目覚めたのは陽が昇ってからだいぶ後のこと。
全力を出し尽くしたかのような倦怠感に包まれながら眠りに就いて、泥のように眠ったのが夜明け前。欲を満たした満足感と一緒に腕の中の女性を抱きしめたのは記憶に新しい。
それを思い出したのは、いつも通りとは違う光景が目の前にあったからだ。
同じベッドにあどけない顔で眠る愛理の顔を見て、心臓が止まるかのような錯覚に襲われると同時に昨夜のことを思い出した。
「そうか……連れて帰って来ちまったんだよな」
まだ眠っている愛理を起こさないように小さく呟く。
安心し切った顔で、すやすやと眠る彼女。毛布を胸元まで被っているものの肩から鎖骨までは露出しており、それがまた扇情的で昨日発散したはずの欲望が沸々と湧いてくる。
それを朝の生理現象と、安眠を邪魔するわけにはいかないという理由で抑えつけて、ただ彼女の寝顔をじっくり観察することにした。
「まったく……安心し切った顔で寝やがって……」
ぐっすり眠る愛理の頰を突くように触れてみた。柔らかな感触に弾かれて、そっと頰を指の腹で撫でたところで反応が返ってくる。
「ん、んぅ……」
のそのそと人肌を求めるように頰を擦り寄せて、ふと睫毛がふるふると震えた。そのままゆっくりと目蓋が開き、真紅の瞳がこちらを認識してから数秒ほど見つめられる。
「えっ……?」
目を見開いて驚いた愛理は、布団を跳ね除けるようにして起き上がった。
はらりと毛布が落ちれば、隠されていた鎖骨から下が露に。昨日、揉みしだいた大きな胸も、可愛いお臍も、美しく括れた腰からお尻の丸みまで丸出しであった。
しばらくの間、無言で見つめ合い何やら気まずい雰囲気に。
会話の切り口にと、俺は小さく声を掛けた。
「おはよう」
「お、おはよう……」
「それと色々見えてるぞ」
「えっ?–––きゃっ!」
人差し指で裸でいることを教えてやると、ようやく現状を思い出したかのように腕で自らの身体を抱きしめ隠す。僅かに頰を赤くして恥じらう姿に、はっきり言ってむしろ興奮した。
「今更隠しても意味ないだろ」
「そ、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいし。や、やっぱり昨日、したのよね?」
確認するように問い掛けてくる愛理に、俺は無言で頷いた。すると彼女は更に頰の朱を深めて、微妙に伏し目がちに顔を逸らしてちらちらと盗み見る。
「そ、そっか……」
顔を真っ赤にして「あんなことや、こんなことを」と呟いては目まぐるしく表情を変える愛理は、何かを確かめるかのようにお腹を何度もさすっては百面相をしていた。
「直人のすけべ、えっち」
「そういうおまえこそ随分楽しんでいたようだが?」
「そ、それはあんたが朝まで寝かせてくれなかったからじゃない」
「少なくとも誘ってきたのはおまえの方だぞ」
「私初めてだったのに……」
「ちゃんと優しくしたろ」
些細な小言から喧嘩に発展。でも何故か、昔ほど酷い状況とは言い難かった。
「というかおまえ、その歳で未経験って……」
「わ、悪い!?」
「いや、別にそういうわけではないが」
「べ、別にあんたのためにとっておいたわけじゃないから!」
指をこちらに突き付けながら、何やらとんでもない発言をしてしまう愛理。照れにしたって他に言い方があっただろうに、真実にしたって妙な意味に捉えてしまう。
「そうか。まぁ、俺は興奮したが」
「処女厨、変態」
「悪かったな俺は独占欲が強い方なんだよ」
そっと愛理を抱き寄せる。すると彼女は抵抗もせずに、僅かに視線を逸らして素直に抱かれたまま、小さくこう呟く。
「ちょっと近いんだけど……」
「嫌なら離れるが」
「……別に、あんたがしたいなら好きにすればいいじゃない」
なされるがまま抵抗しない愛理から、俺は手を離してみる。すると彼女は、名残惜しそうにこちらを見つめてきた。
「な、なによ」
「いや、何も言ってないだろ」
抱きしめて欲しそうなので、もう一度抱いて寄せると、僅かに肩を跳ねさせながらも身を寄せるように身体を押し付けてくる。
「…………」
「もうそろそろ昼だし、飯の前に風呂でも入るか」
「そ、それって、一緒に……ってこと?」
誘ったわけではないのだが、何を勘違いしたのか愛理はそう言って頰を赤らめる。
言わぬが仏。俺は誘ったことにして彼女と風呂に入ることにした。
◇
風呂を出た頃には、時計の針は頂点を過ぎていた。
さっぱりしたが、むしろ疲労感の増した身体を引き摺ってソファーに座り込む。
今日は何もする気が起きない。だらだらとソファーに身体を沈める俺とは正反対に、風呂から上がって髪を乾かした愛理はすぐに台所に向かっていた。
昨日の憔悴し切った顔と違い、何やら艶々と生気に満ち溢れた顔で、冷蔵庫の中から今日の朝食に使う予定だったベーコンや卵を取り出すと食材を並べていく。
……なんというか、そう。今の彼女は生き生きとしていた。
鍋でパスタを茹でて、フライパンで具材を炒め始める姿は妙に様になっており、その手際からも料理に慣れていることが窺える。まるで同棲中の彼女、あるいは通い妻がキッチンに立っている姿を見ながら、俺はそんな感想を抱いていた。
「ねぇ、直人。硬めか、柔らかめ、どっちがいい?」
「硬め」
さっと茹でたパスタの食感を確かめてから、フライパンに投入する。用意していた具材とソースに絡めて熱を加えていく。そうして出来たカルボナーラを二つの皿に盛り付けて、ダイニングテーブルに運んだ。
「いただきます」
正直、合掌なんて一人の時はしないのだが、愛理に倣って俺も手を合わせて心の中で呟く。それからフォークを手に取ってくるくると巻き取ってから口に運んだ。
「……その、口に合うといいんだけど……」
心配そうに様子を窺う愛理は、料理の味を気にしているようだ。まだ自分の皿には手をつけず、じっとこちらの様子を観察しており、フォークも皿に置かれたまま。膝の上に置かれた手は所在なさげに動いており、もぞもぞと緊張を隠すこともなく身体を揺らしている。
「美味い」
「そう。それならいいのよ」
安堵に包まれた笑みを浮かべて、愛理も自分の皿に向き合い始めた。フォークを片手にパスタを少量巻くとそれを口に運んで食事を進めていく。
お互いに無言で空腹を思い出したかのように食事を進めて、先に食べ終わった俺が小さく音を立てながらフォークを空になった皿の上に置いた。それに続いて、予め量を少なく盛っていた愛理も数分後には食べ終えていた。
俺が空になった皿に手を出すより早く、彼女は皿を重ねて持って行ってしまう。そのまま食器洗いを始められるとなんというかもう立つ瀬がなかった。
「おい」
「……」
「おーい」
「……」
まさかの聞こえないふり。
愛理は水音をわざとらしく立てて、食器洗いを続ける。
昨日の夜のこととか、今朝のこととか、過去のこととか、色々あって気まずい。
どう接していいかわからず、俺は今後が憂鬱だった。
そりゃあさ、昨日の夜は盛り上がったよ?
盛り上がったけど、別に仲が良かったわけでもなければ、恋愛感情があるかと言われればそうでもなくて、行きずりでヤったようなもので気の迷いというか、まぁ世間一般的にはそういうことである。
なんなら名前を呼んだのも昨日の夜が初めてだし、深い関係であったわけではないのだが。
あいつの泣きそうな顔を見ると、どうにも泣き顔を思い出して、放っておけなくなったというか。そのまま勢いで連れ帰ってしまって、今に至るのだが……。
「はい。終わったわよ」
「あ、うん。ありがとう」
ダメだ素面になると何も話せねぇ。元々会話が得意じゃなかったが、これは酷い。俺でもわかる。よくこんな男についてきて性行為しようと思ったな。
「ねぇ、直人」
どう扱っていいかわからない愛理のことを考えていると、思考に挟み込むように声が割り込んでくる。
渡りに船と乗っかることにして、俺は一旦思考することをやめた。
「あ、あぁ、なに?」
「連絡先交換しない?」
スマホを手に提案したのは、そんなことだった。
そんなことだが、十二年も一緒にいて連絡先を交換したことは一度もない。
名前を呼んだのだって昨日が初めてだ。
それも情事の最中に、懇願されて……それ以外では一度も呼んでない。
「そうだな。……しておくか」
正直、連絡先を教えてもらっても有効活用することはほぼないが。
スマホで簡単にお互いの連絡先を登録すると、愛理はそれだけで嬉しそうに登録された名前を見ていた。
指でゆっくりとなぞって、小さく微笑む。
俺にはまったく共感できない感情であった。
「ねぇ、毎日電話してもいい?」
「好きにしろよ。俺からは掛けないぞ」
「あんたそういうタイプじゃないものね」
「一人の方が好きなんだよ」
昔から群れるのは苦手だった。
例えばの話、友人とグループを作るだろう。
人数は五人だ。五人は仲が良かった。
しかし、修学旅行で某テーマパークに行った時のことである。
俺は常に口数少なく、最後尾を歩いた。
アトラクションも二人一組だと一人。
そんな人間が、どのグループにも存在するのではないだろうか。
「ね、ねぇ、また来ちゃダメ?」
「なんでだよ」
「なんでもいいじゃない。私こう見えて結構尽くすタイプよ」
それはさておき、目下の問題は彼女のことである。
昨日の翳りのある表情は消えたが、問題が消えたわけじゃない。
どうしてあんな表情をしていたのか気になるし、それが理由で連れ帰ったのも事実だ。
俺の勘違いでなければ、こいつはまだ俺のことが好き、だと思う。
そうでなければ、色々と説明がつかないことの方が多かった。
「好きにしろよ」
「じゃあ、毎日来てもいい?」
「……毎日か」
思ったよりも高頻度で顔が引き攣った。
思わず遠い目をして、天井を仰ぎ見てしまう。
「迷惑じゃなければ、だけど」
「別に迷惑ではないがな」
気が休まらない気がしてならない。
俺だって、プライベートな時間が欲しいのだ。
心休まる暇もなさそうである。
そう考えると、毎日は過酷だった。
「と、取り敢えず、今日のところは一旦帰るわね。着替えとか、持ってこないといけないし」
そんなことを言って、愛理は上機嫌に家を出て行った。