後輩二人が洗面所に消えた。
「さて、と……」
それを確認した私は陽菜と視線を一瞬だけ交えると、そっと洗面所のドアの前に忍び寄る。
男と女。それが裸で、お風呂で、ふたりっきり。何も起こらないはずがない。
「さぁ、どうなるっすかね〜」
同じく扉の前で耳をそばだてた陽菜が、ニヤニヤと人が悪い笑みを浮かべる。
扉の向こうでは今もラブコメっぽいやり取りが繰り広げられていて、藤宮君がちょうど浴室へと追いやられたところだった。
浴室から水音がして、聞きづらくなる。
それでも浴室の音はしっかりと響いていた。
二回目の開閉音がして、二人が浴室で会話しているのが聞こえた。
それから約数分、集中して音を拾う。
しかし、いつまで経ってもおっぱじめる気配がない。
「……なかなかはじまらないですね」
「そうだね。藤宮君のことだから、裸で二人きりになったら手を出すと思ったんだけど」
「雪菜のあの芸術品のような裸体を見たら、男は我を忘れると思うんですけどね〜」
何か前提条件が間違っているのか、浴室では健全?な会話が繰り広げられていた。
「どうしてだろうね?」
「まぁ、紳士的なところもありますから。今日はそっちなんですよ」
期待していた展開が訪れる気配がなく、私達は肩を竦めて洗面所の扉から退いた。
私はベッドに腰掛けて、今も浴室から響く会話と水音に耳を澄ませる。だけども、やっぱり浴室からそういう音は聞こえない。
「麗花的にはよかったんですか?」
「何がだい?」
「直人君を差し出すような真似をして」
「それは君もだろう?」
陽菜は備え付けの自販機にお金を入れて、アダルトグッズを買い漁っている。しかも、手錠ばかり。ベッド傍には手錠の山ができていた。
「あたしはほら、直人君の性奴隷ですので」
「……」
お決まりの逃げ文句に私は追求をすることができず、たまらずため息を吐いた。
「それはずるいだろう」
「いえいえ、本心っすよ」
この上なく真剣な瞳をする陽菜。その本気ぶりは、覚悟ガンギマリしすぎてて親友といえどもちょっと引く。
「……私は、前にも言っただろう。恋愛する気はないんだ」
「相変わらずっすね〜。雪菜に直人君盗られたらどうするんですか?」
「そうなっても体の関係は終わらせるつもりはないよ」
「独り占めされたら?」
「泣いて縋る。藤宮君、女の涙に弱いから」
「諦め悪いっすね」
「私のハートは合金製だからね」
自信満々に胸を叩いてみせると、陽菜は聞き飽きたとばかりに苦笑する。
「その話は聞き飽きましたー」
そう言って、陽菜は手持ち無沙汰に手錠を弄ぶ。
そのまま彼女はこっちへ来た。
「ん?どうした陽菜?」
「……アタシ、は……」
目の前で陽菜が俯く。急に様子がおかしくなった彼女の顔を、覗き込んだ瞬間だった。
–––ドン。
胸を強く押された。
急な衝撃に仰向けに倒れると、陽菜が覆い被さってくる。
「ちょっと陽菜?私、そういう趣味は……」
今日の肝試しが刺激的すぎて生存本能を刺激しすぎたのだろうか。ついに我慢できなくなって、私で性欲を解消しようと……?
そんなアホな考えが脳裏を過った瞬間、ガチャリと手首に何かを嵌められた。
「へ?」
音がした方を見れば、右手に手錠が嵌められている。
状況を理解する間もなく、反対の手にも枷が着けられた。
「ちょ、ちょっと陽菜?流石にこれは冗談が……」
「ふひひっ」
陽菜の喉奥から、なにやら不気味な笑いが漏れた。
その表情を見て、私は違和感を覚える。
陽菜、なのに……別の誰かのような。
「まさか……」
おぞましい事実に気づいてしまった時、洗面所の扉が開いた。
「なにやってるんですか先輩方?」
洗面所から先に出てきたのは、バスローブに身を包む冬海君だ。
「冬海君、逃げろ!」
「……そういうプレイですか?」
「違う!」
–––と、言い争っている間に、次の標的に狙いを定めた陽菜がバスローブ姿の冬海君に迫る。
「あ、陽菜せんぱ–––」
–––ガチャン。
最後まで言い終わる前に、冬海君の腕に手錠が嵌められる。
それをやった張本人は、ニコニコといつも通りのヘラヘラとした笑みを浮かべた。
「なっ、なんの真似ですか陽菜先輩!?」
「なにってちょっと邪魔なんだよね。君達」
「きゃっ!?」
悪意を覗かせた瞬間、冬海君が床に押し倒される。
そして、その合間に二つ目の手錠が片腕に、もう片方がベッドの柱へと掛けられた。
「え、ちょ、解いてください!」
「あなたたちはそこで見ていなさいな。ワタクシが彼に可愛がられるのを」
「なっ!?」
あからさまに様子がおかしい陽菜が、うっとりと頰を染めて手を当てる。
「あぁ、今すぐこのカラダの火照りをあの方に鎮めて欲しいですわ。ワタクシのことをたくさん虐めて、可愛がって、存分に味わって……あぁ、考えただけでイっちゃいそう」
さっきまで怒りに任せて文句を言おうとしていた冬海君が、陽菜の異様な様子を見てドン引く。
「……陽菜先輩、ちょっと様子がおかしくないですか?」
「そうだね。いつも通りといえばいつも通りだけど、今回はちょっとおかしいね」
「……いつも通りなんですか」
「まぁ、それは一旦置いておこう」
改めて、私は陽菜を見据える。結論から簡潔に述べた。
「陽菜は、どうやら取り憑かれているみたいだね」
「……それ本当ですか?」
「間違いない。本来ならもっと早く気づけたんだけど、陽菜とあの幽霊の相性が良すぎてほぼ同化していて気づけなかったんだ」
「そんなことあるんですか?」
「私も初めて見たんだよ。よっぽど相性が良かったんだろうね」
目の前では陽菜の体を乗っ取った幽霊が手錠を振り回しながらるんるんと踊っている。
ステップ、ステップ、ワンツー、ワンツー、くるりと回って……はたと止まった。
「……邪魔ですわね、この服」
シャツを脱ぎ、ホットパンツを脱ぐ。
下着姿になった彼女は、自らの肉体を見下ろす。
「あら、意外にいい体をしてますわ。それに下着もなかなか可愛いじゃありませんか」
上機嫌にくるくる回ってスタイルを確認すると、満足げに鼻を鳴らした。
–––ガチャ。
ちょうどその時、洗面所の扉が開く。
バスローブ姿の藤宮君が、ベッドルームに姿を現した。
「先輩!」
「あぁ、悪い。ついいつもの格好で出て来ちまった」
「そんなことはどうでもいいんですよ」
「ん?」
ようやく藤宮君が異変に気づいた時には、陽菜?が彼に迫っていた。
「ようやく来ましたわね、ワタクシのご主人様」
妖艶な笑みを浮かべた陽菜が、藤宮君に抱きつく。
そのままあれよあれよという間に、ベッドへと誘導されてしまった。
トス、と軽い音が響く。
陽菜を抱いたままの藤宮君が、ベッドに腰掛けた。
「……陽菜先輩?」
–––ガチャン。
もう何度目かわからない手錠が嵌められる音。
次は藤宮君の右腕に手錠がつけられていた。
もう片方は、陽菜の左腕につけられている。
「これでワタクシとあなたは離れられない運命になりましたわ。さぁ、次はまぐわい一つになりましょう。大丈夫。欲望に身を任せていいんですのよ。この淫らなワタクシにお仕置きをしてくださいませ」
淫蕩に揺れる瞳を藤宮君に向けて媚を売る女幽霊は、雪崩れ込むように彼を巻き込んでベッドの上に倒れた。
そのままいそいそと藤宮君の体に跨った女幽霊は、彼のバスローブをはだけさせると、自らの背中に腕を回してブラジャーのホックを外した。
「あー……あの、麗花先輩。もしかしなくても憑かれてます?」
「うん。私としたことが陽菜と同調しすぎて気づかなかったみたいだ」
「マジっすか」
「藤宮君数珠は?」
「服脱いだポケットに」
非武装状態で幽霊に攻撃しても、ダメージは与えられない。検証済みである。
「何かないんですか倉科先輩、先輩が襲われちゃいますよ!性的に!」
「ん〜、叩いてみる?」
「それ逆効果な気がしますけど……」
「満足するまでシたら勝手に消えると思うけどね」
「それはなんか嫌です!」
「だ、そうだよ」
「えー。それじゃあ、まぁ……」
藤宮君が嫌々手を振り上げた。そして、高らかに挙げた手を振り下ろす。
「「ひぃん!」」
バチンッ、と何かがいい音を立てると同時に、女幽霊が嬌声をあげて仰け反った。
「藤宮君、どう思う?」
「さっきの陽菜先輩ですか?女幽霊ですか?」
「どうだろうね。というかさっきより同調してるような気がする」
「ダメじゃないですか」
「ごめん」
ビクン、と肩を跳ねさせた幽霊が恍惚な笑みを浮かべて、尻に敷いている藤宮君を愛おしそうに見下ろす。
「盛り上がってきましたわね。さぁ、続きを–––」
促そうとした女幽霊が、突然顔を上げる。
何もない場所を見つめ、ピシリと固まった。
「……?」
藤宮君、冬海君には、そう見えていたはずだ。
私には別の光景が見える。
憑依した女幽霊の前には、赤茶色の髪の女が立っていた。
涙を流しながら、藤宮君を愛おしそうに見つめる赤茶髪の“生き霊”が。
『……その人は私のよ』
『ひぃっ!?』
静かに告げられた言葉にビビリ、女幽霊がその場から逃げ出す。女幽霊は壁を抜けて、外へと逃げていった。
『……』
残った生き霊は藤宮君を見下ろす。
しばらく見つめたあと、彼の唇にキスを落とした。
数秒触れるだけの軽い触れ合い。
それが終わると、生き霊はこっちを見た。
『……売女』
めっちゃ恨みがましい顔で、声で、『この男は私のもの』だと主張する。
だから私は、こう言うのだ。
「……この無自覚幽体ストーカー女め」
おそらく彼女に自覚はない。夜寝て、夢に見ているだけだ。ただその体を精神が飛び出しているなんて誰が想像できようか。私も彼女が死人ではなく、生きた人間だと知ったのはつい最近のことだ。
「……本当に、君は厄介な女にばかり好かれるね。私も含めて」
いつも人の情事を覗いてくる生き霊に、私は勝ち誇った笑みを浮かべた。
※某赤茶髪の生き霊さん的には好きな人が別の女とエッしている悪夢を見せられているという状況です。