元メスガキさんをお持ち帰りした件   作:黒樹

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時間の問題だった

 

 

 

視線を逸らすことは簡単だ。しかし、その動作一つが難しい。硬直した身体は蛇に睨まれた蛙が如く動かず、一瞬でも視線を逸らせば死ぬ!と状況が物語っている。

そんな地獄のような時間を終わらせたのは、男性の背後から現れた志穂さんである。

 

「あなた、そんなところに立ってないで入ったら?」

「……あ、あぁ」

 

リビングの入り口で立っていた男性–––もしかしなくても夫の背中を押して、志穂さんは俺の姿を見つけると表情を和らげた。

 

「あら、いらっしゃい直人君」

「お、お邪魔してます。……そちらの方は?」

「あら、会ったことなかったかしら。夫よ」

 

……ですよねー。

 

見覚えがあると思ったのだ。ダークブラウンの茶髪に、猛禽類を思わせる黄金の瞳とか。枯れ枝のように細い身体で、枯れゆく秋の樹木を思わせるが本質は別だ。その獲物を狙うような鋭い視線は、まるで枯れ枝などではない。猛禽類なのだ。娘を狙う外敵を狩るために、日夜睨みを利かせているのである。

鳥は飛行能力のために骨がスカスカだと言うし、そういう意味では枯れ枝というのも間違ってはいない。だからこそ、この人が猛禽類というのも間違いではないだろう。

 

–––その時、状況が動いた。

 

「おや、どこかで会ったことがあるような気がするんだが……?」

 

まるでタチの悪いナンパのような台詞で声を掛けてきたのだ。しかし、目は全く笑っていない。こめかみはぴくぴくと動いているし、口元は引き攣って吊り上がっている。

できることならば俺のことは忘れてくれているとありがたいのだが、全然そんな感じはしなかった。

 

「えっと、愛理とは同級生なので授業参観で見たんじゃないですかね……」

「あぁ、そうか。道理で見覚えがあるわけだ。娘の初恋の相手に似ていてね、少しびっくりしてしまったよ」

 

初対面を装ってみたが、どうやら無理があるらしい。もはや希望は絶たれた。

 

笑い声でも聞こえてきそうな優しそうな笑顔なのに、目は全くと言っていいほど笑っていない。幻聴に耳を傾ければキッチンで都が笑いを堪えていた。

 

「なぁ、愛理……」

「……たぶん、都は知ってたわね」

 

嵌められた。……この仕返しはいずれするとして、問題は今この状況であろう。乗り切らなければ明日はないのだから。

 

「お母さん、そろそろお昼だよ」

「そうね。天ぷら揚げちゃいましょうか」

 

呆然とする夫を置いて、志穂さんは都に呼ばれてキッチンへ向かう。

残された俺はせめて愛理は逃さぬよう、決死の覚悟で手を繋いでいた。それが原因で殺気が膨れ上がろうと、俺はこの手だけは離すわけにはいかないのだ。

 

「……」

 

無言で対面に座った鹿島父は品定めするように見てくる。何度か愛理と俺が繋いだ手に視線が向けられているが、何も言い出さないのは何かを我慢しているようにも見えた。

 

数秒間が数十分にも感じられるほど、長い静寂が訪れる。

静かに油が弾ける音と、母娘の楽しそうな会話をBGMにやがて痺れを切らした鹿島父が口を開いた。

 

「……娘とは、どういったご関係で?」

 

–––まさかお付き合いしてますとか言うんじゃないだろうな。と、言いたそうな目をしている鹿島父の尋問に戦慄が走る。未だ不定形の関係性は説明に難しく、鹿島父が納得できる答えを用意することはできないのだ。

 

いきなりのピンチに愛理へと顔を向けると、彼女は澄ました顔でこう言った。

 

「お父さんには関係ないでしょ」

「か、関係なくはないだろう。大事な娘なんだし」

「そう言ってお父さんいっつも邪魔するじゃない」

「いや、それは……」

 

娘に言われてお父さんたじたじである。

愛理はそんな父に対して、強気な対応を続ける。

 

「別にお父さんが思ってるような関係じゃないわよ」

「そ、そうか……!」

 

俗に言う“恋人関係”を疑っていたのだろうが、その関係が否定されて鹿島父は喜ぶ。それがぬか喜びになるとは、この時の彼は知る由もなかった。もう少し考えを巡らせていれば、手を繋いでいる事実に目を向けていれば、普通の友人ではないと気づいたはずなのに。

 

「……まだ、ね」

 

小さく呟かれた言葉は、鹿島父には届かない。隣にいたからこそ、俺にだけ聞こえた言葉にちょっと居心地が悪くなる。

 

「お父さん、暇なら京介呼んできて。ご飯できたから」

 

全てを有耶無耶にしたまま、昼食の時間がやってきてしまった。

 

 

 

鹿島家+αの昼食会が始まる。

父、母、愛理、都、京介の五人に加えて部外者が一人。一家団欒に呼ばれた俺は、肩身狭くも食卓についていた。

和食中心のメニュー。そのメインは、大皿に盛られた大量の天ぷらだ。揚げたての衣はきらきらと輝き、見ただけでサクサクだとわかるくらい美しいのだ。

 

鹿島家では、皿に盛られた料理は完食するというルールがある。すなわちどんなものでもアレルギーでない限り、食べ切らないといけないのだ。鹿島家での教育方針でもあるし、料理を作ってくれる料理人に対しての配慮でもある。

大皿の料理であればある程度の自由裁量が認められており、自分が食べられるだけ取り分けるというのは自然なルールであるのだが、今日に限ってはすごくやりづらい。

 

–––何故なら俺は、鹿島父に目をつけられているのである。

 

恋人関係は否定したが、冷静に考えて俺がいることの異質さに気づいたのであろう。鹿島父の敵を見るような目は、今もなお継続中であった。

こんな日に限って、自分で取り分けないといけない料理。遠慮するか迷っていたところで志穂さんが動き出し、俺の皿に大量の天ぷらを盛り付けてくれた。

 

「はい、どうぞ。直人君はいっぱい食べるでしょ?」

「あ、ありがとうございます」

 

そんな様子まで鹿島父に穴が空きそうなほど睨まれ、俺は目を逸らしながら天ぷらをぱくつくしかなかった。

サクサクの衣に、プリップリな海老。身もぎっしりと詰まっていて、スーパーで買う衣でかさ増しされた揚げ物とは大違いである。塩や抹茶塩も試してみたいが、調味料がなくても完成された味に舌鼓を打った。

 

「美味いですね。これ」

 

鹿島父の存在など知ったことか。これを食べられただけで来てよかったと心から思う。

 

「ふふ、ありがとう。よければ煮物もおかわりあるからね」

 

昨日から味を染み込ませていたという筑前煮は、何種類もの食材が使われており、小さな鶏肉の欠片がしっとりとしていてこれが美味い。食感も崩れておらず、その事実にまた驚愕に目を見開く。

 

「もう、あなた。そんなに食べられるの?」

 

極力鹿島父の存在を忘れようとしていると、目の前で事件が起きていた。彼の皿にも天ぷらが大量に盛られていたのだ。俺の皿に盛られた天ぷらの倍くらいの山ができている。元々、俺の一皿目が多いせいもあってか二十個近く盛られていた。

 

「久しぶりの愛する妻の料理だからね。これくらい当然だ」

「そう。食べられるならいいけど。絶対に残したりなんかしたらダメよ?」

 

志穂さんの反応からして、だいぶ無理を通しているような気がした。一瞬だけ視線が重なり、鹿島父は対抗するように勢いよく天ぷらに齧りつく。

 

「無理でしょ」

「無理だろ」

「無理ですね」

 

子供達三人揃って一致した意見は、無視し難い説得力がある。

このあと一時間を過ぎてもダイニングテーブルから離れられなかった鹿島父の姿を、子供達は揃って見ないふりをした。

 

 

 

 

 

 

大量の天ぷらを気合いで完食したものの、口すら開けなくなったおかげで鹿島父の警戒は一旦解けた。

それから一時間ほど滞在して、都とゲームをして遊んだあとで今日はお暇することになった。夕食まで鹿島父といると何かと追及される可能性があったため、早めの帰宅だ。

 

「あら、もう帰るの?」

 

帰ることを伝えるためにリビングへ行くと、まだ鹿島父はソファーに寝転んでいた。

志穂さんはまだ俺達がいると思っていたのか、少しだけ寂しそうな表情をする。

 

「うん。じゃあ、お父さん。私帰るから」

「帰る?–––帰るってどこへ!?」

 

バッと起き上がった鹿島父が、詰め寄るようにずんずんと歩いてくる。

そんな父親に、見送るために顔を覗かせた都が言う。

 

「お兄さんの家にですよ。お姉ちゃん、お兄さんと同棲してるので」

「……はぁっ!?き、聞いてないぞそんなこと!」

「だって、言ったら許さないでしょ」

 

寝耳に水、と驚く鹿島父に愛理は澄ました顔で答えた。

 

「当然だ!貴様、いつから–––」

「お姉ちゃんを朝帰りさせた日からだから……半年くらい前?」

「朝帰りィ!?」

 

俺が止める間もなく都が喋る。

ぎろりと鹿島父が俺を睨み、掴み掛かってきた。

 

「おまえ娘に何をしたぁっ!?」

「お、落ち着いてくださいおとうさん」

「貴様にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!」

 

拳を握る鹿島父を冷めた目で見ながら、愛理は冷静だった。

 

「お父さん。もし直人に何かしたら絶縁するから」

 

–––訂正。全然冷静じゃなかった。

 

その一言を受けて、鹿島父はぷるぷると拳を握りながら静止する。殴りたいが、殴れない。そんな現状に鹿島父の怒りは行き場を失い彷徨う。

 

「男と女が朝帰りって、やることひとつしかないよね」

 

何もできなくなった父親に追い討ちをかけるように、都はわざとらしくそう言った。火に油を注ぐような行為だ。

 

「手を離して。私達帰るから」

「待て、まだ話は–––」

「終わったから。じゃあ、またね。お母さん」

 

断末魔のような父親の叫びは、家を出てもなお聞こえていた。

 

 




これが戦わずして勝つ方法
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