米倉桜は超がつくほどのお嬢様だ。
今は隠居した米倉源十郎の孫であり、将来会社を背負って立つ人間である。
家柄もよく、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と完璧を体現しており、学園では憧れの存在であると風に聞く。
男子生徒のみならず、女子生徒にとっても注目となっており、非公式ながらファンクラブも存在するとか。
「直人さん……」
そんな誰もが憧れる学園–––否、全国クラスのアイドルが今、抱擁を求めて目の前にいる。
潤んだ瞳を上目遣いに、懇願するように向けられれば。
人の理性を壊すほどの、魅力に取り込まれてしまう。
それを辛うじて阻止した上で、壊れた理性を繋ぎ止めるのはなけなしの倫理観と“絶対に手を出してはいけない娘”という、この国最大級の厄ネタである。
ゆっくりと一歩、さらに距離を詰めた彼女に対して、俺は緊張で高鳴る心臓を抑えつけながら広げた腕で迎え入れる。
その腕が背開きサンタコスによって剥き出しの背中に触れ、僅かに身動いだ桜がその薄い桃色の唇から甘い吐息を漏らすと、胸がざわついて落ち着かなくなった。
「なんていうか……新鮮ですね。直人さんにこうしてもらうのって」
「まぁ、恋人でもなければ普通はしないからな」
「直人さんならいつでもしてくれていいんですよ?」
「……それは俺の首が飛ぶ」
物理的にも“クビ”が飛び、仕事も“クビ”。それは間違いない。
「『ハグ』のついでに、もうひとつお願いをしてもいいですか?」
ゲームとはいえ、米倉のお嬢様と抱擁するというとんでもない状況に更なるスパイスが追加されるらしい。
「おお、もうこの際だからなんでも言え」
「……それじゃあ、頭撫でてください」
あまりにも子供っぽいお願いに相好を崩す。
「わかった」
抱きしめる右手は腰に据えて、左手で髪を梳くように頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じて身体を預けてきた。
信頼し切ったその様子に、嫌な気はしない。保護欲のようなものが、心を擽るように湧いてくる。
「–––ただいま帰りましたわぁぁ!!!!」
「ひゃっ!?」
しかし、そんな湧きかけた感情も、ムードもぶち壊すような勢いで扉が開き、元気よく妹お嬢様サンタが姿を現した。
慌てて離れた桜。その頰は少し赤い。
「……おや、お姉様。どうなされたのです?」
「い、いえ……」
ちょっと残念そうな顔をして、桜は誤魔化すように目を逸らす。
「そ、それより楽しかった?空の旅」
「もうさいっこうでしたわ!」
満面の笑みで言う翠だが、その後ろにはげっそりした京介がいる。何やらとても疲れ切った顔だ。
「お疲れみたいだな」
「……」
返事がない。ただの屍のようだ。
「ほら、あそこに黒川」
「はっ!?」
現金なことに復活の呪文は効果覿面らしく、京介は意識を取り戻す。
それを確認した桜が、ポンと手を打った。
「さて、それではみなさん揃ったことですので。プレゼント交換会を始めましょう♪」
九人全員が揃い、輪になって座る。
中央には様々なラッピングの施されたプレゼントが九つ。俺達が各自用意した交換用のクリスマスプレゼントだ。
ルールは簡単、音楽に合わせてプレゼントを回し、音楽が止まったらそれが自分のものになる。もし自分が用意した箱であれば、自己申告をして他の人と交換できる。
「それではミュージックスタート♪」
桜お嬢様の弾むような声に合わせて、部屋に控えていたメイドさんが音楽をかけた。
スピーカーからBluetoothにて流される音楽は、どこかで聞いたような冬の定番ソング。タイトルは思い出せないが店に行けばよく聞くようなやつだった。
全員が全員、楽しんでるわけじゃない。
楽しんでいる七人とは違い、約二名が真剣な表情。
京介と翠だ。
想いは違えど、絶対に好きな人のプレゼントを引いてやるという意思を感じる。
音楽が止まった。
それと同時にプレゼントが決定する。
「はい、決まりましたね。自分が用意したプレゼントである方はいませんか?」
桜の確認に全員が静かに反応を返す。どうやら自分のプレゼントが回ってきた人はいないようだ。
「それでは開封してみましょう」
誰が誰からプレゼントを貰ったのか。
早速の答え合わせが始まる。
誰から開けるのか。こういうのは順番に開けたら面白いと誰が言ったのか。
「まずは私から開けますね♪」
トップバッターは主催の桜お嬢様。
ラッピングのリボンを外し、包装を綺麗に解くと中身を取り出す。
その所作が、あまりにも綺麗でつい見惚れてしまう。
そして、皆が注目する中、出てきたプレゼントは何やら丸い置物のようなもの。
「これはスノードームですね。ふふ、とても可愛らしい」
「あぁ、それ私ね」
「こんな素敵な贈り物をありがとうございます」
「……いえ、気に入ってくれたのならよかったわ」
愛理からの贈り物らしく、それを手のひらに乗せて無邪気に喜ぶ桜は丁寧にお礼の言葉を述べる。
ただお嬢様に贈ることになった愛理は、気に入られるかどうか気が気じゃなかったらしい。ほっと息を吐いていた。
「じゃあ、愛理からの贈り物が出てきたし」
「私が開封するのね」
緊張した面持ちで愛理が自分のプレゼントを開封する。
すると出てきたのは、赤いマフラー。
「あ、それ私が買ったやつだ」
「美月さんから?」
「うん。結構長めだから、二人でも使えるよ」
「〜〜〜っ!?」
突然の不意打ちに愛理が頬を赤くする。小さくお礼を言って、何故か俺の方を見てきた。片桐と一緒に。
「にやけんな。次お前の番だぞ」
「おっと、そうだった」
片桐が自分に回ってきたプレゼントを開封する。
そうして出てきたのは、暖かそうな白い手袋。
「あ、それ私ですね」
「都ちゃんのか〜、大事にするね!」
そう言って早速手につける片桐。
今度は都だ。
手際よくリボンと包装を剥がすと、その中から出てきたのは何やらまた紙袋。
「それは私がお贈りした紅茶の茶葉ですね。お気に入りなんです」
「スイーツと相性がよさそうですね。ね、お兄さん?」
ちゃっかりおねだりしてくる都に「また今度な」と返す。明日にでも買わされそうだ。
「ただ残りは五人、流れ止まっちゃいましたね」
次は誰にする?と都。
さっきからハラハラとした様子で見守っている京介と翠を悪戯な笑みで見やる。
これ以上は我慢できないといった様子だ。
「まあ、最後に開けたのはおまえだしおまえが決めればいいんじゃないか?」
「じゃあ、誰にしようかな〜」
唇の下に手を当てて、考え込むように斜め上を見る。
焦らすような仕草のあとで、悪戯っぽく笑むと–––。
「鈴音お姉さんで」
–––堂々と二人をスルーした。
「じゃあ、開けるね」
宣言して開封に取り掛かる黒川は、綺麗に包装を剥がしていく。そうして出てきた小箱から、何やら小さな箱のようなものが出てくる。
「あぁ、それはわたくしが購入したオルゴールですわね!」
「ふふ、生徒からプレゼントを貰うってなんだか新鮮だね。ありがとう」
お礼を言って、早速入っていたゼンマイを取り付け回す。すると流れてきたのは–––。
「ダ、ダ、ダ、ダーン♪」
–––という音楽で、それに合わせて黒川は可愛らしく口ずさむ。
しかし、すぐにはっとして恥ずかしそうに俯いた。
「うぅ〜……記憶から消して。特に藤宮君」
「なんで俺だけ……?」
思わぬ醜態(可愛い)を晒してしまった黒川だが、それをフォローして「次に行きましょう」と愛理が言う。
「ついにわたくしの番ですわね!」
満を持して、と言わんばかりに翠が立ち上がる。
欲しいプレゼントが誰かの手に渡る恐怖に怯えながら。一人、また一人と“ハズレ”を引いていくのを見守りつつ、残るは五つ。自分のを省けば四分の一の確率だ。
翠はおそるおそるリボンを解き、包装をゆっくりと剥がしていく。そうして出てきたのは黒く上品な“手袋”だった。
「……」
それを見た翠は、プルプルと肩を震わせた。
俯き、手で大事そうに抱え込み……。その手を、天へと突き上げた。
「–––やりましたわッ!」
何かを確信した様子の翠に、片桐と桜だけが首を傾げる。
その意味を知るのは、あの姉弟の深い絆というものをよく知るものだけだ。
「……で、誰のかな?」
「……俺のだよ」
揶揄うように言うと、京介が目を逸らしながら申告した。
「うふふ〜、さっきは唇も温めていただきましたし、これは手も繋ぎたいということですわよね!」
早速手につけて頬擦りする姿を全員が見守る中、とんでもない発言が飛び出し京介に視線が向かう。
本人は居た堪れない様子で視線をあさっての方向に逸らし逃げた。
「ほ〜う、やることやってんだな」
「あ、兄貴に言われたかねぇよ」
–––っていうか、あいつ完全に黒川のことは諦めたのだろうか?
「あれから逃げれたらこうはなってない」
「まぁ、確かに」
俺も似たようなことは心当たりがあるので深掘りはしない。掘られたら困るようなことしかないので。
「さて、次はおまえだけど」
「わかってるよ」
刺さる視線から逃れるようにプレゼントに視線を落とし、リボンを解くと包装を剥がしていく。
中から現れたのは、長方形の小箱。表紙には花の絵が描かれており、パッと見ただけでは何かわからなかった。
「あ、それ私」
「えっ?」
「お気に入りの入浴剤のセットだよ。仕事で疲れた時とかよく使ってるんだ」
そう言って微笑むのは、初恋のあの人。
「受験勉強とかで疲れることもあるだろうし、リラックスしたい時に使ってね」
「うっ……うん」
聖母のような微笑みに貫かれて、京介は赤面する。……忘れるには時間が掛かりそうだ。
「さて、残るは二人ですね」
メトロノーム並みに揺れる恋心を見せる弟を放置して、都が残る俺と冬海に視線を向ける。何やら乾燥した冬に似つかわしくない湿度の高い視線を感じるが、俺は気づかないふりをしていた。
「もう同時に開けてしまいましょう」
誰が贈ったかのドキドキはもう得られそうにない。
そう判断した都は、さっさと開けるよう促した。
俺と冬海は、視線を送り合い示し合わせて同時にリボンを解く。僅かなズレを修正するように相手を待ち、また同時に包装を丁寧に剥がした。
出てきたのは、縦長の長方形の箱。
お互いに同じ。なんなら箱のデザインも同じだ。
たぶん、買った店も同じ。
箱を開ければ、円筒状の見慣れたものが出てくる。
アズライトと同じ色のマグカップ。–––冬海雪菜の瞳の色だ。
あちらでは同じように箱を開けており、ひょっこりと顔を出したクマの顔に驚いている。
翡翠色のマグカップから顔を出した、ミニサイズのテディベアを見て、雪菜は予想以上に驚いていた。
「くっくっく、どうした?」
「……油断しました」
いつもは無愛想に無表情を貫いていた冬海が、柔らかく微笑む。
「先輩、ありがとうございます」
「ん。俺もありがとうな」
「私もこのクマ、先輩と思って大事にしますね」
「……マグカップも大事にしてくれ」
含みのある言い方で惑わしてくる冬海に、俺はそう返すのが精一杯だった。
クリスマスプレゼントの交換も終わり、パーティーの全日程がほぼ終了する。
時刻は八時を過ぎており、もうすぐ楽しい夜が終わる。
各々が好きに残りの時間を過ごす中、俺は一人壁際のソファーに座りながらある一点を見つめていた。
「な〜に見てるんですか?」
そんな俺の背後から、ソファーの背に手をついて覗き込んできたのは都だった。
俺の視線の先、楽しそうにカードゲームをしている桜と背後で見守るメイドの構図を読み取ると、そのまま背後からぎゅっと首に手を回してハグしてくる。
「またメイドさんですね。お兄さん好きですね〜、メイド。あぁ、好きなのはメイドさんじゃなくてぇ〜」
勿体ぶるように言葉を伸ばすと、先程までのふざけた態度とは違って声音が真剣になる。
「……冬海さん、ですよね」
はっきりと告げられた名前に俺は動揺するでもなく、軽くため息を吐いた。
「まぁ、嫌いじゃないけど」
「大人ですねー。もう少し動揺してくれてもいいじゃないですか」
「ガキじゃないんでな」
「大人だから、過ちは許されないと。そういうことですか?」
「話を飛躍させるな」
「ふふっ、手強いですね」
戯けるように笑って、そのままソファーの前に回る。
「そんなことよりお兄さん。少しだけお時間いいですか?」
「なんだ?」
「ここでは内緒話できないですし、せっかくですので外のクリスマスツリー見に行きましょうよ」
「寒いから出たくないんだが。っていうか、ここから見えるだろ」
「私は近くで見たいんです。それに寒いのは私の方ですよ。見てくださいこの露出!」
そう主張した都の格好は、オフショルミニスカサンタである。外に出れば寒いのは間違いない。
「ならむしろ外に出るべきではないのでは?」
「私はお兄さんとクリスマスツリーが見たいんですよ。なんでも一緒に見たら永遠を誓い合うカップルになれるそうです」
「そんな噂が立つほど、この屋敷に人来ないだろう」
「メイドたちの間ではもっぱらの噂らしいです」
発端はメイド、という微妙な情報に眉を顰める。その間にも都はぐいぐいと腕を引っ張ってきた。
「ほら、は〜や〜く〜」
「わかったから引っ張るな。ちょっとだけだぞ」
都に誘われるままソファーから腰を上げて、部屋から出る。
玄関から外へ出て、大広間から見えるクリスマスツリーの前へ。
かのツリーは見事な装飾がされており、電飾によって素敵なライトアップがされていた。
「凄いですね。樹齢何年でしょう」
「さぁ、木のことはわからないからな」
適当な返事をして、木を見上げる。
「綺麗ですね」
「そうだな」
「やっぱり一緒に見るのはお姉ちゃんがよかったですか?」
「……」
「それともメイドさんとか?」
揶揄うような、真面目なような、曖昧な都の挑発に俺は言葉を発することができなかった。いつものように揶揄うようなものだったら冗談を返していたが、なんとなくそれができなかった。
「……そんなことより、なんで連れ出したんだ?」
「あー、そうやって話逸らす。大人って狡いですよね」
「子供だって話逸らすだろう。癇癪起こしたりとか」
「それは大人もじゃないですか?」
否定はしない。だけど、自分は違うとだけ言っておく。
「まぁ、いいですけど。別にお兄さんがどう考えていようと」
「そうかい」
クリスマスツリーの下にはベンチが設置してあり、俺は外気で冷えたその上にどっかりと腰を下ろす。
それを見て何を思ったのか都は、俺の膝の上に乗っかってくる。それも向き合うような形で。抱きつくような姿勢で肩に手を置いて、あろうことかとんでもないことを囁く。
「お兄さん、腰支えてください。落ちちゃいますから」
まるで抱き合うような姿勢になってしまった俺達だが、恋人でもなければ愛人でもない。
わざとらしく太腿で胴体を挟んでくる都に、雄としての本能が騒ぎ出そうとしていたが理性で抑えつける。
「なにしてんのおまえ?」
「だって、そんな冷たいベンチなんかに座ったら身体冷えちゃうじゃないですか」
言い訳にも一理あったので、俺はそれ以上文句は言えなかった。
しばらくの間、そうやって見つめあっていただろうか。不意に頭突きをするようにおでこを俺の胸に押し付けてきた。
「……実は、個人的にお兄さんにプレゼントがあるんですよ」
「プレゼント?」
「これだけは他の人にはあげられませんので」
何故か緊張した様子で言う都に、俺も緊張する。
「……目を瞑ってください」
何かを持っているようには見えない。
ポケットに何かあるのだろうか?
そんな疑問を浮かべながら、俺は素直に従った。
目を閉じると、電飾も、星の光も、月の光も消える。真っ暗闇の中でただ待つ。
数秒、あるいは数分にも感じられる時間。
それは起こった。
「っ!?」
唇に触れた柔らかくも温かい感触。
一瞬のことだったが、驚いて目を見開いて……そこには真っ赤な都の顔。
いつもとは違う本気で恥ずかしがっている姿に、彼女がいったい何をしたのか想像に難くない。
「……私の、ファーストキスです」
消え入りそうな声が夜に響く。そこで限界がきたのか都は脱力して身体を預けてきた。
「……怒りますか?勝手なことをして」
「なんで怒るんだよ?」
「いや、お姉ちゃんは怒るかな〜と思いまして」
「見られたら大変だな」
「そうですね。……でも、手遅れみたいですけど」
都があらぬ方向を見て言う。
彼女が見ているのは、屋敷の方角だ。
「こわーいお姉さんが見てますよ」
窓に張り付くようにこちらを凝視する愛理の姿を見つけて、都はいつものように悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……今日はとても熱い夜になりそうですね」
どこか他人事のように呟く都に、同意するように苦笑することしかできなかった。