十二月二十四日–––通称、XDAY。
この日の朝は妙に早く目が覚めてしまった。
嵐の前の静けさ–––を現すかのような夜を越えて、私は一人ベッドから抜け出す。
軽く身支度を整えてからキッチンで朝食を作り、先輩を起こしに寝室へと戻ると、彼は姿勢良く仰向けに寝ていた。
「先輩、起きてください」
「……ん、あと五分」
「ご飯ですよ」
「っ!」
たった一言で先輩がぱっちりと目を開ける。そのまま布団を跳ね飛ばして、ベッドの上に胡座をかいて座った。犬みたいで可愛いと思ったのは内緒だ。
「おはようございます先輩」
「……おはよぅ」
まだ寝惚け眼なのか小さく欠伸をしながら返事をする。しかし、冬の寒さに次第に目が覚めたのか元気よく伸びをするとのそのそとベッドから降りた。
「ご飯の前に歯を磨いてきてください」
「ん」
一度、寝室の前で分かれて別行動を取る。その間にお味噌汁をお椀に注ぎ、炊き立ての白米をお茶碗によそった。焼き魚と玉子焼き、ほうれん草のおひたしなどのおかずと一緒に出して、配膳を終えたところで先輩がダイニングに入ってきた。
歯を磨いたおかげか幾分かシャキッとした先輩は、まだ眠いのか普段より幾分か悪い目つきで食卓を睨む。
「おお、ぶりの照り焼きだ」
好物を見つけて嬉しそうに口角を上げる先輩は、無邪気な子供のようで見ていて微笑ましい。それを見れただけで、早起きして朝食の準備をした甲斐があったというものだ。
「冷めないうちにどうぞ」
一緒に食卓について、朝食を食べる。
最初に赤味噌のなめこ汁に手をつけた先輩は、ほっと一息吐いて幸せそうな顔をした。
「あ〜、うめぇ〜」
その後も美味い美味いと言いながら朝食をパクパクと食べていく。十分もかからないうちに皿は綺麗にされて、完食した先輩は名残惜しそうにほっと息を吐いた。
「おかわりありますよ。味噌汁とご飯だけですけど」
「食べる」
「いつものでいいですよね?」
そう言った先輩のお椀を受け取って、白米を盛ってから味噌汁をかけて手渡す。いつものシメの味噌汁ご飯だ。
「先輩朝からよく食べますよね」
「美味すぎるのがいけない。あるのがいけない」
「今度からごはん炊く量減らしますか?」
「それはやめて」
その味噌汁ご飯も先輩にかかれば数分で完食。–––というか、飲んだ。
「先輩、ちゃんと噛んで食べてます?」
「食べてる食べてる」
先輩は適当なことを言いながら、両手を合わせてご馳走様と唱える。それからすぐにだらっと椅子に凭れた。
いつもの寛ぎモードの先輩に、私は食後の珈琲を出す。砂糖を二つ入れた甘党仕様で、ミルクで少しまろやかにしている。
「それじゃあ私はおじょ–––バイトに行ってきますので」
「ん」
「洗い物は先輩がしておいてくださいね」
「ん……」
本当なら先輩を甘やかして洗い物まで済ませたいところだけど、あいにくと時間が差し迫っていた。もう既に迎えの車が近くの駐車場に来ているだろう。連絡はないが、間違いない。
名残惜しくもコートを手にリビングを去ろうとした私の背後を、ひたひたと足音がついてくる。どこまでついてくるのかと思えば、玄関までその足音は止まらなかった。
「……」
振り返れば先輩がいた。愛しい人の顔があった。
「……先輩?」
「……気をつけてな」
「……はい」
心配してくれる先輩の気持ちがぶっきらぼうでも伝わってきて、ちょっとだけ擽ったい。私はじっと彼の顔を見つめた。
「……」
「……?」
見つめ続けた。
「–––!」
何かを思いついた先輩は、ゆっくりと近寄ってぎゅっと抱きしめてきた。
「っ」
そして、私の唇に優しくキスをする。
一瞬の接触。瞬間、距離が開いて。
私のおねだりを正確に読み取った彼の行動に、私はつい照れ臭くなってそっぽを向く。
「……まだ朝ですよ」
「なんだか物欲しそうに見えてな。……違ったか?」
「……違います」
違わない。けれど、やっぱり素直に欲しがるのはなんとなく恥ずかしい。だから私は彼を困らせるような嘘を吐いた。
「……先輩のすけべ」
「はいはい」
「……続きは、またあとで」
これ以上すると家から出られなくなる。
危険を察知した私は、逃げるように家を出た。
◇
近くに待機していた送迎車に乗り込み、三十分もすればいつもの豪邸が見えてくる。厳密に言えば、敷地を囲む塀であるのだが遠くに本邸が見えるので間違いではないだろう。
そこからさらに数分、車で移動すると本邸へと到着した。
私はいつも通りに裏口から中へ入り、更衣室でメイド服に着替えると本邸内を移動する。
本日、お嬢様は習い事の数々をこなしているので夕方まで不在だ。その間にパーティーの準備をするのが使用人の本日の仕事である。
例に漏れず私も設営会場に向かっていると、何故だか多くのメイド達からびっくりしたような視線を向けられる。
「……?」
そのことに一抹の不安を覚えながらも会場入りを果たす。が、何故か私には「なんでいるの?」という不満そうな視線が。
「おーい、そこの彼氏持ちメイドッ」
誰かが呼んだ「彼氏持ち」という言葉に殺気が増す。というか、そう呼んだのは緋色のポニーテールがトレードマークの要注意人物–––陽菜先輩だ。
彼女は会場入りした私を見つけるや妙な呼び方をして突撃してくる。挨拶代わりに何故か背中をパンと叩かれた。
「なんでいるんっすか?」
「だって、お嬢様のために会場の設営準備をしないと–––」
「真面目かっ!」
食い気味に突っ込まれた。そして、すぐに呆れた顔をする。
「言いたかないっすけどね〜。会場の設営準備は彼氏もいなければ予定もない寂しい独身メイドだけでするって説明、雪菜は聞いてなかったんですか?」
「聞いてましたが」
「おい、言葉に気をつけろよ。次の言葉によってはここにいるメイドの全てが敵に回るっすよ」
ギラッとした視線が私を射抜く。返答によっては……。私の身が危ないかもしれない。
「ですが、明日のお嬢様の予定を思えば、今日だけでも楽しい時間を過ごしてもらおうかと……」
「「「……」」」
メイド達が揃って優しい顔をする。それどころか目の端を指先で拭い始めた。
「……本当、真面目っすね」
呆れたように陽菜先輩が肩を竦める。
「だが許さん!」
そして、予備動作もなしに背後に回ってヘッドロックをかけてきた。
「いやー、立派っすよ。面倒臭い大人だらけのクリスマス社交パーティーに連れ回されるお嬢様のために、前日にお嬢様のためだけの招待客を集めたパーティーを開く。その準備に参加するのは。ですがね〜、そういうのは独身のあたし達に任せて、できたばかりの彼氏と黙ってイチャイチャするのがあたし達のためだと何故わからないっすか!?」
「全てはお嬢様のためです!」
「融通の効かない本当バカ!」
『うんうん』と周りのメイド達が頷いている。何故なのか。
「つーか、彼氏ほっぽり出してこっち来るとか……普通にドン引きです」
「私何か間違ったことしましたか?」
「あのですね、世の普通のカップルはですね。特別な日は一緒に過ごしたいもんなんですよ。え、もしかしてあたしの方が間違ってるっすか?」
『うんうん』と周りのメイドが同意する。それについては私も同意する。
「確かに私もそう思います。……ですが、お嬢様はこの日を毎年楽しみにしてるんですよ。欠席などできるわけがないじゃないですか」
「おーい、彼氏とお嬢様どっちが大事なんすか」
「それは………………」
–––どっちが大事か、私には決められなかった。
「ど、どっちも大事です」
「えー、じゃあ仮にですよ。線路の分岐した先にお嬢様と直人君が倒れています。そこに暴走したトロッコが来ました。レバーを引けばどちらか片方だけ救うことができます。どちらを助けるんですか?」
「……お嬢様です」
「ほう、やはりその程度–––」
「先輩ならきっと自力でなんとかできます」
「なにその信頼怖っ。……いや、あの人なら自力でどうにかできそうですけど。いやこれそういう問題じゃないんですよ」
でも私からすればあの人が死ぬ姿が想像できないのだ。トロッコ問題程度で死ぬ先輩じゃない。
「はぁ。……お嬢様に怒られろ」
ヘッドロックから抜け出そうとしている私には、陽菜先輩が最後になんと呟いたのか聞こえなかった。