「ただいま〜」
鈴音さんを連れて帰宅すると、玄関には見慣れない男の靴があった。成人男性の物らしいそれを見て、鈴音さんは気が付いたようにこう言う。
「おじさんもう帰ってきてるみたいだね」
「そうですね。ほら、噂をすれば」
バタバタと足音がして、玄関に顔を出したのは少しだけ懐かしい顔。忘れもしない父の姿に、私は嫌な顔を隠そうともせず出迎える。
「マイプリティエンジェルゥ!」
「はいはい、ただいま。それとおかえり」
「何故避ける!?」
ハグしようと向かってくる父をさらりと躱して、靴を脱いで上がるとそのまま横を通り過ぎる。
「あ、あはは……久しぶりおじさん」
「……あ、あぁ、鈴音ちゃんかい?随分と綺麗になって……」
行き場を失ったその腕を再び広げて、今度は鈴音さんと抱擁を交わそうとする。
「嫌ならはっきり断っていいんですよ鈴音さん。あとお父さんそれセクハラだから」
「せ、セクハラッ!?」
ショックを受けた様子で父が固まる。
鈴音さんは脱いだ靴を綺麗に揃えて、そっと擦り抜けてきた。
リビングへ行くといつものように母がソファーに座っており、机の上にはコーヒーカップが二つ中身が残った状態で置かれていた。二人でコーヒーブレイクを楽しんでいたらしい。
「あら、おかえり。早かったわね」
「うん。あまり邪魔するのも悪いからね」
そう言ってスマホに撮った写真を表示して、テーブルに置く。
一瞬ちらりと視線を寄越して、視線を戻した母は「えっ!?」と遅れて二度見する。
スマホを手に取って、心底興奮した様子で写真を眺めた。
「あらあら、うふふ、いいわね〜。随分と楽しんでるみたいじゃない」
「もう本当にこっちが恥ずかしくなるくらいウッキウキだったよ」
「学生時代苦労したものね」
その苦労がようやく実って……いや、実ってはいないけど。幸せそうな娘の姿を見て、母は上機嫌に言う。
「ワイン開けちゃおうかしら」
「まだ昼だよ。夜にして」
その喜びはあとにとっておくとして、撮れたてほやほやの写真をスライドする。
「仲良く手を繋いでるわね〜。あ、こっちは腕組んでる」
一緒に行動している時は控えていたイチャイチャも、二人きりにすればこの通り。だらしない顔をして男に甘える長女の姿に母は大満足のようだった。
「何を見ているんだい?」
投げかけられた声に視線を上げれば、父がいた。どうやら再起動したらしい。その顔には正気が戻りつつあった。ただ顔色を窺うようなぎこちなさが残るけども。
「なにってお姉ちゃんとお兄さんの制服デートの写真だけど?」
「なにっ!?デートだとぉッ!?」
バッとスマホを掴み、画面を凝視する。
バッ、バッ、バッとスライドして何かを見つけるとスマホを握りしめて叫んだ。
「ここは米倉グループが経営しているデスティニーランドか!よし!行かねば!」
駆け出そうとした父であったが、咄嗟に伸びた手が首根っこを掴む。
「ぐえっ!?」
そんな蛙が潰れたような声を上げて、父は床に座り込んだ。
「な、何故邪魔をするんだい?愛しのハニー」
「なにしに行く気かしら?」
「な、なにって……ハハ……」
母の顔を見る父の顔がみるみるうちに真っ青になっていく。尻すぼみに声が小さくなって、目は逸らすように泳ぎ始めた。
「愛理から伝言だけど、邪魔したら絶縁だからですって」
「ぜ、絶縁!?」
まさかの絶縁宣言に父が絶望に満ちた顔をする。口はパクパク金魚のように開閉して、声にならない悲鳴を上げる。やがて絞り出した声は蚊の鳴くような小さな声だった。
「はは、まさか……そんな……冗談だろう?」
「さすがに私も親が娘のデートに凸はダメだと思うのよね〜」
「いや、だが、しかし」
ふと、その視線が私に向けられる。
何が言いたいかわかった私は、素知らぬ顔で言った。
「私はたまたまデスティニーランドで会っただけですよ」
いやそんな偶然あるわけないだろうと父の目が語ったが、私は白々しくも嘘を貫く。
そこでピンときた父。
「ちょ、ちょっと急用を思い出してコンビニに–––」
「偶然を装っても絶縁ですって」
「ぬぐぅ!?」
「あ、あはは……」
……斯くして、父の“偶然デート凸作戦”は未然に防がれた。
先回りした姉が凄いのか、見破った母も凄いのか。
即落ち二コマを目の前で繰り広げる夫婦に、鈴音さんは苦笑いでなんとか笑みを取り繕う。
昔からあった光景なので、懐かしいやら楽しいやら鈴音さんは終始ニコニコしていた。
「まぁ、バカなお父さんは放っておいて。今日の夕飯はどうしましょうか?」
ようやく諦めた父を横目に、議題が本題へと移る。
パンと手を打って、僅かだが父の存在が頭から消えた。
「そうですね。なにがいいかな?」
「お姉ちゃんって洋食好きですよね。だいたいお兄さんが好きなもの全部好きですけど」
「嫌いなものも好きな男の子が好きってなると、あの子頑張って苦手克服してたからね〜」
姉についての少し恥ずかしい話をして、ニマニマと母はご満悦だ。
「そこが愛理の可愛いところですよね」
うんうん、と頷いて鈴音さんまで話に乗る。
「話が脱線してますよ」
「あ、そうだった。何がいいかな?」
「外は寒いしスープは欲しいわよね」
「確かに。二人とも凍えて帰ってくるだろうし」
「どうでしょう。むしろ熱々かもしれませんよ。デートが楽しすぎて」
すごいウッキウキで帰ってくる姉を想像して、鈴音さんはクスクスと笑った。
「そうかもね」
「何の話?」
女性三人で仲良く談笑していると、現れたのは弟。
いつもの部屋着ではなく、ちょっとおしゃれな格好をしているところを見ると鈴音さんがいるのがわかっていたのかもしれない。だから、私は意地悪くこう口にした。
「随分とおしゃれしてますね。お出掛けですか?」
「……」
嫌味たっぷりな指摘に、京介の顔が仏頂面になる。
私のことはとことん無視する方針のようで、顔を逸らして無視された。
「あら、まだ喧嘩してるの?」
呆れたような母の声に、私が先に答える。
「悪いのは京介ですよ」
「……」
私から謝る義理はないので、そういうと京介は押し黙った。
自分が悪い、という自覚はあるようで黙り込む。
そんな彼の様子を見て、鈴音さんはすごくのんびりした様子で言うのだ。
「ダメだよ〜。喧嘩したら。ほら、仲直りしないと」
「うっ……」
好きな人に言われると弱いのか、京介が物理的に揺らぐ。心情的にも、ふらりと揺れた弟は叱られた猫のような顔で鈴音さんを見て、そして私の顔を見てバツが悪そうに顔を再び逸らす。
「こいつだって……!」
鈴音さんの前ではカッコ悪い姿を見せたくないのか、必死の抵抗とばかりに京介は口を動かす。が、露見した以上手遅れではないだろうか。
「なんですか?やりますか?いいですよ受けて立ちますよ」
シュッ、シュッと握り拳を前に出して威嚇する。当然やるのは口喧嘩だ。そもそも女に暴力を振るうのはカッコ悪いとか鈴音さんに嫌われるとか以前に弟の信条的にありえない。
一発KO勝ちしてもいいが、ここは先行を譲ろう。私は相手の出方を窺った。
しかし、京介は何も言わない。
何かを探すように見渡して、父のところで目が止まる。
そうして口を開いたかと思えば、予想外の口撃を繰り出した。
「親父、こいつもう一週間以上あいつの家に泊まり込んでるぞ」
「なっ、なにィッ!?」
ぐりんと首を動かして父が復活する。
私に掴みかからんばかりの勢いで肉薄したかと思うと、肩を掴んで強く揺すってくる。
「本当かそれは!?」
「まぁ、本当ですけど」
「くそっ、あの男、愛理だけじゃなく都までも毒牙にかけやがって!」
「いえ、別にそういうことされてるわけじゃないですけど……」
毒牙に、とは?定義にもよるので否定はできない。
「っていうか、そんなのお父さんに関係ないじゃないですか」
「いやいや、関係あるだろう」
「許可ならお母さんに取りましたし」
何食わぬ顔で珈琲を飲んでいる母に目線を向けて、父は確認を取る。当然母の答えはひとつだけ。
「家出した先がわかってるだけマシでしょう」
そもそもお兄さんの家がなければ家出もなかったと思うが、行く場所があるだけで安心感が違う。いつか本当に家出するかもしれないし。そう云う意味ではあそこは都合が良すぎた。
「み、都が家出だとッ!?」
「あー、そういえばそうでしたね」
家出していたのだったと今更ながらに思い出す。あまりにもお兄さんの家が居心地良すぎて忘れてた。
「な、何か悩みがあるのか?パパが聞くぞ?」
「いえ、別にいいです」
「そ、そうか……難しい歳頃なのかな……」
特にそういうのは求めていないので拒絶すると、父はあからさまに落ち込んで肩を落とした。
「しかし、あの男の家に泊まり込むというのは……」
「お父さんはお兄さんの何を知ってるんですか?」
なおも渋面を作る父に対して、少し威圧的に返すと「うぐっ」と小さく呻いて口を閉じた。しかし、負けじと父は反撃に出る。
「いや、しかしだね。あの男まだはっきりとしていないのだろう?」
「そうですけど。帰ってきた時にまたそういうこと言うとお姉ちゃんに嫌われますよ」
「ぬぐっ!?……」
最後の一言がクリティカルヒットしたのか、父は再びしょんぼりと肩を落としてしまった。やれやれ、これでおとなしくなった。
次は弟の番とばかりに視線を向ける。にっこりと笑顔を作ると、何故か顔を引き攣らせて後退る。
私が何気ない風を装って近づくたび、身体を硬直させて身構える。そんな弟に歩み寄って耳元に一言こう囁いた。
「生徒手帳に鈴音さんの水着姿の写真入れてるのバラしちゃいますよ」
「お、おまえこそ部屋の写真立てに兄貴とのツーショットの写真入れてるくせに。こっちこそバラすぞ」
「いいですよ。バレたところで問題ないので。鈴音さーん」
「–––すみませんでしたぁぁぁ!!!!」
私の声を掻き消すように、京介は大声で謝罪した。