことのない家へ帰る。
週末だというのに少しだけ足を重く感じながら帰宅すると、先週にも見た光景が繰り返されていた。
まるで同映像のループ再生を見ているようだが、今回は少しばかり違う。手荷物は学生鞄ではなく、紙袋で、おまけに雨に降られて服が透けているということもなかったのだ。
これを残念と感じるかは別として、女子中学生が成人男性の部屋の前で膝を抱えているのは問題がある。下手をすればご近所の噂になってしまう。
足音に気づいた都がこちらに振り向き、姿を認識すると僅かに笑みを見せながら部屋主を出迎えるように立ち上がった。
「もう〜、遅いですよお兄さん」
「悪かったな。と、言いたいところだが来るなら連絡しろよ」
「だって、お兄さんの連絡先知らないですし」
「それもそうか」
それならそうと姉に連絡を入れればよかったのに、と思ったがそんな殊勝な心がけをするつもりならアポ無しで突撃しては来ないだろう。姉に連絡しない理由は思い当たらないものの、意図的と見た。
「私の連絡先欲しいですか?ちなみにうちのクラスの男子たちが喉から手が出るほど欲しいものランキング一位です」
「それ手に入れたやついるのか?」
「今のところいないですね」
よほどガードが硬いらしく都はあっけらかんと言い放つ。
哀れ、男子ども。と少年達の涙ぐましい青春を思いながら、俺もまた性格悪く苦笑していた。
他人の不幸は蜜の味……とは少し違うが、それもまた俺にとっては都合が良かった。
俺からすれば愛理の妹である都は、他人とは言い難い。妹のように可愛がっているという感覚が当てはまるだろうか。そういうわけで変な虫がつかないか心配なのだ。
「まぁ、玄関先で立ち話もなんだし入れよ。今日は何のおもてなしもできないけどな」
あと近所で噂になるし。と、付け加えておく。
鍵を開錠すると都は「おじゃまします」と小さく呟いて、俺の後ろをついてくる。
リビングのソファーに腰を下ろす前に、冷蔵庫からペットボトルの紅茶を二つ用意する。
一つを都に差し出して、ソファーに腰を下ろした。
さっき言っていたようにお互いの連絡先を交換して、数秒ほどすると「末永くよろしくお願いします」と丁寧なスタンプが送られてきた。その更に数秒後には、何故か都のスク水姿の写真が送られてきていた。
「夏になると男子達の視線が鬱陶しいんですよね〜。必死に網膜に焼き付けようとしちゃって〜、お兄さんはその写真をどうしますか?」
ニヤニヤと挑発的に煽ってくるが、その程度で揺らぐほど伊達に大人はやってない。俺が思春期真っ盛りな中学生時代なら別であっただろうが、色々と経験してきた大人だ。
突然送られてきた画像にびっくりしつつも、画面を消してスマホを机に置く。
「また男子生徒が欲しがりそうだな」
「そうですね。でも、お兄さんは興味なさそうですね。普段からもっとすごいものを見てるからですかね〜」
探りを入れるように都が言い放つ。具体的には姉の裸を見てるんだろうと言わんばかりだ。確かに愛理と比べたら見劣りするが、都もそれなりの美少女だ。これが女の味も知らない未経験なら先日の時点でやばかったかもしれない。
もはや俺の脳内エロフォルダは愛理に汚染されているのか、他の女性のちょっとやそっとのアプローチでは効果がなくなってしまったのである。それ以前に未成年はまずいが。
それを再確認するとともに、俺は少しだけ染まっていることを自覚した。解せぬ。
「お姉ちゃんはいないんですね。もしかして、愛想尽かされました?」
「残念ながら今日は残業で遅くなるらしい」
「なるほど、それはそれで好都合ですね」
姉が不在なのを確認すると、天使の微笑を浮かべる。
……いや、あれは小悪魔の微笑みだ。
悪戯を思いついたかのようなそんな表情に、年相応のあどけなさが混じる。
所謂、蠱惑的な笑みは同年代がいれば迷わず魅入っていたであろう。
俺もあと十年遅く生まれていれば彼女の虜になっていたに違いないと思わせるほど都は魅力的だった。
「お兄さん、明日予定はありますか?」
「ないけど」
反射的に答える。
当然、このあとに来るのは何かしらのお誘いなのだろうが、俺には何の予備知識もなかった。
だからこの状況には怪訝な顔をするものの、どんなわがままが飛び出すのか内心ワクワクしていたのである。
……それが地獄の釜の入り口とも知らないで。
確認した都は満足そうに頷く。
「そうですか」と淡々と呟いて、スマホをタンタンとリズミカルに叩いていた。
誰に連絡しているのか。俺のスマホではない。ならば、友達か。話の文脈からしてそれもないだろうが誰かに連絡をとっているのは確かだ。その理由はわからないが。
それから数回、誰かとやり取りしたあとで都は顔を上げた。
「お兄さん。明日、暇なんですよね?」
再度、確認するように都が聞く。
何か底知れない嫌な予感がしたが、愛理の妹だ。
よほどのことがない限り、話は聞こうと思って首肯する。
すると都は、ほっとしたように胸に手を置いて、要件を口にした。
「よかった〜。実はお母さんが、お姉ちゃんが普段お世話になっている人にご挨拶したいから予定が合えば家に招待したいって」
……その言葉を聞いた瞬間、俺に戦慄が奔った。
役目を遂げたと言わんばかりに緊張を解いている都を尻目に、俺は深くソファーに身を沈めながら肘をつき、手を組んだ先に顎を載せる。
あまりの急展開に脳が理解を拒否したが、しばらく沈黙して状況を整理してみる。
正直、お世話になっているのは俺の方であって、愛理の方ではない。
おはようからおやすみまで。食事の世話に、下世話な話をすると性欲までお世話になっているのだ。
彼女の手料理を食べないと満足できないし、愛理を抱かないと眠れない。
それなのに彼女ではなく、それなりに大切な存在としてそばに置いている。客観的に見れば“不誠実”な関係である。
いったいどうして家に招かれたのか?
どこからどこまで知ってるのか?
もしかしたらお怒りなのでは?
様々な悪い予想が脳内を駆け巡る。ネガティブ思考なのは根っからなので、本当に悪い方向にばかり想像がいってしまい今からでも恋人関係になっても遅くないのでは。という打算が浮かんだが、それはそれで相手に失礼なのですぐにその案は却下された。
「そ、そうか……返事は愛理と相談してからでもいいか?」
「はい。わかりました」
返事は後回しにしたが、ほぼ行くのは確定だ。
正直気が乗らないのだが、存在を把握されている以上回避は不可能だ。
問題は何処まで御両親が知っているかなのだが……。
高校の時に振ったことも知られているなら、気が遠くなりそうだ。
朝帰りの件を考えれば、もう詰んでるかも知れない。
「おや、これは……?」
人が頭抱えて悩んでいる時も都は忙しなく目を動かし、ふと視界に入ったソファーの横に落ちていたそれを拾い上げる。黒い猫耳のカチューシャだった。
面白い玩具を見つけたと言わんばかりの表情で、自らの頭に装着した。
「お兄さんこんな玩具をお姉ちゃんにつけて遊んでるんですね。どうですか?似合いますか?」
にゃー、と招き猫のように手を曲げてポーズを取り楽しそうに鳴き真似をする都は正直可愛い。恥ずかしがっていた愛理とは対照的だ。
惜しむらくは尻尾がないことだが、あんなもの女子中学生につけたら絶対にダメだろう。おそらくは寝室に落ちている尻尾が見つからないことを祈りながら、こっそり胸の中で安堵した。
「そんなお兄さんに朗報です」
「何がどうしてそうなった……?」
「まあまあ話は最後まで聞いてくださいよ。きっとお兄さんにも、私にも、互いにお得な話ですから」
そう言って都が取り出した紙袋の中身には“あれ”が入っていた。
◇
午後七時を過ぎた頃に玄関を開ける音がした。
鹿島妹を見送って一時間ほどだろうか。愛理が帰宅したのだ。
「ただいま……って、なにしてるの?」
「おう、おかえり」
ソファーに座りながらテーブルの上に置いてあるスマホを見つめ続ける俺を訝しむように見て小首を傾げていたが、しばらくして俺が動かないことを確認すると、ソファーの裏から抱擁するように背後から抱きついてきた。
「誰かからの連絡待ち?」
「そう。上司から休日出勤の連絡でも来ないかなって思って」
「なんで休日出勤なのよ」
「色々あってな」
普段なら休日出勤なんて御免被りたいが事情が事情だ。仕事であれば大手を振って愛理の実家訪問を断る連絡ができると思ったのだが、こういう時に限って上手くいかないものである。
ため息交じりに疲れた様子を見せる俺に、愛理は事情を知らぬままそっと頰に手を添えてこっちを向くように指で頰を優しく叩く。
キスの催促に応じて顔を寄せる彼女の唇におかえりのキスをすると、そのままソファーの裏から雪崩れ込むように落ちてきた。優しく抱き留めてくれることを信頼してか危ない体勢から転がり込んでくると、ぎゅ〜っと抱きついてくる。
「それは私と休日を過ごしたくないって意味かしら」
「いや、それがな……」
俺はさっき都が訪ねてきたことを説明する。
明日、家に招かれたことを相談すると彼女の顔色が悪くなった。先ほどの俺を見ているようである。
彼女なら喜んで両親を紹介すると思ったが、浮かない顔で仕事から帰ってきた以上に疲れた顔をしているのだ。もうこれは、何かあるのは確定だろう。
「迂闊だったわ。まさか都を連絡役によこすなんて……」
「ん?」
「先週都が来た次の日あたりから言われてたのよ。紹介しなさいって」
「そうだったのか……」
「でも、直人ってそういうの苦手でしょ。だから、忙しいって断ってたんだけど……」
土日休みであるはずの娘の嘘を見破り、都を送りつけてわざわざ俺に確認しにきたと。それに俺はまんまと嵌ったわけだ。
「まぁ、決まっちまったもんは仕方ねぇ。風呂入って来いよ」
「先にご飯作るわよ?」
「いや、先に入ってくれ。米くらいは炊いたし」
「そう?じゃあ、お言葉に甘えようかしら」
「あ、服とかタオルは俺が用意するよ」
「そ、そう……?じゃあ、頼むわね」
少しだけ訝しまれることになったが愛理をお風呂場に送り出すことに成功した。
すぐにタオル等の準備を始める。寝室の箪笥から愛理の下着が入った段を開けて、かなり慎重に選ぶ。
下着だけでも数種類あるが、着せる服を考えれば大人っぽい黒や派手な赤は避けるべきだろうか。
そんな思考と同時に網膜の裏に浮かぶのは、学生時代の淡い思い出。今でもはっきりと思い出せるシャツや体操着から透けたあの色。
「淡い……そう、オレンジだな」
スカートを覗いたとか、捲ったとかそういう話ではなく。
偶然彼女の服が薄らと透けて見えただけだ。
あまりにも鮮明に覚えている光景を再現したくて、同じ色の下着を箪笥から引き出す。
あとは紙袋と合わせて準備完了だ。
「じゃあ、置いとくぞ」
タオル、下着、紙袋。揃ったそれらを洗面所に置いて、一人リビングに戻ってくる。
俺は一仕事終えたとばかりに深く腰を落として、愛理が風呂から出てくるのを待った。
最近では風呂に二度入ることもあり、一回目の入浴は手早くシャワーで済ませる。その水音が止んで風呂場から愛理が出てきた。そして、タオルで身体を拭いているのか長い静寂のあと、ドライヤーで髪を乾かす音がした。
それからしばらくあとに、ものすごい勢いで扉が開いてドドドと足音を響かせてリビングに下着姿の愛理が飛び込んできた。
「な、なんでこれがこの家にあるのよ!?」
愛理が掲げているのは、高校時代の制服であった。
六年も前だが、しっかりと覚えているらしい。覚えていなくとも何処かの学校の制服だとはわかるだろう。
俺は悪戯が成功したことに笑みを堪えながら、動揺する愛理を見やる。
「あー、それな。都が持ってきてくれた」
「持ってきてくれたって……いや、着ないわよ。まだ使うかもしれないし。汚したりなんかしたら……」
「汚すって具体的には?」
「っ!も、もうバカ……!」
自らの失言に気づいた愛理が赤い顔で狼狽える様は、なんというか嗜虐心をそそられる。それはさておき。
「都が同じ高校に通うかもしれないんだろ。でも、サイズが合わないしブカブカなのは嫌だからって、それで俺が妹ちゃんの新しい制服を買う代わりに貰うことになった。以上」
「…………そんなに私に制服着せたいの?」
多分嫌ではないのだろう。困ったような顔をしながらも、結局は全部受け入れてくれる。彼女は無言で制服を持って洗面所に戻って行った。
それから十分ほど待っただろうか。
ゆっくりとした足取りで愛理が戻ってきた。極力注視されないよう息を殺して、真っ赤な顔で俯きながら。その首から下は懐かしくも高校時代の制服である。ただ少しだけ昔よりも胸は窮屈そうだし、ブレザーの下のシャツが張っている。今にもボタンを弾き飛ばしそうだ。スカートから下はニーソに包まれた太ももが露出しており、素晴らしい絶対領域を展開していた。
ストッキングと悩んだが悩んだ甲斐もあったというものだ。まぁ、結局は最終的に全部試すのだが。
「……どう、かしら?」
「……」
「ちょっとなにか言いなさいよ。やっぱり変?その、もう歳も歳だし。似合わない、かも……」
「いや、なんかもう背徳感が凄い」
高校卒業から六年。二十四歳になった女性に高校の制服。
女子高生らしい活気に溢れた可憐さではなく、大人になった色気がこれでもかと滲み出しているのだ。
確かに若さはあの時と比べるまでもないが、それでも彼女は美しかった。
あとエロい。すっごいエロい。懐かしい制服を着せているのもそうだが、今からその服であんなことやこんなことをすると思うと背徳感で胸が締め付けられるようだ。
「……なんかよからぬことを考えてる気がする」
鼻を抑えるように隠す俺を見て、怪訝な表情を浮かべる彼女の予想は正しい。
しかしすでに、そのよからぬ計画の第一段階は終わっている。
俺の反応が思いの外良くて安心したのか、愛理はほっと息を吐くと改めて自分の姿を見下ろした。忌々しげに歪む表情は何処か不満を含んでいて、少しだけ悲しそうであった。
「どうした?」
「……この制服にはあんまりいい思い出なくて」
「?」
「だって卒業式の日、こっぴどく振られたし」
ツンと顔を背けて愛理は身を反転する。
同時に吐いた言葉が胸に突き刺さって、うっと胸が詰まった。
ちらりと視線が向けられる。
六年越しの細やかな仕返しだった。
「……あの時は悪かった」
「ふ〜ん。本当に反省してる?」
「……反省もしてるし、後悔もしてる」
ずっとバレンタインの時のことが頭から離れなかったし、泣いている彼女の顔が忘れられなかった。それを反省と後悔というなら、間違いなく俺は戻ってやり直したい気分だった。
「じゃあ、私のこと好き?」
「……嫌いじゃない」
「もうそうやってすぐ誤魔化す。まぁ、いいけど」
愛理は拗ねた演技をやめて、ソファーに座る俺の膝上に座ってきた。それも脚を開いて跨るような感じで、俺の左足が否応なしに彼女の体温に直に触れる。包まれているような感覚だ。そのままぎゅっと抱きつくように凭れてくる。
「……あの時の悲しい気持ち忘れさせてくれるなら、許してあげる」
そうして頰を擦り寄せるように密着して囁いた言葉は、あまりにも甘美で脳が蕩けるような響きだった。
言い訳を一つ。エプロン着せて料理だってしてもらったんだ……。