朝起きた瞬間、感じたのは奇妙な重さだった。
布団のようなふんわりとした感触ではなく、吸い付くような肌触りの妙にすべすべした物体が俺の身体に重なっている。
お腹の上では二つの丸みを帯びた物体が卑猥に歪み、ぴったりと吸い付くように形を変えて、これでもかと押し付けられている。
じーっと見つめるような奇妙な視線を感じて、ふと目蓋を開けると真紅の瞳がこちらを覗き込んでいた。
例えるならそう。ペットが餌や散歩を強請るために監視しているような……そんな雰囲気で、俺が起きたのを確認するとあるはずのない尻尾をぶんぶんと振っているかのような満面の笑みに変わる。
「……おはよう」
「おはよう」
「……一応聞くけど、なにしてんのおまえ?」
「寝顔見てたのよ」
状況分析の結果、俺も同じ結論に至る。
俺は首を上げるのを諦めて、枕に頭を落とした。
「……おやすみ」
「えー、寝ちゃうの?」
二度寝は許さないとばかりに抗議のキスの嵐を受ける。頰に、首筋に、鎖骨に、耳にと甘噛みまでされては眠気は遠のくばかり。再び、まだ重い目蓋を上げる。
「にゃーにゃー猫かおまえは」
ペットはこうしてご主人の眠りを妨げるらしい、と思いながら身体の上に重なっている彼女の腰に腕を回す。密着度が増してちょっとだけ幸福感が上昇した。
「なによ猫って」
「……猫耳と尻尾どこにやったっけ?」
何処かに片付けた玩具の存在を思い出せば、愛理はさっとお尻を隠した。
「絶対に今日はつけないわよ。今日は私の言うことをなんでも聞いてくれる日なんだから!」
「そんなこと言った覚えはないんだけどなぁ。……まぁ、誕生日おめでとう」
「ふふ、ありがとう」
嬉しそうに微笑んで、ぺたりと頰を俺の胸につける。
「にへへ〜」
いつにも増して上機嫌で、相好を崩す彼女の姿につられてこちらも幸せな気持ちになる。
柔らかな髪を優しく撫でると、愛理はもっともっとと頭を近づけてきた。
「そういえば今何時?」
「六時くらいじゃなかったかしら」
言われて枕元の時計を確認すれば、午前七時を過ぎている。おまえさては一時間も寝顔見てたな?
「違うじゃないか」
「あれ、私が起きた時は六時だったんだけど」
「よく飽きもせずに一時間も見てられるな……」
俺だったら悪戯を始めているところだ。
耳を澄ませば、キッチンからトントンとリズミカルな音が聞こえてくる。
都が起きて、朝食を作り始めたようだ。
休日とはいえ、そろそろ起きないといけない時間になりつつあり、俺は名残惜しくも彼女の背中を叩く。
「ほら、そろそろ起きて準備しないと一日が終わるぞ。今日はデートするんだろ?」
「ちゃんとエスコートしなさいよね」
「はいはい、お姫様」
ベッドから出た愛理の手を取って、恭しく手の甲に口付けをする。柄でもないことをやるもんではないと、後悔しつつ愛理を浴室へと送り出した。
交互にシャワーを浴びて、都の作った朝食を食べる。
しかし、まだ朝も早いというのに愛理さんはフルスロットルだった。
「はい、あーん」
「……っ、もぐ……んぐっ」
「美味しい?」
「うむ、美味い」
恥ずかしげもなく食べさせ合いっこを強請り、嬉しそうに頰を緩めて今度は自分もと求めてくる。それに応えつつプチトマトを口に運ぶと、彼女は甘い顔でにへにへと笑みをこぼして美味しそうに咀嚼する。
そんな様子をまざまざと見せつけられている都は、呆れた顔でこう呟いた。
「いや、私が作った朝食なんですけど」
「プチトマトは農家が作ったものだろ?」
「それはそうですけど、卵焼きは私が作りました」
まあ、それはさておき。と置いておけるならよかったのだが、さすがに目の前の光景が鬱陶しかったらしく苦言を呈してくる都に俺も言い返せなくなる。
「まあ、今の愛理は知能が小学生くらいだから許してやれ」
「そうですね」
「ちょっと聞こえてるんだけど」
ばしばしと太ももを叩いて抗議をしてくる愛理の口にソーセージを突っ込むと、もごもごと口を動かして咀嚼すると飲み込むまで口が塞がり喋らなくなった。可愛い。
「昨日お兄さんに食べさせられたソーセージとどっちが美味しいです?」
「はて、昨日そんなもの献立にあったかな」
「私も食べたかったなぁ」
何故か顔を赤くする愛理を揶揄うように都がニヤニヤとそんなことを口にして、フォークで突き刺したソーセージを齧る。
「ところでお兄さんはどうやって食べます?」
「身をもって知りたいなら教えてやるが?」
「……いえ、お兄さんは焼くより茹でる派でしたね」
何やら危険を察知した都はそっぽを向いてそう言うと、ミルクと砂糖を入れた甘めの珈琲をちびちびと飲み始めた。
「それより早く準備しなくていいんですか?」
「ん。そうだな」
皿の上に残ったプチトマトを口に放り込み席を立つ。特に俺はする準備もないが、女性は身支度に時間が掛かるという。下手したら一日中この調子の愛理に付き合わされるのだ。俺がしっかりせねばなるまい。
「ほら、準備してこい」
「はーい」
最後のロールパンを咀嚼し終えた愛理が、寝室へと消える。
都が一人で食器を洗い始めたのを見遣りながら、サクッとラフな格好に着替えて財布と携帯電話を持つ。
ソファーに座って待つこと十分、都が皿洗いを終えて隣に腰を下ろした。
「ねえ、これとこれどっちがいいと思う?」
寝室の扉が開いて、愛理が二つの衣装を見せる。
ニットセーターか、ニットワンピースか。
片や攻撃的な肩出しの衣服を見せてくるあたり、今日はそれで籠絡しようなどと考えているのかもしれない。
「どっちでもいいんじゃね?」と口に出しかけて、言ってはならないセリフだったなと思い直す。
「……脱ぎやすい方がいいんじゃないか?」
あとで着替えることを考えると、やはり着替えやすい格好が妥当だろうか。そう提案すると愛理は恥ずかしそうに服を口元まで引き上げて、もそもそと呟いた。
「……直人のえっち」
「なんでだよ」
–––あとで覚えてろよおまえ。おまえが考えた通りのことをしてやるからな。
顔には出さず、俺は固く決意した。
あとで絶対にエロいことしてやろうと。
「き、着替えてくるわね」
危険を察知して愛理が慌てて寝室に引っ込む。
そんな姿を見て、都が言った。
「そういえばお姉ちゃん今日の予定知ってるんですか?」
「ん〜、デートするとは言ったけど。どこ行くかは言ってないかもな」
「あ〜、だからあんなに服装で悩んでるんですね。あとであんな格好するとは知らずに」
「あんな格好って言うなよ。一応、母校の制服で、来年にはおまえたちも着るんだからな」
「その制服でやることやった人は言うことが違いますね」
やることとは何だろう、と俺はすっとぼける。
「いいな〜、私も行きたかったな。デスティニーランド」
「今日はデートだから無理だ」
「見たかったなあ。お兄さんとお姉ちゃんの制服姿」
「動機が不純過ぎる」
「お姉ちゃんのためとか言って、直前まで秘密にしてる人に言われたくありませーん」
都には全てお見通しのようだ。
「まあ、俺のためでもあるのは否定しない」
「ふ〜ん。認めるんですね。ところで–––」
俺が用意した鞄を漁り、愛理の高校時代の制服を取り出した都がそれをぶら下げる。
「このニーハイはお兄さんの趣味ですか?」
……このあと出発直前まで揶揄われた。