真夏の空に洗濯物がはためく。優しい風に煽られて、ぱたぱたと音を立てる姿はまるで風鈴のよう。俺の目に映る橙色は、夕日よりも鮮やかに見えた。
目を閉じれば昨夜の扇情的な光景が浮かび上がり、耳を澄ませば衣擦れの音が聞こえてきそうだ。
「風流だなぁ……」
「何が風流なんですか?」
そんな俺の呟きを拾ったのは、いつの間にやら来ていた都だ。勝手に隣に座って同じようにベランダを見ている。そのベランダには愛理が洗濯物を干している姿があった。
「いや、夏っていうと風鈴だろ」
「そうですね。それとお姉ちゃんの下着と何の関係が?」
「田舎ではよく見るけど、都会ではそうでもないだろ。洗濯物がちょうど風鈴の金魚の柄に見えてな」
「……なるほど。お兄さんがえっちなのはわかりました」
最初は洗濯物を干す愛理を眺めていたのだが、つい視線が逸れただけなのである。最初から下着を眺めていたわけではない。と、言い訳しても手遅れなので俺はもう何も言わなかった。
「そんなお兄さんに提案なんですが、下着を眺めるよりも楽しいことしませんか?」
「ほう、聞こうか」
愛理が洗濯物を干す姿から視線を逸らして、興味深い提案をしてきた都を見れば、天使のような笑顔を浮かべてこう言った。
「プールに行きましょう」
「プールぅ?」
「おや、お嫌いで?」
「まぁ、な。学校の水泳の授業全部理由をつけてサボるくらいには」
「筋金入りですね」
俺の反応が著しくないのを感じたのか、都は人を揶揄う小悪魔のような笑みを浮かべる。
「もしかして〜、お兄さん泳げないんですかぁ〜?」
「泳げないわけじゃない、と思う。小学校以来水泳の授業は受けてないが、たぶん二十五メートルは泳ぎ切ったぞ?」
「あれ?中学校も高校も水泳ありますよね?」
「聞いて驚け。全部サボった」
「中学校はともかく、なんで高校はプールある学校選んじゃったんですか」
「本当なんであの高校選んだんだろ」
いったい何に呆れているのか都は半目で睨んでくるが、過ぎたことは仕方がない。
「それに俺、泳ぐとプールの底に手がつくから」
「なにしれっと不正行為してるんですか」
「事故だって、事故。意図的にやったわけじゃない。プールが浅いのが悪い」
「そう簡単につく深さじゃないと思うんですけどね……」
揶揄うつもりが呆れたようなエピソードの連続に疲れた都は、小さくため息をつくと気を取り直す。
「この際、もうお兄さんが泳げるかどうかはいいです。どうせお兄さんがその気になればいいんですから」
「身も蓋もないな。っていうか、そういうのは親父さんに頼めばいいだろ。ちょうど帰ってきてるんだし」
あの父親なら、娘の頼みは断らないはずだ。なのに都は不満そうな顔をする。
「無理ですよ。灰になってますし。それに私、父親と一緒にプール行くような年齢じゃないですよ」
うちは遊びに連れて行ってもらっていたのは小さい頃ばかりだったので、小学校高学年くらいからはそういった記憶がない。少なくとも共感はできそうだった。
「と・い・う・わ・け・で〜」
俺の首に腕を回して、抱きついてくる。
押し当てられた胸の膨らみは、若々しく弾力があった。
「プール行きましょうよぉ。中学校生活も最後の年です。可愛い義妹の、それも現役女子中学生の水着姿を見られるのは最後なんですよ!」
言葉選びがとても変態じみていたが、都の言うことはあまりにも魅惑的に聞こえていた。
俺も男だ。ロリコンではないとは言っても、美少女の水着姿に興味がないと言ったら嘘になる。
「それにお姉ちゃんに合法的に水着着せるチャンスですよ」
「まるで俺が普段から非合法的に愛理に水着を着せているような言い方をするな」
高校の時の制服は着せたけど。まだ水着は着せていない。そう考えればこれはチャンスだ。
「……それで、どの水着を買って欲しいんだ?」
「え〜、いいんですか〜?」
「元からそれも目的だっただろ」
「お兄さんのそういうところ私は好きですよ」
あまりにもあざとかったのでスクール水着でも着せようかと思ったが、せっかくの機会なので都には似合う水着を着て欲しいのが本音だった。
–––ただ、あまりにも調子に乗りすぎである。
神様は小悪魔の悪戯を見かねたのか天罰を下した。
都の背後には、夏も肌寒く感じるほどの冷気を纏った恐ろしい存在が迫っていたのだ。
「–––何が好きって?」
感情を圧殺せんばかりの圧力を伴った声に、不意を打たれた都がびくりと反応する。硬直した身体を、なんとか首だけ動かして背後に立った姉を恐る恐る見上げた。
「ち、違うよ?お姉ちゃんが思ってるような好きじゃないよ?人として、義兄として、ね?」
回された腕がぎゅうっとキツく絞められる。まるでおまえも道連れだと言わんばかりに、その拘束は強固に補強された。
「ねぇ、直人」
「……なんですか愛理さん」
「現役女子中学生に抱きつかれて嬉しい?」
「嫌なやつはいないだろ」
美少女に抱きつかれて嬉しくないわけがない。どうせ怒られるならと開き直った俺に待っていたのは、予想通りの結末だった。
「二人ともそこに正座しなさい」
「「はい……」」
顔を見合わせた俺と都は、おとなしく正座した。
「それで何の話をしていたの?」
妹を甘やかしすぎだ。嫁入り前の娘が成人男性に抱きつくんじゃない。と、一部跳ね返っていきそうな説教を一通り続けて満足した愛理は、妹から俺の隣を奪い返してようやく落ち着いたのだ。
痺れた足に悶絶しながら、俺はようやく話を聞いてもらえそうだと安堵する。
「なにってプールだよ。都が行きたいんだって」
「そんなのお父さんに連れて行って貰えばいいじゃない」
愛理はさっき俺が言ったこととまったく同じことを言う。それに反論するのが、姉をその気にさせないといけない都だ。
「お姉ちゃんだって知ってるでしょ。お父さんとプールが相性悪いの」
思わぬ言い分に反応した俺は、意味がわからず首を傾げた。
「相性が悪いって何だよ?」
「うちのお父さんね。病弱だから長い時間身体冷やすとすぐ風邪ひくのよ。だから、プールや海に行った次の日はよく風邪引いちゃうのよね」
あまりの貧弱体質に俺は微妙な顔をする。
姉妹は揃って、困ったような顔をしていた。
「だから、決まって翌日はお母さんが看病するのよね」
–––困り顔も納得だ。
「うちのお父さんのことはいいのよ。それよりあんた、プール嫌いじゃなかった?」
どうやら俺がプール嫌いなことも愛理は知っていたらしく、怪訝な顔でそう指摘する。もはや隠し立てなどできないだろう。俺は直球で彼女に告げる。
「いや、おまえの水着姿が見たいなと思って」
「……もう、バカなんだから」
「お姉ちゃんの水着より恥ずかしい姿見てるのにね」
「なに言ってるのよあんたは」
照れた姉を茶化すように都は半目で淡々と言うと、睨み返されて俺の陰に隠れた。
「問題はお父さんよね」
「そうですね。バレたら面倒ですし、金曜日には九州の方に仕事で戻らないといけないので、その翌日とかいいんじゃないですか?」
「なら、土曜日ね。さすがに日曜日はゆっくりしたいし」
日程まで姉妹で決めてしまう。特に希望はないが、二人が楽しそうに何かを計画する姿は仲良しな姉妹らしく見ていて目の保養になる。
「じゃあ、お父さんを見送ったあとで水着を買いに行くのはどうでしょうか」
「そうよね。お父さんがいる間に水着を買いに行くと、絶対戻るのを遅らせても居座るでしょう」
父親には内緒の計画を立てるのは、まるで悪巧みをしているようである。実際、都は悪戯っぽく笑っている。
「お兄さんもそれでいいですか?」
「あぁ、いいんじゃないか」
–––このあと、付け焼き刃のダイエットを始めるところまで姉妹一緒だった。
次回、プール!