数刻前、麗日と壊理はクラスメイト達への報告もそこそこに、散歩と言って出ていってしまったアンジェラを追いかけて、離れ小島に向かっていた。村役場でアンジェラが見せた隠しきれない動揺の意味を、麗日達は知らない。だからこそ、友人として放ってはおけなかった。
「アンジェラちゃん、どうしたんだろう……気丈に振る舞ってはいたけど……大丈夫かな……」
ついつい壊理の前でそんな弱音を吐いてしまったことに麗日は後から気付いて、思わず口を手で塞いだ。
「王様のこと、心配なの?」
「そりゃ、友達だもん。壊理ちゃんも、アンジェラちゃんのことが心配だから私に着いてきてくれてるんでしょ?」
「…………」
友達という概念がよくわからない壊理は、曖昧に笑うことしか出来なかった。彼女に分かったことは、麗日がアンジェラを心配しているということだけ。
それだけ分かればまぁ上出来だ、と、空耳が聞こえたような気がした。
「……そういえば、前々から聞きたかったんだけどさ、壊理ちゃんはどうしてアンジェラちゃんのことを「王様」って呼んでるの?」
壊理は基本、アンジェラに引っ付いているか寮で絵本を読んでいるか、時々通形と遊んでいるかなので、こうして麗日と二人きりで行動するのは、実は初めてだったりする。
だからこそ、麗日は聞いてきたのだろう。彼女の友人を「王様」と呼ぶ壊理に、その理由を。
その質問そのものはごく自然なものだと、壊理も理解していた。いつか聞かれるだろうとは思っていた。
それらを加味した上で、答えづらい質問だと、壊理は思った。
「王様は王様だから……って言って、あなたは納得する?」
「あ、いや……答えたくないのならいいんだよ、無理して答えなくても。ただちょっと気になっただけだから……いや、本当に」
「それは分かってる。ただ、言葉にするのが難しいってだけ。王様は、私にとっては王様なの」
壊理の言葉は、彼女にとっては紛れもない真実でしかない。彼女にとって、アンジェラは「王様」である。テレビ中継された体育祭で見たアンジェラを一目見た時に魂がそうだと叫び、八斎戒捜査のあの時に、自らの意思でそうだと決めた。彼女こそ、自らの王であると。
「……そっか。壊理ちゃんは、アンジェラちゃんのことが大好きなんだね」
要は、麗日の言葉の通りなのだ。
アンジェラと一緒に居たいという理由で雄英に来たということが、全てを物語っている。
永い時の流れの中で繰り返さえる逢瀬と離別。巡り合う度に、生まれ落ちる度に、見つける度に、胸を締め付けるこの感情。
人間の言葉にするのなら…………恋煩いか、はたまた、依存か。
まだまだ子供なのに、普通ならそんなこと分かりやしないだろうと、壊理は自嘲気味に笑った。
麗日と壊理が離れ小島に辿り着いた時、日は水平線へと吸い込まれそうになっていた。だが、来た道でアンジェラとすれ違うこともなければ、クラスメイトからアンジェラが事務所に帰ってきた等という連絡も入っていない。アンジェラに連絡を入れようにも、そもそもアンジェラはスマホを事務所に置いて行っている。
つまり、アンジェラはここに居る可能性が高い。麗日と壊理は顔を見合わせると、森の中へと入っていった。
「こんな森の中に遺跡なんてあるのかな……」
「本にはあるって書いてあった」
離れ小島は那歩島本島よりは格段に狭いが、それでもそれなりに広い。暗くなる前にアンジェラを見つけないと、と麗日がキョロキョロと辺りを見渡していると、一際大きな木が目に留まる。
……いや、正確には、その木の影に隠れてこちらを伺う、一匹の生き物に。
「あれって……」
雫のような可愛らしいフォルムに水色の身体、頭の上に浮かんだ黄色いボール。主に欧州で人気が高い生き物、チャオだ。野生とは、何とも珍しい。
チャオは麗日達に気が付くと、てこてこと近寄ってくる。そのまま麗日の足にしがみついてきたので、麗日は“個性”を使わないように注意しながらそのチャオを撫でた。
「わぁ、可愛い。それに、随分と人懐っこい。
にしても、野生のチャオなんて珍しいなぁ。私、初めて見た」
チャオをびっくりさせないように小声で、麗日は嬉しそうに言う。壊理も興味津々とばかりにチャオをじーっと見つめていた。
少しの間そうやってチャオと戯れていると、突然にチャオが麗日の足から離れて森の中へと飛んで行った。あちらに巣でもあるのだろうか。
「開けた場所があるかも。チャオが暮らしていくには、キレイな水辺が必要らしいし。着いていってみようか」
「うん」
先程のチャオを追いかけて、二人は森の中を進む。鬱蒼としているわけではなく、小学生が入っても問題はないであろう森だが、道が舗装されているわけでは決してない。所々にある苔まみれの石造りのモニュメントが、ここにかつてあったであろう文明の名残を感じさせる。
歩きづらさを感じながらもチャオを見失わないように進んでいると、やがて拓けた場所に出た。澄んだ水が溜まった池に蓮の花が浮かんでおり、たくさんのチャオ達が無邪気に遊んでいる。恐らく、ここがチャオの住処なのだろう。
そんなチャオの住処に、2つほど異質な影があった。麗日が昨日、傍目に見たことがある人影だった。真幌と活真だ。間もなく日が暮れようとしているというのに、小さな子供だけでこんな場所に居ることを不審に思う、その前に。
「なんなのよ、あんた。島民でもないのにこんな所に来て!」
「えっ、その……アンジェラちゃんを、探しに……」
「あっそ! ここには私と活真以外のヒトは居ないわよ。わかったらさっさと出て行って!」
真幌は麗日を威嚇するかのようにそう叫ぶ。いきなりの大声に、チャオ達はびっくりして木陰に隠れてしまったが、今の真幌にそれを気にしているだけの余裕はなかった。
「お、お姉ちゃん、よくないよ……いきなり大声を出したりしたら……チャオ達もびっくりしちゃうよ……」
「活真は黙ってて! こんな所まで来る余所者ヒーローが一番信用ならないって、あなたもよく分かってるでしょ!?」
「それは……その……」
活真は言葉に詰まってしまう。真幌が余所者ヒーローを信用出来ない理由を知っているからこそ、活真は真幌に言い返すことが出来なかった。
真幌からひしひしと伝わるヒーローへの拒絶に麗日は言葉を失ってしまう。真幌は完全に頭に血が上ってしまっているらしく、麗日の言葉を聞くつもりが全くない。活真はそんな姉の様子にオロオロしっぱなしだ。麗日もどんな言葉をかけていいのか分からずに頭を悩ませている。
……そんなぴりついた空気の中、不意に茂みがガサガサと音を立てた。
「っ、何……?」
「……!」
麗日達が反射的に音のした方を見ると、そこには青い液体で形作られたヒトガタが居た。エメラルドの光を抱く瞳と思しき器官が妖しく煌めき、麗日達を射抜く。
「何なん、この、生き物……」
「っ、近付くなっ!!」
麗日がヒトガタに近づこうとする素振りを見せると、血相を変えた真幌がそのヒトガタを庇うように麗日の前に立ちはだかる。身体を震わせ、その眼から涙を流しているその様は、何か大きな恐怖に勇気を振り絞って立ち向かっているようで。麗日は「ご、ごめんね!」と言って、歩みを止めることしか出来なかった。
ごぽごぽと、ヒトガタが水の音を発する。真幌は呆気に取られたように、ヒトガタに声をかけた。
「「その人間は大丈夫」……って、何を根拠にそんなこと……また、
「お姉ちゃん……えっと……まずは、落ち着いて……」
「活真、あなたはあの時みたいになっていいっていうの!?」
「そんなことないよ! でも、一方的に決めつけるのもよくないよ、お姉ちゃん!」
「あの時もそんなこと言って、あと少しで取り返しのつかないことになりかけたじゃない! 私はもう、あんな思いをするのはこりごりよ!」
「そうだけど、でも……」
真幌と活真の言い争いは段々とヒートアップしていく。その全てが液体のヒトガタを心配してのことだと何となく悟った麗日は、そのヒトガタが真幌と活真にとって大切な存在なのだと理解した。その上で声をかけようとしたが、その前に壊理に止められた。
「あなたが声をかけても、多分、余計にヒートアップさせてしまうだけ。ここは私に任せて」
「……そう、だね。じゃあ、お願いしてもいいかな」
麗日にサムズアップした壊理は、真幌と活真に声をかける。
「ねぇ、ひょっとして、さっき私達に出て行ってって言ったのはその……水の生き物を守るため?」
ヒーローへ警戒することに集中し過ぎて視界にすら入っていなかった同年代の子供の声に、真幌は驚き壊理に視線を移した。
「そうよ……余所者ヒーローは私達の声なんか聞いてくれやしない。勝手に勘違いして、盛り上がって、あまつさえ「こんとんさま」をどこかに連れて行こうとしたのよ。私達がいくらこんとんさまがそんなことを望んでいないって話しても、聞く耳すら持ってくれなかった。終いには、私達が操られてるって妄言を吐き始めて……そんなことないってのに」
麗日を睨んでそう吐き捨てた真幌を庇うように、活真が口を開く。
「でも、そのヒーローを止めてくれた人の一人も、同じ余所者のヒーローだったんだよ……お姉ちゃんは、そのことをトラウマに思ってて、特に余所者のヒーローに対してピリピリしちゃってただけで……あの、だから……」
「その水の生き物が、こんとんさまなんだね」
活真は首を縦に振る。水のヒトガタ……もとい、こんとんさまは壊理に近付いて、ごぽごぽと水の音を発した。
「……「様付けされるほど偉い存在でもない」? でも、守り神なんでしょ?」
「驚いた……あなた、こんとんさまの言葉が分かるの?」
「どうやらそうみたい」
壊理はそっと、水の生き物に手を伸ばす。ゼリーのような感触がどこか不思議で、心地よかった。
水が揺れる音がする。それが水の生き物が放つ「言葉」なのだと、壊理はどこか他人事のように思う。
「この島でも、こんとんさまの言葉が分かるのは私達だけなの。私達は小さな頃からこんとんさまと一緒に遊んだりしてきたのよ。早くにお母さんを亡くした私達にとって、こんとんさまは寄り添ってくれる存在。
……そんな大切な存在を脅かそうとした余所者のヒーローを、信用なんか出来るわけないでしょう」
真幌の視線が麗日を射抜く。心の底からヒーローを信じることなど出来ない、という瞳を向けられて、麗日は自分が信じていたものが壊れるような錯覚を覚えた。
「……もう、見られてしまったものは仕方ないけれど。他言するんじゃないわよ」
「分かった、誰にも言わない……そう言えば、あなたは私を信じてくれる?」
「無理ね」
そう一蹴されることも、もはや麗日の予想の範囲内でしかなかった。彼女は、真幌はヒーローを、信用することはない。大切なものを脅かしたものを信用することなど、出来るわけがない。
それが悲しいことだと思ってしまう自分は果たして傲慢なのか、麗日は答えを出すことが出来なかった。
「アンジェラもそうだけど、キミも随分と不思議な子だよね。人工知能がスターフォール諸島の電脳空間に接続したことによって実体を得た……か。巨神を扱うことも出来るの?」
「完璧なコントロールは不可能。信号を送り、ある程度意のままに動かすことなら」
「それだけでも十分凄いよ。ボクは巨神を起動させることすら出来なかったのに」
いやー、最近の若い子って凄いねぇ、と若干年寄り臭く自分を褒めちぎるアテネに、セージは産まれて初めて苦笑い、という感情を覚えた。見た目と口調の節々に含まれる年寄り臭さのギャップに慣れることは、多分一生無いだろう。
「キミなら、ひょっとしたらこの島の巨神も動かせるかもね」
「この島の巨神……存在するの?」
「うん。ただ、深層の方で眠ってるけど。いや、眠らせている、の方が近いかな。昔々にね、ボクが押し込んだのさ。こう、ぐぐーっと」
「何故?」
セージがそう問いかけると、アテネは包帯で分かりにくいが少し困った顔をした。
「色々あったのさ、この島にもね」
電脳空間の表層に現れては過ぎていく情報を捌きながら、セージは「そう」と生返事をした。
電脳空間を探るというのは、思考の海に沈んでいく感覚に近いものがある。故郷の星を追いやられた古代人が、その技術、記録、記憶、感情の全てを情報化したのが電脳空間だ。思考の海に沈むような、という例えも、あながち間違いではないのかもしれない。
「あなたにも、遺したいものがあったの?」
「……さあね」
夕焼けの鈍い光の下で、花弁が5つのピンク色の花が揺れる。
アテネはゆらり、と森の奥を見やる。
丁度、麗日達と真幌達が遭遇した、その時のことだった。