冬海に合鍵を渡してから一週間。
その間、彼女は毎日のようにうちへ世話を焼きにやってきた。
掃除、洗濯、料理。家事の全般を奪われてしまった。
朝のおはようから、夕食まで。彼女は毎日、楽しそうに俺の世話を焼いた。
おかげで俺は週に何度もしていた外食がゼロになり、健康的な生活を余儀なくされている。彼女の家庭料理の味は、外で食べる洗練された料理よりも美味しくてその必要性がなくなってしまうほどだった。
今日もキッチンには冬海の姿がある。
我が家のダイニングには食欲をそそるいい匂いが漂っており、もうすぐ料理が出来上がりそうだった。
「先輩、できましたよ」
その姿をダイニングから眺めていると、皿に盛りつけ終えた冬海が皿を二つ手にダイニングにやってきた。料理の配膳をすると、そのまま対面の席に着く。
「悪いな。いつも」
「いえ、先輩放っておくと外食ばかりになりそうなので」
一週間前のゴミ袋はジャンクフードやコンビニ弁当の容器がいくつか入っていた。それを指摘しているのだろう。
「俺だってたまには料理するんだぞ」
「それでもサボりがちですよね、先輩は」
「それに陽菜先輩だってたまに料理してくれるし」
「サボっていたことにかわりはありませんよね?」
俺はそっと料理に視線を逸らした。
「「いただきます」」
追求を逃れるために合掌すると、冬海は呆れながらも合わせてきた。
俺は有耶無耶にしようと、箸を手に取った。
今日の昼食は冷やし中華。卵、茹でた鶏肉、トマト、胡瓜を使ったオーソドックスなタイプである。
色彩もそうであるが、盛り付けも綺麗で実に美味しそうだ。そこらの料理屋で出てきそうな完成度である。
箸を入れて形を崩すのが勿体無いと思うほどで、すごく食べづらい。その気持ちを軽減するために、俺はスマホを取り出し、カメラを起動すると一枚だけ写真を撮った。
ちなみにネットに上げるためでも、SNSに上げるわけでもない。ただ記録に残したかっただけである。
「先輩、箸を持ちながらは行儀が悪いですよ」
「すまん。つい」
最初は恥ずかしがった冬海だが、今では黙認してくれている。薄らと頰が赤い気がするが、気のせいではないだろう。
俺はスマホをテーブルの上に置くと、遠慮なく麺と具材にタレをかき混ぜた。そして、具材と麺を一緒に掴むとそれを口に放り込んで啜る。
「んんっ、美味い」
「……そうですか。それはよかったです」
料理の感想を聞いてほっとしたのか、冬海の箸を運ぶスピードが少しだけ上がった気がする。
「特にこれすごいな。タレ?スープ?から梅や紫蘇の味がするの。こんなの売ってたっけ?」
「それは自分で作りましたから」
「おぉ、道理で食べたことない味だ」
特に拘ったところが理解されていて嬉しかったのか、冬海はとても嬉しそうに微笑む。それがすごく綺麗で可愛くて、思わず鶏肉が喉に詰まる。
「「……」」
そのあとは俺が麺を啜る音だけが食卓に響いた。
冬海からは、啜る音の一つも聞こえない。
素麺、冷やし中華、うどん。麺類を食べる時、彼女が音を立てて啜ったのは聞いたことがない。
なんなら咀嚼音も聞こえたことはない。
もしかしたらそういう音を聞かれるのが恥ずかしいのかも知れず、そういうことだと勝手に思ってる。
「ごちそうさまでした」
食事スピードの速い俺は先に料理を食べ終える。
そのまま席を立たず、食事をする冬海を眺めた。
「……」
視線に気づいた彼女が抗議するように視線を細めて睨んできたが、俺は素知らぬふりをしてその姿を眺め続けた。
「……ごちそうさまでした」
食事を終えた冬海が、不服そうに睨んでくる。
「……先輩、女性の食事姿を眺めるのはあまり感心しませんよ」
「悪い悪い。いや、なんというか、な?」
「もう……」
呆れた様子ではあるが、どうやらお許しは得られたらしい。
ついこのやりとりですら幸福に思っていると、普段と変わらぬ口調で冬海はこう告げる。
「……夜は激辛麻婆豆腐ですね」
今晩の献立だろうか。
クーラーの効く部屋で、俺は額から汗を流した。
「それってどれくらい辛いやつ?」
「私が涼しい顔をして食べられるくらいでしょうか?」
おまえなんでも涼しそうに食うじゃん、というツッコミは喉に突っかかって出なかった。
「……お慈悲を。お許しをいただけないでしょうか」
「ダメです。先輩は可愛い後輩が作った手料理を食べない、なんて言わないですよね?」
「そりゃ完食はするよ」
「じゃあ、頑張ってください。私はその勇姿を見届けますので」
「……頑張るわ」
思わぬ意趣返しを受けて、夕食が大変なものになることを覚悟した。残すという選択肢はないのである。
「……ところで、ですけど」
俺が悲壮な覚悟を決めていると、冬海は視線を僅かに逸らしながら話を変えようとする。
普段の彼女らしくない様子に気づいて、俺はさっきまでの悪ふざけしていた雰囲気を霧散させ真剣に彼女の話を聞こうと居住まいを正した。
「どうした?」
「その……先輩は明日、暇ですか?」
「……まあ、暇だけど」
そういう話の切り出し方をされるとすっごく話を断り難い。友人からその手の話が来ると大抵ろくな話じゃないのは常だった。思わず警戒をしてしまう。
冬海だから変な話ではないと思うが、断りづらいことに変わらなかった。それに俺の夏休みのバイトのシフトを知っている上での確認だ。改まった様子に思わず身構えてしまう。
「そうですよね」
毎日ぐーたらしている(冬海も原因の一割)身であることを断定されてしまったが、反論することもできない。なにせこの一週間ずっと一緒だったから。
「それで何の話だ?」
「実は知り合いに近くの屋外プールのチケットを貰ったんですが、一緒にどうかと思いまして……」
「へぇ〜、プール」
それ即ち冬海の水着姿が観賞できるということである。それも合法的にだ。
「じゃあ、陽菜先輩も麗花先輩も呼ぶか?」
そして、二人の水着姿もと画策するのは男として当然のことだろう。
俺が素晴らしい光景に思いを馳せていると、
「……違います。その、ふたりきりは……ダメですか?」
対面の冬海からとんでもない告白を受けた。
畏まったお願いをする冬海の頰は薄らと赤く染められ、恥ずかしげに俯いて……しかし、視線だけは何度か不安そうに送ってくる。
鈍感系主人公のような提案をした俺に、なんという不意打ちだろうか。
思わず、冬海の可愛らしいアプローチに心臓が止まってしまうかと思った。
「……それなら、ふたりっきりで行こうか」
「……はい!」
冬海は満面の笑み。よっぽど嬉しいようだ。
「それはいいんだけど、俺水着ないんだよな」
「それなら今から買いに行きましょう。二人で」
「冬海は買ったのか?」
「……はい。えと、私のは当日のお楽しみで……」
「それは楽しみにしておこう」
「先輩は準備してきてください。私は食器を片付けておくので」
「了解。頼んだ」
後片付けを任せて、寝室へと引っ込む。
明日のデートのための買い物。これもデートでは?と気づいたのは、二人でショッピングモールに出向いてからだった。