デート当日。天気は前日の予報通り、雲一つない青々とした空が広がっており、絶好のプール日和だ。
ただ懸念すべきことがあるとすれば、今年一番の暑さになると気象予報士が言っていた。
外に出るだけで強い日差しと茹だるような暑さにやられ、踵を返して家に逃げ帰りたかったがそうもいかない。
「あっちぃな……」
呼気と共に愚痴を吐きこぼしつつ、リュックを肩に掛けて退路を断つ。背面にある自室の鍵を施錠すれば、逃げ帰るという選択肢は無くなった。
そうして自分が住んでいるマンションを出た俺は、集合場所である駅前の広場を目指して、熱されたアスファルトの上を歩き始めた。
あまりの暑さに歩幅も狭まり、進む足もどこか遅い。
外に出てたった数分の間に、汗が滲み出し、シャツが背中に張り付く。
駅前に着く頃には、額の汗は滝のように。
しかしそんな疲労も、駅前の木陰で涼んでいる女神の姿を見れば吹き飛んだ。
濃紺のワンピースに身を包む、黒髪の美女。
その出立ちからは、どこか涼しげな感じがする。
清涼感というか、クールな美女という感じが彼女の周囲の温度を数度下げているようで、その近寄り難い雰囲気故か今日はナンパの類は見当たらなかった。
「……あ、先輩」
「悪い悪い。待ったか?」
「いえ、今来たところです」
先にこちらに気づいた冬海に声を掛けられて、俺は駆け足気味に彼女の元へ行く。
なんだか俺を認識した瞬間に、春の雪解けのように彼女の周りが華やいだ気がするが、その態度の緩んだギャップにやられたのは俺だけではなかったようだ。
余所見して冬海を見ていた男性が何もないところで躓く。コンビニの店先でアイスを食べていたおっさんは、その様子に目を奪われてアイスを溶かして地面に落としていた。
「ナンパされなかったか?」
「今のところは。……まぁ、この暑さですから、そんな馬鹿馬鹿しいことやってられないんじゃないですか?」
当の本人はこの調子だが、プールで水着になれば変な虫が湧くのは明白。ナンパ目的でプールに遊びに来るという人種もいるというし、警戒しておくことに越したことはないだろう。俺はひっそりと決意を固める。
「そうだな。こんなところで駄弁っているのも暑いだけだし、取り敢えず切符買ってホームに行くか」
「それじゃあ先輩、エスコートお願いしますね」
「はいよ」
差し出された手を恋人繋ぎにして、切符売り場へ向かう。
券売機で目当ての切符を買うと、バカップルのように手を繋いだまま改札を通って、駅のホームへと出た。
「電車来るまであと何分だっけ?」
「十分くらいですね」
前日のうちに何度もシミュレーションしたから当然時間は覚えている。それでもわざわざ口に出したのは、咄嗟に話題が思いつかなかったからである。
冬海はそんな俺の様子を見て口角を僅かに上げる。そんなことお見通しだと言わんばかりに。
『三番線、もう間も無く電車が参ります。ご注意ください』
言葉はなかった。けれど、心は繋がっていた。手を繋いでいるだけでなんとなくそんな気になって、蝉の鳴き声が聞こえてくる駅のホームで、ただ電車を待ち続けた。
◇
電車で揺られること一時間。目的地の最寄駅へと着いた。そこからバスで五分ほどの距離に、その大型レジャー施設は建てられていた。
入場してすぐに更衣室前で別れ、十分ほどで着替えた俺は更衣室出入り口付近で彼女が来るのを待った。それから約十分ほど待っていると更衣室から藍色のビキニに同色のパレオを巻いた美女–––冬海が姿を現した。
「先輩、お待たせしました」
「……おう」
そのあまりの美しさに心を奪われてしまったのか咄嗟に出せた言葉はそれだけで、つい見惚れて彼女の体を頭から爪先まで二度見してしまう。
「……どうですか?」
「どうって……綺麗、というか……似合ってると思うぞ」
「そうですか」
感想を聞いた冬海は少しだけ表情を柔らかくする。安堵したからか小さく胸が上下するのを、俺は見逃さなかった。
「……それじゃあ先輩、行きましょうか」
「っ!?」
冬海がすっと腕を絡めてくる。ふにょんと柔らかな感触が腕に当たった。
「……」
そんなことをした冬海はというと、耳を赤くしてそっぽを向いている。そういうアピールの仕方は心得ていないようで、緊張と羞恥でいっぱいいっぱいなのが丸わかりだった。
「きゃっ!?」
そっちがその気ならと肘でおっぱいを小突くと、小さく悲鳴をあげてますます顔を赤くする冬海の姿に、俺はつい悪戯な笑みを浮かべてしまう。悪戯をされた当人はわざとされたことに気づいた様子もなく、恥ずかしげに俯いてしまった。
「さて、どうする?」
「……えと、取り敢えず何をすればいいんでしょうか?」
「さぁ?昔は川とかで遊んだ記憶はあるけどなぁ。取り敢えず、暑いからプールに入りたいところだけど。ただ入るのもなぁ」
泳ぐ気分ではない。何をしに来たんだと言われれば、冬海の水着姿を見るためだけにここに来たのだ。もう既に目的は達成されており、むしろおまけまでついてもうしばらくこのままがいいと思う。
「それなら取り敢えず、目玉らしいウォータースライダーを体験してみませんか?」
「じゃあ、順番に制覇していくか」
他にも流れるプールや、波を出すプールなど。最新技術を用いた特殊なプールがいっぱいある。
まずは長蛇の列を作っているウォータースライダーを攻略するべく、俺と冬海は歩き出した。
「うおっ、やっべあの子可愛い!」
「マジだ。アイドルみてぇ」
「女優さんかな?すっごく綺麗」
「くそー、隣にいる男羨ましいっ!」
「毎晩ヤってんだろうな」
「それな。あんな美人毎晩抱けるとか羨ましい」
「あー、俺も彼女欲しい」
プールサイドを歩く度にそこかしこから声が上がる。
誰も彼もが冬海を見て、見惚れては褒め称えるような言葉を口に漏らしている。若干欲望に忠実な下世話な会話が聞こえた気もするが、同時に冬海が身を寄せて嫌悪感を露わに眉根を下げていたので、俺は苦笑しながら聞き流すしかなかった。
「ねぇ、ちょっと見惚れすぎじゃない?」
「……っ、いでっ!?」
「ふんっ」
男女ペアで来たカップル達は相方の男が他の女に鼻の下を伸ばしているのを見て、脇腹を抓って正気に戻していた。
斯くいう俺も腕に与えられる柔らかな刺激に耐えるため、歩くぷるんぷるんを眺めていた。
「……先輩、どこ見てるんですか?」
真夏なのに隣から冬のように凍えるような声音が聞こえて、俺はそっと隣の冬海–––の谷間に視線を移す。
「っ、そういう不躾な視線はダメです。特に女の子は視線に敏感なんですから。……私ならいいですけど」
秒で視線がバレて、冬海は頰を朱に染めてそっぽを向く。
「……ほどほどにしてくださいね。あんまり見られるのは恥ずかしいので」
「善処する」
「それ絶対嘘ですよね?」
そう言った俺の視線はちらちらと冬海の胸元へ。自制できる気がしなかった。
ウォータースライダーの列に並び、そのまま二人で順番を待つ。
その間にも背後からも不躾な視線を感じて、背後の数人が冬海の水着姿をちらちらと見ている。
そこで浮かぶのは、優越感ではなく、モヤモヤとした形容し難い感情。胸の中に灯る昏くドロドロとした感情が、彼女の肌を他の男に見せるのを嫌がった。
–––これは、独占欲だろうか?
他の誰にも渡したくない。見せたくない。
彼女のそういう姿は俺だけのものであってほしい。
冬海は俺のものではないのに……。
「–––先輩、先輩」
「…………ん?」
「大丈夫ですか?ぼーっとしていたみたいですけど、もしかして熱中症ですか?」
「あー、違う違う。熱中症……といえば、そうかもしれないけど」
「それ全然大丈夫じゃないですよね?やっぱりウォータースライダーはやめて、屋根のあるところに–––」
勘違いして慌てる冬海が列から引っ張り出そうと腕を引くので、俺は逆に引っ張ってもう片方の腕でそっと彼女を抱きしめる。
「おまえが可愛すぎて、その……そんな姿他の誰にも見られたくない、っていうか……なんていうかそういう熱中症だよ」
「っ!?–––そ、そうですか。それじゃあ……問題ありませんね」
ウォータースライダーに並ぶ列の最中で盛大にイチャイチャしてしまった俺達は、その後順番が来るまでお互いの顔を見れず、無言で順番を待つのだった。