ありふれた憧れが、その価値を上乗せした。
かつて焦がれたその日々は、
二度とは戻らない。
突然、オールマイトから電話で直々に呼び出された爆豪は、呼び出された理由も何だかよく分からないまま、道筋を同じくしているらしい相澤先生の運転する車に乗っていた。彼に分かっていることは、彼を呼んでいるのはオールマイトではなくアンジェラであるということだけだ。
同じ車にはガジェットとインフィニットも乗っていたが、車内は驚くほどに静かだった。ガジェットはなんだか居心地悪そうにしてはいるものの、彼もまた、この場で発するべき言葉を持ち得なかった。
「…………フーディルハインは、無事なんだよな?」
ようやっとの思いで言葉を捻り出した爆豪は、しかし当たり障りのないことを聞くことしか出来なかった。誰に問われたわけでもないその問いかけに、インフィニットが口を開く。
「……つい昨日、意識が戻った。左腕の二の腕の中腹から先が丸々失くなっていたが、それ以外には目立った外傷も無い。記憶の混濁や精神病の類も見られないそうだ」
「それを無事と言い切っていいのかは疑問ですけどね。それに……」
ガジェットは何かを言いかけて、口淀む。相澤先生はハンドルを握る手に気持ち力を込めて、どこか不機嫌そうに顔を歪めた。
「言いたいことがあるのなら、言葉にしたらどうだ」
「そうなんですけどね……こればっかりは、僕の口から話せるような内容じゃない。真実は、彼女自身から聞いてくださいよ」
これは、どう聞こうがガジェットは口を割らないだろうなと相澤先生は判断し、これ以上今言及することをやめた。どうせ、間もなく知ることになるのなら、今無理して聞く必要もない。
それ以降、目的地に到着するまでの間、車内に言葉が発せられることはなかった。
『なるほど……取り敢えず、まずは無事で何よりだよ。無事と言い切っていいのかは疑問が残る状態ではあるけれどね』
「それ、色んな人に言われるんですけど。言いません? 命あっての物種って」
「にしても限度というものがあるだろう」
「……はは……」
飾り気のない無骨な会議室に、シャドウのため息と車椅子に座したアンジェラの愛想笑いが響く。この会議室は、GUNの日本支部の一室である。
テーブルの上に表示された仮想ディスプレイに写っているGUNの司令官は、腕一本なくしたというのに相変わらずの飄々とした態度で居るアンジェラに何か薄ら寒いものを感じた。が、事前に聞いた彼女の身の上話と合わせて、そもそもアンジェラが人間ですらなく、人間の物差しで測ろうとすることが間違っていることも分かっているので、とやかく言うつもりもなかった。
「不明瞭な点や分からないことも多いですが、オレから提供出来る情報は全て開示しましょう。協力も惜しみません。目的は同じですから。纏めるのにちょいとばかし時間をいただけると助かります。
あと、情報料として……」
『ああ、分かっている。その件はこちらで処理しておこう。後ろ盾一つで奴らの情報を得られるとは、割安と言わざるを得ないけれど……いいのかい?』
「価値は立ち向ける目線によって違いますから」
GUNの司令官はなるほど、と相槌を打つ。彼らにとっては割安と思っていても、アンジェラにとってはそうではないらしい。
仮想ディスプレイの通話が切れる。アンジェラは車椅子の背もたれに寄りかかって息を吐きながら背伸びをした。
「はぁ〜、結構な無茶を言ったつもりだったんだがなぁ」
「それだけ君が齎す情報はGUNにとって有益なものだ。その条件ではお釣りが発生しかねないほどにはな。
……にしても、いきなり「犬を飼いたい」と言い出した時は驚いたが……アレは、犬なのか?」
「犬だろ? 元から普通のとは違うみたいだし、今は使い魔化してるけど」
「アレは……普通のとは違う、で済ませていいものなのか」
シャドウは思わず頭を抱えた。どうやらアンジェラは「アレ」のことを最初に見た時からごくごく自然に犬だと思っていたようで、そのことを知ったシャドウやソニック達を大いに混乱させた。アンジェラはそういう感性も人間の常識で推し量れるようなものを持っていない。それは分かっているつもりではあったが、今回のは流石に驚くな、と言われても無理がある。
「犬だよ。元々のすがたも、その在り方も」
アンジェラがそこまで確信したように言うのなら、「アレ」は一応は犬に分類されるのだろうと、シャドウは一人ごちた。
「…………」
本日2度目の何とも言えない居心地の悪さに、爆豪は段々と自分が場違いなのではないかと思い始めていた。促されるままに着席した会議室の椅子も、ある程度の品質は担保されているはずなのに、どことなく座り心地が悪く感じる。
それもこれも、眼の前で車椅子に乗り、ケテルと犬にも見える謎の四足歩行の生物とも言い辛いナニカを膝の上に乗せて右手で撫でているアンジェラが、爆豪をこの場に呼ぶことを望んだからだ。オールマイトや相澤先生がこの場に居るのは分かるし、アンジェラと関わりの深いソニック達がこの場に居るのも分かる。
爆豪だけが、アンジェラとはクラスメイト以上の繋がりを持っていないにも関わらず、ここに居る。
その理由を想像しようとしてみても、爆豪は何一つとして心当たりが無く、分からない、と投げ出すことしか出来ない。
だが、彼女が意味もなく自分をこんな重要そうな場に呼んだりしないことも分かっているから、自分から何かを言うことも出来なかった。
ケテルと犬のようなナニカを撫でるアンジェラの目付きは、しかし、今まで見たこともないほどに真剣そのものだった。特に何かをされたわけでもないのに、心臓を抉られるような錯覚を覚えるほどに息が詰まる。爆豪は、こんな空気の中で無邪気にアンジェラに甘える二匹? 二体? に、ある意味関心を覚えた。
「フーディルハイン、何で……何で、俺を呼んだ?」
「無理を言った自覚はあるさ。でも、一番関わりが深かった人物の一人がお前だったから。それを言ったら、開示してもいいってさ」
「ま、許可が降りずともお前には言うつもりだったけど」と、アンジェラは言った。爆豪がその言葉が意味するところを聞き返そうとする前に、相澤先生が苛立ちを隠さぬ声を上げた。
「……フーディルハイン、何がどうしてそんな状態になった?」
「自ら斬り落とされに行き、呪いを浴びました。反省はしますが後悔はしません。後悔することは、あいつの魂に無礼なことだ」
「左腕を失って、車椅子が必要な身体になって、どうしてそんな風に飄々としていられるんだ。いくら雄英生で、その中でも飛び抜けて優秀だとはいえ、お前はまだ」
「子供だと。ええ、正論ですね。全く反論する余地はない。反論する気にもなりません。
それをぶつける相手が、人間であれば、ですが」
「……は?」
相澤先生は、爆豪は、自分の耳を疑った。アンジェラは凍りつくような冷たい視線を二人に向けている。そこに感情などは無く、ただ無機質な声が彼らの脳内で反響する。
……まるで、アンジェラが自分は人間ではないと言っているようだと相澤先生と爆豪は冷や汗を流した。
そして、アンジェラの言葉には何一つとして嘘偽りなど存在しない。
嘘をつく理由など無いのだ。彼女には、何一つとして。
「人間だったものの成れの果てから生れた、人間のすがたをした人間のなり損ない……だったもの。それが、今のオレです」
「それは……どういう……フーディルハインは、人間じゃなくなった、と?」
「違います、元々人間じゃなかったんです。人間だったものの成れの果てから生れた人間じゃなかったものが、生き物かも分からないものに成れ果てた。それだけのことです」
「それだけって……どうして、そう言えるんだ!?」
まるで、懇願するかのような叫びだった。相澤先生がそんな風に感情を剥き出しにして何かを言う所など始めて見たな、とアンジェラは場違いなことを考えながら口を開く。
「そうやって嘆いても、事実が変わる事はない。そもそも、「人間でないこと」はオレにとってはさしたる問題じゃないんです。人間でなくたって、オレはオレだという事実が変わらないのであれば、それはどうでもいいことだ。
人間ですらないものが、人間と同じ精神構造をしているわけがないじゃないですか」
相澤先生は、閉口するしかなかった。アンジェラは全て、真実と事実を語っているだけだ。そこに感情など存在しない。
アンジェラは、人間であることそのものに価値を全くと言っていいほど見出していない。それは恐らく、アンジェラにとっては自分だけでなく他人にも適用されることなのだろう。接した者が人間であるかどうかなど、アンジェラにとっては気にするにも値しない事象なのだ。
価値観の根底が、人間のそれではない。そしてそれは、外野が何を言おうが変わらないものであり、無理に変えさせようとすれば最悪、その心を壊しかねない。
相澤先生は教師としての経験と勘から、そう判断を下し、同時に虚無感と絶望感すら感じた。
本当は、相澤先生が考えるほど深刻でどうしようもない問題、というわけでもないのだが。
アンジェラが元々人間ですらないから、その精神構造の根幹が人間のそれとは乖離しているというのは覆しようのない事実だが、それと同じくらい、周囲に「人間」ですらないものが溢れ返っていたというのもアンジェラが「人間であること」に価値を見出していない理由となっている。宇宙人やら星の意思やらと交流したり戦ったりしていれば、そりゃあ人間がちっぽけな存在に見えても不思議ではない、という話だ。
「アンジェラ、その言い方は誤解を生みかねないぞ?」
「別に、誤解されたとて大して間違って伝わるわけでもないだろ」
「そうじゃなくてな……今の表情と言い方だと、まるでアンジェラが「人間を恨んでいる」ようにも聞こえるかもしれないんだよ。いや、それはちょっと極端だけどさ」
「……お前、今の自分の顔を一回鏡で見てみろよ。キレた時の何倍も冷たい顔してるぞ」
ソニックの指摘とナックルズの呆れたような声に、アンジェラはその表情を一切変えぬまま相槌を打つ。一応、アンジェラは「……別に、そういう意図は無いですからね」と弁明はしたものの、その変わらぬままの表情でその発言を信じろと言う方が無理があるのではないかと、ガジェットは思っていた。
「……そろそろ、聞かせてくれないか。フーディルハインが、俺をここに呼んだ理由である本題を」
「ああ、そうだ。どうでもいいことに時間使っちゃったな」
「君にとってはどうでもいいことでも、「先生」にとっては見逃せなかったらしいな」
「おいお前ら、これ以上先生を責めてやるなって。教師としては当たり前のことだと思うぜ? アンジェラにとっては気にする必要もないことでもさ」
「原因の半分ほどを占める奴が何を言うか……」
インフィニットがぽつり、と呟いたその言葉は、明らかにソニックに向けられたものであった。反論できるようなものではないな、と、ソニックは愛想笑いを浮かべる。実際、アンジェラは半ばソニックに育てられたようなものなので、インフィニットの言葉は間違っていない。
アンジェラは一つ息を吐くと、瞳を伏せる。
其れを話す権利を選ぶことが出来るのは、アンジェラだけだ。ソニック達は既に大まかな概要はアンジェラから聞かされているが、それ以上のことは知らないし、其の中の誰もこのことについて話すことは出来ない。それは、アンジェラが話すなと言ったからではない。「自分にそれを話す権利はない」と、直感的に判るのだ。
金色の、トパーズを思わせる瞳が開かれる。
それが映し出しているのは、この場所であってこの場所ではない。
「……オレはそもそも人間じゃないけれど、オレ達をこの世に産み落とした母は、元々は人間として生きていた。人間ですらないものとして生れるオレ達に、母は感情と記憶の一部を受け継がせた。
それが意図されたものだったのかは分からないし、不明瞭なことも多いけれど。それでも、母に何があったのかは、ある程度なら説明できる。
それを聞いてもらうために、呼んだ。ようやく思い出した、思い出させてもらえた、真実だ。
……そう、あれは……」
そして、左手の義手で髪を結わう黒いリボンを解いたアンジェラは、空色の髪をふわり、と重力に従い落として、幼い声で語り始める。
それは、ある一人の少女の終着点。
天使の策略とヒーローの傲慢が招き引き起こした悲劇。
そして、少女の娘たちの生れた、物語。