第5試合が始まるやいなや、OZASHIKIは困惑に包まれた。スクリーンにアンジェラが2人映っているように見えたからだ。分身の術か何かかと沸き立つ観客席の中で、A組の一部の生徒は、B組の本陣へと単騎で乗り込んでいった方のアンジェラの瞳がサファイアのような蒼であったことに気が付いた。
「あれって多分、ソルフェジオ、だよね」
尾白がふとそう呟く。気が付いていなかったA組の面々もああ、と納得したかのように頷いた。B組の面々は何が何だか、と分からずに首を傾げている。A組でさえ体育祭の時のことを忘れかけていた者が多かったのだ。それが新技と合わせられたとなれば、B組には気付きようもない。
……最初こそ、そんなふうに試合を考察する余裕があったが。
ソルフェジオと物間が対峙していた場所を映したモニターに、明らかな異物が映る。
突如として現れた黒い物体が、黒いオーラを放ちながら宙に浮き上がっていく。
その出現に少し遅れて、相澤先生のスマホからけたたましい通知音が鳴り響く。相澤先生が懐からスマホを取り出すやいなや、ノイズ混じりの声が木霊した。
『相澤先生! すぐに試合を中止してください!』
「フーディルハイン!? どうした、一体何があった!?」
スマホ越しに聞こえるアンジェラの声は、いつにも増して焦っているように聞こえた。その声だけで、何かただならぬトラブルがあったのか、と、OZASHIKIの生徒たちも気が付くほどに。
『何でか分かんないけど、妙なメッセージを残して、ソルフェジオがオレの制御から外れて暴走してっ……!』
そこまでアンジェラが伝えた所で、音声のノイズが酷さを増し、不明瞭になる。モニターの映像にもノイズが走り、ついには砂嵐となった。
「おい、フーディルハイン!」
相澤先生がスマホに向かって声を張り上げても、返ってきたのは不快なノイズの音だけだった。
「ああ、クソッ! コッチの通信まで切れやがった!」
とんとん、と義手の人差し指でリミッターを小突き、アンジェラは苛立ちと焦りのままに声を荒げる。上空に目を向ければ、神野で見たものとよく似た黒い球体が悠然と浮かんでいる。膜を破るように垂れ下がった白い触手は、彼女の精一杯の抵抗の現れだと、相棒のアンジェラだからこそ理解できた。
スマートフォンによる通話は端から通じなかった。辛うじて繋がっていたリミッターの通信機も今さっき使い物にならなくなった。ただ電波が通じなくなったわけではない。リミッターの通信機は電波が通じなくなった程度で繋がらなくなりはしない。
逃げるな、と。
彼女の魂は、そう叫んでいるのだろう。
どうするべきか、とアンジェラは思案する。相棒をあのまま放っておくという選択肢は端から彼女にはない。しかし、アンジェラは魔法の制御の大部分をソルフェジオに頼っている。ソルフェジオは魔法の杖なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、今のアンジェラは殆ど魔法が使えない状態。せいぜい、魔力弾で牽制をしたり、ちょっとした防壁を張ったり、糸を張るので精一杯。それでも、アンジェラであれば体術だけでも十分に戦えるが、相棒の頼もしさは、恐ろしさは、彼女が一番よくわかっている。
今ある自分の武器が、一体何であるか。
それをあくまでも冷静に分析し、アンジェラは口を開いた。
「……麗日、作った罠、アイツに使うぞ」
「わかった。2人とも、用意して」
「ちょ、待ってよ! フーディルハインも麗日も冷静すぎない!?」
「そうだぜ! ソルフェジオが暴走しちまったんだろ? 普通もっと焦ったり……」
峰田の言葉は続かなかった。
彼が何かを言う前に、アンジェラの言葉で遮られた。
「焦ってないわけねぇだろ。ただ、さっき叫んだら少しスッキリしただけだ」
空間が作り変えられていく。
工業地帯の景色が歪み、空間の繋がりが断絶されていく。紫色の花々が地面に、建物に食い込むように咲き誇っていく。
「アンジェラちゃんのことだもん。相棒を放っとくなんて選択肢ないでしょ?」
「よく分かってるじゃないか、麗日」
黒い球体が割れて、人の形をした何かがぼとり、と落ちた。
その瞬間、球体だったものが崩れて雨のように降り注ぎ……
……隔絶された空間の中に閉じ込められた彼女らに、その外でどうしたものか、と悩みに暮れていた者たちに、何よりも明瞭で、決して無視できない「声」が響いた。
私は知っている。
ヒーローが存在しないこと。
ヒーローに成ろうとしている者たちは、結局は人間にしかなれないこと。
正義という免罪符を振りかざして、他を虐げる者が吐いて捨てるほど居ること。
ヒーローは、本当に救いを求める者のことは、決して救けてはくれないこと。
私が無個性だと分かった瞬間。
それまで仲良くしていた友達は私と距離を置くようになり、その親たちは私に侮蔑か、はたまた可哀想な子供を見るような目を向けるようになり、両親は他の大人たちに無個性の子供を生んだ親として扱われるようになった。
『あっち行けよ、無個性がうつる』
『無個性とは遊べねーよ』
私を見るなり子供たちはそんな言葉を投げかけてきた。
耳をふさいで、全てを無視した。
難しい言い回しを本で勉強して、それをなぞった。
やがて、誰も私に話しかけなくなった。
「無個性」だという蔑みと、「話しても難しくてわからないやつ」というレッテルだけが残った。
それだけで終わればよかった。
『無個性の子供を生んだ、だなんて。気色の悪い人たちね』
『また子供作ったとしても、また無個性が生まれるんじゃないか?』
『無個性だなんて可哀想。ヒーローになれないじゃない』
『子供が無個性になったのは、親の遺伝子が悪い』
心のない言葉を浴びせかけられた両親は、少しずつ、しかし確実に精神を病んでいった。優しかった両親は、みるみるうちに別人のように荒れ果ててしまった。
子供に“個性”が宿るかなんて、それこそ神にしか分からない。
しかし、周囲の大人たちは両親を見るたび、ひそひそと、しかし私たちに聞こえるように陰口を叩き続け、何かにつけて両親を責め立て続けた。
『可哀想な子だ。両親が君を無個性に産んでしまったばかりに』
ヒーローだと名乗った誰かにかけられたその言葉が、ギリギリで心を保っていた両親を完全に壊した。
ヒーローと名乗った人物の言葉を、誰かが聞いていたらしく。瞬く間に周囲に広まっていった。ヒーローには強い発言力があるのだと言わんばかりに、周囲はヒーローの言葉をあっという間に信じて、欠片ほども疑うことすらしなかった。
「彼」と出会った頃はまだ優しかった両親は、増々激しくなった言葉の暴力に呼応するかのように、どんどんやつれていった。
私を見なくなって、酒に溺れて、やがて何もかもを放り出すようになって…………
『アンタなんか、産まなきゃよかった』
私が最後に聞いた、母の言葉だ。
次の日、父親と母親は首を吊った。
私が見つけた時には、両親の死体は既に腐り始めていて、小さなうじが湧いていた。
遺された紙は、思いつく限りの私に対する罵詈雑言がびっしりと書き記されていた。
着の身着のままで家だった場所から飛び出した。
行く当てなんてなかった。
……だけど、どうしてか。
このまま死んでしまおう、とは思わなかった。
誰かに復讐しようとか、そんなことも思わなかった。
恨み辛みは当然あったけれど、何かをどうこうしようと思うことはなかった。
ただ、生きようとして、歩こうとした。
野垂れ死ぬ可能性の方が高いことなんて、分かっていたのに。
無個性の子供に大人は誰も慈悲なんてかけてくれないことも、分かっていたのに。
……生きようとした。
直後に、その覚悟すらも踏み躙られるとも知らないで。
建物が倒壊する音がけたたましく響き渡る。
何者かの「声」が直接脳裏に反響し、一つの物事に集中出来ない中で、物間は心操を連れて庄田達と合流することに成功した。
「物間、心操! よかった、無事で」
「一体、何があったんだ?」
「分からない……ただ、フーディルハインが単騎で攻めてきたと思ったら、突然暴走したとしか……」
「……いや、あれはフーディルハインじゃなかった。少なくとも、物間と俺が会敵した時は」
B組チームの視線が心操に向けられた。なおも頭の中で「声」が反響する中、物間が代表して心操に彼の言葉の意味を問う。
「どういうことだい、心操君」
「目の色が蒼かった。あれはソルフェジオ……恐らく、フーディルハインの“個性”の一部だ。俺は体育祭で、アイツと戦ったことがある」
「体育祭というと……トーナメントの時? そういえば、フーディルハインは自力で洗脳を解いてたって……」
「詳しいことはよく分からないけれど、あの時は一時的にソルフェジオがフーディルハインの肉体を使っていた、らしい」
「……じゃあ、結局今はフーディルハインが暴走しているんじゃ?」
「……その可能性はある」
苦虫を噛み潰したような表情で、心操は言った。
アンジェラとソルフェジオがソルフェジオ用の駆体を用意していたことを、彼らは知らない。だからこそ、彼らは今暴走しているのがソルフェジオなのか、アンジェラなのか、判別がつかなかった。
「……何にせよ、ただの暴走じゃないことは明らかだ。僕の気の所為でなければ、先程から脳裏に声……のようなものが聞こえてくる」
「ん……」
庄田の考察に同意するかのように小大が頷いた。
暴走しているのがアンジェラであれ、ソルフェジオであれ、彼らは「肉体的には同質」のものが暴走していると思っている。
そして、彼女の能力が、人の精神に干渉するようなものではないことを知っている。もしかしたら可能なのかもしれないが、少なくともその片鱗を欠片も見せていないことは知っている。
「こうなったら、試合はもう放棄されたものだと考えて、まずはA組チームと合流した方がいいと思う……」
「……確かに、そうだ。明らかな異常事態が発生したというのに、先生達が介入してこないのは少し気がかりだが……」
物間はあくまでも冷静に言った。A組が関わると暴走しがちな物間だが、彼は同時に冷静な頭脳の持ち主だった。「声」が脳を揺らす中でも、情報を取り込み、判断ができる者であった。
……もちろん、その判断がいつだって正しいものとは限らないが。
カツン、カツン、カツン…………
「……私は、忘れたかったのです。かつて自分が何者であったのか、私の眼の前で、膿み腐っていく人間が誰であったのか、人々が英雄と讃える者が、本当な何であったのか…………その全てを、忘却の彼方に捨て去ってしまいたかった」
血のような赤で染め上げられた喪服を翻し、蒼い瞳の少女は地を踏みしめた。茨で造られた冠が、血の色が混ざった空色の髪を飾っている。彼女の背からは黒い茨のようなものが無造作に伸ばされ、暴れ、周囲の建物や地面を割り、そして少女自身の右腕を雁字搦めに絡め取っていた。
「思えば……私たちは、よく似ていますね。
望んだ、望んでいないに関わらず……互いに、自分が何者であったのかを忘れていたんです。そして、心のどこかではそうあることを望んでいた。真実を知る日が来ないようにと祈っていた。
しかし……」
地面が割れて、黒い茨が溢れ出す。螺旋状の槍の形に収束したそれを、紅い喪服の少女は右手に食い込ませ、同化させる。
「……もう、祈る必要もありませんね。封は外されて、自分が何者であったのかを思い出した今となっては。
そうは思いませんか……マスター」
自分と瓜二つな紅い喪服の少女を見据え、アンジェラは呆れたようにため息をついた。
「……オレをマスターと呼ぶのなら、自力で止めることは出来ないのか?」
「分かっているでしょう。今の私に自分の意思はあってないようなものだと。言葉と身体が乖離して、もはや別のものに成り果てていると。
唯一その支配から完全に逃げることができるのは……マスターだけだということを」
「……試しに聞いてみただけだ」
実際に対峙して、今の相棒をその目で捉えてい、気が付いたことがある。
ソルフェジオの腹に突き刺さった黒い棘は、もはや彼女自身の意思で引き抜くことは出来ないのだと。
その棘が彼女を侵食し続けている限り、彼女は自分の意思でもって動くことは出来ないのだと。
自分の似姿で茨に絡め取られ、もはや表情すらも自分の思うように動かせなくなったソルフェジオは、猟奇的で美しい笑みを湛えて、槍と同化した右腕の切っ先を彼女の主へと指し向けた。
「だから、お願いです。マスター……
私を、殺してください」