屋敷の3階に、一際大きな扉がある。そして扉の中にはそれに輪をかけて大きな寝室があった。部屋のすべてを真っ白に塗り固め、天井からは大きなシャンデリアが垂れ下がっている。ミッテルトを閉じ込めた男、すなわちこの屋敷の主の部屋だ。
部屋の隅には、何十個もの同じ形の瓶が置かれてある物置きがある。そのすぐ下のキングサイズのベッドで、男は気持ちよさそうに眠っていた。素晴らしい夢を見ているのだ。
男はドリルを持っている。ドリルは命乞いをするクソガキの右手を刺し抜く。クソガキは泣き叫び、男は笑う。そして左腕を槍で突き刺す。仕上げは両脚を鈍器で砕く。ガキは動けなくなる。そして泣き叫ぶ。
「ウチの話を聞いて!!!」
男は答える。「昔からよく言うだろう?死人に口なしだって」……
誰かが男を呼ぶ声がする。男は起きる。だが、目は覚めきっていなかった。
「お話があります」
安眠を妨害された男は怒り狂っていた。ふざけるな。一体何時だと思ってるんだ。一番いいところで起こしやがって。
「後にしてくれ、今はいいところなんだ」
「本当に大切な話なんです」
「五月蝿いな、誰なんだ?」
「アンタの娘よ」
男の眼は覚めた。
---------------------------------------------------------------------------
1時間前、ミッテルトは牢屋の中で泣いていた。
ウチはまたひとりぼっちだ。ウチは死ぬんだ。明日、毒を飲まされて死ぬんだ……
この牢屋の壁は、彼女の光槍をいくら当てても傷一つ出来やしなかった。今は何時かも分からなかった。何か逃げ出すための道具も何一つない。あるのはただ、四方を覆う何かの金属で出来た灰色の壁と同じ灰色の覗き窓が付いたドアだけだ。
ウチは一体何が、ずっと周囲の奴らを信じてきたことの、一体何がダメだったんすか?
その時、ミッテルトにある考えが浮かんだ。
いや、それがそもそも違ってたんだ。
「信じる」ってことがダメなんだ。
今までウチが人の言葉に従って、何かいいことあった?
ない。ある訳ない。
今までもないし、これからもないだろう。
ウチはずっと一人なんだ。
信じられるのはじぶんだけなんだ。
そうだ、いっその事あいつを……
だが、ミッテルトはすぐにそれを打ち消した。
あまりにもダメな考えだ。何でウチが、あの男と同じレベルに堕ちなきゃいけないんだ。
誰かを殺す奴はカスだ。相手のことを知らずに勝手に判断する奴はもっとカスだ。これ以上ないほど最低な奴なんだ。
ウチは確かに弱い。アタマも弱いし、運動神経も、光力もない。
でも、ウチはカスじゃない。
カスなんかになってたまるか。あんな男の言いなりになってたまるか。
ウチは今まで後ろばかり見てきた。これからは、ずっと前に進むんだ。
ウチはまだ2回裏切られただけじゃないか。3度目の正直。こんどはウチから喋って説得するんだ。そうすれば、きっとわかってくれる。
アイツも私と同じ、ひとりぼっちなだけなんだ。
いや違う。どんな時だって、外の世界とはつながっている。ただ、それは皆当たり前だと思っているから、気付かないだけなんだ。
この部屋だって、ウチが勝手に、「ひとりぼっち」だと思い込んでいただけじゃないの?
ミッテルトは外部と何らかの形で繋がれる場所を探し、それをすぐに見つけた。
鋼鉄の扉に取り付けられた覗き板だ。
ミッテルトが覗き板を押すと、板は難なく開き、向こうの景色が見えた。
よっし。さあ、次は何とかして扉を開けよう。どうすればいいか落ち着いて考えるんだ。閉じ込められる前のことを思い出すんだ。
そうだ。あの男はどのようにして扉を閉めたんだろう?鍵はかけていない。そんな音じゃなかった。
じゃあ何でこの扉は閉まってるの?
ミッテルトは考えた。電子ロックか?そうだったらお手上げだ。でも、違うだろう。扉は昔から作られているものだった。魔力や光力の類?いや、だったら音が出るはずがない。だったら答えは一つしかないじゃないか。
かんぬきだ。外からかんぬきをかけたんだ。
かんぬきを開けるにはどうすればいい? 考えるまでもない。扉と壁にまたがっている、扉を固定している棒を外せばいい。でも、覗き穴を通して棒を外す道具は部屋にはない。そもそも部屋には何もないんだ……
お手上げじゃんか。
バカ!何を言ってるの!
ウチは今、決めたんだ。もう振り返らないって。ずっと前に進むって。
道具がなければどうすればいい?決まってる。
作るんだ!
ミッテルトは自分の純白のロリータファッションを破り捨てた。破った布は、細く、そして長かった。その後、光槍を作り出した。槍は強度より、それ自体の持続時間を重視したものだ。何故かは言うまでもない。
かんぬきの扉を固定している棒に、光槍の先端を引っかけて外すんだ。
急いで光槍を破った布に括り付け、覗き窓から垂らしてゆく。
いつアイツが戻って来るか分からないんだ。急がなくちゃ。
カンッ!!
マズい。光槍と扉がぶつかる音でアイツが目を覚ましてしまう。慌てず、急いで、正確にやるんだ。
だが、もう一度挑戦しようとした時、光槍は消滅してしまった。ミッテルトは思わず毒づいたが、決して弱音は吐かなかった。何度も何度も光槍を作り、かんぬきの棒に引っかける努力を繰り返した。
そして8回目の光槍を垂らしたとき、ミッテルトは先端部分が何かに引っかかる感触を感じた。喜ぶ気持ちを抑え、光槍をゆっくりと上に持ち上げる。
カラン……
何かが向こうの部屋の、コンクリートでできた床に落ちる音がした。小さな音だ。しかしミッテルトにとっては、何よりも大きな音だった。
ミッテルトはゆっくりと金属の扉を押した。扉は音もなく開く。
やってのけた。とうとう、やってのけたぞ。ウチは勝ったんだ。
男はやはり間違っていた。ミッテルトはただのクソガキではなかった。
ミッテルトは急いで部屋を出て、地上へと向かう階段を上り……
男の前に立っていた。
「大事な話だっていったじゃないっすか」
「どうやってあそこから……」
ミッテルトはそれに答えなかった。
「いっとくけど、ウチを殺そうと思ってもムダよ。ウチが警察を呼んだから」
最も、警察を呼んだのはあくまでをミッテルトが殺されないための保険に過ぎない。男が一言でも謝れば、ミッテルトは警察に間違いだったと連絡するつもりだった。
だが、男の反応はミッテルトの想像とは180度違っていた。男は笑ったのだ。勝ち誇ったような声だった。
「何がおかしいの?」
「何もかもさ。俺はお前を殺そうだなんて考えてなんかいない。そんな馬鹿なことをするものか。俺はお前なんかとは違う。そして、お前はもう終わりだ----」
「どうゆうこと?」
「なぜ、お前が俺の子であることが皆に暗黙の了解のように分かってても、俺は何もされなかったのかな?どうして俺がお前を殺すことを、この屋敷の者を止めなかったのかな?バカなお前は考えたこともないだろうな」
「何がいいたいの……」
「警察は全部俺の部下なのさ。お前は警察なら信用できると考えたんだろう?砂糖みたいに甘い奴だ。そんな調子だと、いつかあの薄汚い堕天使に堕ちてしまうぞ」
「そして、
いくつもの足音がする。警察の奴らがこっちに来る音だ。でもその音はあの男ではない。ウチを捕まえに来ているんだ。何もしてないウチを……
ミッテルトは自分がもう終わりなのだと感じた。しかし、どうしてもやりたいことがあった。
「……殺してやる」
「何かな?」
「殺してやる!!!」
「やめておけ」
その言葉にかまわずミッテルトは光槍を作り出して突撃した。コイツだけは、コイツだけは許せない。堕ちたって、死んだって構うものか。
だが、男は何もしなかった。彼女の槍は何の抵抗もなく男の腹に突き刺さった。ミッテルトは、何故男が何の抵抗もしなかったのかが分からなかった。だが、その疑問は瞬く間に氷解した。
ハッタリだ。
警察が俺の部下だとか言うのは、全部ウチを逆上させてアイツに攻撃させるためのハッタリだったんだ。ウチを堕とすための……
「刺してくれてどうもありがとう。だからお前は馬鹿だと言ったろう……」
ミッテルトは堕ちた。
------------------------------------------------------------------
堕天使になったミッテルトは変わった。白いロリータファッションは黒いゴシックロリータになった。純白の翼は暗闇色の汚れた羽になった。
女子の皆が雛祭りで華やぐとき、ミッテルトは一人で路地裏に座っていた。彼女にとっては、3月3日も12月25日も何も変わり映えはしない。ずうっと一人だ。
目の前に、一人の帽子を被った中年の男が来るまでは。
その男は彼女の前でじっと辛そうな顔をして立っていた。ミッテルトは男があくまで「辛そう」な顔をしているだけで本当はなんとも思ってないことを本能で感じた。
ミッテルトは「あっちに行け」という無言のオーラを出したが、男は話しかけてきた。
「なんで、君はそんなところに座っているのかな」
うるさい。ウチに「誰にも頼る人がいないからです、助けてください」とでも言わせるつもりなの?
「まあ、話したくないなら別に話さなくてもいい。私は君に心から同情しているんだがな。分かってもらえなくて残念だよ。ところで、君は食べ物を欲しそうな顔をしているじゃないか。そうだろう?そら、食い物だ。良ければ受け取ってくれ。毒は入ってないぞ」
目の前にパンが出されたが、ミッテルトは受け取らなかった。男が気に入らなかったのもあったが、どうしても彼の言葉に引っかかるものがあったのだ。
「なんで受け取って食べてくれないんだ?そうだ、のどが渇いているんだな。じゃあ水を出してやろう。ほらどうした、毒はないんだぞ?」
この男が毒のことを強調していることに気付いた時、不安は確信に変わった----
目の前の瓶があの男の部屋に置いてあったのとまったく同じであるとき、確信は恐怖に変わった----
「どうした?父親に挨拶もできないのか?」
ミッテルトの口から出た言葉は挨拶でも、皮肉でもなかった。「やめて……」
「お前はなぜ俺がここにいるのかって顔をしているな? 理由は二つある。一つはお前が呼んだ警察の奴らが、俺の傷が浅いことを疑いだしてな。お蔭でミカエルの野郎にバレ、俺も仲良く堕ちたってことさ」
「やめて……」
「面白いことを言うな。俺の顔をよーく見ろ。やめると思うか?おもちゃを買ってやるような顔に見えるか?」
男の全身に殺気が漲るのをミッテルトは感じた。
ウチがアイツとまともに戦ったところで勝ち目はない。逃げるしかない。どうにか初撃だけ避けられれば……
甘かった。次の瞬間、ミッテルトは地面に体を叩き付けられた。拳を上から振り下ろす動きが、ミッテルトには全く見えなかった。それくらい速い一撃だった。
「助けて……誰か……」
「驚いた。まだ喋れるとは。それに免じて、二つ目の理由を教えてやろう。それはだな……」
その時、男のすぐ後ろから声が響いた。女の声だ。
「私に殺されるためよ」
男はすぐさま振り返った。しかし、遅すぎた。男の胸には一本の光槍が突き刺さっていた。
ミッテルトは何か起こったのか全く分からなかった。だれかがウチを助けたの?まさか。こんなみすぼらしくて弱いバカなアタシを助ける奴なんているはずが……
そのまさかだった。
だが、男は死んではいなかった。自分の胸に突き刺さった光槍を引き抜き、女に向かって右手で突きを繰り出した。顔を狙っていた。女はそれを辛うじて避けた。
マズい。傷を負っていてもアイツの動きの速さは常軌を逸している。ウチを助けてくれた女の堕天使ですら、あの男には敵わない。
ミッテルトは叫んだ。「逃げて!」
女はそれを無視し、両手から光槍を作り出した。
男は素早く両手に光力を纏わせてガードを固めた。当然だ。両手で光槍を作り出したなら、次の動きは右手で斬り付けるか、左手で斬り付けるかしかない。ミッテルトにも、男にもそれは分かっていた。
女はそのどちらもしなかった。
男に向かって突進するが早いか、女は男の足に向かって蹴りを放った。蹴りは男にダメージを与えることはできなかったが、バランスを崩すには十分すぎた。
女はそれを逃がさず、右手の槍で男の腹を突いた。突きはまともに入り、男は叫び声をあげる。続いて左の槍が男の脇腹にもろに直撃し、男は完全に戦意を失った。
それから先は赤子の手をひねるようだった。3撃、4撃と女の攻撃は着実に男にヒットしてゆく。
女のどの打撃もそれほどの速度はない。
しかし、美しさがあった。優雅さがあった。今まで見たどの天使よりも崇高で、どの堕天使よりも妖艶なものがあった。
そして6発目に首筋目がけて女は槍を突き立てようとした。男はすでに蹲っている。
だが、その攻撃は届くことはなかった。ミッテルトが身を挺して男をかばったのだ。
「コイツを殺すつもりなの!?」
「殺すつもりよ」
「ダメ」
「正気?この男があなたに何をしようとしたか分かってるの」
「もちろんよ。でも、アンタはあの男と同じカスになるつもりなの!?」
「……」
「言い方がきつかったらゴメン。でも聞いて。 ウチは天使の時、コイツを殺そうとしたの。最後の最後で、我慢することができなかった。だからウチは堕ちた。ウチはカスになった。コイツと同類になった」
「アンタだけには……ウチを助けてくれたアンタだけにはそうなってほしくない」
ミッテルトは目の前の女性をしっかりと見つめてこう言った。これだけは、何が何でも譲れないことだった。
「分かった。とりあえずこの男は私がグリゴリに連れていくわ。貴方は少しここにいて頂戴」
「……待って」
「何?」
「ありがと。ウチを助けてくれて」
女は優しく笑った。「お礼を言わなきゃいけないのは私の方よ……」
次の日、ミッテルトは同じ路地裏で座っていた。
昨日、ミッテルトを救った女がやって来る。
「どしたの?今日はウチを狙う輩はいないッスよ?」
「そんなのじゃないわ。今日はとっても大事な話があるの」
「なんスか?」
「自己紹介を忘れてたわ。私はレイナーレと言って、『教会』っていう組織のリーダーをしているの」
「で?」
「私と一緒に働かない?」
ミッテルトは言葉を失った。
なんで、なんでウチなんかを?
「え、え~っと……」
「『教会』にいるのは私だけじゃない。結構大人数の組織なの。決して悪い話ではないと思うんだけど」
「いやそうじゃなくって、ウチなんかをどうして?ウチは力もないし、アタマも悪いのに……」
「あなたはとっても優しい」
「ふぇ?」
「優しいことは、この世界で2番目に大切なのよ」
「じゃあ1番は?」
「決まってるじゃない。自分に自信を持つことよ」
「……」
「もう一度言うわ。私と一緒に働こうと思わない?」
答えは分かり切っていた。