定時退社が基本の優良企業でも、例外はある。
繁忙期は特に忙しく、仕事を片付けた直後に新しい仕事が湧くなんてありがちだ。
クリスマスも例外ではなく、通常と比べれば忙しい時期である。残業と休日出勤という可能性を潰すため、という大義名分のためならば人は普段やりたくない残業だって喜んでやる。
当社の女だらけの部署も例外ではなく、恋人あるいは家族と共に過ごすために金曜日最後の追い込みを行なっていた。
「–––さんこの書類チェックして」
「–––さん、これ間違ってる。直して!」
「–––これ経理に回して!」
戦場もかくやという怒号が飛び交っている。ピリピリとした職場の雰囲気に、デスクに齧り付いて仕事をする多くの会社員の姿が珍しくも見受けられた。
「こんなに残ってるの珍しいよね〜」
「おまえは余裕だな」
「いや〜、普段から慣れてるし?」
もう五日も残業を続けているというのにあっけらかんとした態度で言い放つ片桐に、俺は少しだけ辟易として言う。
「褒められたことじゃないんだけどな」
「まぁ、そうなんだけどね」
カタカタとパソコンのキーを叩きながら咎めるように放った言葉は、しっかりと片桐の胸に刺さったのか気まずそうにパソコンへと向き直る。
「それにしたって嫌なことは私にだってあるんだよ」
「そりゃまたなんで?」
「もう五日も外食に冷たい半額弁当ばかりの食生活なんだよ。いくら私でも飽きるっていうか、寂しいっていうか。これじゃあ仕事のモチベーション下がっちゃうよ!」
既にストレスが溜まり爆発寸前のようで、強めにキーボードを叩く音が響く。
そんな片桐に掛けてやれる言葉は、俺にはないように思う。
「それは難儀だったな。だけど、これが終われば楽しい楽しいクリスマスが待ってるだろ」
「そういう意味でも仕事を残すわけにはいかないんだけどねー」
米倉財閥のお嬢様主催のクリスマスパーティーともなれば、それはもう重要な案件である。
残業や休日出勤で欠席して上司の耳に入ろうものなら、間違いなくお小言の一つや二つ待っていることだろう。
上司には胃が痛い話で、米倉のお嬢様とはそういう存在なのだ。普通はお近づきになれるはずもないのだが、何の因果か俺と片桐はお嬢様から気に入られてお友達となってしまったのである。
「っていうか、クリスマスパーティーは待ち遠しいよ!きっと豪華なお料理とか出るだろうし、ケーキだって美味しいだろうし!あ、私もサンタコスするから楽しみにしててね」
同僚女性のサンタコス。一見聞けばご褒美にも聞こえるが、最近残業続きで処理が間に合っていない身としてはうちの愚息が反応しないか心配である。
「そ・ん・な・こ・と・よ・り!!」
急に奇声を発した片桐に、胡乱な目を向ける。
「飲みに行こう藤宮君!」
「えー」
そんなことだろうとは思っていたが、案の定飲み会の誘いだった。
「えー、じゃないよ。美人な同僚と飲みに行けるんだよ。喜びなよ」
「いや、美人は間に合ってるし」
うちには美人が二人もいるのだ。飽和する。
「可哀想だと思わないの?家に帰っても冷たい食事。同僚も構ってくれず、寂しく一人酒する独身の女性とか!」
「……はぁ」
あまりにも不憫な同僚女性の姿に、俺はため息を吐く。
「それじゃあうち来るか?」
「うぇっ!?」
変な悲鳴を上げて、片桐はデスクから離れた。
「そ、それって、その……酔ってもないのに女性を家に連れ込もうとするとか、藤宮君大胆すぎない?」
「別に変な意味じゃねぇよ。いや、おまえが温かい飯とかなんとか言うから仕方ないだろ」
業務中ではあるのだが、スマホを開く。
「そんで来るのか?来ないのか?」
「い、行く!」
「まぁ、許可が取れたらだけど」
返事を聞くと共にトーク画面を開き、都に連絡を入れる。
すぐに既読がつき、『いいですよ』と返事がきた。
「彼女さんに連絡?」
「いや、都。あいつも多分残業だし」
「私もそういう可愛い妹が欲しかったなぁ。帰ったらご飯作って待っててくれる妹」
「彼氏作れよ」
「そんな家庭的な彼氏見つけるの苦労すると思うから、妹でいい。いや、妹がいい」
真面目な顔でそんなことを言う片桐に苦笑しつつ、内心同意する。
「まぁ、確かにこういう可愛い妹は何人いてもいいな」
「でしょう。だからちょうだい」
「あげるわけないだろうが」
心なしか作業スピードの上がった片桐は、その後もバリバリと仕事を片付けていくのだった。
午後九時には残業が終わり、会社を出た。
労働という名の地獄から解放されて、足取りの軽い片桐はスキップ気味に早足で歩く。
「そういえば今日の晩御飯は?」
「おでん」
振り返った片桐が、頬を緩める。
「日本酒飲みたいなぁ」
「そうだな」
「買ってこう。あと都ちゃんと愛理ちゃんにお土産も」
最寄りのスーパーに寄り、酒とアイスを買う。
冬にアイス?と思うかも知れないが、冬でも都はアイスを好んで食べるのだ。暖房の効いた部屋で食べるのが最高らしい。お気に入りは黒蜜きなこのアイスで、濃いめの熱い緑茶と一緒に楽しむのだとか。
日曜日のクリスマスパーティーの話をしていると家に着いた。
帰路を歩く時間よりも、スーパーにいた時間の方が長いような気もするが、労働時間に比べれば微々たるものである。
家にいる時間より会社にいる時間の方が多い、という思い出したくもない事実には蓋をしつつ、家の玄関の扉を開ければようやく帰ってきたという実感が湧く。
『ただいま』と声を掛けるより早く、リビングの扉が開いた。
「お帰りなさい。それといらっしゃい、美月さん」
「ただいま」
「お邪魔しまーす。……本当邪魔してごめんね?」
「も、もう、揶揄わないでよ。それに邪魔なのは既に一人いるし」
「遠回しに邪魔って言ってないそれ?」
あまりにも気安い掛け合いに、俺の方が困惑する。いつの間にやら二人の仲は急激に接近していた。
「おまえらすごく仲がいいな」
「だって友達だもん。ねー?」
「ええ、そうよ」
意味深に笑い合う二人に、俺はなんとなく嫌な予感がした。
「なんで?」
「「秘密」」
ミステリアスに唇に指を立てて告げる二人に、俺は諦めて肩を竦めた。
「それより早くご飯だよ。おでんなんでしょ?」
「ええ、昨日から仕込んでるやつ」
仲良くリビングに向かう二人の背中を追いかける。
コートを脱いでハンガーを探すと、待ち構えていた愛理に奪われてさっさとハンガーに掛けられてしまった。
リビングにはつゆの香りが立ち込めており、食欲をそそる匂いが鼻腔から侵入し、肺を満たす。
既に片桐はキッチンへ行っており、土産のアイスを渡しながら、代わりにお猪口を受け取っていた。
「あいつも片桐の扱いに慣れてるなぁ」
少しだけ疎外感を覚えながら、ダイニングテーブルにつく。
中央には鍋敷きが敷かれており、そこにドンと鍋が置かれた。
「お兄さんご飯はいらないですよね?」
「まぁ、酒飲むしな。いいや」
「じゃあ、私とお姉ちゃんの分だけですね」
「私達はこれね」
白米を茶碗によそう都を尻目に、どんとお猪口と買ったばかりの日本酒をテーブルに置く片桐。もう既に蓋を開けて注ぎ始めていた。
「気が早いな」
「いいじゃん別に」
ぐつぐつと煮立つ鍋を前に、何から食べようか悩む片桐を見て、配膳し終えた二人が戻ってきた。
「それじゃあ、食べましょうか」
合掌して「いただきます」と唱和。
おたまを手に取った都が、さっそく取り分けていった。
俺の皿にはゆで卵と大根、蒟蒻。牛蒡巻き。
片桐には好みを聞いて、大根と牛すじ。
皿を受け取った片桐は、さっそくお猪口を手に一杯目を飲み干す。
「ぷはぁ〜っ!お酒が美味しい」
「それは良かったな」
ちびちびと飲みながら、蒟蒻をつつく。片桐は大根を箸で一口サイズに切り分けて口に運び、また日本酒を一口。それはもう美味しそうに飲む。
「こんなに温かいご飯本当に何日ぶりだろ。それにすごく美味しいし。都ちゃんうちにお嫁に来ない?」
「残念ながら、私はお兄さんのものですので」
酒飲みの冗談を都は華麗に躱す。が、ところどころ気になるところがあった。
「なにが“私はお兄さんのもの”よ。違うでしょ」
それを指摘する愛理。しかし、負けじと都が応戦する。
「そういうお姉ちゃんこそ“彼氏”いないくせに」
「な、直人とは言葉で言い表せない関係なの!」
「セフレ?」
「どこで覚えてきたのよそんな言葉!」
「お兄さんが持ってるエロゲ」
三人分の視線が集中したが、ゆで卵を口一杯に頬張っていたので何も言えない。
「–––と、まぁ二人はこう言ってるけど」
「ノーコメントで」
おでんが美味いのか、日本酒が美味いのか、しっかり味の染みた大根を味わいながらそう主張する。
「まぁ、お姉ちゃんほど献身的なパートナーってそうそう見つからないと思いますけど」
「逃しちゃダメだよ〜」
「善処する」
俺の皿が空いたのを確認した愛理が、何も言わずに欲しい具を盛ってくれるのを見ながらそう返した。
その後もおでんをつつきながら酒を飲み、気がつけば十一時を過ぎていた。
完全に酔いが回ってソファーに身を預けるだらしのない女性同僚の姿に、色気よりも先に呆れを感じてしまう。
「はぁ……ったく、一応ここは異性の家なんだけどな」
無警戒にくつろぐ片桐にそう言えば、彼女は悪戯っぽく笑った。
「ふ〜ん、二人きりなら私に何かするつもりだったんだ」
「モノの例えだよ。それよりそろそろ帰れよ。もう飯食っただろ」
「え〜、やだ面倒臭い」
あまりにも居心地が良かったのか、片桐はクッションに顔を埋めながらそう言う。
「じゃあ、泊まってくか?」
「うえっ!?」
奇声をあげてクッションから勢いよく顔を上げた片桐が、おずおずとこちらを見てきた。
「い、いいの?」
「近いとはいえ送るの面倒だしな。服はシャツがあるし、なければ愛理からパジャマを借りればいいだろ」
さすがにパンツの貸し借りはしないと思うが、ズボンを穿いてるだけマシだろう。そう思うことにする。
「まぁ、問題はベッドが一つ、布団が一式、ソファーしかない点だけど」
客をソファーに寝かせるのは忍びないので、当然その選択肢はない。残りのベッドとソファーで三人。順当にいけば、俺が一人でソファーに寝ることになるだろうか。
「それは問題ですね」
話を聞いていた都が、楽しげに呟く。
「ここは公平にジャンケンで決めましょう」
「わ、私はソファーでいいよ」
「いえいえ、ダメですよ。お兄さんがソファーで寝るつもりなので」
見透かしたように都に言われて、俺は無言で視線を逸らした。
「まぁ、そういうことよね」
愛理もやる気なのか、拳を握っている。
みんなやる気なのを見て、片桐も諦めた様子だ。
じゃあ、と手を上げかけて……。
「ベッドが一つ、布団が一つ、お兄さんと寝るのは誰なのか……ジャンケン–––」
都の余計な一言に緊張が走り、
「–––ポン」
合図によって、それぞれが手を出した。
愛理がグー。
片桐もグー。
俺はパー。
都もパー。
「あ、じゃあ私が勝ったのでお兄さんと寝ますね」
「いやまだ終わってないでしょう!」
「えー、お姉ちゃん負けたじゃん。お兄さんが勝っても負けても一緒だよ?」
「し、指名制!指名制にしましょう!」
そんなことを言っていいのか、愛理はそう主張する。
絶対勝てよ、という意思をそこはかとなく感じたが、何故か都には勝てる気がしない。
「お兄さん」
「……なんだよ」
「お兄さんがグーを出してくれたら、今度一緒にお風呂に入ってあげますよ」
堂々と人前で賄賂を囁く都に、愛理の目が鋭くなる。
「それじゃあ、ジャンケン–––」
考える時間を与える間もなく、都が勝負を始めて–––
「–––ポン」
–––俺はグーを出して負けた。
「……違うんですよ。咄嗟に出ちゃったんですよ」
「じゃあ、お姉ちゃんは美月さんと一緒に隣の部屋で寝てくださいね」
「同じ部屋に布団を敷くに決まってるでしょ」
「え、そ、それって……」
「覚悟を決めて美月さん。ほら、二人きりにする方が問題でしょ?」
「ま、まぁ、確かに……?」
結局、同じ部屋で四人寝ることになった。
このあと片桐さんだけ寝れなかったとか