「–––そう。そんなことがあったのね」
車に戻る途中で見つけた愛理を拾って車に乗り込み、駐車場を脱出した俺がついさっきの話をすると、ようやく事態を理解できたのか、愛理は神妙な顔で頷いた。
しかし、思ったよりも淡白な反応だ。微妙そうな表情をしているものの事の本質を理解しきっていない様子なのだ。
“何をそんなに焦っているのか”という疑問だが、それはあいつと友人関係を小学校の頃から続けている俺にしかわからない事である。たとえ愛理が小中高羽柴と同じ学校に在籍していたとしてもだ。
「なぁ、おまえ羽柴ってどんなやつだと思う?」
「羽柴君?さぁ、あんまり関わりなかったしなぁ」
関わらなかったとは言うが、その関係性の薄さはただのクラスメイトよりは深い。
俺と羽柴は親友–––というよりは、悪友だ。同じクラスになればグループを共にしたし、学校の行事はだいたい一緒だった。それとは別に夏祭りや休みの日だって一緒に遊んだ。
常に一緒だったから、絡んできた愛理もそれなりに関わりがある。立ち位置は友人の友人と言ったところだろうか。
「まぁ、そうだよな」
友達の友達。深いようで浅い。
言い方は悪いが、愛理からすれば羽柴は俺の付属品だ。
交流する機会はあったものの、二人で話す機会はなかっただろう。
「羽柴はああ見えて、人当たりがいいから交友関係は広いんだ」
「そうなの?」
「そういう意味では、おまえの友人–––黒川も似たようなもんだろ」
黒川–––黒川鈴音。小中高と同じ学校に通っていた者の一人で、そして愛理の幼馴染だ。
その名前が出た瞬間、愛理は懐かしそうに目を細めた。
「そういえば、鈴音元気にしてるかなぁ」
「最近は会ってないのか?」
「うん。大学は同じだったんだけどね。県外に単身赴任っていうか、引っ越して行ったから。月に一回くらいは電話するけど」
「……一応聞くけど、黒川に俺たちのこと話したか?」
「…………いや、まだだけど」
僅かに動揺したように愛理の視線が泳ぐ。
実際に話してはいないのだろう。だが、もし俺達の関係性がバレた場合、面倒なことになるのは間違いない。
何せ黒川は俺と愛理の果てしないラブコメを見せ続けられた猛者で–––バレンタインの翌日、俺の頰を引っ叩いた上にぶん殴った女だ。
–––思い出したら左頬がヒリヒリしてきた気がする。
おまけに心臓がキュッと締め付けられるような痛みが走る。
愛理を傷つけた後悔が、消えない–––。
「俺達が喧嘩してる間、あいつら後方で眺めてたからな。それなりに仲良かったし、たぶん連絡先の交換くらいしてるだろ。あとはわかるな?」
もし俺が羽柴に口封じをしたとして、黒川に黙っている確率はゼロに近い。他の男連中には黙っているかもしれないが、黒川は羽柴にとっての同志なのだ。
「……それはまずいわね」
黒川に俺達の関係性がバレるのは、幼馴染から見てもまずいらしい。
俺も堂々と振った挙句、こんな関係になっているのバレたら、また引っ叩かれた上にぶん殴られるんじゃないかと思うと怖い。
「話は終わりました?」
一区切りついたのがわかったのか、後部座席から都が声を掛けてきた。
隣の京介はゲーム機の入った袋を大事そうに抱えて、僅かに口角を吊り上げている。よほど嬉しいらしい。
「おう。で、都は何が欲しいんだっけ?」
「私は洋服と靴ですね」
「ショッピングモールでいいか?」
「はい」
もう一度、バックミラー越しに後部座席を見る。
早く帰ってゲームをする妄想をしている京介は、おそらく帰りが夜になるだろうことをまだ知らない。
◇
ショッピングモールには多くのテナントが入っている。
飲食店や、雑貨屋、服屋、靴屋。他にもあるがその中でも多いのが、服屋の類だろう。数えるだけでも七つはあった。
おそらく全てを見て回ることになるだろうことを悟りつつ、あっちこっちと歩き回る都の楽しそうな姿を後ろから眺めていると、一階にある靴屋の一つに都が吸い込まれていく。
「……そういえばお兄さん、予算的にはいくらなんですか?」
展示されている靴–––ブーツの方を見ながら、都が気にしたように口にした。
おそらくすでに弟君への出費でだいたいの計算はしているのだろうが、確証はないようである。
俺は四本の指を立てて、それからもう一本増やした。
「四万から、五万」
「……」
金額にびっくりしたのか都が勢いよく振り返った。
むちゃくちゃ動揺して、口をぱくぱくと金魚のように動かしている。
「いや、あの……それはさすがに多すぎでは?」
「そう言われても、京介のゲームだってそれくらいしたからな。おまえだけダメなんて、そんなことはないだろう」
「で、でも……」
困ったように姉の方を見る。すると愛理も苦笑しながら、「甘えておきなさい」と許可を出す。
「どうせこの人も、あんたの着飾った姿見たいだけだろうし」
「一言余計だろ」
「なあに、事実でしょう?」
「それはそうだけど」
愛理が言っていることは間違いではないので否定はしない。
そういった下心が俺にもあることを理解したのか、都は少しだけ安心したような笑みを浮かべた。
「もう、仕方ないですね。……本当に遠慮しませんよ?」
都は嬉しそうに言って、気になっていたブーツの方へ近寄っていく。かなり高そうだ。というか実際、高いので三万円近くするブーツまで置いてある。その中でも値段のバランスも考えて、気に入ったのは五千円から二万円近くするブーツらしく、そのあたりを気にしているようだった。
ちょっと高めの靴を買う機会などないのか、すごく楽しそうに展示されている靴を眺めている。その瞳はどことなく、キラキラと輝いて見えた。
「次に行きましょう」
試しに履いたりはしないらしい。そのまま都は靴屋を出た。
もうひとつ靴屋を見たが気に入った物はないらしく、次は二階にある洋服店のエリアへと進んでいく。
心なしかその足取りは軽く、スキップせんばかりの勢いで、踵が浮き上がっていた。
次に入った店は洋服店である。
女性物を多く扱っている店で、秋の新作ニットとその言葉に釣られて展示されているマネキンを興味深そうに眺める。
正直、男である俺は遠慮したかったのだが、財布を持っているのは俺だから逃げることもできず店内に入るしかなかった。
京介は顔を引き攣らせたまま渋々ついてくる。どうやらそこら辺の教育は既になされていたらしい。
二人して都と愛理が盛り上がっている様子を、諦めてついていくしかないのである。
「お兄さん。お兄さんはどういう服が好きですか?」
「う〜ん。ニットとか?」
「ふ〜ん、そうなんですね」
都に尋ねられて答えると、少しだけ嬉しそうに都は秋物のニットを手に取り、自らの身体に合わせるように見せてくれる。
彼女もニット素材は好きらしく、また目的のものでもあったらしい。ご満悦の表情で、どれがいいか悩んでいた。もこもこしたものか、身体のラインが浮き出るタイプのやつか。
しばらく悩んだ末に、都はやはり何も買わず店を出ていく。
それから全ての店を回った。
他にも色々と候補はあったのだが、都は最初のブーツとニットのセーターを気に入ったらしく、店に舞い戻っては品物を買い求めた。サイズは入念に確認を行い、間違いがないよう慎重だったのは彼女の性格が表れているようでもある。
他にもスカートやジーンズを買い揃えて、買い物を終えたのは午後六時を過ぎた頃である。その頃には弟君は精神的に擦り減って死にかけだった。
「もう、あの程度で情けないですね〜。お兄さんを見習ってくださいよ。文句も言わずついてきましたよ」
「それは兄貴がおかしいんだよ。もう三時間だぞ。三時間。何時間悩むんだよ!」
どうやら三時間も買い物に時間を掛けたのが気に入らないらしく、京介は都と喧嘩を始めてしまった。
途中でも「まだ?」と痺れを切らしていたあたり、本当に早く帰ってゲームをしたかったのかもしれない。その不満が、終わった後に爆発した。
「きっといつか京介に恋人ができたら、こんなものじゃ済まないと思うんですけど」
「だとしたら俺は一生女と分かり合えなくていい……」
疲れ切った老人のような顔で、京介は断言する。
「まぁ、買い物は終わったんだしいいだろ。それよりおまえたち夕飯はどうするんだ?」
二人は喧嘩をやめて、顔を見合わせた。
「そういえばそんな時間ですね。今日は母は仕事なので、今から作らなければならないんですけど……」
それは面倒だ、と顔色に表れている。
俺も今から夕食を作ってくれ、なんて愛理には言いたくない。
どこか適当なところで食べて帰るか、手頃なものを買って帰るつもりだった。
「じゃあ、寿司でも食べて帰るか。志穂さんの分は持ち帰り用に買えるし、それでいいだろう」
「いいんですか?」
双子は寿司と聞いて、頬の緩みを抑えきれていない。
やっぱりそういうところは子供なんだな、と再認識するのだった。