「それでは叔父様、また」
ぺこりと小さく頭を下げて、綺麗なお辞儀をすると桜ちゃんはテラス席へ一直線に向かってくる。そうして俺たちのところへ来ると、いつの間にか用意されていた空いている席にすとんと腰を下ろした。
「お、バイト終わったのか?」
「はい」
「おつかれ」
「おつかれさま桜ちゃん」
バイトを終えてきたお嬢様を労っていると、店員がすぐにやってきて紅茶を配膳すると戻っていった。そのカップはお嬢様の前に置かれており、つい先ほど冬海が頼んだものだ。
バイト終わりの時間まで把握していたらしく、そのタイミングに合わせて注文していたらしい。休日までついついお嬢様の世話を焼いてしまうメイドである。
カップに口をつけて一口、紅茶を飲むとほっと一息。
疲れているはずなのに姿勢は背筋を真っ直ぐに伸ばし、ピンと張っており育ちの良さが現れている。
つい感心しながら、テーブルにでんと重い膨らみを載せている愛理に視線を向ける。すると視線に気づいた彼女に訝しむような視線を向けられた。
「……なによ?」
「いや、別に」
あれだけ大きいなら肩も凝るし、疲れるのも当然だろう。
ここが外でなければ、俺が代わりに支えてやろうとも思ったのだが、できないのが残念でならない。
俺は自制するように自分に言い聞かせて、さっき頼んだクッキーを口に放り込んだ。
「あ、そうだ。桜ちゃんも食べていいぞ」
「ありがとうございます」
そう言ってクッキーの皿をお嬢様の前に寄せると、桜ちゃんは素直にクッキーを手に取って半分に齧る。紅茶を飲んで喉を潤して、さらにもう一口で食べきった。
「このお店のクッキーは初めて食べましたが、さすがは叔父様ですね。しっとりとして美味しいです」
「叔父さんが作ったのか」
もはや慣れ親しんだ常識のように浸透する事実に、俺はもう一枚クッキーを齧る。
「叔父様は腕のいいパティシエでもあるので。スイーツに関してなら、うちの専属料理人よりも上手いと思いますよ」
「専属料理人……」
耳慣れない単語が出てきて、そっと復唱してしまう。
しかし、相手がどんな料理人であろうと愛理や都の料理が劣るとは思えない。
そう思えば、自然と興味は薄れていく。
「……ところで、それは何の真似で?」
さっきからお嬢様がクッキーを片手に口先に差し出してくるものだから、疑問に思って訊ねると何故か相手は首を傾げてきょとんとする。
「私も直人さんにこうやって食べさせてみたかったので」
何を思ってそんなことに興味を持ったのか。
お嬢様の思考回路に理解が及ばず、つい「俺はペットか」と内心でツッコミながら応じた。
白くて綺麗な指に唇をつけないように注意して、クッキーを唇で食むとそのまま吸い込むように口に入れる。
「うむ。美味い」
左右から刺さる視線を無視しながら、俺はなんとかそう返した。
「それでみなさん、これからのご予定は?」
俺に二枚目のクッキーを与えながら、桜は今後の確認を取る。
特に示し合わせたわけでもない五人は顔を見合わせて、何も決まっていないことを確認する。
元より俺と都は此処にケーキを食べにきただけで、食べたら帰るつもりだったのだ。
「俺と都は食べたら帰るつもりだったけど」
「私達も同じかな」
「え、もう帰っちゃうんですか?」
帰ってしまうと知って、寂しそうな顔をするお嬢様に心を締め付けられる。
「夕飯の準備しないといけないしね」
休みくらいは自炊しないと、と片桐は気合を入れている。その食事が酒のつまみでなければいいのだが、あいつの肝臓は大丈夫なんだろうか。
「そうよね。うちは三人分作らないといけないし」
「そうですよね……」
次々と理由を述べていき、お嬢様が落ち込む。
子供っぽいそんなところについ心が掻き乱されて、俺は考えもなしにこう口にしていた。
「じゃあ、うちに来るか?」
女子高生に送る言葉にしては、ダメな部類だと思う。
変なことを言っている自覚はあるのだが、一度口から出た言葉は取り消せない。
お付きメイドの視線が、少し早い冬の到来を感じさせるほど冷たくなった。
「おぉ、女子高生を家に誘うとかやるね」
「おまえも来るんだよ」
「……今まで招いてくれなかったのに、どういう心境の変化?ハッ、まさかあんなことやこんなことをするために!?」
「じゃあ、片桐は来なくていいぞ」
「やだ、行く!」
土下座せんばかりに縋りついて謝罪してくる片桐を腰に引っ付けながら、俺は伝票を片手に席を立った。
◇
近場のスーパーで材料の買い出しを終えて、招いた三人と一緒に帰宅する。
何故か物珍しげにきょろきょろと周囲を見回す同僚とお嬢様の姿に、保護者のメイドが付き添っている形である。
同居或いは同棲している二人は、勝手知ったるなんとやらで歓待する側に回っていた。
「こちらがお兄さんの寝室です–––あたっ」
何を思ったのか寝室を紹介する都に、俺は自由落下の手刀をポンと頭に当てる。
「いや、トイレとか洗面所の説明しろよ」
「男性の私室に入ったことない二人は、興味があるかと思いまして」
「二人って?」
都は片桐とお嬢様を見る。すると二人は興味津々といった様子で寝室の方を見ていた。
「そこに冬海が含まれていない理由は?」
「男性経験ありそうだったので」
否定しづらい回答を耳にして、俺は沈黙した。それより入りたくてうずうずしている二人の方が気になったのだ。
「別に見られて困るものもないし、別にいいけど……あんま部屋を荒らすなよ」
「言ったね藤宮君。ベッドの下からエロ本とか発見しちゃっても知らないよ!」
「持ってねえよ」
粗方現物は処分してあるか、他は電子である。電子はスマホのロックを解除するか、エロゲ用のパソコンから愛用しているサイトにログインするしかない。
サイトに繋げばログインしっぱなしだから、検索履歴を辿られると一発アウトだ。
「大丈夫ですか?ベッドの上に謎の体液がついた女性ものの下着が置いてあったり、ゴミ箱の中に水風船みたいなのとか、使用済みのティッシュとか入ってませんか?」
好奇心に駆られて部屋の探索を始めた二人を見送って、都がそんな心配をする。が、それは徒労だ。
「普段から気をつけてるよ」
ただでさえ未成年がいるわけだし、それがプレイの一環だとしても抜かりはない。
「お姉ちゃんに使った大人の玩具が見つからないといいですね」
「ああ、それがあったな」
「あったなじゃないわよ。二人とも何の話をしてるのよ」
軽く頭を小突かれて、都と顔を見合わせる。背後には顔を真っ赤にした愛理が立っており、羞恥心故かプルプルと震えていた。
「さて、時間も時間だし夕食の準備を始めないといけないな」
「そうですね。まあこれだけいるのでお兄さんの手伝いとか必要ありませんけど」
探索を続行する二人を置いて、都と愛理を連れてキッチンに移動する。
既に冬海が食材の下拵えに野菜を切り始めており、厨房は独占状態であった。
「おー、相変わらず手際が良いな」
「メイドですので」
素っ気なく答えながら、冬海は玉ねぎを切る。
今日のメニューはビーフシチュー、ガーリックトースト、サラダの計三種。
たった一人でほぼ全ての具材を切り終えて、熱したフライパンにオリーブオイルを投入して、牛肉を投下していた。
「先輩、あれ取ってください」
「あいよ」
レジ袋から赤ワインを取り出し、取りやすいように置いておく。因みに残った赤ワインは片桐の肝臓に消える予定だ。
「……なんか通じ合ってますね」
「……そうね」
ついでにトマトを受け渡せば、角切りにして具材共々圧力鍋に放り込まれた。
「ねえ、直人」
「ん?」
何かを視線で訴えてくる愛理。–––俺は彼女のおっぱいをそっと後ろから揉んだ。
「……違うわよ。バカ」
踵で足を踏まれて、ぐりぐりと踏みつけられた。
「わぁ〜、いい匂いがする」
時刻は午後六時を過ぎた頃、夕食が出来上がった。
匂いにつられて探索から帰った二人は、満足げな様子で席に着く。
何がそんなに楽しかったのか不明だが。
帰ってきた子供を迎える気持ちってこんなのなのかな、と思いながらも冬海が盛り付けるビーフシチューを二人の前に配膳する。
「お〜、ビーフシチューだ。それも手作りの」
「普段どんなの食ってるんだよ」
「レトルトのビーフシチュー」
美味いけど冬海が作ったものには劣るだろう。
あまりにも同僚が不憫すぎて、同情した視線を向けると困ったように眉根を下げる。
「なあに、その顔」
「いや、別に。……いっぱい食えよ。冬海の作ったビーフシチューは美味いから」
「私も食べたことありますけど、とっても美味しいですよ」
お嬢様も食べたことあるらしい。専属の料理人の料理ばかり食べているかと思ったのだが、メイドにはお嬢様の食事を作るという業務も含まれているのだろうか。謎である。
「まるで冬海さんの手料理を食べたことがあるみたいな反応ですね」
そこに話を聞きつけてやってきた都が、訝しげにそんなことを口にした。
「果たして、ただの先輩後輩が手料理を振る舞ったりするでしょうか?」
「まあ、成り行きで?」
誤魔化すにしてももっとましな言い訳くらいあったと思うのだが、咄嗟にはこんなことしか思い浮かばず都からの疑念の瞳が懐疑的な色を増す。もうそれはほぼ確信に近く、都は一人納得したように頷いた。
「やっぱりそういうことですか」
「な、なんだよ?」
「今のところは、お姉ちゃんには黙っておいてあげますね」
「……要求は?」
「いえいえ、そんなのありませんよ。だってその方が面白そうなので」
都はサラダの大皿を机に置くと、人数分のバゲットが載った皿を置いて去っていった。
それから三人で残りのビーフシチューを手に戻ってきたので、全員でダイニングテーブルについた。
奇跡的にもデザインを気に入って買って閉まっていた折り畳み式の椅子が二つあったので、全員でダイニングテーブルを囲えている。
「それじゃあ、いただきます」
空気を伺うように全員が動かない中、合掌してスプーンに手をつける。遅れて全員が好きなものから手をつけ始めた。
「先輩、ドレッシング取ってください」
「おう」
冬海がサラダ用のドレッシングをご所望だったので、数種類用意した中からごまわさびのドレッシングを選び手渡す。
どんなサラダでも冬海はこのドレッシングばかり掛けるのだ。俺も同じく青紫蘇のドレッシングばかりかけるので人のことは言えないのだが。
そうするとまたしても都の視線が鋭くなった。
「お兄さん、ドレッシング取ってください」
「おう」
都にはシーザーサラダのドレッシングを渡すと、呆けたような表情で手の中のドレッシングを見つめる。
「お兄さんって全員のドレッシングの好み把握してるんですか?」
「いや、別に全員ってわけじゃないぞ」
特に片桐は気分でドレッシングを変えるので、把握するのが難しいのだ。
「それよりこのビーフシチュー美味しいよね。ワインとよくあって」
その片桐はドレッシングよりも酒に合う料理の模索に忙しくしていたりする。
「まあ、それはいいんだが。ビーフシチューっておかわりある?」
「ありますよ。先輩がそう言うと思って多めに作っておきましたから」
「あ、ずるい私も!」
その後、競うようにおかわりを強請って圧力鍋を片桐と二人で空にするのだった。