ポケットから取り出した鍵を、鍵穴にそっと挿し込む。
ゆっくりと鍵を回して解錠して、ドアノブを音を立てないようにそっと回す。
半身で擦り抜けられるほどに開いたドアから身体を滑り込ませ、同じように音を立てないようにドアを閉めた瞬間だった。
「随分と遅いご帰宅ね」
玄関から廊下の照明が点灯して、背後から声が聞こえた。
自らの退路を塞ぐように鍵を締め直して振り返ると、そこには腕を組んで仁王立ちの愛理がいた。
「ただいま。先に寝ててもいいって言ったのに起きてたんだな」
深夜を過ぎるからとだいぶ前から言っておいたことである。その後もひっきりなしに連絡してくるものだから寝てないだろうとは思っていたが、まさか待ち構えているなんて思ってもなかった。
愛理さんは大変ご立腹らしく、腕を組んだまま睨むようにこちらを見ている。いつもの優しくて蜂蜜のように蕩けるような微笑みは何処へやら、不機嫌そうな顔だ。
「そんなことよりもスマホの電源を切って何してたのよ?」
「大事な話があるって言われたから、切っておいたんだよ」
–––深夜を回った辺りから十分に一回、五分に一回連絡してくるようになったのだ。切るのも仕方ないと思う。
「えっちなことしたんでしょ」
「してない」
あらぬ疑いを掛けてくる愛理は、そっと近寄って匂いを嗅いでくる。
「……どうやら本当みたいね。お風呂にも入ってないようだし」
「昨日の夜も、今日の朝も搾り取られたのにできるわけないだろ」
「そう。シないの?」
「–––いや、ヤるけど」
食い気味に答える。しないという選択肢はないのだ。
「私、心配したんだからね」
「おまえが心配したのは俺が寝取られないかの心配だろ」
「そうよ。悪い?」
「いや、悪くはないけど」
腕を組み直す度にたゆんとおっぱいが揺れる。そちらにばかり気を取られていると、愛理が不満そうに目を吊り上げた。
「私、怒ってるんだけど」
「そんな格好で怒ってるって言われてもなぁ」
彼女が身につけているのは、黒のベビードールだ。肌が透けて、綺麗な刺繍の紐パンまで見えている。
そんな格好で怒ってると言われても、耳に入るわけがない。
あまりにも扇情的な姿に、今すぐにだって押し倒すことばかりを考えてしまって、反省を促されるどころではないのだ。
組んだ腕の上で柔らかそうに歪むおっぱいに手を伸ばしてみれば、ペシッと手の甲を叩かれた。
「……」
無言の抗議をジト目で返される。
–––くぅーん。
待てをする犬のように許しを乞うと、僅かに愛理は動揺する。
「……だ、ダメなものはダメ!」
今は心を鬼にするためか、多少揺らぎながらも顔を逸らす。
「そ、それに美月さん以外の女の人とも会ってるわよね?–––誰よ」
「……」
まさかそれがバレるとは思わず、口を噤んでしまう。
一瞬の動揺をやましいことと受け取ったらしく、愛理は興奮したように騒ぎ立てる。
「やっぱりえっちなことしたんだ!しかも三人で!」
「さっきえっちなことはしてないって結論になっただろ」
「直人の変態!すけべ!絶倫!」
–––むしろそんな格好で待っている愛理の方がすけべだと言いたい。
「どの口が言うんだか」
「私をこんなえっちにしたのは直人じゃない!」
「いや、再会してすぐ求めてきたのそっちだろ」
「あ、あれは、そうでもしないと繋ぎ止められないと思ったからで、もうそれ以外に方法がなかったというか–––っ」
口喧嘩になりそうになったのを嫌がったのか、それ以上の言葉が思い浮かばなかったのか、その先の言葉が言いたくなかったのか。愛理は口を噤み目を伏せる。
俺はそんな愛理を抱き寄せて、唇に軽く口付けをした。
いきなり顎を持ち上げられて、上を向かせられた彼女は抵抗することもできず、目を見開いて驚いている。
「今のは“ただいまのキス”な」
これから次のキスをするぞと言外に伝えると、彼女は頰を赤らめながら嬉しそうに小さく頷く。
そうして次にするのは、“仲直りのキス”だ。どれだけ小さな揉め事でも、喧嘩した時にするように決めている。
今度は軽く唇の触れるようなものではなく、お互いに舌を絡みつかせて貪るようなキスをする。
「んっ……はぁ……んっ……」
あまりの激しさに息継ぎに喘ぐ愛理が可愛くて、過剰に求めてしまった。
終わったあと、乱れた呼吸を整える彼女の息遣いが腕の中から聞こえてきて、思わず抱きしめる力を強くしてしまう。
「……お酒の味がする」
「そりゃ飲んできたからな」
まるで酔ったように顔を赤くする愛理は、夢見心地な顔を少しだけ真面目な顔に戻して、口をへの字に曲げる。
「–––とはいえ、知らない女の匂いがするのは事実よ。早くお風呂入りなさい。その前に歯磨きもね」
「はいはい」
まるで子供に言いつけるような愛理の口調に、苦笑しながら応じるのだった。
◇
歯磨きを終えて浴室のドアを開けると、まず目に入ったのは見慣れない浴室マットだ。
おそらく愛理が転倒防止用に置いてくれたのだろう。
何気なく労ってくれる新品のそれに脚を踏み入れつつ、俺は慣れない感触に少しだけ子供のようにはしゃいだ。
–––きゅッ!きゅッ!
気の抜けるようなグリップ音が浴室に鳴る。
足裏で感触を確かめたあと、風呂椅子にお湯をかけてからゆっくりと腰を下ろす。
「ちゃんと歯磨いた?」
「んー」
脱衣所の方から声が聞こえて、適当に答える。
すると風呂の用意でもしてくれたのか、布類を置く音が聞こえた。
何やら衣擦れのような音も聞こえて、疑問に思ったその時には答えの方からやってきた。
「それじゃあ、入るわね」
ガラッ、とドアを開けて裸の愛理が入ってくる。
俺はただその光景に見惚れていた。
彼女の豊満な胸がさっきの比ではないくらいに揺れており、肢体も何もかもが惜しげもなく晒されているのだ。
「……あんまり見ないでよ」
見るな、という方が無理である。
さっきの姿も目が覚めるようであったが、これからの展開に期待してうちの愚息は完全に起床している。
「おまえ風呂に入ったんじゃないのか?」
「入ったけど、酔っ払いを一人でお風呂に入れるわけにはいかないでしょ。転ぶかもしれないし」
愛理はそう言って、俺の背後で膝をつく。
それほど広い浴室ではないので、それほど離れられるはずもなく、背中に柔らかなものが当たる。
動くたびに柔らかく形を変えて刺激を与えてくるのがもどかしくて、今すぐにでも押し倒して、組み伏せ、欲望のままに隅々まで堪能したくなるがぐっと堪える。
「ほら、まずは頭洗うわよ」
そんな俺の心情を知ってか、知らずか、愛理は洗面器にお湯を入れて頭から被せてくる。
全身濡れた俺の頭にシャンプーをつけて、わしゃわしゃと洗い始めた。
「どう。気持ちいい?」
「うん……」
彼女の想定しているものとは全く別の感想であろうが、俺はそう答えて背中に押しつけられる胸の感触を楽しんでいた。
「〜〜〜ッ」
膝立ちになっている愛理の緊張が触れた肌から伝わってくる。
肩越しにでも覗き込めるだろうし、ドキドキと高鳴る心臓の音でそういうことを意識しているのは丸わかりだった。
下半身に視線を感じる。それも割と長い時間。同時に心拍まで早くなっていることを考えれば、彼女も俺が考えていることをわかっているのだろう。
それでも目を逸らさないのは、彼女がえっちだからか。
「–––な、流すわねッ」
約一分近く眺めたあと、我に返ったように愛理は洗面器を手に取る。手早くお湯を掬って、最初と同じように被せた。
一回だけでは泡を流せず、何回か同じ動作を繰り返し、ようやく流れ落ちたのか愛理は満足したように洗面器を傍に置く。
「そ、それじゃあ、椅子から降りて座って」
「え、なんで?」
「いいから。ほら、マット敷いてあるでしょ」
いつもと違う手順に驚きつつも、風呂椅子を傍に避けてマットの上に座り直す。すると愛理はしっかり泡立てたボディタオルで自らの身体を軽く泡だらけにして、さらに上から追加でボディソープを谷間に垂らす。
同様に俺の身体にもボディタオルで軽く泡だらけにすると、押し倒すように馬乗りになった。
まだ僅かに酒の酔いが残っていた俺は、転倒防止用でもなんでもなかったマットの使い方を瞬時に理解する。
「そ、それじゃあ、身体洗うわねっ」
抱きつくように密着してくる愛理。
その後、身体を洗うにしては艶めかしい音が浴室に響いたのは言うまでもない。
約一時間にも及ぶ洗体が終わった頃には、愛理は足腰が立たないくらいにぐったりとしていた。
「うぅ。直人のばか。……今日は私がご奉仕してあげるつもりだったのに」
抱えて浴槽に入ると、腕の中で丸まった彼女は拗ねたように呟く。
「結果的に見れば、別に間違ってないだろ」
「……そうだけど。結局、いつもと一緒じゃない。私優位に進んだと思ったら、反撃されて、組み伏せられるし。そ、それが悪いわけじゃないんだけど」
「俺からすれば、十分に幸せだけどな」
何が不満なのだろうか。俺にはよくわからない。
細い腰に腕を回して、より強く抱きしめて女性特有の柔らかさを堪能する。
毎日だって抱きたいし、ヤらないにしても抱きしめたい。キスだってしたいし、彼女の体温を感じていたい。ずっとこうしていたい。
俺が好き勝手できているのは、多少責任が取れるようになったからである。それにしたって高校時代の彼女に手を出していなかったのは口惜しいが。
「こんないい身体の女を毎日抱けて」
「もう、ほんとうにえっちなことばかり考えてるんだから」
呆れというよりは恥ずかしがるような声で、愛理は俺を叱る。当然そんなことで俺が反省するはずもない。
「それにしたってベッドまで我慢できなかったのかしら」
「“待て”もできないわんこで悪かったな」
自分のことは棚に上げる愛理の首筋に、背後からキスを落とす。鎖骨のあたりを甘噛みすると“また”痕が増えた。
「んっ。……もう、言ったそばからすぐそういうことするんだから」
ようやく動けるようになった愛理が、身を反転させ跨るように座ってくる。そのまま首筋にお返しのキスをして、甘噛みした。そしてすぐに立ち上がる。
「髪乾かさなきゃいけないから、先に上がるわね。……ベッドで待ってるから」
「おう。すぐ行く」
何度見ても慣れない。浴槽から上がる時に間近に見える臀部。そこから伸びる脚の素晴らしさは、男心を擽る何かがあった。
名残惜しくも見送って、衣擦れの音とドライヤーの音が消えるのを、俺はただ待ち続けるのであった。
というわけでお風呂回二回目でした。