それは、体育祭の翌日。轟家の食卓にて起こった出来事であった。
「姉さん……悪いけど、俺は親父をもう親父だと思わないことにした」
ガシャン!
結構豪快な音を立てて、轟の姉、冬美の持っていたお茶碗が机の上に落ちた。幸い、お茶碗は割れてはおらず中に入っていたご飯もそこまで溢れていない。
「え……焦凍、何を……」
冬美は溢してしまったご飯を片付けながら、震えた声で聞き返す。一緒に昼食を取っていた轟の兄、轟夏雄も、びっくりしたように目を見開きながら轟を凝視していた。
「だから、親父……エンデヴァーを、もう父親とは思わないことにしたんだ。今までずっと、「家族」を保ってきた姉さんには、本当に申し訳ないけど……」
「……きっかけは、体育祭?」
姉の問いかけに、轟は静かに頷いた。
冬美は、昨日の体育祭、弟の晴れ舞台を夏雄と共にテレビで見ていた。
中でも最も印象に残っているのは、最終種目二回戦。
相手はアンジェラ・フーディルハインという留学生の女の子であり、グラマラスながら小柄で華奢な、とてもヒーロー志望には見えない身体付きだったが、その凄まじい、という言葉が似合うほどの身体能力と汎用性の高い“個性”で体育祭中、常にトップであり続けた子。
その子の戦いの中で、焦凍は今まで封印していた右を、炎を使った。そのことに、冬美も夏雄も驚いた。焦凍が今までどんな思いで炎を封じ込めていたのかを、よく知っていたから。
焦凍の炎は、父親であるエンデヴァーのものとは全く違う、美しい紅の炎だった。エンデヴァーがその炎に、力を全面に押し出し屈服させているのだとすれば、焦凍の炎は、まるで見る者全てを見惚れさせるようなしなやかさを抱く炎だった。
エンデヴァーが焦凍の炎を見て、改めて自分の野望を、焦凍をオールマイトを超えるヒーローにするという、自身では叶えられなかった野望を口走った時の、あの子の言葉。
『うるせえ!!!! 部外者は黙ってろっ!!!!』
どうしようもない、彼女には関係がないはずの怒りが滲んだ叫びは、今だ残響となって冬美の脳内に響いている。
あの子は、焦凍のために怒ってくれていた。
そのことは、素直に嬉しかった。
しかし。
しかし、だ。
先の焦凍の発言は流石に予想外がすぎた。
「体育祭の昼休み、フーディルハインにエンデヴァーの話をしたんだ」
焦凍はお茶を啜って続ける。
「そしたら、フーディルハインは自分の話をしてくれた。
……あいつ、産まれてこの方義理の兄は居ても、親どころか血縁者は居たことないんだとよ。
そんなフーディルハインから見ても、エンデヴァーは親父としては酷いもんだと、
そんな酷い父親なら、捨てたほうがいいんじゃないかって、言われたんだ」
冬美と夏雄は再び絶句した。
まさか、そんなことを言われていたのか。
確かに、父親を拒絶しながら父親にある意味依存に近い感情を抱いていた焦凍には、青天の霹靂だろう。拒絶の感情を受け入れることが、必ずしも悪いことであるわけでもあるまい。
「……フーディルハインは、純粋に俺を思って言ってくれたんだ。そこまで酷い父親なら、見返すだけ時間の無駄だって。
俺は確かにヒーローになりたいけど、エンデヴァーの身勝手な欲望に付き合う必要もない、俺の生き方は俺のもんだって気付くことができた」
エンデヴァーの身勝手な欲望。
言われてみれば確かに、そうかもしれない。
ナンバーワンを超えたい。そのエンデヴァーの身勝手な野望によって生まれたのが轟家であり、冬美たちであり、焦凍であった。
エンデヴァーの欲望は、世間には敵に対する、轟家には母親と最高傑作と称された焦凍に対する刃となって突き刺さった。
世間の称賛の裏に隠された悲劇は、家族以外の誰も知ることなく今でも隠されている。
「多分、家族に血縁は関係ないんだ。フーディルハインみたいに、血の繋がりがなくても家族になれる。
……血の繋がりがあるからって、家族になる必要はない。
俺は、これからエンデヴァーを親父じゃなくて、ただの一人のプロヒーローとして見るよ」
そう語る焦凍は、覚悟を決めたような顔をしていた。
冬美はショックを受けたような表情をしているものの、内心では焦凍の言い分に納得してしまっていた。
冬美は学生時代、ずっと同級生が羨ましかった。家族の愚痴を友達に語る、同級生達が。冬美には、そんなことが出来なかった。儚くも叶うことがない、憧れだった。
冬美の家族は血縁だけの繋がりであって、本当の意味の家族ではない。冬美が辛うじて「家族」という体裁を保っていなければ、儚く崩れ去るほどに脆いもの。
冬美はずっと、自分の家も家族になりたいと思っていた。父親に狂わされた母、憎悪に近い執着心を父親に抱く末っ子と最早無関心な次男。
そして、実質的に父親に殺された長男。
冬美は父親が今まで自分達にどれだけ無関心だったか、末っ子に、長男に何をしでかしたかを思い出し、ふと思う。
こんな父親なんて、最初から居ない方がよかったのではないか?
……ああ、人の心は、なんて、儚く、脆いものなのか。
末っ子の覚悟ひとつで、こんなにもあっさりと、自分の心までもが移り変わってしまった。
さっきまでは父親だと
ああ、私にとっても、
焦凍を変えてくれた、そして、間接的に自分を変えてくれた、姿と名前しか知らない焦凍の級友に、心からの感謝を贈りたい気分だ。
ああ、解放とは、なんて晴れやかなものなのだろう!
「……ふふふ」
「ね、姉さん?」
「ど、どうしたんだ?」
急に何とも楽しげに笑い始めた冬美に、夏雄と焦凍が心配そうに見る。冬美は大丈夫だ、と一声かけて、食器を片付けるべく立ち上がった。
ああ、なんて儚く尊いもの。
たったひとつの願い、あまりにも強い憧れを叶えるため、ただそれだけのために、手にした全てを自ら棄て去った馬鹿な男。
自分はあの男が、私から家族を奪ったあの男が、憎くて憎くてたまらないのだと、ただただ取り繕っていただけなのだと、今なら分かる。
だけど、私は何もしない。
私の我儘で、かわいい生徒たちの、弟達の未来を閉ざすなんてこと、私は私が許せなくなる。
今一番あの男に怒っていい末っ子が、親であることを認めないだけで済ませているのだ。私に、それ以上のことができようはずがない。
だから、私は何もしない。
あの男との縁。血縁である以上、どこからともなく付きまわってくる縁を断ち切ることができるのは、末っ子ただ一人だけなのだ。
願わずにはいられない。
いつか、末っ子だけでも本当の意味であの男から解き放たれて、自分の憧れをただただ追いかけられるようになる、そんな日が、来ることを。
その日の午後、三人は姉弟全員で一緒に
その時の四人は、とても楽しそうな顔をしていたという。父親なんてものが、介入する余地がないほどに。
家族って、ある意味呪縛のようなものだと思っています。親がいい人で、子供のことをちゃんと想ってくれているのであればそうとは言えません、寧ろ幸せなことなのですが、そうでない子供にとっては、呪い以外の何物でもない。憎みつつも、離れるという選択肢に気付くことが出来ない。轟家、特に冬美さんはこの傾向にあるものだと思っています。冬美さん、原作でもエンデヴァーに対して恨みみたいな感情が無いわけじゃないみたいですし。
轟君から間接的に伝えられたアンジェラさんの言葉は、冬美さんの視野を特に広げました。エンデヴァーは、辛うじて家という体裁を保っていた冬美さんを失ったことになります。エンデヴァー曇りフラグが乱立していますが、果たしてどうなるんでしょうね。
前回の爆豪君の話、結構大事なので覚えておいてください。