ウォータースライダーの待ち時間は約三十分。
家族、カップル、あるいは中高生のグループが大勢並ぶ列の中に、俺と都は二人並んでいた。
俺と都の関係はどう映っているのだろうか。邪推するような視線が身を貫く中で、ふとそんなことが気になる。
今もあれは芸能人か?とばかりに注目を浴びる都。彼女は芸能人顔負けの顔とスタイルを持っており、老若男女問わず視線を集めているのだ。そんな彼女が水着姿になれば注目を集めないはずがなく、子供連れの父親や、中高生の男達から熱烈な視線を浴びていた。
都はそんな視線を浴び慣れているのか気にした様子もなく。むしろ、俺の腕に抱きついて邪推を加速させていた。
羨望の視線が、嫉妬へと変わる。中高生はまだいいが、家族連れの父親はどう考えたって親子くらいの歳の差だ。
カップルは彼氏が都に見惚れるあまり、口論になっている。彼女の機嫌を損ねてしまうのは時間の問題だ。
「お兄さんがいなきゃ、きっと今頃私はナンパされてましたね」
小悪魔さんはカップルの喧嘩を見てご満悦のようで、さらに見せつけるように腕に胸を押し付けながらそんなことを言う。
胸が形を変える様をまざまざと見せつけられて、ちょっと意識してしまった俺を見て、にんまりと笑みを深くした。
「こうなるとお姉ちゃんの方は直接声を掛けられてるんじゃないですか?」
「……何が言いたいんだ?」
「お兄さんは心配じゃないのかなーっと思いまして」
小悪魔な笑みが少しばかり真剣味を帯びる。どうやら妹は、姉達のことが心配らしい。
「大丈夫だろ」
「おや、根拠は?」
断言した俺に、都は可愛く小首を傾げた。
小さく溜息を吐く。
「米倉財閥って知ってるか?」
「はい。明治から続く米倉家が一族で経営してきた今や国内で五本の指に入る財閥ですよね」
「この『アトランティス16』はその財閥の総帥が、孫娘の十六歳の誕生日記念に建設計画を立てた施設なんだよ。だから、警備は万全だし、悪質なナンパならすぐに警備員が排除するから問題はない」
特にあの総帥は孫娘を溺愛しているため、孫娘が安心して遊べるよう警備態勢、設備のチェックは欠かさないように指示している。もし不備などあれば責任者の首が飛ぶだろう。
「じゃあ、悪質なナンパなどではなくお姉ちゃんがその気になったら?」
「俺が言うのもなんだが十八年も片思いするくらい重いんだぞ。そう簡単に心変わりなんてするかよ」
「……お兄さんって、なんだかんだでお姉ちゃんのこと好きですよね」
そう言われて、俺は微妙な顔をする。
「まぁ、嫌いではないな」
「素直じゃないですね」
揶揄うように都が微笑む。
その間にも列は進み、順番が回ってきて俺と都は頂上にたどり着いた。
高低差35m。全長約200m。
国内最大級を誇るウォータースライダー『ミルキーウェイ』は一人でも、二人組でも、浮き輪ありでも楽しめるタイプのボディスライダーだ。
特にカップル未満の男女に人気で、一緒に滑ることで肌が密着し、触れ合うのは必然。吊り橋効果もあって、二人の距離はグッと縮まるのだ。人気にならないわけがなかった。
「……あれ?直人さん?」
係員の指示に従い、乗り場へと移動する。そこで待っていた別の係員が、驚いたように声を上げた。
ふと名前を呼ばれて視線を向けると、宝石のような碧眼と目が合う。ふわふわとした桃色の髪の少女が、水着に売店で販売している限定Tシャツ一枚の姿で立っていた。
「桜ちゃん?」
「わぁ、やっぱり直人さんだ」
嬉しそうに声を弾ませながら近づいてきた高校生くらいの少女は、小走りに駆けてくると小さく頭を下げた。
「こうして会って話すのはひさしぶりですね」
「あぁ、そうだな。一ヶ月くらいか?」
「三十六日です」
そんな細かいことまでよく覚えているものだ。
予想してなかった遭遇にしみじみとしていると、桜が俺の隣にいる都に視線を移す。
「あの、そちらの方は?」
「鹿島都です。お兄さんの愛人です」
「おい」
これ見よがしに抱きついてアピールする都に、俺は誤解のないよう弁明しようとするが、それよりも早く桜の方が顔を真っ赤にして狼狽えてしまう。
「あ、愛人!?」
「誤解だ。違う」
「こ、こんな妹くらいの小さな娘が……!」
「冗談だ。あとおまえも変な嘘を言うな」
「え〜、あの日、私に愛してるって言ってくれたじゃないですか」
「そんな記憶はない。捏造するな」
言ってない。……言ってないよな?
「とにかくこの娘はおまえと違って純粋なんだから、変なこと言うなよ」
「まるで私の心が汚れているみたいじゃないですか。汚したのはお兄さんのくせに」
戯言を抜かす都の額にぴしりとデコピンをすると、ペシンッといういい音が鳴った。
「あたっ。うぅ〜、酷いですよぉ。会話を弾ませようという義妹の粋な心遣いじゃないですかぁ〜」
まったく悪びれた様子がないあたり反省の色がない。今度はお尻でも叩いてやろうか。
さすがに衆人環視と純粋なお嬢様の目があるのでやらないが、本気でそう思ったのは心の内に留めておいた。じゃないと、おそば付きのメイドが怖い。
「それでお兄さん、その女誰なんですか?」
話を遮ったのはおまえだろうに。自分が原因にも関わらず浮気を問い詰める彼女のような口調で問いただす都に、俺はため息を吐いて不本意ながらも紹介することにした。
「米倉桜。米倉財閥のご令嬢だよ」
「へ〜」
思ったよりも反応が薄い。興味がないのか、そんな淡白な反応が返ってきた。
「反応薄いな」
「いや、お嬢様ならうちのクラスにもいますし」
そう言った都が、桜に改めて顔を合わせる。
「はじめまして桜さん。私、翠ちゃんと同級生の鹿島都です」
「翠ちゃん?そっか、妹のお友達なんですね!」
確か米倉財閥のご令嬢は姉妹だと聞いたことはあるが、それがまさか都の同級生とは思いもよらず、逆に俺が驚かされる形になってしまった。
共通の話題に会話を弾ませる二人。
普段から都はお嬢様という存在に慣れているのか一歩も引いた様子がなく楽しそうに話をしているが、ここはウォータースライダーの頂上である。
あとが支えていることを気にしてみれば、お側付きのメイドがお嬢様と同じ姿で接客していた。
「それで桜ちゃんはなんでここに?」
「市場調査です」
お嬢様が市場調査。財閥傘下のスパリゾートで。
他にもファストフード店や、いろんな店でバイトをしていることは聞いている。深くは聞けなかった。
「そうか」
「はい。あ、そうそう。美月さんも来てますよ」
「片桐も?」
「休みの間は、毎日来てます。毎日会いに来てくれるんですよ。たぶん今頃、温泉でも楽しんでるんじゃないでしょうか」
同僚の片桐は年間パス持ちで、休みの度に遊びに来ているらしい。毎日来るなんて、よっぽど暇なのかもしれない。
独身女性の生活についてあまり深く突っ込むのも嫌なので、俺は聞かなかったことにした。
しばらく世間話に興じていると、楚々とした所作でメイドさんが数組ほど先にウォータースライダーを滑らせて、こちらへとやってきた。どうやら長話はここまでらしい。
「–––お嬢様。あとが支えていますのでそれくらいに」
「あ、うん。それじゃあ二人ともどうぞ」
お嬢様に先導されて、ウォータースライダーのスタート地点へ。
ここに来て気づいたがどうやって滑るのだろうか。
「それじゃあ、直人さん。都ちゃんのことを後ろから抱きしめてあげてください」
思案していた俺に、お嬢様がそんなことを言う。
「えっ?」
「あれれ〜?お兄さん、まさか緊張してるんですかぁ〜?」
「あぁ、いや、いまさらだけど俺と滑っていいのか?」
「本当にいまさらですね。一緒に滑るんだから、密着するくらい普通じゃないですか」
あっけらかんと言う都。他人すら揶揄う余裕すら見せる彼女に、俺は意を決して後ろからお腹に腕を回して抱きしめる。
「ひゃっ」
「どうした都?」
揶揄われてばかりだったので、仕返しとばかりに強く抱きしめて密着すれば可愛い悲鳴が上がった。素知らぬ顔をする俺に、都は真っ赤な顔で睨み返す。
「お兄さんにセクハラされたってお姉ちゃんに言いつけます。あと、可愛い女の子と逢引したことも」
逢引という言葉に背後で桜が慌てたが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「それでは社会的に死んでいらっしゃいませ」
メイドさんが捨て台詞を吐いて、さっさと行けと俺を蹴り出したのだから。