一年A組の日常に壊理が加わって暫くの間は、忙しなくも極々平凡な日常が過ぎていた。さして語ることのない、平凡で平和な高校生らしい毎日だ。壊理もアンジェラ以外の人に少しずつ慣れていっている。このままであれば何も問題はないだろうと、アンジェラは確信を持って言えた。
そんなある日のこと。
「見て見て、見ててー!」
教室の後方で何やら準備運動を終えた芦戸が、ツーステップからのバク宙を決め、片手で逆立ちしそこから流れるような動作でブレイクダンスを披露した。瀬呂と葉隠が囃し立てる中踊る芦戸は楽しそうだ。
「下履くならスカート脱げよなぁ……!」
「峰田、目を潰されるか口を噤むか、どっちがいい?」
「すみませんでした」
またもやセクハラじみた発言をかました峰田だったが、アンジェラが決して笑っていない笑顔で放った気味が悪いくらいに明るい声に本能的な恐怖を感じ、脊髄反射的に冷や汗ダラダラで謝罪を口にした。後ろを振り返ってはいけないと思ったと、後に峰田は語る。
「芦戸は動きがダンス由来なとこあるよな。一つ一つの挙動に全身を使う感じ」
「初めての戦闘訓練、マント焼かれたこと、忘れない」
「アンジェラちゃんもダンスやってるんだよね? 確か、お兄さんの影響だっけ」
「ああ。だけど、芦戸ほど動きの根幹になってるわけじゃないかな……多分」
「でも、インフィニットさんとの練習試合の時とか、ダンスっぽいアクロバティックな動きしてたじゃん。やっぱり、多少は影響されてるんじゃない?」
「それは否定しない」
芦戸は幼い頃からダンスを趣味としていたと、アンジェラは以前本人から聞いたことがある。アンジェラの動きが芦戸ほどダンスに影響されていないのは、アンジェラの動きの根幹が独学のマーシャルアーツだからだろう。「ソニックがよくやっているから」という単純な理由でアンジェラもダンスを嗜んでいるため、影響されてる面がないわけではないが。
「フーディルハインは踊らんの?」
「じゃあ軽く踊るかぁ。流石に教室の後方で二人もブレイクダンスしたら危ないし」
「……ブレイクダンス、出来るのね」
上鳴の生暖かい目をまるっと無視して、アンジェラは軽くステップを披露した。軽く、とは言っても、素人には真似出来ないようなキレのあるステップだ。それに触発されたのか、青山が見様見真似でツーステップを踏み始めたが、動き方が間違っている上ギクシャクして目茶苦茶なものだった。素人なのだから仕方ない。
「砂藤のスイーツとかもそうだけどさ、ヒーロー活動にそのまま活きる趣味はいいよなぁ……強い!
趣味といえば、耳郎のもすげぇよな」
「ちょ、やめてよ」
耳郎はまさか自分に話が飛び火するとは思わなかったのか、拒否を口にする。が、上鳴はそのまま口を閉ざさず語り続けた。
「ほら、寮の部屋、楽器屋みてぇだったもんなぁ。ありゃ趣味の域超えてる!」
「もう、やめてってば! 部屋王忘れてくんない!?」
「いや、ありゃプロの部屋だね。何つーか、正直かっけ……」
いつまで経っても喋り続ける上鳴の眼前に、イヤホンジャックが突き付けられた。突きつけた本人である耳郎は心底恥ずかしそうに「……マジで」と告げると、そそくさと席に戻っていった。
「何で……」
「上鳴、お前はデリカシーってもんを学べ。早急に」
耳郎の反応を見れば嫌がっていることは直ぐに分かりそうなものだが、上鳴はそういう空気を察する能力に欠けているらしい。アンジェラは一つ、ため息をついた。
その日のロングホームルーム。いつもの如く寝袋にくるまった相澤先生から、10月の末に行われるある行事のことが告げられた。日本のあらゆる高校が行うであろう行事だ。
「えー、文化祭があります」
『ガッポオオォイ!!』
クラスメイト達は一斉に沸き立つ。ちなみにガッポイとは学校っぽいの略らしい。何でもかんでも略せば良いというもんではないと、アンジェラは5秒くらい思った。
だが、無条件にテンションが上がる者ばかりではないようで。切島が立ち上がって声を上げた。
「先生、いいんですか!? この時勢にお気楽じゃあ……」
「切島、変わっちまったな……」
「でもそうだろ!? 敵隆盛のこの時期に!」
体育祭の時は真っ先にテンションを上げていた切島の変化に上鳴が戸惑いの声を上げるも、切島は自身の意見を曲げることはなかった。
そんな中、相澤先生は説明をする。
「もっともな意見だ。しかし、雄英もヒーロー科だけで回ってるわけじゃない。体育祭がヒーロー科の晴れ舞台だとしたら、文化祭は他の……サポート科、普通科、経営科の生徒たちが主役。注目度は体育祭の比にならんが、彼らにとって楽しみな催しなんだ。そして現状、全寮制を始めとしたヒーロー科主体の動きにストレスを感じている者も少なからず居る」
「……そう考えると、申し訳が立たないな」
「ああ、だからそう簡単に自粛とするわけにもいかないんだ」
切島の言葉にアンジェラの眉がピクリ、と動く。すぐさまアンジェラは
「今年は例年と異なり、ごく一部の関係者を除き、学内だけでの文化祭になる。主役じゃないとは言ったが、決まりとして、一クラス一つ出し物をせにゃならん。今日はそれを決めてもらう……」
その発言の直後、相澤先生は微睡みの中へと旅立っていった。進行は学級委員二人に丸投げである。
「ここからはA組委員長、飯田天哉が進行を務めさせていただきます! スムーズにまとめられるよう、頑張ります!
では、まず出し物の候補を挙げていこう! 希望のある者は挙手を!」
瞬間、クラスメイト達が勢いよく手を挙げる。やれると分かったらやりたいことが沢山あるのだろう。にしても、変わり身が早い。
「ぐっ……なんという変わり身の早さだ。ええい、必ずまとめてやる!」
飯田がそう意気込んでいると、耳に残る幼い声が響いた。
「委員長! その前に一つ質問いいですか!」
「はい、アンジェラ君!」
「文化祭って何ですか!」
しん……と教室が静まり返った。質問者であるアンジェラは、そんなにおかしなこと聞いたか? と首を傾げている。
「え……アンジェラちゃん、文化祭、知らないの?」
「ああ、知らねぇ」
アンジェラは純粋な眼で首を傾げている。本当に文化祭が何なのかが分からないのだ。これが所謂カルチャーショックかとどこか間違った感想を抱きながら、麗日が説明をする。
「大学で学祭やったんでしょ? 言っちゃえばその高校版だよ」
「I see」
アンジェラが文化祭が何なのかを理解したところで、気を取り直して出し物の候補を挙げる時間となった。最初に飯田が当てたのは上鳴だ。
「メイド喫茶にしようぜ!」
「メイド……奉仕か、悪くない!」
「何でメイドと喫茶を合体させたんだ?」
「アンジェラちゃん、とりあえず一旦カルチャーショックは置いとこ?」
「はーい」
一々アンジェラのカルチャーショックに付き合っていたら時間が無くなると察知した麗日がアンジェラを宥めた。アンジェラは素直に返事をする。
「ぬるいわ上鳴!」
「峰田君!」
「オッパ……」
瞬間、アンジェラは峰田の顔面に裏拳をお見舞いし、
その後も、クラスメイト達が続々と意見を出す。途中、
「一通り、皆からの意見は出揃ったな」
「不適切、実現不可、よくわからないものは消去させていただきますわ」
八百万が消したのは峰田、爆豪、常闇、青山の意見だ。常闇の意見は無理やりお化け屋敷っぽい何かと解釈することは可能だが、青山に至っては完全に意味不明である。峰田と爆豪の意見は不適切に他ならない。
「郷土史研究発表もなー、地味よねぇ」
「確かに」
「別にいいけど、ほかが楽しそうだし」
「学祭……じゃなかった、文化祭で研究発表は雰囲気違くね?」
「総意には逆らうまい……!」
「勉強会はいつもやってるし……」
「お役に立てればと……つい……」
「食いもん系は一つにまとめられるくね?」
「そばとクレープはガチャガチャしねぇか?」
「だーから、オリエンタル系にクレープは違うでしょ」
ワイワイガヤガヤと意見ばかりが錯綜し、全くもって纏まらない。終いには誰が何を言っているのかもわからないほどに声が溢れていた。
「静かに、静かにぃ!!」
「……まとまりませんでしたわね」
飯田がなんとかしようと頑張るも収拾がつく様子は全くなく、ついにホームルーム終わりのチャイムが鳴った。相澤先生が苛立ちを隠さず立ち上がる。
「実に非合理的な会だった……お前ら、明日朝までに決めておけ。決まらなかった場合、公開座学にする」
学祭で公開座学……なんだそれめっちゃシュール。
アンジェラは苦笑いでそう思った。
「……はぁ? それ、本気で言ってんのか?」
その声に含まれていたのは、底なしの呆れだった。
インターンの補習を終え、寮に戻ってきたアンジェラが、クラスメイト達が出した意見を聞いて発した第一声である。
よもやそんなことを言われるとは思っておらず、クラスメイト達は目をパチクリさせた。
「ああ、別に出し物そのものに文句があるわけじゃない。補習で話し合いに参加出来ないから決定に従う、って言ったのはこっちだし」
「じゃあ、何で……」
「何でって……「他の科のストレスを発散させる」ことが第一目的になってるじゃねぇか。そりゃ単なる八つ当たりなんだから、気にしちゃ駄目だろ」
他の科におけるヒーロー科への……特に、A組に対するやっかみがあるのは事実だ。のこのこと林間合宿に行ったせいで襲撃され、あまつさえ生徒が一人拉致られて。そこに様々な理由が重なったことなどつゆ知らぬ者達が、ヒーロー科を叩いているのは事実である。
あの場で拐われていなければ、今頃アンジェラが死んでいたなんて、誰の思考にも無い。そこをわーぎゃーと責め立てるつもりは毛頭ないが、何も知らない者達のやっかみを発散させてやろうと思えるほど、アンジェラは聖人ではない。
「根本的に、他の科のストレスを発散させようなんて考えなくていいんだよ。自分達だけが楽しい? 学祭なんだから大いに結構。逆恨みややっかみなんて気にするだけ時間の無駄だ。そもそもお前ら、何か迷惑になるようなことしたか?」
「……確かに……」
「ただ真面目に授業受けてただけだよね」
そう、ヒーロー科の生徒たちは、ただ真面目に学生生活を送っていただけだ。様々な偶然が重なった結果がこれだ。これからに備えろと言われるのならいざ知らず、彼らに全寮制になった責任があるはずがない。
まして、社会を混乱させた責任など、ただの高校生にあるはずもない。
「その場合、矢尻に立つのはオレか? 悪いが、オレは赤の他人の逆恨みを発散させてやろうと思えるほどお人好しじゃねぇ。責任なんて、誰にもない」
あるとすれば、あいつらが全部あの世に持ってっちまったよ。
口から出かけたその言葉を、アンジェラはなんとか飲み込んだ。
「……アンジェラ君……」
「ま、決定には従うさ。けどな、他科じゃなくて、自分たちが楽しむことを第一に考えてくれよ。振り回されてるのはお前らの方なんだからさ」
クラスメイト達が何かを言う前に、アンジェラは自分の部屋へと戻っていった。
A組の文化祭の出し物は、ダンスとライブである。
どれだけ過去を漁っても、具体的な対策が見つかるわけではない。
壊理にしたってそうだ。記憶は記録よりもよっぽど移ろいやすい。
だが、そこに確かなものがあるとすれば。それを掬い取るしかないのだとしたら。
選択肢なんて、何時だって用意されていないも同然だった。
「……なぁ。滑稽だとは思わないか? 過去を断ち切るために、過去の
アンジェラは自嘲気味に笑う。カーテンの隙間から割って入ってきた月光が空色の髪を照らす。トパーズの瞳とルビーの瞳が、視線を合わせて揺れた。
「それも、何度も繰り返されてきたこと。だけど、工夫は出来る」
「そうだな」
この巡り合わせが一体何度繰り返されてきたことなのか、アンジェラには検討もつかない。壊理も本能的に、繰り返されてきたと認識しているに過ぎない。曖昧で、不明瞭な繋がりだった。
それでも、彼女はその不明瞭な繋がりに賭けてみせた。文字通り、その命ごと。
なれば、アンジェラのやることは決まっている。最初から、かの天の傀儡共を根絶やしにするために。それが、より強固なものになっただけだ。
「そうだ……せいぜい、足掻いてみせようか」
空色の髪を揺らして、少女は悍ましい笑みを浮かべた。