闇と呼ぶにはあまりにも深い。
自我の濁流に呑まれ、それでも抗いそして狂え。
狂気も憎悪も憤怒も悲劇も、全部飲み込んでここまでお出で。
彼の身を焼き焦がす、その場所へ。
「ウゥゥ゙……シャアアァァッ!!」
白の装束に身を包んだ少女が、黒い顔なしの異形の化け物の群れをグロテスクなアカイロの眼光で射抜く。咆哮を上げ、異形の内の一体に掴みかかると、息をつく間もなくその腹を左腕の義手で抉り取り、ただひたすらに喰らい尽くす。正義も、悪すらもそこにはない。
ただ、自我の奥底に刻み込まれた本能が、
喰らい尽くせ、と。
殺し尽くせ、と。
眼の前に群れる常世の夜……ワルプルギスを、蹂躙せよと。
「……ああ、足りない。この昂ぶりを止めるには、この程度じゃあ、全然足りねぇッ!」
だが、少しだけいつもと違った。
少しだけ、理性でもって周囲の状況を図ることが出来た。
少しだけ、理性でもって言葉を紡ぐことが出来た。
身体が変わって、自我にも多少なりとも変化が起きたからだろうか。
理由は、定かではない。
だが、ワルプルギスを前にして、アンジェラがやることは変わらない。
ワルプルギスを目に映して、奴らを喰らい尽くさないという選択肢は、どの道アンジェラには存在しない。ほんの少しだけ、周囲に目をやることが出来るようになっただけだ。
大きく開けた部屋の中央に突き刺さったレリーフのようなもの。ワルプルギスと同じような、しかし明らかに別格の威圧感を持つそれを守るように、二足歩行だったり、四足歩行だったり、無駄にバリエーション豊かなワルプルギス共がわらわらと湧いてくる。
その一体一体が、アンジェラには酷く美味そうに見えた。
「ああ……腹が立つ。本ッ当に……腹が立つ……」
理性を完全に手放せず、それでも本能に引っ張られてしまう感覚というのは、こんなにも腹立たしいものなのか。
それでも、ワルプルギスを前にしたアンジェラは、狩人にならざるを得ない。そうあれかしと、本能が叫ぶ。抗えば、心はいとも容易く砕ける。その確信が、アンジェラにはあった。
「ッ、シャアアアアァッ!!!」
咆哮。狩る者から狩られる者への威嚇の叫びが、ワルプルギス共の動きを数瞬止める。主を突き動かす衝動に呼応するかのように、アンジェラの左手の義手から光が溢れ、使い魔達が現れた。特にミミックは、取り繕った犬の姿ではなく、真の姿たるグロテスクな四足歩行の生物のような何かの姿をしている。
「仕事だ、蹴散らせ」
低く、短く発せられた主の命令に、使い魔達は咆哮を上げる。ミミックはその巨体でワルプルギスの群れに突進し打ち上げ、クリスタラックは生成した結晶でワルプルギスを串刺しにし、オブシディアスはその腕力でワルプルギスの手足をもぎ取る。ワルプルギス共も使い魔達の攻撃に抵抗を見せ、使い魔達とワルプルギスは互角の勝負を繰り広げていた。
ミミックに打ち上げられたワルプルギスの一体に狙いを定め、アンジェラは飛び掛かり、黒い液体をぶち撒けながらその黒い肉に鋭い歯を突き立て、噛み千切り、咀嚼し、飲み込み、腹に詰めていく。
やがて辿り着いたワルプルギスのコアを噛み砕くと、ワルプルギスの身体は黒い霞のように掻き消えた。一体喰らい、顔を上げたアンジェラは、どこまでも恍惚とした表情で、アカイロの瞳に底なしの狂気を孕ませていた。
「ふふふっ……アッハハハハハハッ!
ああ、まだまだ……腹が減って、仕方ねぇ!」
アンジェラは次の獲物をその視界の中心に入れると舌なめずりをして、ギラリ、と鋭い犬歯を光らせながら飛び掛かった。
ほんの少しだけ理性が残されているとはいえ、その様はまるで獣の狩りだ。獲物を喰らい、掻き消えたらまた次へ。勇敢にも狩人の首をへし折ろうとその手を伸ばしたワルプルギスの腕を逆に掴み、一切の情け容赦もなしにもぎ取り、そして胸部の肉に齧り付く。黒い返り血を浴びることも一切厭わず、アンジェラと使い魔達は狩りを続ける。ワルプルギスを、喰い続ける。
彼女の腹が満ち足りることはない。喰らい尽くすまで、終わらない。
「果てぬ憧れをその身に宿し、呪いと共に其れは生れた。
その光は、見る者はおろか、常世の夜すらも焼き尽くす……烈日だ」
二対のルビーの瞳が麗日達を射貫く。
「時は来た。真実と向き合え。この世界には、最初から善も悪も無い。
ヒーローだの敵だの、人間が作り出した善悪の概念に、意味はない。
本当の敵と向き合え。善悪などではなく、人間が人間として有り続けるために戦わなければならないものだ。
お前達が人間で有り続けたいのであれば、真にヒーローだと云うのなら、彼の烈日を受け入れてみせろ」
ぐちゃり、ぐちゃり。
狩人と化したアンジェラが黒い肉を咀嚼する音を背景に、ワプトはヒーロー達へ皮肉をたんまりと込めた視線を向けながら告げる。
ワプトはヒーローを、心の底から憎んでいる。恨んでいる。蔑んでいる。
母を苦しめ、絶望させ、人間としての全てを失わせたヒーローを、天使を、ワプトは生涯、いや、何度生まれ変わろうが、赦すことは決して無い。其れが、彼女ら
ただ一人、末の妹を除いて。
末の妹は、運命に導かれて、いずれ天使を焼き尽くすためにその力を振るうだろう。そして、真の意味で母から継いだ呪いが解けたその時、彼女は彼女の望むまま、自由にこの世界を駆け抜けるだろう。
ワプトの命はまもなく尽きるが、そうであって欲しいと心から願う。
「王様……凄い。組の皆、あいつらに殺されちゃったのに……」
壊理はワプトの腕の中から、彼女が選んだ王が猟奇的に狩りを行う様をまじまじと見つめている。そこに畏怖の念はあれど、彼女は決して目を逸らそうとはしない。
「あんなの……フーディルハインは、何で、あんな事……」
「何故か……ね。あれは、人間でも何でもない化け物だ。放っておけば、人間はいとも容易く殺される。それを処理してくれているのだから、怖がるのは百歩譲っていいとして、その言い方は無いんじゃない?」
「……あなたは、アンジェラちゃんが何故あの黒い化け物を食べているのか、知っているの?」
「ああ、知ってる。そこのヒーロー見習いも知ってるみたいだけどね」
ワプトの視線は、麗日に向けられている。その視線には、ヒーローに対する蔑みが隠されることなく現れていた。
「……前に、見たことがある。あの黒い化け物を食べるのは、アンジェラちゃんにとっては制御不可能な本能……あの黒い化け物を視認したアンジェラちゃんは、黒い化け物を食べることにしか意識を向けられなくなってしまう。抗えば、私達が邪魔をすれば、アンジェラちゃんの心は容易く壊れてしまう……だから、止めちゃいけない。
……あなたは何故、知っているの?」
麗日はワプトに疑念の眼差しを向ける。ワプトは曖昧な笑みを零すと、壊理を下ろして口を開いた。
「「昔」のあの子を知っているから……私は、あの子がその自我を弄くられているところを、この目で見ていた」
「アンジェラちゃんのなくした記憶……その中で、あなたはアンジェラちゃんと出逢っていた、ってこと?」
「当たらずも遠からず。これ以上はあの子から聞けることを願うんだね。ああ、そこの引率のヒーローも、知っているのかな」
ルビーの瞳が揺らめく。本能からヒーローを憎悪しているワプトだが、今そのルビーの瞳に宿った殺意が向いているのは、彼女が「囲い」になんとか閉じ込めていた、
「雁字搦めで偽りだらけの正義とやらを振りかざす、愚か者共。私は母から全てを奪う一端となった貴様らを、決して赦さない。母を見捨て、冒涜し続けた貴様らを赦さない。知る知らないの話じゃない……私は幾度生まれ変わろうと、ヒーローと天使だけは、決して赦さない。
だが、今はそれ以上に……」
ワプトは右腕を真横に突き出しながら、
それとほぼ同時に、アンジェラが思い切り跳び上がり、麗日達の近くに着地した。その手には
「ッチ、ムカつくほどに美味いんだよな……コレ」
「……驚いたな……その状態で、理性でもって言葉を紡げるのか」
「自分でも驚いてるよ。まー、あいつらを喰いたい衝動そのものがどうにかなったわけじゃない。最終的に喰らい尽くすのなら、他の行動も少しだけ取れるようになったってだけだ」
アンジェラの瞳はグロテスクなアカイロのまま。本能が自我の奥底から叫び続ける。奴らを喰らえ、と。本人にとっては大変不本意なことだが、
「先生、事後承諾になりましたけど。オレは、あいつらを喰わなきゃいけない」
「フーディルハイン……お前……」
「アンジェラちゃん、私達に出来ることはある?」
相澤先生が何かを言おうとする前に、麗日がアンジェラへ問いかけた。その瞳に、決して逃げ出さないという覚悟を宿して。
「……最低限、無事で居てくれれば……いや、そんな答えを望んでいるわけじゃないか」
「言ったでしょ、見くびらないでって」
「……だな。
壊理を頼む。言われるまでもないだろうけど」
アンジェラは麗日にそう告げると、再びワルプルギスの方へ向かおうとする。
「……フーディルハイン!」
「アンジェラちゃん!」
それを呼び止めたのは、切島と蛙吹だった。
「ごめんっ、俺、お前のこと怖ぇって思っちまった! 恐ろしいって、一瞬、ダチなのに、悍ましいとすら思っちまった!! ごめんッ!
だけど! 今はそれ以上に、フーディルハインがかっけえって思う! 凄えって思う! 湧き上がる抗うことすら難しい本能を一瞬でも耐えられるなんて、オメェが凄え奴だっていう何よりの証だ!」
「ケロ、壊理ちゃんのことは私達に任せて。アンジェラちゃんはあの怪物を……やっつけて頂戴。どんなに恐ろしい面が垣間見えたって、私達はそれ以上に、アンジェラちゃんがとっても優しい子だって知ってるわ!!」
それは、決意の叫び。友人の恐ろしい一面を垣間見て、それでも、自分達は友達であり続けるという、宣言でもあった。少なくとも、アンジェラにはそう聞こえた。
「……フーディルハイン、頑張ってこい」
相澤先生は不器用なエールをアンジェラへと贈る。そういうことが元来苦手な相澤先生にとっては、これが精一杯なのだろう。
アンジェラは顔だけを蛙吹達に向け、グロテスクなアカイロの瞳のまま微笑むと、
「今は、ヒーローへの憎悪がどうでもよくなるほど、あの夜共をぶちのめしたくて仕方ない……」
「ああ……全くだ」
二人の衝動が殺せと命じるのは、アンジェラの使い魔達と互角の戦いを繰り広げている
「……奴らの肉、その全てを、喰らいつくしてやる」
「じゃあ私はそのサポートを。
まさか、死の間際に君と一緒に戦えるだなんて思わなかったよ」
「……そうだな」
アンジェラは義手をオブシディアスとクリスタラックへと向ける。そこから空色の魔力光が輝き、2体の使い魔へと注がれると、オブシディアスとクリスタラックのもぎ取られていた腕が再生した。2体がアンジェラの使い魔、アンジェラの魔力で構成された存在だからこその芸当だ。
……と、突如、
グシャッ!!
瞬間、アンジェラは差し向けられた腕を引っ掴み、一切の情け容赦もなく引き千切ると、そのまま胸部の肉に食い付き、噛み千切り、咀嚼していった。
四足歩行型の
だが、その牙がアンジェラに突き立てられることはなかった。
「私のこと……忘れてるんじゃない?」
ザシュッ!!
まるで、踊るように。携えた鎌を振るい、ワプトはアンジェラに牙を剝いた
「私の魔法は攻撃には殆ど使えないけれど、コレは得意なんだよね。
ワプトが虚空で鎌を振るうと、そこに魔法陣がいくつか展開される。魔法陣から放たれたのは、金色に輝くアメーバ状の光。それは何体かの
ワプトが取り纏めた
その中心に座すのは、部屋の中央に突き刺さったレリーフのようなもの。湧いてきていた
「……チッ、あンの、ゲス外道共がァ!!」
「アンジェラ!」
「分かってる!! ソルフェジオ!」
ワプトはレリーフを覆うように魔力で防御幕を形成する。アンジェラは義手に使い魔達を戻すと、義手をその防御幕に向け、魔力を注ぎ込む。少しでも、爆発の威力を抑えるために。出来る限りを。
「まさか……」
「っち、病人共、下がっていろ!!」
相澤先生が爆発が起きると気付いたと同時に、治崎は床に“個性”を使い、治崎達の前面に分厚い壁を出現させる。
直後、噴き上がるような光の柱が、天井を突き破り上空へと立ち昇った。