「これは居酒屋で藤宮君を酔わせて聞いた話なんだけどね?」
あくまで人伝に聞いた話だと片桐はそう言った。しかし、まるで自分が見てきたかのように俺が酒の席で話した事を彼女は脚色なく語る。噂話などどこかで歪曲し、真実が歪められるものだが片桐は一つも違えることなく覚えていた。
ただそれを素面で聞かされるのは精神的に刺さるものがあるので、俺は反射的に逃げるように立ち上がった。
「ちょっと飲み物買ってくる」
聞かれて困るわけでもないので止めるわけにもいかず、適当な口実をつけて俺はその場を離れる。
ワイン風呂から出た頃には声は聞こえず、振り返ると片桐の話を神妙な顔で聞いている愛理の横顔が目に入った。
……聞かれて困ることは何も喋ってないよな?
酒の席とはいえ、話した内容はだいたい覚えている。
普段の生活とか、学生の頃の話が多かっただろうか。その時に愛理のことだけでなく、大学時代のことも話した記憶がある。
「……はぁ。嫌なこと思い出しちまったな」
自販機を探してあてもなく歩く。
確かこっちに、あれ?を繰り返していると軽く迷子になった。
「自販機ならこっちですよ?」
そんな俺に声を掛けたのは桜だった。
メイドの冬海さんと一緒に追い掛けてきたらしい。
振り向いた俺が、思わず顔を見てから視線を下げたのは状況反射と言っていいだろう。
お嬢様の胸を少しばかり見てしまった俺を、メイドさんの冷たい視線が貫く。
「おぉ、そっちか。ありがとう」
示された道に向かうと桜がついてくる。隣を歩こうと早足になるので、俺はそっと歩幅を合わせながら歩くペースを落とした。
「それにしても凄いな。自販機の場所まで覚えてるのか」
「はい。施設の配置はもちろん、計二十台の自販機の位置全部把握してます」
パンフレットには自販機の位置まで記載されていなかったのだが、当然の如く桜はそう言ってしまう。従業員を凌駕するハイスペックさに少しだけ驚きつつ、言われた通りに道を曲がるとすぐに自販機が見えた。
この自販機もシステムに対応しており、認証用のバンドを翳すとあとで決済できるので現金は要らない。まずはリストバンドを翳して、それから飲み物を押すと出てくる仕組みだ。
適当な飲み物を買って、その場で開封する。一口飲んで喉を潤してほっと一息。
「こうしてここで一緒に遊ぶのは、一年ぶりですね」
「そうだな。去年、オープン記念に招待されて一緒に来た以来か」
アトランティス16のオープン記念の日、関係者と抽選で当たった客のみが来園できる一日目。桜の招待で片桐と一緒に遊びに来たのだ。
メイドの冬海さんを含めて、四人で遊んだ時のことは昨日のことのように覚えている。あの時着ていた水着の色だって言えるだろう。
「桜ちゃんは何か買わないのか?」
「いえ、私は直人さんと話したくて追い掛けてきただけなので」
そう言って微笑むお嬢様は可愛くて、もう少し自分が若ければ勘違いしてしまったかもしれない。大人でよかったと思った瞬間だった。
「話ねぇ。何か相談事か?」
「いえ、そういうわけではないんですけど」
正直歳食ってるだけでスペック的にもハイスペックお嬢様に勝てない俺としては、乗れる相談というのもない気がするのだがこれは違ったらしい。
女子高生と話すというのもかなり難易度が高くて、何を話したものか困っている自分がいる。
「なんていうか、その……ちょっと辛そうに見えたので」
「……辛そう?俺が?」
桜の言っている意味がわからず、聞き返した俺は瞠目する。
何故か申し訳なさそうに俯く桜に、状況がよくわからなくて俺は困惑した。
「何の話だ?」
「いえ、だから、その……あまりいい思い出ではなさそうだったので」
話の途中で抜け出してきたはずだが、結末まで知っているのか桜はそんな事を言う。
「あぁ、片桐に聞いたのか。まぁ、確かにいい思い出ってわけじゃないな。初彼女なんて一ヶ月もしないうちにNTRたし」
「ね、ネトラレ……?」
お嬢様に変な言葉を教えるな、とばかりにメイドが睨んできたが不可抗力である。どうオブラートに包んでもNTRはNTRなのだから。
「彼女の方から告白されて付き合ったんだけどな。そのうち他に好きな人ができたって振られた翌日には、別の男と歩いてたんだ。噂じゃ数日前から付き合ってるなんて話もあったっけ」
「え、え、え……?」
NTRはお嬢様の脳を破壊するには十分な威力を秘めていたらしい。さもありなん。
「まぁ、幸いなことに本気で好きになる前だったからよかったんだが」
「それ、よかったんですか……?」
「いいんじゃないか。少なくともお互いに無駄な時間は過ごさずに済んだわけだし」
どうもお嬢様にはピンとこないらしく首を傾げている。
お嬢様にとって、恋愛とは漫画や物語の中で描かれるキラキラとしたものであるらしく納得がいかないようだった。まるで自分のことのように不満げな顔をする桜のおかげでいい笑い話にはなっているので、俺としてはそれで十分だ。
「直人さんはいい人なのに……。わ、私は直人さんのこと好きですよ」
桜の言う『好き』とは人としてという意味だろう。
一生懸命に慰めてくれる彼女の頭を撫でて、お礼を伝えておく。
「そりゃどうも」
あまり桜に触れすぎるとメイドに強制排除されるため、ほどほどにして手を離した。
少し名残惜しそうに上目遣いにもっと撫でてと甘えてくる桜を見ないふりをすれば、彼女は仕方なさそうに諦めた。
「そういえばこの後のご予定は?」
「夕方には帰るけど」
「お泊まりしないんですか?スイートルームをご用意しますよ」
帰って欲しくないのかそんな事を言い出す桜に、俺はちょっと腰が引けていた。いくら引き留めるためとはいえ一泊十数万する部屋を用意されるのは気が引けてしまうのだ。
片桐はご厚意に甘えて連日ただ同然でスイートルームに泊まっているらしく、贅沢な休日を過ごしているらしい。
俺としては落ち着かないので、ご遠慮願いたいところだ。
「悪いけど帰るよ。色々とやることもあるしな」
片桐から俺の大学時代の話を聞いた愛理が、後程色々と問い詰めるのは目に見えているためそう断っておく。
桜もそれほど強く引き留めるつもりはなかったのか、残念そうな顔をしながらもすぐに引き下がった。
「なら、せめて夕食だけでもご一緒にどうですか?」
「夕食か。焼肉でいいならな」
「それならBBQをしましょう!一度お友達とやってみたかったんです!」
「BBQか。まぁ、それならいいぞ」
–––お嬢様の誘いを断ったらわかってるよな?と冷たい視線を向けてくるメイドが怖かったわけじゃない。