十月七日。約束の土曜日。
十一時過ぎに最寄り駅に到着して、そのまま鹿島家へ。
予定通り昼前には、鹿島家のインターホンを押す。
するとドタバタと階段を転がり落ちるような勢いの足音が聞こえ、次の瞬間には玄関のドアが勢いよく開いた。
「いらっしゃ–––なんだ、姉貴たちか」
開いたドアから顔を覗かせた京介は、俺と愛理の姿を確認するとがっかりしたように肩を落とす。
「悪かったわね。私達で」
ぞんざいな対応をする弟に、ジト目で睨む愛理は「まぁいいわ」と言って中に入る。
続いて中に入ったところで、都がリビングの方から遅れて顔を出した。
「もう、お兄さんのお出迎えは私がするって言ったじゃないですか!」
何故そんなくだらないことで言い争っているのか。
普段、京介が出迎えてくれることはまずない。
そのことに違和感を覚えつつ京介を見れば、どこか雰囲気が普段と違う気がする。
よく見れば、髪型もいつもより整っている気がする。
「そんなくだらないことで喧嘩するなよ」
睨みあったままの二人……一方的に都が睨みつけているだけの気もしなくもないが、二人を諌める。
そこでようやく深く息を吐くと、くるりと表情を一転させて都がこちらを向いた。
「おかえりなさい。お兄さん」
「ただいま……?」
奇妙なやりとりと思いつつも、そう返しておく。
すると都は上機嫌に頰を緩めた。
「もうすぐご飯ができるので、二人とも席に座って待っていてください」
先に廊下を都が進んでいく。そのあとを追って、俺と愛理もリビングへ向かった。
いつも通りキッチンでは志穂さんが調理しており、何やらチリソースのような甘辛い匂いが漂っていた。
俺の方を一瞥すると、ニコッと笑顔を向けてくれたので、俺も小さく会釈するだけにとどめておく。
ダイニングテーブルには餃子や炒飯といった中華料理が並び、新たにエビチリが品目に追加された。
「いらっしゃい。直人君」
「今日はお招きありがとうございます」
「ふふっ、そんなに固くならなくてもいいのよ。もっと実家で寛ぐくらいの気持ちで、ね」
「……はい」
つい久しぶりで固くなってしまったが、志穂さんの笑顔に緊張が解けていく。
「今日は中華ですか」
「あら、嫌いだった?」
「いえ、エビチリも炒飯も好物です」
最後に玉子スープのようなものが置かれて、いつもの面子がテーブルに揃う。
「さぁ、それじゃあ食べましょうか」
志穂さんの合図で、合掌して昼食に手をつける。
まずはスープで喉を潤し、炒飯の味を確かめるとその美味さに目を見開いた。
「うまっ」
思わず、心の声が漏れた。
志穂さんが嬉しそうに笑むのがちょっと恥ずかしい。
次に餃子とエビチリ、回鍋肉を食べる。
そのどれもが食べたことのない味で、餃子に至っては種から手包のオリジナルだ。昨今の進化した冷凍餃子など相手にならない出来である。
「その餃子、私とお母さんで包んだんですよ」
皿に載った餃子は三十個以上。昼食は軽くと聞いていたのだが、それら全てを二人で包んで他にも料理を作ったとなると“軽く”の意味について深く考えたいところなのだが、美味しいので気にすることはやめにした。
「道理で食べたことない味だ」
中身がぎっしりと詰まっていて、噛む度に肉汁が溢れる。
もはや「美味い」の三文字以外、何も浮かばなかった。
「美味い」
「ちゃんと味わって食べてくださいね。まぁ、夜の方も気合い入れて作るので、昼食だけで満足されると困るんですけど」
「わかってるよ」
そのために朝食を軽めにしたのだ。
「ふぅ。美味かった……」
他の四人が食べきれなかった餃子やエビチリなどの大皿料理を片付けて、満足してリビングのソファーに身体を沈める。
もういっそこのまま眠ってしまいたいが、それは許さないとばかりに膝の上に都が飛び乗って来た。
「どーん」
そんな軽い言葉とは反対に、衝撃は重い。
都の名誉のために言っておくが、質量と速度の運動エネルギーは破壊力たりえる。
そう。けっして都が重いわけではないのだ。むしろ軽過ぎるくらいである。
「お兄さん、今変なこと考えませんでした?」
「いや、全然これっぽっちも考えてないが」
お尻の感触や、甘い香りが–––これも変なことか。
「あ、こら。また直人にくっついて!」
「空いてたので」
姉に見つかっても都は気にした様子もない。それどころかコアラのように抱きついてくる始末だ。
満腹で眠気に襲われている俺は、抵抗する気力もないので都を放置したまま、ソファーに全力で背中を預けて目を閉じた。
「まったく油断も隙もないんだから……!」
しばらく争ったあとで、愛理の方が諦めたのか隣に座った。
「そういえばお兄さん」
「んー……?」
「夕食は何が食べたいですか?」
「う〜ん。迷うなぁ」
食べたいもの、と聞かれて咄嗟に答えが浮かばない。
普段から愛理にリクエストしている分、食生活には満たされているのだ。
強いて言うなら、昼食に食べた中華以外。
洋食も和食も好きだし、やはり平日には食べられない凝ったものとかだろうか。
「ローストビーフとか」
「じゃあ、メインはそれであとはスープにサラダとかあとメインをもう一つくらいですかね」
「そういや志穂さんは?」
「お母さんはお出掛けの準備です。食材の買い出しに行かないといけないので」
昼食の時ですら綺麗だと思っていたのに、あれでどうやら準備万端ではなかったらしい。
女性の身支度について考え始めると、終わりがなさそうなので言及はしない。
「あぁ、そういえば京介もそれなりの格好に着替えてたな。買い物についてくのか」
「あー、いえ……京介の場合は別にそういうわけじゃないですよ」
「はぁ。そういう歳頃なのかね」
「歳頃といえば、歳頃ですかね」
何が面白いのか都は満面の笑みだ。
そんな都を、愛理はジト目で見る。
「そういうところ双子でそっくりよね」
「そういうお姉ちゃんこそ、小学生、高校生の頃の課外授業で着ていく服に悩んでたじゃないですか」
「そ、それは言わない約束でしょう」
双子だけでなく、愛理にもそういう時期があったらしい。
微笑ましい光景が脳内に浮かび、くつくつ笑っていると二人の視線がこちらに向いた。
「お兄さんはそういうとこ無頓着ですよね」
「別に良く見られたい願望とかないからな。人間無理しない程度が一番なんだよ。精一杯無理して着飾って、偽って生きてくのって面倒臭いだろ。自然体でいいんだよ、自然体で」
「そう言いつつもうちのお母さんの前では、少し取り繕っているような気もしますが」
「時と場合によりけり」
–––それはそれ、これはこれである。
「ちょっ、お兄さん!?あ、誰か来た!来ましたから!」
誤魔化すように都をぎゅーっと抱き枕にして、脇腹のあたりを擽っているとインターホンの音が鳴った。
そのすぐ後にバタン!ドドドドドッ!という音が二階からして、足早に京介が玄関の方へと駆けて行った。
「今日の京介、なんというかやる気に満ち溢れているな」
「それはそうでしょう。初恋の人が来るので」
「え゛っっっ」
隣で乙女らしからぬ声がした。とんでもない巻き舌で驚いたようなそんな声だった。
「どうしたんだ–––って、なんかスマホみたいに小刻みにバイブしてるけど!?」
「まるで大人の玩具を仕込んでいるみたいですね」
どこからそんな知識を得てくるのか。こっちを見て言う都に、俺は無言を貫く。今日は仕込んでない。
「ど、どどど、どうしよう!?」
「落ち着けよ。なんで京介の初恋の人が来るって話でそんな動揺してるんだ?」
「帰って来たなんて聞いてない!私聞いてないんだから!」
頭を抱えて震える愛理に、俺はなんと声を掛けていいのかわからず困惑する。
「二人はいる?」
「え、あ、はい。二人ともいます!」
どこかで聞いたことのある女性の声と、元気よく答える京介の声に俺は何故か呼吸が止まった。
玄関から移動してくる足音に、愛理がようやく正気に戻った。
「とりあえず隠れて!」
「隠れるってどこに!?」
「スカートの下とか!?」
「見つかったらただじゃ済まないやつそれ!」
愛理の今日の装いはゆったりとしたセーターに、秋を思わせるロングスカートだ。その下に隠れろと。見つかったら大惨事である。
「とりあえず退きなさい都!」
「え〜、嫌ですよ。二人とも捕まえておくように鈴音さんに言われてるので」
「なっ」
ガチャ。そんな音を立てて、無情にも扉が開く。
「二人とも久しぶり。元気だった?」
約六年ぶりに見る愛理の幼馴染の顔は、ニコニコと笑顔を浮かべているのに、何故か逃げ出したくなるような悪寒がしたとだけ言っておく。