三度目の夏が終わった、まだ暑さの残る夜。
夕食とお風呂を済ませたあとで、俺と雪菜は熱冷ましにリビングで二人寛いでいた。
僅かに開けた窓から風が入り、片付け忘れた風鈴が鳴る。虫の音に交ざり不思議な音楽を奏でるその音は、夏と秋の織りなす協奏曲のようで……と詩的な表現をしてみたが、残念ながら俺に芸術はわからない。
それを雑に『風流』という感想で片付けつつ、俺はもっとも素晴らしき芸術を堪能していた。
ソファーに寝そべる俺の頭は、柔らかく、温かな感触に支えられている。
目の前には雪菜の形のいい胸が薄着を押し上げ自己主張しており、谷間ならぬ鍾乳洞という絶景が視界の大半を埋めていた。
「もう秋だなぁ」
「そうですね」
雄の視線がどこに向いているのか理解している雪菜は、優しい微笑みを浮かべて俺を見下ろす。
「ついでに耳掻きはいかがですか?」
「そりゃいいな。やってもらおう」
このまま絶景を眺めているのもいいが、耳を綺麗にしてもらうのも気持ちがいい。
すっかり膝枕の虜になった俺は、素直に横向きに寝転がった。
彼女の臍に背を向けるように寝転がった俺の耳に、そっと細い指が触れる。ついで細長い棒が外耳道に侵入してくる。
「ん……っ」
自分でやる時とは違う奇妙な感覚に思わず喉を鳴らし、その気持ちよさについ目を細めてしまう。
熟練の手捌きに耳を弄られて、俺はつい彼女の太腿で溶けるように頰を押し付ける。
「危ないのでじーっとしてくださいね」
注意する声がどこか遠くに聞こえて、意識は遥か彼方へ。
頰は柔らかな太腿を堪能しつつ、反対の耳はお掃除されるという極楽にもはや動く気力さえない。
耳の奥で動くカリカリという音が、何故か心地いい。
リアル耳掻きASMRというご褒美を受けながら、身体はすっかりリラックスしてしまっている。
「先輩の耳って綺麗ですよね」
「……そうか?」
「一月に一度、私しか掃除してないはずなのに垢が少ないですから」
既にお耳の管理すら彼女に任せてしまっているので、俺が手を加えているということはないが、何故か彼女は声に湿度を含ませる。
「–––誰か他の人にやってもらってます?」
副音声に約二名の名前が上がりそうな疑い深い嫉妬の声に、俺はのんびりと答える。
「残念ながら付き合い始めてからやってもらってないな」
「へー、他の人にやってもらったことあるんですね」
冷たい声が突き刺さるが、俺は微動だにせず。
「陽菜先輩にちょっとな」
「倉科先輩は?」
「あの人は胸が大きすぎて手元が見えなくてなぁ」
「……」
おかげで俺の耳が別の意味で昇天しそうになった話をすると、雪菜の表情がどんどん冷たくなっていく。
「……先輩ってやっぱり大きい方が好きですよね?」
「顔が埋まるサイズに憧れはある。が、雪菜のジャストフィットサイズも好きだぞ」
「……っ……」
「それになぁ、胸のサイズって人によって似合う似合わないとかあると思うんだよ。雪菜の胸は今がベストサイズなんだ」
雪菜の体の造形はそれこそ芸術的だ。女神だって裸足で逃げ出すレベルである。胸の形が崩れるだけで、どれほどの芸術的な価値を損なうか考えただけでも恐ろしい。
「……先輩のすけべ」
彼女の身体の素晴らしさを熱弁すれば、雪菜は顔を真っ赤にして腕で隠そうとする。
「もう、反対向いてください」
「へーい」
今度はお臍の方に寝転がる。
雪菜の香りが鼻腔を擽り、安心感が肺を満たす。
このままお腹に顔を埋めたいところだが、耳掻き棒が耳に刺さると困るのは俺だ。涙を飲んで自重した。
再び耳の中を細い棒が引っ掻き回し、その擽ったさが癖になる。思わず病みつきになる手腕に、再び睡魔に襲われていると、何処からか電子音が鳴り響く。
–––♪♪♪
誰かのスマホにメッセージが入った着信音。
睡魔に襲われて意識が失われつつあった脳が再起動をする前に、雪菜が動いた。
テーブルに置いてあったスマホを取ろうとして、前屈みになったせいでお腹が迫り、太腿とサンドイッチという夢のような状況が生まれる。
「ぅにゅ」
合法的にお腹に顔を埋めるという状況を幸福に思ったのも束の間、幸せな時間は過ぎ去ってしまう。
元の体勢に戻ったところで、頭上から思わずといった声が上がる。
「……えっ」
いつもと違う声に疑問を覚えた瞬間だった。
「–––ぬごっ!?」
こめかみに何か硬いものが当たり、睡魔が吹き飛ぶ。
その痛さに転げ回りそうになり–––、
「ぐへっ」
ソファーから落ちるという二次災害が起きて、肺から一瞬空気が抜ける。
「–––あ、すみません先輩!」
ソファーから人が落ちる音にようやく我に返った雪菜が、ソファーから降りて心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?」
「……おう。平気だ。むしろ今元気になった」
ドルフィンパンツとはいえ、肌色成分多めの美女にとんでもないアングルから見下ろされるという状況に、痛みなんて吹き飛んで幸福感が去来する。
–––とはいえ、こんなアングルは珍しいのですぐには起き上がらない。
俺の頭の横でしゃがみ込む雪菜は、俺の頭をそっと指で弄る。
「スマホ当たっちゃいましたよね。本当に大丈夫ですか?」
「俺があの程度で怪我をするとでも?」
「スマホで鼻の骨を折ったという話も聞きますので」
「なにそれ怖い」
だがしかし、俺の頭は石頭だ。並大抵のことでは壊れない。
「それより何があったんだ?」
「あ……いえ、たいしたことでは」
名残惜しくも“無事”をアピールするために起き上がると、雪菜はさっき起こった“何か”について言葉を濁す。
“答えたくない”という意思が、彼女の言葉から感じられた。
「……えと、珍しく父から連絡がありまして……」
それでも言葉を紡ごうとして、いつもとは違いしどろもどろに答えてくれる。
「父から?」
普段、雪菜から家族のことは聞かない。
お互いに話題を避けていたのだ。
理由は様々だが、雪菜の場合は自分の家族の話題に繋がるのが嫌だったからなのだろう。俺もそうだったからなんとなくわかる。
「その……今週末、家に一度帰ってくるようにと」
「そうか……」
「ですので、すみません……その日は、夕食が作れないかもしれません」
「ん、わかった」
さっきまでの幸せそうな顔から一転、父親から連絡が来てぎこちない笑みを浮かべるようになった彼女の顔を見て、思うことは多々あるが……俺にできるのは一つしかない。
「何か困ったことがあったら相談しろよ」
言葉をかけることくらいだ。
彼女の性格は知り尽くしていたのに。俺が選んだのは、一歩引いた選択で。
もっと……。声を掛けてたら。
もっと……。踏み出せていたなら。
–––あんなことにはならなかったのに、と後悔することを俺はまだ知らない。
やりたいことはだいたいやったのでそろそろ雪菜編を終わらせて、お嬢様ルートに行きたいと思います。
バレンタインなかったのは、お嬢様ルートでやった方が面白そうなので省きました。