風呂から上がり、歯を磨く。就寝の準備を済ませたところでリビングに行くと、ソファーに座っている人影が目に映る。その後ろ姿は一瞬肩を跳ねさせたが、恐る恐るといった様子で振り向くと何やら膨れっ面になった。
「あ……先輩、ちゃんと髪を乾かしてませんね」
まったくもう、と不満を表情に表しつつもポンポンと隣を叩く。そこに座れということらしい。
おとなしく雪菜の隣に座るとシャンプーのいい匂いがした。おまけにしっとりとした湯上がりの肌が色気を増していて、男心というものを擽る。触れたい欲求が湧き上がり、衝動的に手を伸ばすよりも早くポンと頭に手が置かれた。
「少しじっとしていてくださいね」
彼女が手にしたドライヤーから温風が吹き出る。タオルで髪の水気を拭き取りながら、丁寧に髪を乾かしていく。
時折梳くように髪の間を通る指が優しく頭を撫でるようで、その気持ちよさに目を細めて俺はすっかり虜になってしまった。
「……はい、終わりましたよ」
そんな幸せな時間もすぐに終わってしまう。十分近く乾かしてもらっていたが、体感ではほぼ一瞬のことだった。
「先輩?–––って、あ、こら」
そのままずるずるとソファーに傾れ込んで雪菜の膝を枕にする。ゆさゆさと揺すってくるが俺は断固として拒否した。
「おやすみなさい」
「こんなとこで寝たら風邪ひきますよ!……もうっ」
揺り起こすのを諦めた雪菜は、そのまま膝枕を継続して今し方乾かし終わった髪を撫で始めた。
「……まぁ、真面目な話、ベッドは一つしかありません」
「……それは由々しき事態ですね」
頰を薄らと赤くする雪菜さんは何を考えているのやら。ただの寝床の相談だというのに、まるで結末が決まってしまっているみたいだ。
「そういうわけで俺はソファーで寝る」
「ダメですよ」
「でも、そうなると二人でベッドを使うことになるが?」
現実を突きつけると頭を撫でていた手がぴたりと止まった。そして、心なしか撫でる手つきがスピードアップする。
「……いいんじゃないですか。その……恋人同士ですし……」
もぞもぞと動いて彼女の顔を見上げれば、突如として暗闇が視界を覆った。瞼に生温かい感触がある。雪菜の手だ。
「……見えないんですが」
「見るのはダメです。……その、恥ずかしいので」
恥じらう彼女の可愛い姿を拝むはずが、手のひらで完全にガードされている。俺は仕方なく頭の裏にある柔らかな感触を楽しむことにした。
「じゃあ、ベッドに行くか?」
「……」
寝るにはまだ早い時間だが、特に時間を潰す方法もないのでそう提案したが応答はない。仕方なく強引に手のひらを引っ剥がすと、顔を真っ赤にした雪菜が潤んだ瞳でこちらを見つめていた。
「……雪菜さんや?おーい?」
「……」
あまりの緊張におかしくなっている彼女の姿に苦笑して、俺は膝枕から名残惜しくも頭を離す。
今更文句を言っても遅い。再起動する前に彼女をお姫様抱っこで抱え上げた。
「きゃっ」
「一名様ごあんなーい」
足早にリビングを出て寝室に入る。
ベッドの中央に雪菜を放り投げて、そのまま覆い被さるように押し倒した。
驚いたような表情のあと、彼女はぎゅっと目を瞑る。
何かを覚悟したような表情で深呼吸をすると、ゆっくりと閉じた瞼を開いた。
「……あの、先輩?」
「ん?」
「…………襲わないんですか?」
おそるおそる聞いてくる雪菜の声が緊張で震えている。もしかしたら別の理由もあるのかもしれないが。
「なんで?」
「……なんだかご馳走を前に涎を垂らした狼さんみたいに見えますから」
「……大丈夫。まだ我慢できる」
待てを命じられた犬のような顔といえばいいのか、雪菜はそんなイヌッコロを見るような優しい目を向けてきた。
「……本当ですか?」
手を伸ばしてくる雪菜の腕が首に絡みつき、絡め取られた俺はそのまま彼女と抱き合う。
至近距離にある彼女の顔を凝視していると、艶やかな唇が蠢いた。
「……先輩」
「……なんだ?」
「……一緒に夜更かししませんか?」
そう言った彼女の顔は赤く、言葉の意味を考えるまでもなかった。
震えつつも誘惑してくる彼女の可愛らしさに負けて、撤回ができないように唇を塞ぐ。
「んっ……あっ、さっきと全然……っ」
そのまま唇だけではなく、彼女の全てを貪り尽くす夜が始まった。
◇
翌朝、珍しく自然に目が覚めて起きた。
いつもは雪菜が起こしに来るのに、今日は何故か来ない。
その事実に一瞬何故と考えるが、その答えは目の前に転がっていた。
「……すぅ……くぅ……」
あどけない寝顔を見せる雪菜の姿が目の前にあった。
普段はポーカーフェイスばかりしているのに、寝ているせいか少しだけ表情が柔らかく感じる。
思わず寝顔に見惚れて手を伸ばした。
頰に触れて……あまりの柔らかさと質感に驚く。
「おぉ……なんというかこれは……癖になるな」
ちょっと強く突いてみるとより感触が指に伝わり、なんとも言えない感想が湧き上がってくる。
「……ん……んんっ」
しばらく雪菜の頰の柔らかさを堪能していると、ふるふると睫毛が震えた。
起きてしまいそうな気配に「あ、やべ」と手を引っ込めた直後、その奥から青い宝石のような瞳が覗いた。
「……しぇん、ぱい……?」
寝ぼけ眼で雪菜が見つめてくる。何を思ったのかもぞもぞと動くとくっついてきた。
「えへへぇ……」
甘えるように額を擦り付けて、目を閉じる。
そうして何度か覚醒と処理落ちを繰り返したあとで、パチリと大きく目を見開いた。
「……せ、先輩!?」
「はい、おはよう」
慌てふためく彼女に挨拶をすると、不意打ちを喰らって少し冷静になったのかきょとんとする。
「……お、おはようございます。で、でも、なんで先輩が……っ」
疑問を口に出した瞬間、彼女は全てを悟った。というか思い出した。
「–––!!!」
頰を赤くして一瞬で距離を取る。その際、半身を起こしたせいで被っていた布団が雪菜の肩からずり落ちる。
するとどうなるかといえば、何も纏っていない雪菜の裸体が顕になるわけで……朝日に照らされて余計に扇情的に映った裸体は、まさに目に毒と言えるほど美しかった。
「見えてるぞ」
「えっ?–––きゃっ」
惨状に気づいた雪菜が慌てて布団を胸に抱く。肩だけ出したオフショル気味の半裸は、余計に目に毒と言える状態だ。
「別に隠さなくてもいいだろ。昨日全部見たんだから」
「そ、それとこれとは違いますっ」
声を荒げる可愛い雪菜さんは、昨日のことを思い出してか余計に顔色が赤い。と、視線が下に向いた。
「って、先輩なんで何も着てないんですか。隠してくださいっ」
「おまえが布団剥ぎ取ったんだろ」
やれやれと肩を竦めて、胡座をかく。
雪菜の視線はちらちらと俺の下辺りに向けられていた。
「むぅ……どうして先輩はそう堂々と恥ずかしげもなくしてられるんですか?」
「見られて恥ずかしい身体ではないからな。そこそこ鍛えてるし」
よく食べるので、その分身体を動かしているだけだ。ダイエットで食事制限をするくらいなら、俺は運動をする。だから常に運動をして食事を存分に楽しむのだ。
「しかし珍しいな。おまえが寝坊するとか」
そう指摘されて、雪菜は布団を口元まで上げる。
「……なんというか結構疲れるんですね」
ぼそりと呟かれたのは、初体験に対する感想だった。
「それになんだか……余韻というか……まだ、ちょっと痛いし、違和感があるような……」
頰を赤らめてもぞもぞと太腿を擦り合わせる姿が可愛くて、妙に妖艶に映る。
「蓋するか?」
「……だ、ダメです……そんなこといまされたら、おかしくなっちゃいます……!」
可愛い彼女はベッドから飛び出ると、震える脚で寝室から逃げていった。