学生達の夏休みが終わり、二週間が過ぎた。
それに伴い都が家に来る頻度も減り、週末に遊びに来る程度しか会うことはなくなった。
二人きりの時間が増えた……というよりは、戻ったという方が正しいのだろうか。愛理は喜んでいたが、それはそれで寂しいものでちょっとした喪失感を覚えたのもつい先日のことだ。
珍しく朝から都がいない土曜日。
朝食も食べずに昼まで二人でだらだら過ごし、お腹が空いて愛理の手料理を食べた。食後に皿洗いをする彼女を眺めるのも日課になりつつあり、俺はソファーでだらけながら待つ。
皿洗いが終わると愛理はすぐにソファーにやってきて、隣に座った。
無言でポンポンと太ももを叩く。
俺は招かれるまま応じて、愛理の太ももに頭を乗せた。
–––膝枕というやつである。
後頭部に柔らかくもしっかりとした反発力を感じつつ、目の前には大きな胸がある。
巨乳は足元が見えないというが、その意味がよくわかる。俺には愛理の顔が半分見えないのだから。
「ねぇ、今日の料理はどうだった?」
「美味かった」
「そう。よかった」
そんな受け答えをしつつ、髪を撫でられる。
幸せそうな愛理の顔を見れば、彼女が現状に満足していることがわかる。
都がいた時は奉仕できないフラストレーションが溜まっていたらしく、おかげで俺は散々甘やかされていた。
食後の膝枕も、その一環である。人をダメにする膝枕と、愛理の奉仕力によって甘やかされた俺の脳内は彼女との触れ合いを求めて止まず、時間があれば触れ合う時間を作っている。
気がつけば俺は飼い犬のように愛理に甘え、胃袋を掴み直されていた。
「じゃあ、耳掻きしよっか」
「おう」
「じゃあ、ごろーんして」
愛理に背を向けるように転がり、右耳を見せる。
「そのまま動かないでね。危ないから」
すぐに耳掻きが始まり、耳に耳かきが挿入される。
優しく擽られるように耳の内を撫でられれば、なんともいえない快感が身体中を駆け抜けた。
「ふふっ、ぴくぴくしてる。気持ちいいの?」
「……まぁ、それなりに」
耳朶を打つ甘い囁き声に蕩けるような何かを感じる。
太ももの柔らかさと、耳かきの気持ちよさに挟まれてなんともいえない幸福感に包まれる中、俺はしばし目を閉じて今の状況を楽しむ。
「それじゃあ反対側も」
永遠にも感じられる長い時間目を瞑っていると、新たな指示が下される。
今度は愛理の臍に向けて寝転がり、左耳を見せる。
身を委ねて目を瞑っていると、左耳をごそごそと擽ったい感覚が襲った。
「……はい。終わり」
最後に吐息を吹きかけられたような気がしたが、そこでようやく俺はなんともいえない擽ったい感覚から解放された。
再び仰向けに寝転がって、天井–––おっぱいを見る。よくこれで耳かきなどできたものだ。手元見えるのだろうか。
「すごく眠そうね」
「そりゃあ、昨日あれだけ飲んで相手させられたらな……」
金曜日の夜は片桐と飲み、帰れば愛理に寂しかったと甘えられ、また眠れない夜を過ごす。おかげで二人して寝不足だ。今日こそは普通に寝たいと思ってはいるが叶うかどうかは不明だ。
再び目を瞑ると、眠気がだんだんと襲ってくる。
頭に乗せられた手の感覚がする。
後頭部には柔らかくも温かい感触があり、それがまた自分の持つ枕と比べると極上の寝心地なのだ。
–––ピンポーン。
思考が闇に溶ける寸前、来客を報せるインターホンの音がした気がした。
うちは勧誘もセールスもお断りで、ついでに言えば来客なんてここ一年変なのしか来ていない。
無視して眠ろうとすれば、膝枕がもぞもぞと動いた。
「誰か来たみたいだけど……?」
「無視しとけ。どうせ無視していい相手だろうし」
そんなことを言っている間に二度目のインターホンが鳴ったが、応対するのも面倒なので俺は再び目を閉じた。
するとテーブルに置いていたスマホが鳴った。それを取ろうとした愛理のおっぱいに顔を潰されて、「むぎゅ」と情けない悲鳴が上がる。
膝枕とおっぱいに挟まれて死ぬところだった。
「どうしたの都?」
どうやら電話の相手は都らしく、愛理が親しげに通話する声が聞こえる。気になって瞼を上げると、通話をスピーカーに変えた。
『お姉ちゃん、家にいる?』
「いるわよ」
『そう。じゃあ、入っていい?』
「なんで電話してくるのよ?勝手に入ってくればいいじゃない」
珍しく入ってくる前に電話してくるという状況に、少しだけ違和感を覚えたが、その違和感はすぐに解明された。
『–––京介も一緒なの』
「え、なんで?」
思わず愛理がそう返してしまったのも無理はないだろう。彼女の弟が訪ねてくるなんて、初めてのことなのだから。
道理で電話してくるわけだ、と納得しながらも愛理は俺に視線で尋ねる。京介の扱いを尋ねられたところで、もはや追い返す選択肢はないようなものだ。
「まぁ、いいんじゃないか」
家主が許可すると、愛理は小さく頷いて電話に向き直った。
「入っていいって」
『……えっちなことしてないよね?』
「してないわよ!こんな真っ昼間から!」
『……』
察しのいい都は『それ以外ならシてるんだ』と悟って、無言で数秒抗議を送った後、通話を切った。
愛理の失言について物申したいことはあったが、そのことについて言及する前に玄関から解錠する音が聞こえ、そのすぐあとには扉が開いて姉弟がリビングへとやってきた。
「–––って、えっちなことはしてないって言ったじゃないですか!」
俺と愛理の状況を目にして頰を赤らめた都が、そんなことを宣う。背後にいた京介も僅かに顔を引き攣らせて、目のやり場に困ったように視線を逸らす。
「どこがえっちなことよ。別に膝枕くらい普通よ」
「お父さんなら卒倒しますよ!」
–––まぁ、確かに。あの父親ならありうる。
心の中でツッコミを入れつつ、脳内で想像に難くない映像が流れる。血反吐を吐きながら、娘が男といちゃいちゃしている様を目撃するのだ。卒倒の一回や二回するだろう。
「–––っていうかお兄さん、見ない間になんか威厳とか色々剥がれ落ちてないですか!?」
「さぁ、どうだろう。いつもこんなんじゃなかったっけ」
「やっぱり知らない間にお姉ちゃんに甘やかされてダメになってる!」
僅か二週間–––その間に、何があったのか。
ただご奉仕されただけだ。ご飯を作ってもらって。膝枕されて。抱き枕されて。おはようからおやすみまで甘やかされれば、ダメ男の一人や二人出来上がるだろう。
「それでおまえたちは何しにきたんだよ」
「あくまでそのまま話進めるんですね」
俺が愛理の膝枕から頭を退ける気がないことを悟ったのか、都は呆れた表情をしながら突っ込むことをやめた。正確には思考停止ともいうが。
都と京介の方に身体を向けるが、膝枕はそのままに俺は話を聞く体勢を取った。実家ならまず間違いなく怒られる。
「まぁ、いいですよ。これですよ。これ」
そう言って都は、手提げのマイバッグから二つのクリアファイルを取り出して、テーブルの上に置いた。
二人の名前、点数、見覚えのある文字列に俺は視線を細めた。あまりにも懐かしすぎて、ちょっと学生時代を思い出してしまったのだ。
「そういえば最初のテストって夏休み終わってすぐだったか」
二週間もあれば、答案用紙は返ってくるはずだ。ということは片方が都の五教科のテストで、もう片方は京介の五教科のテストだろうか。
まずは手始めに都のクリアファイルを手に取り、五枚の答案用紙を広げる。五枚全て九十点越えだ。
「……本当に頭良いんだな」
「当然ですよ〜。私それなりに頑張ってますので」
思わず居住まいを正して、答案用紙を眺める。
何故か科学のテストだけ違和感を覚えたが、それが何かわからなかった。
「すごいすごい」
「ふふ〜ん♪」
思わず頭に手を伸ばして撫でてしまったが、都は満更でもない様子で受け入れた。髪型を崩さないように撫でるのは気を遣ったが、されるがままになってるのを見るに嫌ではないようだ。
「–––で、問題はこっちか」
京介の答案用紙をテーブルに広げる。
国語・七十一点。
社会・八十五点。
数学・八十六点。
科学・九十点。
英語・六十八点。
……ギリギリ平均八十点だ。
さすがに最初の一回で条件を達成するとは思わなかった。
飴が強すぎたのか、京介の執念が凄いのか。
ふと眺めていると、科学のテストだけに何故か妙な違和感を覚えた。
否–––全体的に、違和感がある。
そうして全部見比べると、やはり科学のテストだけ違和感が強いのだ。他のテストと違うような。
さっも似たような感覚を覚えたのを思い出して、都の科学の答案用紙を見る。その点数は九十二点。僅差で京介に勝っていた。だが、都の科学のテストと京介の他のテストを同時に見ると違和感がなくなって、その違和感の正体に気づいた。
「……愛理、二人の科学のテストを見てどう思う?」
「そうね。惜しかった、かな」
普段から二人は比べられているのだろうか。
もう少しで都に勝てたのに、という言葉が透けて見える。
どこか弟を心配している様子も見れて、おそらくそれが長女ラブなシスコンの爆誕した理由である気もした。
そうすれば必然的に、京介が父親のことを毛嫌いしている理由も察せるというものだ。あの父親は「都のように頑張りなさい」とか不必要な言葉を述べたに違いない。
よくある優秀な姉と、不出来な弟の確執に気づいてしまった瞬間だった。
それでも京介が都を嫌わないのは、ヘイトの全部を父親が持っていっているからか。作り出したのも父ならば、盛大な負のマッチポンプである。
「そうですよね。僅差で本当に、本当に–––」
「悔しかったんだろ」
俺が都にそう言うと、なんとも言えない表情を彼女はした。
「何がですか?」
とぼける都に、俺は徹底して叩きつける。
「おまえら科学のテスト答案用紙入れ替えただろ。名前だけ書き換えて。答えの欄が筆跡そのままだから、バレバレだぞ」
驚いた顔を二人はしたあと、都は楽しそうにニヤニヤと笑った。
「あ、本当。これ都の字じゃない!」
京介の答案用紙と都の答案用紙を見比べて、愛理もようやく気がついたようだった。
ちょっとだけ嬉しそうだが、都が負けたという事実に喜んでいいのか微妙に困った様子で表情をコロコロと変える姉の姿を横目に、俺を見据える都は本当に悔しそうだ。
「……よく気づきましたね。お母さんは気づかなかったのに」
「そうか?筆跡が明らかに違うし、普通に気づきそうなもんだけどな」
「思わぬ落とし穴に、普通は気づかないんですよ。普通は。そういう意味ではお兄さんがおかしいんですけど。私が京介にテストの点数で負けるなんて、誰も想像しませんよ」
あっけらかんと言い放つ都だが、言葉の節々には悔しさが滲み出ている。
今まで負けたことがなかったのか、そのたった一回の敗北が彼女のプライドに傷をつけたのだろうか。
あまりこの話を続けるのも可哀想なので、最後に一つだけ動機を聞いておくことにした。
「なんでこんなことしたんだ?」
「……お兄さんを試したかったのが一つ。なんですけど……」
自分でも何が言いたいかわからないようで、慰めろと言わんばかりに都は無言で頭を突き出してきた。
揶揄うつもりできたのか、慰めてもらうつもりできたのか、よくわからないが俺はずっと頭を撫でさせられた。
※このあと弟君の主人公君への評価が爆上がりした。
誤解のないように言っておくと、都がこんな悪戯を思いついたのは京介と主人公君の不仲が原因です。
常に比べられ続けてきたのは、京介だけじゃなく、彼女自身へのストレスにもなっています。
あと理科のテスト選んだのは弟君で、入れ替えても一番バレないやつと思ったからですね。