年が明けてからの時間は早いものであっという間に時間が過ぎていく。大学の単位と課題のレポートにと忙しい日を過ごしていれば、あっという間に大学生活の一年が終わる。
そして、大学三年目の春。
なんとか留年することなく進級を果たしたことに安堵したのも束の間、俺は新たなる問題に直面していた。
「…………」
テーブルの上には様々な企業のパンフレットが置いてある。その数は二桁にも及び、そのどれもが誰でも聞いたことのある優良企業だ。
そう。俺が直面している問題とは–––就職活動だ。
まだ大学三年目といえど、四年目に始まる本格的な就職活動に向けて色々とやらなければならないことがあるらしい。呑気にサークルの新歓を眺めていたら、雪菜から今年から就職活動が始まると宣告されたのである。
そして、気がつけば雪菜が掻き集めたパンフレットが我が家のテーブルに並べられて、俺は紙の束と睨めっこする羽目になったのである。
まったく企業についての情報も知り得ない、やりたい職業もない、普通のサラリーマン志望の俺としては寝耳に水。パンフレットを並べられてもちんぷんかんぷんである。
「……ふむ。なるほどわからん」
適当な会社に就職したい俺としては、どれでもいいのだが……あまりに優良企業しか並べられてなくて、まったく就職できる気がしない。
「どーれーにーしーよーか–––でっ!?」
なので天運に任せようとすれば、背後から後頭部をチョップで叩かれた。
「先輩、真面目に考えてください。先輩の将来ですよ」
「だってよぉ。どれも一緒じゃね?」
スコン、と追撃が脳天に加わる。
「確かに配属される部署によっては業務内容は被るかもしれませんが、根本的に違いますからね」
お怒りの雪菜さんに気圧されて、俺は改めてパンフレットを見る。
「俺としては残業もなく、定時に帰れる仕事がいい」
「随分とアバウトですね……。ですが、だいたい基本的にはどれも優良企業ですよ」
「でも実は入社したらブラックでしたーってオチない?」
「ありえませんよ。今ここにあるパンフレットに関しては、全部綺麗なホワイトです」
自信満々に言い放つ雪菜に、俺は訝しげな目を向ける。
「なんでわかるんだよ」
「……えっと、親戚が勤めているので」
「この企業全部?」
「……はい」
「親戚何人いるんだよ……」
おまけに全員エリート。気品がいいと思っていたが、もしかしたらこいついいとこのお嬢様かもしれない。
今更そんな事実に気づきつつ、三度パンフレットに目を落とす。そんな俺に雪菜は一言付け足した。
「–––っていうか先輩、定時定時と言いますがそんな楽な仕事はありませんからね?」
「わかってるよ。俺はただ定時に帰って、早く可愛い彼女といちゃつきたいだけだっての」
「ふぇっ!?」
素っ頓狂な声に振り向くと、雪菜は顔を真っ赤にしてこちらを見つめていた。目が合うなり逸らされたが。
「まぁ、そうは言っても俺にこの企業は無理じゃないか?」
「そんなことはありませんよ。先輩なら七割の確率で内定を貰えると思います」
適当なパンフレットを摘み上げて、ひらひらと振ると意外な答えが雪菜の口から聞こえて、俺はまた訝しげな視線を向けてしまう。
「その心は?」
「簡単な話ですよ。そもそもうちの大学が就職率高いの知ってますよね?」
「俺もその就職率が高いっての目当てに入ったからな」
『また俗物的な……』という視線を雪菜に向けられたが、俺のは全て受け売りである。詳しいことは知らないのだ。
「うちの大学は元々米倉財閥が人材育成のために作った大学なんです。ですので無事に卒業さえできれば、財閥関連の企業のみならず、多くの企業で就職が有利になるんですよ」
「へー、それは……どこかで聞いたような、聞かなかったような」
「……なので、就職は簡単だと思います」
「でも、俺みたいなのでも簡単に入学できたぞ?倍率高いって聞いたのに」
実際、俺よりも優秀な奴が一人落とされている。誰とは言わないが、赤茶色の髪が脳裏に浮かんだ。
少し懐かしくなって『あいつ元気にしてるかなぁ』と、なんやかんや喧しい奴がいない現実に浸っていると雪菜の視線が鋭くなった。
「–––今、別の女のこと考えてましたね」
「いや、同じ大学受けた奴がいたなって思ってただけだよ?」
あまりの鋭さに俺は姿勢を正した。
「話を戻しますが、実はこの大学一番厳しいのは入試ではなく、書類審査なんです」
「書類審査……?」
「普段の生活態度、いわゆる素行ですね。問題を起こしていると一発で落とされます」
「どれだけ頭が良くて、成績が良くても?」
「はい。まずは人柄を見るのが、この大学の入試なんです」
「ほーん……」
ますます訳がわからなくなる。俺はなんで受かったのだろうか?
「……雪菜さんや、俺色々とやらかしてる気がするんだけど」
過去何回か特定の女子を泣かした記憶がある。誰とは言わないけど。
「先輩の場合、それを補って余りある何かが過去にあったんじゃないですか?–––たとえば、人命救助とか」
「そんな覚えねぇよ」
とても真剣な目で見てくる雪菜に、何故だか胸の奥がざわつきつつも記憶の海を探ってみるが、そのような記憶は一切ない。
「……先輩ってそういうところありますよね」
「どういうこと?」
「先輩は知らなくていいんです」
真剣だったかと思えば、雪菜は急に頰を緩めてクスリと微笑む。何故か上機嫌になった。
「–––話を戻しますが、この大学は入るのも難しければ出るのも難しいんです。問題を起こしたら即退学、二回留年しても即退学ですから」
「他の大学もだいたい一緒じゃない?知らんけど」
俺はそう言いながら、パンフレットを捲る。
するとなんか岩を拳で粉砕しそうな爺さんの姿が目に入った。
筋骨隆々、極道ですら裸足で逃げ出しそうな強面だ。
数多の戦場を駆け抜けた、と言われれば信じてしまうかもしれない。どう見ても顔が武闘派なのだ。
「米倉源十郎……?」
その姿を見た瞬間、奇妙な既視感を覚えてしまう。
「どうしたんですか?気になった企業でも?」
「……いや、この爺さんなーんか見覚えあるなぁって」
「!」
雪菜はパンフレットを覗き込むでもなく、肩に手を置いてくる。
「米倉財閥を一代にして大きくした本物の怪物ですからね。メディアには出ていませんが、いろんな記事で目にすることがあったんでしょう」
「いや、実際見た気がするんだよなぁ。どこでかは知らんけど」
喉元に魚の小骨が刺さったような奇妙な感覚に、俺はパンフレットを睨みつける。そんな俺に雪菜は背後から抱きついてきた。
「そんなことより就職活動です。せめて今月中に決めないと、時間がなくなってしまいますよ」
鼻腔をくすぐる彼女の匂いにあてられて、思考が散漫になるがそこで名案が浮かぶ。
「そうだ。こういうのは先達に聞けばいいんだ」
思い立ったが吉日、俺はさっそく頼りになる二人を呼び寄せることにした。
「–––と、いうわけでお二人に起こしいただきました」
一時間後、我が家には二人の美人が来訪した。
大学四年生、現在就活中の陽菜先輩と麗花先輩だ。
電話してみればお二人とも暇ということで、ご足労願ったわけである。
俺が困っていると言えば、二人は二つ返事で駆けつけてくれた。
「それで相談ってナニっすか?」
片手で輪っかを作り、もう片方の指をそこに通しながら陽菜先輩はいやらしい顔を浮かべる。
「あぁ、ついに我慢できなくなってしまったのか。冬海君の胸じゃ」
「ちょっとそれどういう意味ですか!?」
麗花先輩の直接的な煽りは有効だったようで、雪菜は彼女を見たあとで『先輩違いますよね?』と否定を求めてくる。
突っ込むと激化するので、俺は無視することにした。
「話というのは就職活動のことです」
「あぁ、そういえばそんな時期だったね」
「そうっすね〜。もうそんな時期ですか」
改めてお願いすると、二人は残念そうに現実に引き戻されたような顔をして、遠くを見つめた。
「……なんか興味なさそうですね」
大学生生活最後の–––それも、就活真っ最中の人の反応とは思えず首を傾げると、二人は何食わぬ顔でこう言った。
「「だってもう就職先決まってるし……」」
大学生とは、そんなに早く就職が決まるのだろうか。
俺は困惑しながらも、質問を続けた。
「つかぬことをお伺いしますが、どこに就職するか聞いても?」
参考までに、と聞いてみれば二人はあっけらかんと答える。
「あたしは米倉財閥の広報や情報収集担当の会社に。前から入る予定でしたので」
「なるほど……」
陽菜先輩の答えに「なるほど」と思ったが、実際何をする会社なのかよくわかってなかった。
「麗花先輩は?」
「私は父の会社の事務職」
「あー、なるほど……」
「ちなみに面接も何もせず決まった」
「もうそれ捏ね入社では?」
「父は心配性でね。私を手元に置いておきたいんだと」
–––結論、全然参考になりそうにない。
「お二人とも、就職活動は?」
「「全然してない」」
–––否、全然参考にならない。
「……次元が違う」
頼みの綱二人がまったく参考にならず、俺は頭を抱えてしまう。
「大丈夫だよ藤宮君。いざとなれば私の父の会社で雇うから。取り敢えず、私のお世話係として」
そんな俺に優しく甘い言葉を囁いて誘惑してくる麗花先輩に、俺は少しだけ救われた気持ちになった。
「–––ダメですよ。引き抜きはNGです」
「引き抜きとは侵害だね。まるで、既に藤宮君が米倉の傘下にいるようじゃないか」
そこにインターセプトをかけるのが、恋人の雪菜だ。俺の頭を抱いて引き寄せるとむぎゅっと胸を押し付けてきた。
「とにかく、先輩は米倉の一流企業に就職させますから」
「藤宮君、就職活動が嫌になったらいつでもおいで」
「倉科先輩!」
俺の頭上で、天使と小悪魔の大戦争が始まった。