もはや涙を流すことさえ出来ないのであれば。
やがて其れは星となり、煌めきの彼方へと消えていく。
消えゆくまでの僅かな旅路にどうか祝福があらんことを。
マスクの男ことナインがイカロス島に眠る怨念に引きずり込まれたのは、ただの偶然ではなかった。
理性と知性を失い本能のみが残った怨念は、永い時の中で探し続けていた。自身の器……代弁者たり得る存在を。
ナインはその身体に人の手が加えられた存在だった。それによって生じた人間には感知できぬ綻びが、怨念がナインへと付け入る隙を与えた。
力さえ流してしまえば後は簡単だ。甘美な蜜に偽装した毒が身体に回りきってしまえば、怨念は自身の肉体を得ることが出来る。元々存在したナインの自我を喰い潰し、呪いを振りまくだけの存在へと変貌させられる。
しかし誤算だったのが、ナインが力に貪欲だったことである。
「新世界の王」となる。
その目的のために敵連合に自身を実験体として差し出すほどの執念を、本能のみで動く怨念は予測することなど出来なかった。
本来であれば呑み込まれて即座に喰い潰されるはずだったナインの自我が辛うじて残っているのは、ナインが持つ野望が原因であった。
輪郭だけが残った自我と怨念が混ざり合い、しかし積層された怨念を塞き止めるには不十分だった。
「……哀れなもんだ」
アテネは白銀のスナイパーライフルを構えて魔力を込めながらそう呟く。
結局は、ほんの少しだけ寿命が伸びただけだ。
中途半端に強い意志が、彼本人を苦しめているだけだ。
怨念にそのまま呑まれていれば苦しみはなかった。
ナインの自我が喰い潰されることは怨念に飲み込まれた時点で確定した変えようのない事実だ。
「彼女」の魂が囚われ続けている苦痛をただの人間が耐えられるなどと、アテネは全く考えてはいない。
「イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ」
顔が焼け爛れ肉体が内側から喰らいつくされるような苦痛にのたうち回りながらナインが放った突風の弾丸をアテネは魔力の障壁でもって抑え込む。
やがて自我の境界線すら曖昧になったナインは、自分の自我を自分で殺すだろう。その時、彼は怨念の傀儡となる。
巨神が脈打つ。
赤黒い靄が噴き出される。
靄はナインに取り憑いていき、彼が受けた傷がみるみるうちに治っていく。
「……まだ、心臓があっちにあるなら……」
思案を巡らせるアテネの耳に音にならない魂の残響が届く。
アテネはタバコを咥え直して薄く笑みを浮かべた。
風鳴りと共に振り抜かれた蒼白の槍は、瞬きの間に神兵の群れをバラバラに解体した。
間髪入れずにタワー型の守護神へとその音速の脚で迫ったアンジェラは守護神の頭上へと跳び上がり、弱点である頭部へとまっすぐに槍を突き立てる。赤黒いノイズのような靄となって消えていく守護神には目もくれず、槍の形態となったソルフェジオを構え直したアンジェラは次のターゲットをトパーズの瞳に捉えて力強く地を蹴った。
荒れ狂う空色の風は、しかしその眼に確かな理性と決意を宿している。少なくとも、麗日の目にはそう映った。
無尽蔵に湧き出る神兵と守護神をそのスピードと槍術で一方的に薙ぎ払うアンジェラの姿は、まるで神聖な舞を踊っているようにも見える。
息を呑んでその姿を目に捉えていた麗日は、しかしこのままではこの状況を打開出来ないことを何となく悟っていた。
この島を護る兵の頭目であるあの巨神を打破せねば、巨神に宿った怨念を鎮めねば、神兵や守護神も際限なく湧き上がり続ける。
そういう確信が、麗日にはあった。
だから、言わなければと思った。
どれだけ肉体が限界を訴えていようとも。
どれだけ精神が悲鳴を上げていようとも。
今なら、限界を超えて立ち向かえると思ったから。
「ッ、アンジェラちゃん! こっちは大丈夫だから!!
だから……!!」
空色の風がピタリと止む。
近くに迫っていたヒト型の守護神を振り向きざまに貫いたアンジェラは麗日達の方へと義手を振るう。黒鉄の義手から放たれ零れ落ちた光が地面に落ちると、二体のヒト型の異形と一体の四足歩行の生物のような何かへと姿を変えた。
アンジェラは口を開く。
トパーズの瞳を煌めかせながら。
「ああ、そっちは任せる」
「……!」
絶えず銃声が響き渡る中で、その幼い声はやけに明瞭に聞こえた。
声音にクラスメイト達への信頼と使い魔達への命令を乗せたアンジェラは四足歩行の巨神をそのトパーズの瞳に映すと
主人の命を受けて地上に蔓延るヒト型の守護神の胴体に噛み付いたミミックはそのまま守護神の胴体へと牙を食い込ませて押さえつける。
オブシディアスは片腕ずつにヒト型の神兵を掴んでクリスタラックが生成した結晶に向かって投げ飛ばした。串刺しにされた神兵は赤黒い靄となってその姿を消す。
幼子の使い魔達が暴れる中、麗日はアンジェラの言葉を重く受け止めていた。
自分達が限界などとうに振り切れていることを彼女が見抜いていないわけがないのに、それでもこの場を託してくれた。
それを人は、信頼と呼ぶのだろう。
「……皆! あと一踏ん張り!」
麗日の声に合わせてA組の面々は軋む身体に鞭を打って立ち上がる。
再びワープホールから湧き出た神兵が腕を振るい上げたと同時に、周囲に爆音が響き渡った。
「……」
翼を広げ、アンジェラは巨神の前に向き直る。
断続的に脈打ち赤黒い靄を放出し続けるその巨神は、スターフォール諸島のどの巨神よりも生き物に近いように見えた。
巨神はカオスを引っ剥がそうとしてか空中に謎のユニットを複数個展開する。菱形のそれに集まる赤黒いエネルギーを見たアンジェラは、それが遠距離攻撃用のユニットであると見抜いた。
「
槍刃が空色の光を放つ。
巨神の遠距離攻撃用ユニットと思しき物体を見据えるとアンジェラはソニックブームを撒き散らしながらユニットに接近し、ソルフェジオを振りかぶってユニットに斬り掛かった。瞬間、ユニットに防壁のようなものが発生し火花が散るが、アンジェラが更に魔力を込めるとユニットの防壁はひび割れて崩れていく。
「ッハァッ!!」
その隙を逃すまいと、アンジェラはユニットへソルフェジオの刃を突き立てた。アンジェラがソルフェジオを引き抜いた直後、ユニットは赤い電光を走らせて爆発四散する。
そのままの勢いでアンジェラは次のユニットへ目掛けてソルフェジオを投げ飛ばし、加速の勢いを乗せてユニットの障壁へと突き刺さったソルフェジオを更に深くへ貫かせる。後方で起きた爆発には目もくれず、ソルフェジオを構え直したアンジェラはまた次のユニットを破壊しに向かった。
「ジャマダジャマダジャマダジャマダジャマダジャマダジャマダジャマダアアアアアアアアアッ!!」
もはや言葉にならない声しか出せなくなったナインは全身の神経を剥ぎ取られていくような痛みを叫びに乗せながら、アンジェラへ向かって雷を放とうとする。
しかし、ナインがその手に電気を収束させようとした瞬間、一発の銃声が鈍く響き渡った。
「おっと、キミの相手はこっち」
紫の魔力光を纏ったスナイパーライフルの銃口が寸分狂わずナインを狙っている。断続的に放たれる紫の魔弾はナインの両腕を貫き、血潮を噴かせ収束されていた電気を霧散させた。
「この男はボクが引き受ける。アンジェラ、キミは巨神を」
「言われなくても最初からそのつもりだ」
再びソニックブームを撒き散らしてアンジェラは空を駆る。
突き出されたソルフェジオの刀身がユニットの一つを障壁ごと貫いた。アンジェラはそのままソルフェジオを力いっぱい振り回し、もう一つのユニットへ向けて突き刺さったユニットを投げ飛ばす。二つのユニットは接触して大きな爆発を起こした。
生成した遠距離攻撃用ユニットを全て破壊された巨神は追い詰められたことを本能的に察知したのか、背中から幾つもの筒状の物体を飛び出させた。その物体からは赤い円形の光が断続的に放たれ、同時にその先端から赤黒い靄が噴出されている。
スターフォール諸島の巨神達も追い詰められるとあのような行動をしていた。差異があるとすれば、怨念由来の赤黒い靄の有無くらいか。
赤い光に焼かれ、カオスは巨神から弾き飛ばされる。カオスは威嚇するように幾本もの触手を伸ばして再び巨神へと飛び掛かろうとしていた。
そこに響き渡るのは、幼子の叫び声。
「カオス! 巨神の脚を抑えろ!」
背中に円形の魔法陣を展開したアンジェラは巨神に接近しながらカオスへとそう呼びかけた。翡翠色の瞳を輝かせたカオスは巨神の四本の脚へ向かって触手を伸ばし絡め取る。
直後、魂を震わせる唄が響き渡った。
「『恐怖に直面し、未来を護れ』」
円形の魔法陣から
「『地平線に向かって足掻き咆え』」
巨神はその口に赤い光を収束させ、アンジェラに向かって放った。一直線に向かってくるそれをアンジェラは更なる魔力を込めたソルフェジオの刃で打ち返し逆に巨神にダメージを与える。
「『新たなフロンティアへと絶えず響いたその言の葉は』」
巨神の背から先程までよりも大量に赤黒い靄が放出される。収束された赤い光が弾幕となってアンジェラに襲いかかる。
「『やがて、星となって睡りに落ちる』」
縦横無尽に飛び回って光を回避したアンジェラは、そのままの速度を乗せた左の義拳を巨神へと撃ち付けた。唄の魔力と速度が乗った義拳は巨神の装甲を凹ませるほどの威力を見せる。
巨神が威嚇するように咆えた、その時。
ポータルから巨神に向かって光の鎖のようなものが放たれ、巨神を絡め取っていく。鎖に囚われた巨神はその動きを停止させ、脈動のみが残された。地上に出現していたワープホールも跡形も無く消え、残された神兵や守護神の動きも巨神と同じように停止した。セージが電脳空間から巨神らの動きを停止させたのだ。
「長くは保たない……今のうちに!」
セージがポータルの内側からそう叫ぶ。渦巻く唄の魔力をソルフェジオに収束させながらアンジェラは地面に降り立つ。足元に魔法陣が拡がり、空色の魔力光が蛍のように飛び散っていく。
まるで生き物の心臓のように脈動を続ける巨神の一点が肥大化していった。行き場を失った力が一点に収束され、巨神はその首を重力に従って力なく降ろした。
「……そうだ、アンタは何かを掛け違えたオレだ。
心を何かに塗り潰されていく恐怖に必死に耐えて、耐えて……耐え切れなくなった時に、既に手遅れになっていたことに気が付かなかったオレだ」
彼女は誰よりも自由を愛しておきながら、誰よりも因果に縛られている。
絡み付いた糸を切り払う術も分からずに、雁字搦めにされたままに突き進むしかなかった。
「失われたはずの過去を識っているという事実が怖かった。
無かったことを今になっても憎み続けている自分が堪らなく悍ましかった。
自分の頭の中にある夢物語と区別がつかなくなっても、忘れることなんて出来なかった。
……だけど、剥がされた仮面は元には戻らない。
あの時を偽りの記憶だと宣うつもりもない。
失われたはずの過去はこれからも際限なく黒い感情を湧き上がらせる」
ソルフェジオが蒼白い光に包まれ、その姿を変えていく。
より突き刺すことに特化した鋭い槍へと。
魔力の鎖が繋がったその槍を右手に携え、アンジェラはトパーズの瞳を煌々と輝かせた。
「今なら……それも全部、「自分」だと受け容れられる。
…………アンタも、もうそうやって苦しみ続ける必要はない。
そのための力がオレにあるんだとしたら、ちゃんと送り出してやるから。
だから…………」
脈打ち怨念をぶち撒け続ける巨神の肥大化した部分へと、アンジェラは槍を高く掲げて構えた。
ぐぐ……と力強く握り締め、寸分の狂いもなく狙いをつけた。
そして。
「……
ありったけの魔力と力を込めた槍を、投げ飛ばした。
ソニックブームを撒き散らしながら飛んでいった槍は巨神の肥大化した部分に突き刺さり、深くに食い込んで「何か」に突き刺さった。
アンジェラは魔力の鎖を力いっぱい引き、巨神の内側から突き刺さった「何か」を引き抜こうとする。
「うわっ!?」
しかし、予想以上に強く引っ張られてしまい、危うく鎖から手を離してしまいそうになった。
その最中、不意に鎖が軽くなる。アンジェラが振り向くと、そこには魔力の鎖を握り締めた麗日の姿があった。その後ろでは、麗日と同じように魔力の鎖を握り締めたクラスメイト達と使い魔達、そして真幌と活真、壊理の姿があった。
「アンジェラちゃん、手伝うよ!」
「麗日!」
「何だかよく分からんが、とにかくこれを引っ張ればいいんだよな!?」
「飯田……ああ、手ぇ貸してくれ!」
「よし、行くぞA組!」
『おー!!』
皆の力も加わり、槍はその力を増していく。
貫かれた巨神からは血潮のように赤黒い怨念の塊が噴き出され、荒れ狂う風となってアンジェラ達に襲いかかる。
吹き荒ぶ怨念の風に逆らって、アンジェラ達は力いっぱいに鎖を引っ張った。
『……どうか、その旅路に祝福があらんことを』
巨神から槍が引き抜かれる。
先端に突き刺さっていた赤黒いヒト型の物体も同時に引き抜かれ、大気に混ざって霧散していく。
怨念の核を失った巨神は大きな音を立てて崩れ落ち、ナインもまた地に伏した。
「……よく見ろ。
今でも、オレはアイツに似ていると言えるか」
「…………そうだね。ごめん、訂正する。
あんまり、似てないね」