仕事に人生の大半の時間を奪われ。
人間は生まれながらに奴隷だった……?
あれから六年。二十四歳。
社畜人生を送っていると気がつけばもういい歳になっていた。
両親からは恋人の一人もいないのかとせっつかれ、まだ見ぬ孫を催促されている。それならもっと良い容姿に産んでくれたら苦労はしなかったが、自分の怠慢もあるのでなんとも言えない。生まれ持ったものは別に悪いものではなかったし、モテないというだけで容姿が悪いということはなかった。
–––つまらない人生だった。
学生の頃は良かったなんて言うけれど、俺にとっての学生生活の大半はおそらく人と比べるとしょうもないものであっただろう。思い出と呼べるものは何もないし、思い出すとすれば初めて貰ったバレンタインチョコの苦味と、卒業式で泣かせたあいつの顔ばかり、それ以外は大半があいつの揶揄う顔ばかり浮かんでいる。
社会人になってもつまらない人生はつまらないままで、趣味のゲームや漫画以外は変わらぬサイクルで過ごしていた。
働いて、パチンコして、食って、寝て、酒を飲んで。
もうずっとそれを繰り返してきた。
趣味もアニメ鑑賞とゲーム、漫画を漁るくらい。仕事終わりに録画したアニメを見るのは最高だった。
代わり映えのしない日常に、飽きもしてくる。
黙々と仕事をこなし、定時退社。
明日は友人でも誘ってパチンコ屋にでも行こうか、と数少ない楽しみに思いを馳せている時だった。
「藤宮」
別部署の同期に声を掛けられた。
週末、金曜日。
そうとくれば大抵話しかけられる理由は二つ。
飲みの誘いか、別の何か。
捕まえたと言わんばかりに肩に手を回して、絡んでくる同期は一言。
「飲みに行こうぜ」
「えー、パス。帰るわ」
「そう言わずにさ。人数が足りないんだよ」
「人数が足りないってなんだよ」
「軽い合コンみたいな感じで、男が一人足らないんだよ。男三人、あっちも女三人なんだけどさ」
「なおさら行きたくないわ」
すげなく肩に回された腕を振り払い、いそいそと帰宅の準備をする。
そんな俺に、あいつは囁いた。
「むちゃくちゃ飯が美味い居酒屋なんだけど」
「……場所と名前だけ教えろ」
「断る」
後日、一人で行こうと場所を聞き出そうとしたらあっさり振られる。俺は嘆息して、こう言った。
「美味くなかったらあることないこと吹き込んでハードルを上げてやる。期待の有能社員だとか営業トップクラスだとか」
「地味に嫌な嫌がらせやめろ」
「どうせ少しは話盛るつもりなんだろ」
「まぁ、嘘は言わないがな。そういうおまえこそ期待されてるじゃないか。女上司に」
自信満々に言い張る同期と軽口を言い合いながら、同期二人と会社のビルを出た。
その居酒屋は会社の近くにあった。
近場にあるネオン街の客引きを袖にしながら、同期の池谷は真っ直ぐと目的地に進む。彼は読んで字の如くイケメンで、顔は良し、性格も良しの非の打ちどころのないやつで、社内でもモテまくる有能株である。
対して俺は、仕事はできるが愛想が悪く、社内でもいるのかいないのかわからないと言われることもあって、目つきの悪さに女性社員どころか男性社員も怖がって近寄って来ない。その例外が、同じ部署の女上司や先輩だったりするのだが、そういう話は今は置いておこう。
池谷にはそんなつもりはないのだろうが、俺は壁の花に徹する所存である。あからさまに引き立て役として連れて来られるよりかは、まだマシな人間性を持っていた。池谷は未婚で女性に興味を示さない俺を心配してのことだろうし。
「本当に居酒屋なんだな」
「逆になんだと思ってたんだ藤宮」
「お洒落なフレンチレストランとか」
「そういうのはな、弁護士とか医者とかに任せておけばいいんだよ。それに変に高級なところじゃない方が、変な女が寄ってこなくていいし、そういう選別にも使える」
イケメンの闇が垣間見えたところで、暖簾をくぐって池谷は先に店に入った。それに続いてもう一人の同期と暖簾をくぐると、意外にもお洒落な内装に俺は言葉を失った。
店内を見回しているうちに池谷が奥へ行く。予約しておいたようで、個室へと通されると店員はさっさと去っていってしまう。
「もう来てるはずだから」
そんなことを言われて、気を引き締め直す。
正直、合コンは気乗りしないものの、失態をやらかす気はなかった。
誰かと親密な仲になりたいわけではないが、緊張くらいはするものだ。ただでさえ自分が配属された部署は女性が多く、肩身が狭い場所なのである。
なんとか意識の半分を、仕事中女性社員と接するものに切り換えるとその間にも池谷は扉を開けた。
「遅れてすまない」
一言断って中に入っていく。
それに続いて、俺と同期その2–––浜崎と続く。
極力女性の方は直視しないようにして、池谷に従っていると奥に押し込められた。
「待ってたよ池谷君」
「遅いよー。もう飲み始めちゃうところだった」
「……」
個室にいたのは、三人の女性。
黄色い声を上げたのは池谷がイケメンとあって食いついた、あちら側の主催だろうか。池谷を落とすとあって割と本気なのか仕事終わりにも煌びやかに着飾っており、髪型からメイクまでばっちりである。服装も派手ではないものの、自分の魅力とブランドの良さを全面に引き出した魅力を伴っていた。
俺が気になったのは、もう一人の女性の方だ。
霞んだ赤茶けた髪を傷んだワインレッドのシュシュで一本に纏めて、サイドポニーにしてその豊かな胸元に垂らしていた。服は身体のラインが浮き出る白いニットワンピースに身を包んでいる。
よほど疲れているのか顔色は元気がなく、まるでブラック企業に勤めて人生に疲れ切ったような幸薄そうな雰囲気を出していた。
全体的に地味目な印象を受ける、幸薄そうな女性。
こういう大人しそうな女性が、好みだった。
彼女は合コンに乗り気ではないようで、ずっと沈んだ表情で水の入ったグラスを見つめている。
「ねぇ、鹿島さーん?」
隣の女性が声を掛けた。
それに気づいた彼女が、顔を上げた。
「はい……?」
「鹿島さんの番。自己紹介」
「あ、はい、すみません……。鹿島愛理です」
最初の二人は聞いていなかった。
正確には、“彼女に見惚れていて聞いていなかった”か。
それよりも今、彼女が名乗った名前は。
俺は突然の再会に、動揺して思考が停止した。
よくよく見れば俺の知る鹿島愛理に面影のある、色気のある大人へと変貌していた。ただ少し、心配になるような変貌ではあるが。
幸いにも愛理はこちらに気づいた様子もなく、相手の顔を見ることもなく自己紹介を終える。そのままずっと塞ぎ込むように視線を落とす彼女を眺めていると、肩を叩かれた。
「おい、次はおまえだぞ藤宮」
「え、あぁ……」
愛理がピクッと反応して硬直した。
俺は彼女を視界の隅に抑えながら、二人の美人に視線を移して自己紹介をすることにした。
「藤宮直人–––」
バッ、と顔を上げて反応する愛理。
その瞳は驚愕に見開かれていて、泣きそうに顔が歪む。
やっぱりあいつは俺の知っている愛理らしい。
池谷に倣って自己紹介をすれば、パチパチと拍手が鳴る。
「取り敢えず、何か頼もうか。藤宮は何飲む?」
「適当でいいや」
今日は、飲みたい気分だった。