八月中旬。天気は快晴。
その日は、米倉のメイド総動員で朝から忙しなく準備に追われ、まだ太陽の昇らぬ時間帯からメイド達は早起きをして仕事を始めていた。
今日は、米倉源十郎氏主催のBBQ大会が行われるのである。
まだ小学生四年生であった私も、ようやくパーティーの準備などの手伝いを任せてもらえるとあって張り切っていたのだ。前日には早寝して、翌朝に母親に起こされるという失態はあったが、なんとか現地入りを果たした。
午前八時には食材の手配、会場の設営が終わり、もう間も無く開催時間というところで最終チェックを行なった。
私が担当するのは、BBQコンロの十四番。
調理をして提供する役割を与えられていた。
初めて与えられた大役に私はつい張り切り過ぎてしまい、今か今かと来場する来賓達の姿を待った。
そして、開催時間。
午前九時になると続々と来賓が殺到してきた。
何処かの会社の社長や幹部職。それとその家族など。
多くは妻と子供を連れてきており、主催への挨拶という体で源十郎氏に顔を覚えてもらいにいく役員が殆どだ。
あからさまにお嬢様に近づこうと、こういうアウトドアには似合わない他所行きの格好をした子供も見受けられたが、あの御方は連れてきたお嬢様を紹介しようとはしなかった。
それもそのはず、お嬢様の社交デビューは五歳でまだ年齢を満たしていないから。
思惑を外した人達は、少しだけ残念そうにしながらも切り替えて挨拶を終えると会場に散っていった。
ここで諦めの悪い面倒な人はブラックリスト入り、世渡りを心得ている人は早々に諦めて立ち去るなど様々な反応を見せる。
私のBBQコンロには時折来る客が少なく、私はその様子を見ながら黙々と食材の刺さった串を焼いていた。
「ゆき〜」
そこに可愛い来客があった。
名前を呼びながら、駆け寄り抱きついてくる。
私のお嬢様。
綺麗な桃色の髪に碧眼の愛おしい天使。
そしてそのまま、抱きついてきたお嬢様は可愛らしい目を向けてくる。
「どうなさいましたか。お嬢様」
「あそぼう」
「……すみませんが、私には仕事があるので」
初めて任された大役を放り出すわけにはいかないと、可愛いお嬢様のおねだりを丁重にお断りする。すると少しだけ不満そうに彼女は頰を膨らませた。
「むぅ〜。ゆきはいっつもそう」
口では文句を言っているが、お嬢様は大変に聞き分けが良く諦めたようだ。
そういう手間のかからないところがメイド達には好評で、逆に言えば子供らしくないのだが。
「お嬢様は朝御飯はお食べになりましたか?」
「うん。たべたよ」
「……そうですか」
願わくば私の焼いたものを召し上がっていただきたかったが、もうお嬢様のお腹には入らないだろう。
「いいにおい」
「……食べますか?」
「うん」
しっかりと中に火を通した串焼きから、バラバラに外して皿に載せたものをお嬢様に渡す。お嬢様が来た時のために用意しておいた椅子に座らせて、割り箸を割ってあげた。
「はい、どうぞ」
「ありがと。うー、おいしい!」
はぐはぐと美味しそうに肉を頬張るお嬢様の可愛さに、つい頰が緩む。
そんな幸せの時間に水を差すかのように、あいつはやってきた。
「すげぇ。本物のメイドだ」
コンロの方に振り返ると、向かい側には何故か水浸しの少年。服も髪もまるでそのまま川に飛び込んだかのようにずぶ濡れだったのだ。
「……私には、あなたの方が奇妙に映るのですが」
「ん、なにが?」
「なぜ濡れているのです?」
「川に飛び込んだから」
馬鹿なんだろうか。……本当に男子の考えることはよくわからない。
「ところで食っていいのこれ?」
「ご自由にどうぞ」
コンロの上で焼いている串を指して、少年は言う。
しっかりと確認をしたあと、彼は串を手に貪るように食べ始めた。
「む、うまっ。何この肉!?」
「国産黒毛和牛のA5ランクですから。当然です」
「焦げてないのも凄いし、中までしっかり火が通ってるし本当に美味い」
「別に難しいことでは……」
「俺がやったらまずこんがり焼くから焦げるんだよなぁ」
調理技術が褒められて、少しだけ嬉しくなった。
馬鹿だとは思ったが、案外悪い奴ではないのかも……。
「こちらも焼けてますよ」
「おぉ、ありがとう」
「それとこちらもどうぞ」
「おぉ、やっぱり美味い肉には米だよな!」
早朝から準備していたおにぎりを手渡すと、少年はさらに喜んでくれた。
追加で串を焼いていると、お嬢様がぎゅっとスカートを握ってきた。
「どうしましたか?お嬢様?」
「ん……」
お嬢様は私を盾にして、少年を見ている様子。
確かによく見なくても目つきが悪くて、怖い印象があるのかもしれない。
それに何故か水浸しだし。
「ふふっ、お嬢様に嫌われてしまったみたいですね」
「ん?ん〜」
少年がしゃがみ込んでお嬢様に視線を合わせる。するとお嬢様はサッと私の後ろに隠れた。
「……可愛いな」
「ロリコンなんですか?」
「可愛いものに可愛いって言って何が悪い」
「同級生の女子に言えますかそれ?」
「無理に決まってんだろ」
お嬢様は可愛い。それは少年にも伝わったらしい。
彼はお嬢様との意思疎通を諦めて、再び串を手に頬張り始めた。
「つか、肉もそうだけど野菜も美味いな。このピーマンとか玉葱とか」
「当然ですよ。料理長が厳選した食材なので」
「料理長……?」
聞き慣れない単語に首を傾げる少年が面白くて、つい笑みが溢れてしまう。
「……」
「どうかしましたか?」
「いや、おまえ笑うと全然印象違うなって」
「……そうですか?」
普段から冷たいだとかクールだとか同級生には言われるが。少年は一体どういう風に感じたのか。
「……綺麗なのに可愛い」
「……」
そんな言葉を初めて送られて、心臓が止まったかのような錯覚を受ける。
「なぁ、その肉焼き過ぎじゃねぇ?」
「あっ、そうですね!」
慌ててひっくり返せば必要以上に焦げ目がついていた。
なんという失態。
「それにしても本当に美味いな」
三つ目のおにぎりと串を両手に頬張り続ける少年の姿に、私は少し呆れながらも追加の串をBBQコンロの上に置く。
「そういえばあなたも米倉源十郎氏に会いに?」
「誰それ。知らん」
「……このBBQ大会の主催ですよ」
子供とはいえそれくらい知ってると思ったのだが、彼は興味なさそうな顔でもぐもぐと肉を頬張り続ける。
「聞き方を変えます。おじいさんに会いませんでしたか?」
「ん〜、さぁ?うちの親父は仕事があるって言ってなんか偉い人に挨拶しに行ったみたいだし」
「……連れて行かれなかったんですね」
「大人しくしてろって言われた」
「おとなしく……」
ずぶ濡れの姿を再度見て、なんとなく親の言いつけの理由がわかってしまう。
「挨拶に連れて行くと確かに邪魔になりそうですね」
「失礼だな。挨拶くらいちゃんとできるっての」
そう言って、お嬢様に再度視線を合わせる。
「げっへっへ、お嬢ちゃん可愛いね。お名前なんていうの?」
「こういう怪しい人には近づいてはダメですよお嬢様」
見るからに怪しい人を演じ始めた少年に近づかないよう、私はお嬢様に言って聞かせた。
「じー」
私の後ろに隠れて、少年の観察を始めるお嬢様。
そういえばお嬢様にとっても、米倉邸に来る客とは別の初めて接触した人間だ。外の人間が新鮮なんだろう。
普段はお転婆で庭を駆け回ったり、隠れてメイドを困らせたりしているお嬢様らしからぬ反応だ。
「……」
こちらも負けじと見つめ返す少年。
しかし、お嬢様は私から離れない。
「……俺、子供には好かれる方なんだけどな」
「まぁ、精神が子供っぽいですからね」
「否定はしないが。そういうおまえは子供っぽくないよな」
「よく言われます」
「でも、正直凄えと思うよ」
「なにが」そう問う前に、「また食いに来る」と言って彼は手を振って離れていった。
しばらくの間、お嬢様は私に引っ付いて離れなかった。
ただそうしている間、川で遊んでいる子供達の方が気になったのかそちらをじっと見つめている様子だった。
「川で遊びたいんですか?」
「!うんっ」
「それじゃあ他のメイドに頼んで、準備をしてもらいましょうか」
「えー、ゆきとあそびたい」
「私はお仕事がありますので」
それに川で遊ぶのなら、子供の私ではなく大人に見ておいてもらった方がいい。
お嬢様の水着姿を近くで眺めたいが、この業務は放り出すわけにはいかないのだ。私は断腸の思いで決断する。
ほどなくして他の先輩メイドに連れられて、お嬢様はお召し替えに行ってしまう。
そうするとまた私は一人、BBQコンロで肉を焼く。
遊ぶこともなく。友達を作ることもなく。少しだけ水辺の彼らが羨ましく思うも、私にとってお嬢様専属のメイドは何にも代え難い立場だ。
「……あつ」
それにしても暑い。先輩メイド達は何食わぬ顔でメイド服を着ているが、私は汗でぐっしょりだ。下着もべたべたで気持ちが悪い。どうせなら私も水着になってやりたい。
–––そう。例えば、今も川で浮き輪に乗ってぷかぷかと流されているお嬢様のような……。
「–––お嬢様ッ!?!?!?」
ワンピースタイプの水着を着て、意気揚々と浮き輪に乗って流されていく。
当人はわくわくキラキラとした笑顔を浮かべて、私と視線が合ったことを確認すると元気に手を振ってきた。
何が怖いって、お嬢様はまだ泳げないのだ。習うのは、もう少し大きくなってから。だからメイドがそばについているはずだが、お嬢様の着替えを手伝っていたはずのメイドは今ようやく流されているお嬢様を見つけたところだった。
「–––っ!!」
反射的に飛び出した私は、トングも放り出して駆け出す。
大きめの石がゴロゴロと転がる川辺をブーツで蹴った。
道の先に、一メートル弱の小岩がゴロゴロ転がる岩場があった。乗り越えるのも一苦労で、もたついてしまう。
その間にお嬢様が流されて、ついには道が途切れて目の前には森が広がっていた。お嬢様の姿も見えない。
「そんな……」
追跡が困難になり、膝から崩れ落ちる。
川に飛び込むか。いや、この服では沈むかもしれない。ブーツも脱げない。
冷静な部分の私が、そう言って止める。
それでもやるしかない。私はそのまま川へ飛び込んだ。
「はぁ……はぁ……」
沈みかけながら、なんとか流れに身を任せる。
溺れているような感覚で、なんとか息を繋ぐ。
それでも前には進んでいた。
ブーツが水を吸って、水を汲んだバケツのように重くなる。
息継ぎもできなくなって。そうして、私は……。
……嫌だ。死にたくない。誰か助けて。
必死に踠いて、腕を動かした。
必死に踠いて、足も動かした。
でも、水面に浮上できない。
地に足がつく。跳ぶ。届かない。
「ガボォっ!?」
ついには口に水が入り、肺に残った最後の空気が抜けていく。
太陽の光を反射する水面に手を伸ばして、届かないことを確認する。
お嬢様も同じ川で溺れているのだろうか。
そう思った刹那、私の腕を力強く何かが掴んだ。
「ッ!?–––ガホッ、ゲホッ、ハァッ!?」
水面に急浮上する身体。そうして瞬く間に水揚げされて、私は誰かに担ぎ上げられていた。
「ゆき〜」
肺から水を吐き出している私に、駆け寄ってくる天使の姿。
思わずここが天国かと思ってしまった。
先に逝ったお嬢様が、迎えにきてしまったのかと。
「……お嬢様?あぁ、私はもう……」
「だいじょうぶ!?」
「えぇ……あぁ……はい……そうですね……?」
身体が冷たい……のだが、何故か陽が熱い。身体も重い気がする。
「大丈夫か?」
「あなたは……」
少年がいた。正確には少年が私を担いでいた。
「どうしてあなたが……?」
「ん〜、話すと長くなるんだがな。最初に川で遊んでた時にいい場所見つけてよ。石打漁して遊んでたら、そこに桃みたいなもんが流れてきてな。拾ってみたらそこのチビだったんだよ」
「そんな桃太郎みたいな……」
「そこに今度はメイドが流れてきたってわけだ」
「はぁ……」
助かった理由があまりにも馬鹿すぎて力が抜ける。川原に下ろされて、地に足ついた私はようやく助かった実感を得た。
「あなたって本当に馬鹿ですよね」
「そんな泳ぎづらそうな服で飛び込んだおまえに言われたくない」
「……そうですね。ありがとうございます。助けてくれて」
素直に礼を言うと、虚を突かれたような顔をする。
「それより大人達が心配してるだろうし、おまえらを送り届けないとな」
照れたように顔を逸らして、少年は言った。
「ほら、こっち来い。帰るぞ」
「うん!」
お嬢様が少年に駆け寄る。
そうして、手を繋いだ。
ここまで仲良くなっていることに私は驚いた。
少年は気にした様子もない。
いや、少しだけ嬉しそうに見える。
「腹減ったな。戻ったらまだ肉残ってるかな?」
「夜まで持つように準備してありますので、問題はないかと」
「わたしもたべるー!」
いつものように元気なお嬢様に、私もつい頰が緩んだ。
このあとお嬢様は一日中少年と一緒にいた。
川での遊び方を教えて貰ったり、一緒にBBQを楽しんだり。
奇跡的にも、私達は名乗り合うことはなく。
別れるその時も、私達はお互いの名前を知らず。
そんな彼と二度目の“はじめまして”を大学ですることになるのだが、この時の私はそんなことを知る由もなかった。
ちなみに言っておきますが、あの人も覚えてなければ冬海さんは話題にしてもいません。幼い故にお嬢様も覚えていませんでした。