元メスガキさんをお持ち帰りした件   作:黒樹

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いつも通りじゃない月曜日

 

 

 

その日の片桐は、何処か様子がおかしかった。

出勤と同時に笑顔で迎えてくれる彼女が、ぎこちない笑顔で困ったような笑顔を浮かべたのだ。

 

「……お、おはよう。藤宮君」

 

いつもなら大きな声で挨拶をして、軽く背中を叩いてくるのにそれがない。小さく手を上げて、小さな声で挨拶をしてくる彼女から元気がないというよりは“距離を置く”ような他人行儀な行為のように見えた。

 

「どうした?元気がないけど?風邪か?」

 

手を伸ばして片桐の額に手を当てると、彼女はびっくりしたように身を引いて逃げた。

 

「な、なんでもないの。そういうのじゃないから」

「……まぁ、風邪ではないみたいだな」

「……なんでもないから」

 

そう言って片桐は、自分のデスクにつく。

すぐに始業時間が来て、俺は彼女の様子を気にするもその原因がわからないままである。

こうなった切っ掛けに思い当たる節があるといえば……週末、飲んだ時のことであろうか。酔った勢いで彼女の頰に触れたりセクハラ紛いなことをした記憶がある。あれが原因かもしれない。

 

その後もことあるごとに話し掛けて、昼食にも誘ってみたがやっぱり“避けられて”しまった。

 

それだけならまだよかったのだが……。

 

「–––ちょっと片桐さん。またこの書類間違ってるわよ」

 

今日何度目かわからない上司の叱責の声がオフィスに響く。

呼ばれた片桐は上司の下に急いで行き、何度も頭を下げていた。気が緩んでいるだの、様々な指摘をされてただひたすら謝罪を繰り返していたのだ。

ただあまりにも片桐の様子がおかしいものだから、女上司も違和感を覚えたらしく心配し始めた。数度くらいならいつも通りなのだが、今日に限っては度を越していたらしい。

 

終業時刻–––定時までずっとそんな調子で、その寸前俺は上司に呼び出された。

 

「ちょっといい?–––藤宮君」

「はい」

 

上司のデスクに呼ばれたと思ったら、ちょいちょいと手招きされる。給湯室まで連れて行かれて、そこでようやく女上司は口を開いた。

 

「今日ずっと片桐さんの様子がおかしいんだけど、何か知らない?」

「知ってたら苦労しないです」

「でも、原因はどう考えても藤宮君でしょう。今日ずっと避けられているし」

 

女上司も片桐の様子がおかしい理由に気がついていたらしく、そうご指摘を受けてしまった。

 

「今日はさすがにあの子、使い物にならないわ。–––というわけで、責任取ってあなたが残りの業務を引き継ぎなさい」

 

それはつまり、片桐を帰宅させ俺は残業ということである。

女上司は返事も聞かずに踵を返して、オフィスに戻ると片桐にすぐに言付けた。

歯に衣着せぬ女上司に何か言い返すが、ぴしゃりと言い返されてすぐにおとなしくなった。

 

 

 

すぐに終業時刻–––定時になって、他の社員達は帰宅していく。

残業することになった俺は一人、カタカタとパソコンに打ち込んで書類作成に勤しむ。

また一人オフィスを出て行き、最後には一人に。こうなったのも久しぶりで俺はただ業務を終わらせるために仕事に集中する。

 

それからしばらくして、誰かがオフィスに戻ってきた。

 

「–––ふ、藤宮君」

 

片桐だ。パソコンから視線をずらすと、隣に彼女の姿があった。手にはコンビニの袋を持ち、中には俺が愛飲しているエナドリが見える。目敏く見つけた俺のデスクに、それを置いた。

 

「ご、ごめんね。……私のせいで」

 

謝罪を口にした片桐は、なおも立ったままだった。

 

「まぁ、立ってないで座れよ」

 

俺はパソコンに打ち込みながら着席を促す。

小さく返事をした彼女は、自分のオフィスチェアに腰を下ろした。

 

「んで、なんで俺のこと避けてるんだ?」

「直球だね!?もっとこう会話を温めようとか思わないの?」

「遠回りしても無意味だろ。それに遠回りなら、十分にした」

 

今日一日中避けられたのだ。心の準備をする時間なら与えただろう。その意味が伝わったのか、片桐は落ち込んだように視線を落とす。

 

「……私さ、君に酷いことしたでしょ。だから、合わせる顔がなくて」

 

–––はて、俺はこいつに何かされただろうか?むしろ俺がセクハラ紛いのことをしたような気がするのだが。

 

「おまえ俺に何かしたっけ?」

「したよ!いきなり藤宮君の元カノと再会させたでしょ!」

「あー、そういえばそうだっけ」

 

片桐の中では『元恋人との再会』は“酷いこと”らしい。俺にはまったく実感はないが。

 

「いやいや、酷いこと言われて捨てられたんでしょ!?そんな軽くていいの!?」

「いいんだよ、俺が気にしてないんだから。それに幼馴染に頼まれたんだろ。じゃあ、仕方ないんじゃないか?」

「じゃあ、藤宮君はもし私が愛理ちゃんを元カレと再会させたらどうするの?」

 

ピタッ、と打鍵する指が止まる。

何かもやっとした感情が浮かんだ。

 

「それは許せないな」

「しかも、愛理ちゃんをこっぴどくフッた相手だよ」

「俺だったらたぶんそいつ殺す」

「ごめん。それはやりすぎ」

 

あまりにもわかりやすい例題を出されて、ようやく片桐の言っていることが理解できた。

でも、それはあくまで当事者ではないパターンで。当人の意思はまた別の話だ。

 

「ほ、他にもさ。酷いこと言ったり……」

「酷いも何もただの事実確認だろ。そりゃあ人の心の傷抉るような言葉はあったかもしれないが、ほとんどというか全部おまえ知ってたことだろ。掘り返したというほどでもないし」

 

そう言って、片桐がくれたエナドリのプルタブを起こす。

プシュッ、と開封された音が響き、まだ冷たい液体を二口ほど飲んで一息つく。

あっけらかんと言い放つ俺に、片桐は眩しそうに目を細めた。

 

「……藤宮君は、やっぱり強くて、優しいね」

「優しいのはおまえの方だろ」

「え?」

 

驚いた顔で片桐は固まる。

俺はデスクに向かっていた身体を彼女に向けた。

 

「俺が幼い頃からずっと一緒にいた女の子を傷つけた話も、最初の恋人に捨てられた話も、二人目の恋人に捨てられた話も、全部話したのはおまえだけなんだよ。その話を真面目に聞いてくれたおかげで、少なくとも心は軽くなったしな」

「でも、そんなの愛理ちゃんや他の人だって……」

「当事者にそんな話できるわけないし、元カノの話なんてもっとしづらいだろ」

 

–––だから、俺は片桐に感謝している。

 

「それに男一人で困ってるところに話しかけてくれたのも、おまえだったんだ。おまえがいなけりゃきっと今頃この会社辞めてる」

「藤宮君……」

 

ぽろり、と片桐の目の端から涙が溢れる。

 

「ご、ごめんね、藤宮君……!」

「泣くなよ」

 

ぐすぐすと泣きじゃくる片桐の頭にポンポンと手を置くと、彼女は胸の中に飛び込んできた。

 

 

 

それからしばらくして、片桐の涙は止まった。

泣き腫らした赤い顔はどこか魅力的で、少しだけドキッとする。

涙は女の武器、とは納得だ。

俺はどうやら女の涙に弱い性質らしく、何度見ても心を鷲掴みにされたように錯覚してしまうのだ。本当に慣れない。

 

「ほら、ティッシュかハンカチいるか?」

「……うん、ありがとう」

 

オフィスチェアに小さく座り込んだ片桐が、涙をハンカチで拭い、ティッシュで鼻を擤む。

 

「……はぁ。ごめんね」

「それもう何回も聞いた」

 

何度目の謝罪かわからない謝罪に飽いた俺は、おざなりにそう言って仕事に戻る。すると何がおかしかったのか、片桐の顔には笑顔が戻っていた。

 

「ねぇ、藤宮君。私も手伝うよ。元は全部、私の仕事だし」

「……じゃあ、もう一つの方頼む」

 

もういいのか?という言葉を飲み込み、資料の挟まったファイルを手渡す。

 

二人でデスクに向かい、いつも通りの残業が始まった。

 

「本当に私ってバカだよね」

 

突然、自虐的なことを言い出した片桐。

俺はパソコンから一瞬だけ視線を離した。

 

「なんで?」

「えーっと、知り合いに言われてさ」

「あぁ、幼馴染」

「せっかく言葉を濁したのに特定早い」

 

間髪入れずに見破った俺に、片桐はびっくりした声を上げた。

 

「気を遣ったのに藤宮君って割と無視するよね」

「よく言われる。けど、こう見えてハートはガラスだぞ」

「……藤宮君の心臓ってガラスはガラスでも、防弾ガラスとか強化ガラスの類じゃん」

「それもよく言われる」

 

俺がおどけて返すと、片桐は思わず吹き出して笑う。

 

「–––もう。笑わせないでよ」

「で、なんでバカなんだ?」

「そうだったね」

 

資料を整理していた彼女が手を止めて、遠くを見るように暗くなった外を見た。

 

「私って昔から何をやっても空回りするんだ。今日もそう。藤宮君と距離を置こうとして迷惑かけちゃった」

「本当に馬鹿だな」

「もう、藤宮君まで酷いよ」

「おまえが俺と喋ってくれなきゃ、俺がこの部署で孤立するんだぞ」

「確かにそれもそうだね」

 

呆れたように片桐は言う。あまりに自分本位な主張にも怒っていない様子だ。

しかし、幼馴染なだけあって、西宮もよく見ているものだ。そこには素直に感心した。

 

「まぁ、おまえがバカだという意見には同意せざるを得ないな」

「……自覚はしてるよ」

 

視線を僅かに下げてデスクに視線を落とす。その姿がどうにもしょげているようにも見えた。

反省はしてるが、直るものでもないことは重々承知している様子。

 

「もうそういう話は終わりにして、もう少し楽しい話しようぜ」

「楽しい話?」

 

きょとんと首を傾げて、片桐は不思議そうにする。

 

「今週の木曜日、花火大会があるんだと。–––だから、一緒に行かないか?」

「あぁ、そういえば今週だっけ。花火大会。でも、いいの?私なんかが一緒で」

 

俺が愛理と二人きりと勘違いしてるのか、邪魔じゃないのかと不安になっているのだろう。そんな心配が透けて見える。

 

「あぁ、元々都が持ってきた話でな。だから別に人数が増えたところで変わらんぞ」

「え、あ、ううん、そう……」

 

今度は顔を真っ赤にして、慌てたように片桐は視線を逸らした。

髪をくるくると指先で弄るのは、女子特有の癖みたいなものだろうか。

 

「そ、そうだよね。二人っきりなわけないよね。何を勘違いしてるんだろ私……」

 

ぼそりと呟いた片桐は、顔を上げる。

 

「うん。行く。……にしたって社会人にはキツくない?」

「まぁ、それは俺もそう思う」

 

俺も愛理と都の浴衣姿が見られると唆されていなければ、行くなんて言わなかっただろう。

 

「それで木曜が終わったら、また金曜日に飲みに行こう」

「……また、私と飲んでくれるの?」

「むしろおまえ以外に誰がいるんだよ」

「もう、しょうがないなぁ……」

 

そう言って笑う片桐は、どこか嬉しそうに見えるのだった。

 

 

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