お互いに名前呼びに慣れた頃には、夏季休暇も終わり大学が再び始まってしまった。
やることは以前と変わらない。しかし、以前と変わったことが一つある。雪菜と本物の恋人になったことだ。
おかげで大学生活も少し改善して、今ではほぼ毎日のように一緒に大学へ行って帰る生活を続けている。その仲睦まじさに嫉妬する野郎の視線が心なしか増えた気もするが、偽物を演じていた時よりは気にならなくなったというか……優越感を感じるようになった。
美人で、綺麗で、可愛くて、優しくて、ちょっと厳しい恋人。彼女が隣を歩いているというだけで、少しだけ胸が温かくなるような気がする。
『……なんかいつもより距離近くね?』
『まさか一線を越えやがったのか!?』
『くそ、許せねぇ』
『俺達の冬海さんを汚しやがって!』
妙な勘違いをする声もあり、ちょっとだけ刺さったが断じてそんなことはない。今もまだ彼女とは清い交際を続けている。
「……」
今日も冬海–––雪菜と大学からの帰路を二人で歩いていたのだが、今日は少しだけ違和感を感じた。
付き合い始めてから柔らかく甘い雰囲気を出していた彼女が、朝からそんな様子を見せなくなったのだ。
普段通りと言えばそうなのだが、何かが引っ掛かる。
「どうした?今日は様子がおかしいぞ?」
「……いえ、なんでもありません」
理由を訊いても雪菜は頑なに言おうとしない。
周期を知らないが、生理なのかもしれない。なら詮索はしない方がお互いのためだろう。
……でも、もし違ったら?
そう思うと不安で仕方なかった。
俺はすぐにスマホで『生理』で検索を掛ける。特に重い時の対処法を–––。
「直人先輩、何をしてるんですか?」
スマホを取り出した俺を見て、目を細める雪菜がぐいっと画面を覗き込んでくる。
「–––って、またそんなこと調べて」
「これは、彼氏としてパートナーの身を案じるのは当然のことかと」
「直人先輩の気持ちは嬉しいですけど、違いますから!」
世の中には『生理』について問題が多発するという。多くはパートナーの理解を得られないとか、そういう男女間の差異で生じる問題が多くあるらしい。当然俺も生理の大変さは理解できないので、ネットサーフィンして小耳に挟んだ程度だ。
想像ができない以上、最善の選択肢を取るしかない。俺ができることは生理でピリピリした女性を怒らせないことだ。それが互いにとって一番いいという結論に至った。
「あと先輩は過保護すぎます」
「……そんなことはないと思うぞ?」
「いえ、いつにも増してお姫様待遇というか……聞いていた話とは違うので嬉しい誤算ではありましたが、先輩の対応は世間一般的ではないらしいですよ?」
「それくらいおまえが大切なんだよ」
『大切にするのは当然だろ』と告げると、彼女は嬉しそうに頰を赤らめて顔を逸らす。
「先輩のそういうところダメだと思います」
「……なんで?」
「なんででもです」
そう言って雪菜はずんずんと先を歩き、自分が住んでいるマンションへと入っていった。
「おーい、雪菜さ〜ん?」
「先輩は少しだけ待っていてください」
「はいよ」
ご主人様に命じられて、俺は一人寂しくオートロックの外で待つ。それから約十分ほどで雪菜が戻ってきた。
「お待たせしました」
「おう」
それから再びマンションを出て、俺が住むマンションへと向かう。
途中でスーパーに寄り道して夕飯の買い物を済ませて、いつものように部屋へ彼女を誘う。これでまだ手を出していないというのだから陽菜先輩には「ヘタレ」と言われた。
エントランスを抜けてすぐに階段を上がろうとしたところで、雪菜に手を引っ張られた。いつも手を繋いでいるが実はこれはリードではないかと麗花先輩には言われた。
「先輩、ちゃんと郵便受けを確認してください。この前それで支払い遅らせてましたよね?」
「……はい」
痛いところを指摘されて、俺は渋々郵便受けへ。
そこで自分の部屋の郵便受けを開くと、支払い用紙や封筒の類はなく……何故か一枚の紙切れが入っていた。
四つ折りに畳まれた“それ”を開けると、紙には雑誌の文字を切り抜いてこう書かれていた。
『冬海雪菜と別れろ』
なんともまあ気味の悪い脅迫文である。
具体的に何をするとは書かれていないが、嫌がらせにしては趣味が悪い。
「先輩?何が入っていたんで–––」
後ろから覗き込んだ雪菜が、血の気を失ったかのように表情を凍らせた。
「……なるほど。おまえの様子がおかしかったのはこれが原因か」
照明に透かすように持ち上げてみるも、切り抜いた文字の厚さと文字が透けるだけで特に変化はない。なんとなしにやってみたが謎解き要素はなかった。
「きっと陽菜先輩の悪戯だ、って本来なら言うところなんだがな」
そう言って冗談めかしたいところだが、雪菜の様子を見るとそうも言ってられない状況らしい。
「取り敢えず、おまえの家戻るぞ」
「……あの、先輩」
「問答無用。全部聞かせてもらうからな」
それでも口を閉ざす雪菜を抱き寄せて、元来た道を戻り始めた。
◇
雪菜のマンションへ戻ってきたところで俺が最初にしたことは、オートロックの内側にある郵便受けの確認だった。
すると彼女の部屋の郵便受けには、数日分とされる郵便物があり……その中には怪しい封筒の類が混入していた。
「「……」」
それを全部漁り出した俺は、全部持って彼女の部屋へ向かう。
部屋に入ったところで、郵便物の中から怪しい封筒を取り出して開いた。
すると中から出てきたのは盗撮したと思われる雪菜の写真が複数。その中には俺の姿もあり、そっちは乱雑にばつ印がつけられたり刃物で切り裂かれたりしていた。
「おぉ、露骨……」
そして中にはお気持ちメールまで添えられていた。
『あの男と別れろ』と、写真に対する俺へのアレは明確な脅迫と見ていいだろう。
「で、これ送られてきたのは?」
「……数日前です」
「前のは?」
「……怖くて、処分しました」
愚策だがやってしまったのは仕方がない。俺は雪菜を抱き寄せて、慰めるように頭を優しく撫でる。
「……先輩?」
「よしよし大丈夫だぞ。指一本触れさせないからな。……一応聞くけど、心当たりとかは?」
「……ないです」
「まあ、そうだよな」
俺も心当たりと聞かれて陽菜先輩と出てくるぐらいには心当たりが少ない。
心の中のミニマム陽菜先輩が『風評被害だー!』と叫んでいるが、前科どころが現在進行形でストーカーなので無視しておく。
「さて、問題はどうするかだよな。警察には?」
「……はい。一応」
「まぁ、やるにしても周辺のパトロールの強化と厳重注意くらいだよな」
被害が出ていないと犯罪の立証も難しいと聞く。しかし、そういう相談があったという事実を残しておくのは大事だろう。正当防衛するにも有利になりそうだし。
「あとは……」
ストーカーのやることはある程度予測できる。が、念には念を入れて専門家を呼んでおこう。
「専門家に相談しようか」
「専門家……?」
「陽菜先輩、聞こえてたら今すぐ雪菜の家に来てください」
「……?」
俺の突拍子もない行動に雪菜が首を傾げる。
その数分後のことだった……。
–––ピンポーン。
インターホンが鳴った。
びっくりした雪菜が出向いてモニターを見ると、そこには陽菜先輩の姿が。
「陽菜先輩?」
『お呼びのようで馳せ参じたっすよ』
「……深く聞くと後悔しそうなので聞きませんけど、今開けますね」
オートロックを解除して、陽菜先輩を通す。
それから数分してやってきた彼女は、開口一番にこう言った。
「–––で、誰がストーカーの専門家っすか!」
「電話も使わずに呼び出せる先輩のことですが」
「そこは思いが通じただけかもしれないじゃないっすか」
「盗聴してましたよね?」
「嫌ですね。一応言っておきますけど、あたしが犯人ってわけじゃないっすよ。あたしは直人君しかストーカーしてませんし、盗聴器仕掛けたのも直人君の家しか–––」
「やっぱりやってたんですか」
「–––はっ!?まさか誘導尋問!?」
「違いますよ。で、場所は?」
「お風呂場とお布団の中っすよ。コンセントの裏に仕込むなんて古臭い真似はしません」
堂々と開き直って犯行を認める陽菜先輩には悪いが、帰ったら家を捜索しようと決めた。
「で、話聞いていたと思いますけど、先輩から見て雪菜の家はどうですか?」
「ちょーっと待ってくださいね」
既に事情を察した陽菜先輩が部屋の中を歩き回る。窓の確認やコンセントプラグ周りを確認して、他にもお風呂場など色々な箇所を見ていく。そうして一通り回ったところで戻ってきた。
「侵入の形跡もなし、何か仕掛けられている形跡もなし、まだそこまではいってないっすね。ストーカーの風上にも置けないっす」
「ストーカーに上も下もないでしょう」
「あたしはプロっすよ」
「どこにプロ根性出してんですか」
悪ふざけはそこまでにして、俺は真剣に問い掛ける。
「今のところ被害は少ないですけど、同じストーカーさんとしてはどうしてくると思います?」
「やっぱり住居への侵入ですかね〜。接触もしてくると思いますし、直接被害がある場合もあるっすよ」
「あんた侵入してきたもんな」
やはり本物は言うことが違う。既に過去のことなのでどうでもいいが。
「対抗策としては?」
「そんなの簡単っすよ〜。雪菜が直人君の家にしばらく泊まればいいんです」
「なるほど。確かに」
「と、泊まる!?」
俺達がじっくりと話し合っている間に、隣から素っ頓狂な声が聞こえてきた。見ると雪菜は頰を真っ赤にさせて、耳の一部がじんわりと赤くなるという奇妙な照れ方をしていた。
「目には目を、歯には歯を、狼には狼をっすね」
「なるほど。外の狼を警戒するなら、狼を飼って対処すればいいと。それ結局私の身が危険では?」
「遅かれ早かれいただかれるんですから、早いか遅いかの違いっすよ」
「うっ……」
何やら沈黙した雪菜がちらりと視線を向けてくる。
「言っておくけど、この一件が終わるまで手を出すつもりはないからな。危ないし」
「そ、そうですよね……?そ、それなら、まぁ……」
俺だってそれくらいの分別はつくわけで、そんなこんなで俺達の同棲生活が始まったのだった。