元メスガキさんをお持ち帰りした件   作:黒樹

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合鍵

 

 

 

八月。記録的猛暑が続き、最高気温を三度も更新したその日。

夕方というのに暑さは衰えることを知らず、汗でシャツを湿らせながら帰路を歩いた。

自宅へとたどり着いた頃には、残りわずかな体力を消耗し階段を上がる元気さえなかった。それでも足を引き摺って歩いたのは帰巣本能故か、社畜化されたルーティンワークか。

最後の一滴まで体力を振り絞って、玄関を開けた俺を待っていたのはエアコンから流れる冷風である。

 

「はぁ〜、生き返る〜」

 

僅かに回復した身体を引き摺ってLDKの部屋へと続くドアを開ける。すると最初に目にしたのは、ここ数日で目にするようになった置物であった。

膝を抱えて丸くなっている背中からは哀愁が漂い。落ち込んでいる様子から、社会人生活に疲れたOLのようにも見える。

 

「またか……」

 

そんな愛理の様子を見て、俺はそっと隣に座った。

肩を優しく抱いて、慰めるように頭を撫でる。

ぎゅむっと抱きついてくる愛理にされるがまま、誘うように漂う“いい匂い”のするキッチンへと視線を向ける。

するといつもは愛理が立つキッチンには、彼女の実妹である都が立っていた。自前のエプロンを身につけて、菜箸を手に何やら煮込んでいる様子。これも数日前から見た光景だ。

 

「お帰りなさいお兄さん。もうすぐ夕飯できるので楽しみに待っていてくださいね」

 

さも当たり前のように人の家のキッチンで夕食を作る都は、さっきまで煮込んでいた鍋の火を止めてグリルの様子を見る。

 

「今日は肉じゃがと焼き魚?」

「よくわかりますね。匂いだけで」

 

数少ない特技である。

特に肉じゃがは好物なので、間違うことはない。

 

「好物だし、都の料理は美味いから楽し…ミッ!」

 

その一言を放った瞬間、脇腹に痛みが走った。脇腹を抓られたのだ。

 

「……愛理さん?痛いんですが」

 

先日のマーキングの比ではない痛みに脂汗がたらり。

人の脇腹を抓った犯人を見れば、裏切り者と言わんばかりに上目遣いに睨んでくる。頬を膨らませて不服そうな表情でだ。

 

「……浮気者」

「食べ物に罪はないと思うんだが」

「それでもあんたの胃袋が浮気者なのは変わらないわよ」

 

そう言われても我慢などできるはずがない。鹿島家の女性達は料理が上手すぎるのだ。愛理も、志穂さんも。都も例に漏れず料理が上手でそのあまりの美味しさに虜になってしまった自覚はある。

 

「…………でも、おまえの料理が一番美味いと思うぞ」

「今絶対悩んだでしょ。ねぇ?」

 

甲乙つけ難いとはまさにこのことである。

母親の料理と比べられれば困るところだが、食に妥協はない。自信を持って鹿島家の料理の方が美味いと言う。

 

「喧嘩するのはいいですけど、二人ともこっちに来て手伝ってくださいよ」

 

料理も完成しあとは並べるだけ。しかし、その並べるだけが手間である。白米をよそい、味噌汁を注ぎ、焼き魚と肉じゃが。付け合わせの野菜を盛り付けた皿を運ばなければならないのだ。三人分ともなれば往復回数、及び皿の枚数は多くなる。これが地味に面倒で一人暮らしの時はよくどんぶり一杯で完結する夕飯ばかり作っていた記憶も既に過去のことだ。

 

「元はといえばあんたがねぇ……!」

「ふふ〜ん。これですか?」

 

都が見せつけるようにポケットから取り出した一本の鍵。実家の鍵でも、自転車の鍵でもない。“この家の合鍵”である。

それを忌々しいと言わんばかりに睨みつけて、愛理は与えた本人–––つまりは俺を睨む。

 

「どうしてあの子に与えたりなんかしたのよ」

 

もう何度目かわからない抗議に視線を逸らす。悪いことをしたわけではないのに、何故か後ろめたく感じてしまうのだ。

 

「どうしてって、おまえも納得しただろ……」

 

鹿島家では昼の間はエアコンの使用は禁止らしい。

それで勉強に集中できないから、俺たちがいない間場所を貸して欲しいと強請られたのだ。

他人の家ならいいんかいとつっこみたいところもあるが、可愛い妹ちゃんの頼みを俺は即答で了承したところで問題が発生。愛理が拒否したのだ。

それなら図書館でも行けばと反論したところ、ナンパされて勉強どころではなくなってしまうらしい。その様子はあまりにも簡単に想像できてしまうため愛理も反論できなくなった。

そうして夏の間だけここで勉強をすることになった都に、鍵がないと不便だろうと渡したのだ。

 

この鍵のおかげで迂闊にいちゃいちゃできなくなったのは余談である。まだ決定的瞬間は見られてはいないが、事故発生の瞬間はそう遠くはない気がする。

 

「それより早く飯食おうぜ」

「いただきまーす」

 

三人で夕食を食べるようになったのもその日からだ。

場所を借りるだけでは申し訳ないからと、夕食の準備をしてくれるようになったのである。

 

「そういえば二人に聞いておかないといけないことがあるんだけど」

 

三人で夕食を黙々と食べていると、都が改まってそう言い出した。

 

「お盆休みっていつからですか?」

「来週の土曜からだけど」

 

数少ない社会人の長期休暇だ。当然お互いにスケジュールは把握しているし、調整まで行って休暇中は愛理と過ごすことになっている。念入りに確認してくるため、即答できたのは決してこの時のためではないはずだ。

 

「なら、ちょうどいいですね」

「ちょうどいい?」

「はい。その日、昼食会をしたいってお母さんが。それで二人に予定を聞いて来いって言われたんですけど。あとお姉ちゃんは絶対に来るようにって」

 

第三回昼食会。突然の開催予告に俺と愛理は顔を見合わせる。

 

「なにかしら?」

「俺に聞かれてもな……」

 

愛理に心当たりがないのなら、俺にわかるわけがない。

 

素知らぬ顔で大きめにカットされたじゃがいもを口に放り込み咀嚼する。ほくほくとした食感と染み出す出汁の味に思わず頰が緩んだ。

 

「お兄さんも来ますよね?」

「まぁ、志穂さんの料理は美味いしなぁ」

 

社会人として休みを渇望する以上に、盆休みの楽しみが増えた気分だ。当然参加である。志穂さんの手料理を逃すわけにはいかない。

 

 

 

「それじゃあ、私帰りますね」

 

夕食を食べ終えて食後のお茶を飲むと、都は帰り支度をする。

もう時刻は六時半を過ぎており、まだ陽が沈みきるには時間があるが帰り着く頃には真っ暗だろう。

家まで送ると言ったのだが、都は固辞して一人出て行った。

 

パタンと音を立てて閉まったドア。

妹を見送るや、施錠してから愛理がぽつりと呟く。

 

「……やっと帰ったわね」

「そうだな」

「……ふたりきりね」

 

事実確認を終えて、愛理が抱きついてくる。

肩口に鼻先を押し付けて深く深呼吸をしたあと、見上げてきた彼女は爪先立ちになって軽く唇を押し付けてくる。

そんな彼女を支えるよう抱きしめ返して、何度か唇を交わしたあとで、それでは足りないとばかりに舌先を彼女の口内へ侵入させる。

くちゅくちゅといやらしい音を立てながら何度も激しいキスを繰り返して、彼女のお尻に手を伸ばし臀部を掴んだところで–––

 

「すみません。スマホ忘れて…………」

 

何故か玄関のドアが開いた。

目があった。誰と?–––都と。

 

「……どうぞ続けて。おじゃましましたー」

 

再び閉まるドア。ご丁寧にも施錠して、今度こそ都は帰って行った。

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