午後二時を過ぎて、それぞれ身支度を始めた。
余所行きのラフな格好に着替えて、財布とスマホを持って寝室を出る。
リビングを通ろうとしたところで、洗濯物を終えて一息ついていた愛理が目敏くこちらに気づいた。
「あれ、直人どこか行くの?」
「あぁ、ちょっとな」
俺が誤魔化すように答えると少し複雑そうな顔をする。詮索したいけど、言いたくなさそうだから詮索したくない、けれど気になる。そんな感情が綯交ぜになったような顔だ。
「……そう。夕飯には帰ってくるの?」
「その時間までには帰ってくる」
「ふ〜ん。そう。珍しいこともあるものね」
ちょっと買い物に出掛けるだけなら報告するので、少し怪しかったかもしれない。訝しむような視線を向けて不満そうな顔をしてくるが、最後まで詮索してくることはなかった。
「都も友達の家に遊びに行くらしいし」
「まあ、受験生とはいえ息抜きも必要だからな」
「実感のこもった言葉ね」
「それはもう毎日遊び呆けてましたから」
「よくそれで受かったわよね」
「なんなら前日はゲーセンに友達と入り浸ってたからな」
あっはっは、と笑う。落ちたら全然笑い事じゃなかったが。
「じゃあ、行ってくる」
多少の罪悪感を感じながらも家を出た。
マンションを出ようとしたところで、パタパタと足音がする。
その足音は背中に突撃するようにドンッとぶつかって、俺の腕を奪うと絡みつくように細い指で掴み、腕を絡め取られてしまう。おまけに柔らかな感触を肘のあたりに押し付けられて、嫌でも女の部分を意識させられた。
「お兄さん待ってくださいよ〜、途中まで一緒に行きましょうよ、ね?」
白々しくもそう主張する都は、可愛らしく小首を傾げる。その間にも指先までしっかりと恋人繋ぎにしてきた。
「友達の家に行くんじゃなかったのか?」
「お兄さんとデートって正直に言って欲しかったんですか?」
口が滑り始めたらブレーキなしでおっぱいまで辿り着きそうだ。それは絶対に阻止しなければならない。
「フルーツ堂って何処だっけ?」
「こっちです」
先導するように腕を引っ張る都に連れられて、曲がり角を右に曲がる。
情報では駅から徒歩二十分。少し離れた通りにひっそりと建っているのだとか。
「あ、あそこです!」
クッキーのような小麦色の屋根を指差して興奮気味に都が叫ぶ。
僅かに軽くなった足取りで、急かすようにぐいぐいと腕を引っ張るものだから、都の胸に何度も腕が当たる。
つい肘に全神経が集中したが、なんとか歩幅を合わせてついていく。
店先のアーチを抜ければ、手入れされた花が咲き誇る景観の素晴らしい庭があった。その景観に目を奪われたのも束の間、もっと驚くような光景が目の前に広がっていたのだ。
「……お菓子の家?」
屋根はクッキー、扉はチョコレート。半分がホイップクリームのように白く、外観からしてファンタジーの世界に飛び込んだかのようなファンシーなデザインで、まさに子供の夢を体現したかのような建物だったのだ。
どれも見せかけのものだとはわかっているのだが、男性は入りづらい外観に気圧されていると、そんなことも気にせず都にぐいぐいと引っ張られて心の準備をする間もなくドアを開けて入店させられた。
「いらっしゃいませ〜」
元気のいい店員の声が妙に聞き覚えのあるものだった。
ふわふわの桃色の髪に、碧眼。唯一違うのはふりふりのフリルがついた可愛らしい制服に身を包んでいることだろうか。
神出鬼没に現れる桜お嬢様の出現に、俺は「何故こんなところに」と眉間を指先で摘みながら現実逃避をする。
「あれ?直人さんと都ちゃん?」
「えっ、もしかして翠ちゃんのお姉さん?」
さすがに都も驚いたようで、目を見開いて桜ちゃんの方を見て、驚いたような声を上げる。
「いぇ〜い!」
「いぇ〜い?」
そのまま都が手を挙げると、戸惑ったように桜ちゃんがハイタッチした。
「ところで桜お姉さんが何故こんなところに?」
「私は叔父様のお店の手伝いでバイトさせてもらってるの」
「叔父さんの店?」
このファンシーな建物が?叔父さんの店?
そう思って店内に視線を向けると、カウンターにバーテン服を着たムキムキのはち切れそうな筋肉がいた。絶対あれだ。間違いない。
そんなことを確認している間に、ドアが開いてカランコロンと可愛らしいドアベルの音が鳴った。
「あ、他にもお客さんが来ちゃった。–––店内でお召し上がりですか?それともお持ち帰りですか?」
右側にはショーケースがあり、沢山のケーキが並んでいる。
左側にはテーブルがあり、カフェとしても運営しているようだ。
外にはテラス席もあり、カップルと思われる男女が『はいあーん』とケーキを食べさせあっていた。
「店内で」
「では、こちらへどうぞ」
桜ちゃんにテラス席の一つを案内される。
庭には季節の花が咲き乱れており、深く呼吸をすれば花の香りが鼻腔をくすぐり肺の中に満たされる。
そんな気がして、秋空の下でなんだかしんみりとした気持ちになった。
「メニューはこちらになります。ご注文がお決まりでしたらお呼びください」
「あ、待って。もう決まってるから」
テキパキとメニュー表を置いて去ろうとする桜ちゃんだが、俺は呼び止めて注文する。
「私は季節限定の森の切り株ロールケーキとロイヤルミルクティーのホットで」
「俺はチャイティーとフルーツ盛りだくさんプリン・ア・ラ・モード」
「かしこまりました。ご注文繰り返します」
一度も噛むことなく復唱して、桜ちゃんは去っていった。その背中を見送ったあとで都がぼそっと呟く。
「……フルーツ盛りだくさんプリン・ア・ラ・モード」
「なんだよ?」
「いえ、随分と可愛らしいものを頼むんだなと」
「甘いもの好きなんだよ。悪かったな。こういう機会がないとこういう店に来れないだろ」
俺にはあまりにもハードルが高過ぎて、一人ではカフェとか行くことができない。それも外観がこんなにファンシーなら入るのも躊躇する。スイーツ男子とは言わないが、甘い物好きにあるまじき失態だ。
「お姉ちゃんとは来ないんですか?」
「来るけど、最近あいつ体重気にしてるらしくて誘うの控えてるから」
「幸せ太りってやつですかね」
だから今日も黙って来たのだ。大半の理由はあれだが。
「お待たせしました。季節限定“森の切り株ロールケーキ”です」
テーブルの上にでんと置かれたスイーツ。
“森の切り株”とは名ばかりの見た目は“丸太”だった。
切り株らしき一切れは、一人分のサイズに切り分けられてこてんと倒れている。–––否、倒れているのはこの丸太の方であろうか。まさしく切り倒した丸太にしか見えないのだから。
「おまえそれ全部食べられるのか?」
「食べられるに決まってるじゃないですか。……と、言いたいところですけど、夕飯が食べられなくなってしまうし、太っちゃうのでお兄さんも食べるんですよ?」
「あ、そう」
スマホを取り出してパシャパシャと何枚か写真を撮ったあと、都は満足げにフォークを手にする。
その間に飲み物やプリンを桜ちゃんが運び、去り際に思い出したように小さく声を上げる。
「あ、そうだ。カップル割引してるんですよ。どうですか?」
「どうってカップルに見えるか?」
「カップルです」
間違いなく認定されるとロリコンと犯罪者予備軍のレッテルを貼られるので、認可したくないところだが都が食い気味に肯定してしまった。
「では、証明となるものを提示してください」
カップルではないことは知っているはずなのに、桜ちゃんはすらすらとガイドを進めていく。
都と俺は顔を見合わせて、何をすればいいのかわからず……そんな俺を見て、都がニヤリと悪い小悪魔の笑みを浮かべた。
テーブルから身を乗り出して、ちゅっと頰に口付けをする。
桜ちゃんはそれを確認して店内に視線を送った。–––その先には、グッと親指を立てる筋肉バーテン服がいた。
「いや、詐欺じゃないか?」
「そうは言ってもルールですので。叔父曰く、『愛に年齢も性別も関係ない』だそうです」
カップルではないことを知っているはずなのに、桜ちゃんは真面目にそんなことを言って取り合わない。
「お兄さんだってお姉ちゃんと付き合ってもないのにカップル割引利用してますよね」
「ごもっともだな」
俺は世間体を投げ捨てた。
「それではごゆっくり」
今度こそ桜ちゃんは業務に戻る。そんな彼女の背中に一言だけ。
「そういえば冬海は?」
「雪菜さんなら、今日は休みですよ」
「そうか」
背中がむず痒くなるような視線を桜ちゃんに向けられて、俺も微妙な表情を返していると優しく脚が踏まれる。ご丁寧にもグリグリと踵で踏みつけられたがまったく痛くない。
犯行に及んだ正面の少女に目を向けると、むすっとした顔でジト目を向けられていた。
「お兄さん、他の女性の話は厳禁ですよ。今はデート中なんですから私を女性として扱ってください」
「それはすまなかった。お詫びにプリンを一口やろう」
クリームとプリンを掬って口元に差し出すと、都は表情を一転させてスプーンにくらいついた。
「ん〜、クリームもしつこくなくふわふわで柔らかめのプリンと相性バッチリで溶けるみたいです」
「それはよかった」
「お兄さんこっちのロールケーキもどうぞ」
都がロールケーキをフォークで刺して、口元に向けてくるので遠慮なくぱくりと口にする。
生クリームと栗が絶妙なバランスでお互いを支え合い、口の中で溶け合う計算し尽くされた味に思わず、
「甘露」
–––普段使わない言葉が出た。
「大袈裟ですね」
「いや、栗を使ったケーキはだいぶ飽きてたんだがこれはいいな」
「嫌いなんですか?」
「俺の誕生日は毎年栗のケーキだったからな。ただ飽きたんだよ」
「ああ、なるほど」
納得した様子で都もロールケーキを口にして、ほっぺたを押さえて唸る。
「ん〜〜〜、美味しい!!!!」
いつも以上に興奮した様子でロールケーキを口に運び、温かいミルクティーで口の中をリセットする。そしてまたロールケーキを食べて、ミルクティーを飲んで随分とご満悦だ。
「はい、お兄さんあーん」
「……」
「美味しい?」
「ああ、美味い」
無言で食べて、横から聞こえた声につい答えた。
夢中になった故の油断というやつだろうか。
正面ではなく、横から聞こえた声に違和感を覚えなかったのは。
「そう。妹に食べさせてもらうケーキはそんなに美味しいんだ」
横をなんとなしに見上げると、家にいるはずの愛理が仁王立ちで俺達を見下ろしている。
その背後には絶対零度の冷気を放つメイドと、気まずそうに目を逸らす同僚の姿があった。
突如脳内にスタンド使いどうしは引かれ合う運命にあるという言葉が浮かんでしまった主人公君。