職場体験から時は流れて、雄英高校の制服が夏服になった頃。アンジェラは蝉の声がうるさいなぁ、と頭の片隅で思いながら、相澤先生の話に耳を傾けていた。
「えー、そろそろ夏休みも近いが……勿論君らが、一ヶ月丸々休める道理はない」
「まさか〜……!?」
クラスメイト達に緊張が走る。しかしそれは、どことなく期待が含まれたもの。それに応えてか否か、相澤先生がある言葉を口にした。
「夏休み、林間合宿やるぞ」
「知ってたよ、やった〜!」
直後、クラスメイト達はある種のお楽しみに沸き立ち、各々が林間合宿でやりたいことを口にした。
「肝試めそ〜!」
「風呂!」
「花火!」
「行水!」
「カレーだな」
「湯浴み!」
峰田だけは言葉を変えて同じことを口走っているが、アンジェラも林間合宿はそれなりに楽しみにしていた。寝食をクラスメイト達と共に過ごすのは、それだけでテンションが上がるものだ。が、テンションが上がりすぎて若干収拾がつかなくなってきた。
「ただし!」
そんな空気も、相澤先生の“個性”を使った睨みによって一掃される。教育が行き届いている何よりの証拠である。
「その前の期末テストで合格点に満たなかった奴は……補習地獄だ!」
補習地獄。つまり、皆が楽しく林間合宿している間、寂しく先生の授業を受けなくてはならないということである。
「皆! 頑張ろうぜー!」
切島の呼びかけに、特に勉学に乏しいクラスメイト達が反応を見せる。アンジェラは元気だなー、と思いながら、中間にはなくて期末にはある、実技のテストは一体どうなるんだろう、と考えていた。
それから少し時は流れ、六月最終週、期末テスト一週間前。
「「全く勉強してねー!!」」
上鳴と芦戸の危機感への叫びが教室内をこだまする。この二人、中間テストでも赤点こそ取っていないが、成績はクラスの中でも上鳴はビリで芦戸はその一個上の19位という、筆記で赤点を取るかもしれない筆頭なのだ。不安に駆られるのも無理はない。
一応フォローを入れておくと、上鳴も芦戸も、他の勉強が苦手と自称している者たちも、勉強が出来ないわけではないのだ。単に雄英が勉学の面であっても求めるレベルが高いだけである。
「体育祭やら職場体験やらで、全く勉強してねー!!」
「確かに、行事続きではあったが……」
上鳴の嘆きに同感したのは中間14位の常闇だ。確かに雄英高校は1学期にかなり行事が重なっている。また、ヒーロー科のスケジュールはかなりハード。そんな中で勉強のペースを保つのは、いくら倍率300を乗り越えて来た猛者共であっても難しいものがあるのだろう。
「中間は入学したてで範囲狭いし、特に苦労なかったんだけどな……行事が重なったのもあるけど、やっぱ期末は中間と違って……」
「演習試験があるのが辛ぇとこだよなー」
中間12位の砂藤の言葉を引き継いで演習試験を嘆く峰田。何故か脚を組んで頬杖をついている。というのも峰田、普段はセクハラばかりが目立つがこう見えて中間テストでは9位。頭はそれなりにいい方なのだ。
「あんたは同族だと思ってたのにー!」
「お前みたいなのはバカで初めて愛嬌があるもんだろ……どこに需要あんだ!」
「「世界」、かな」
芦戸と上鳴の嫉妬の叫びも余裕綽々の表情で流す峰田。セクハラさえなけりゃ女子ともそれなりに仲良く出来ただろうに、つくづく勿体ない奴である。
「まぁまぁ、芦戸、上鳴、オレのノート貸してやるから頑張れって」
「うむ! 俺もクラス委員長として、皆の奮起を期待する!」
「普通に授業受けてりゃ赤点は出ないだろ……」
「言葉には気を付けろ……!」
中間1位のアンジェラ、3位の飯田、5位の轟の成績上位陣の言葉、特に轟の天然発言が上鳴のか弱いハートに傷を付ける。とは言いつつノートは借りたいのか、アンジェラが手に持っていた数学Ⅰのノートを受け取ってパラパラ捲った上鳴。
が。
「おい、フーディルハイン、なんだこれ!? 全然読めないんだけど!?」
そのノートは確かに綺麗に纒まってはいるものの、上鳴には全くもって読むことができない言語で書かれていた。アンジェラはそのノートを確認すると、テリーヌバッグからもう一冊ノートを取り出して一言。
「Oh,sorry,sorry.間違ってドイツ語で板書したやつ渡してた」
「何でわざわざドイツ語で板書した!?」
「いやー、だって暇だったし。あ、日本語で書いたノートこっち」
アンジェラはそう言うと、手に持った日本語で書かれた数Ⅰのノートを上鳴に手渡し、ドイツ語で板書したノートを返してもらう。
「……ドイツ語? フーディルハイン、ドイツ語で板書してるの?」
「数学はな」
「つまり、他の教科は別の言語で板書していると?」
「Yes!」
忘れがちだが、休学中とはいえアンジェラはこの歳で既に大学院生。つまり、高校の課程はとっくの昔に修了しているのだ。雄英高校がいくら難度が高い高校だからといっても所詮は高校。しかも一年の一学期。アンジェラにとって、雄英の授業は国語、公民、ヒーロー関連以外の授業は別腹どころかただのおかわりにしかなっていない。
しかも、語学史専攻で元々文系な上に、おかわりじゃない教科が軒並み文系科目ということもあり、アンジェラは既に一年分の予習もとい復習はほぼ終わっている。
そんなアンジェラが授業中退屈に狂うのも仕方がない話。何せ、雄英受験前の鬼門であった日本語の古典にももう既に慣れてしまったのだ。が、流石に授業中に教授からの課題をやるわけにもいかず、内職するのはなんとなく嫌だった。
そんな中アンジェラが思いついた遊びが、「板書を他の言語でやる」、である。
教科ごとに言語を決め、日本語の板書を取った上でもう一冊のノートに事前に決めた言語で板書し直す。頭の体操にもなるし、何より授業中退屈することがない。退屈を嫌うアンジェラにとって、それは何よりのことだった。
ちなみに数学はドイツ語、理科はイタリア語、国語は中国語、英語はフランス語、歴史は英語、公民はギリシャ語、その他の科目はロシア語で板書を取っている。
「……天才ってやべー」
「頭のいいやつの考えることは分からんなぁ……」
アンジェラの場合は、頭がいいんじゃなくて頭がやべーのである。特に語学に関しては。
その後、中間2位の八百万が上鳴や芦戸、また、教えてほしいと頼んできた中間7位の耳郎、8位の尾白、17位の瀬呂の5人へ八百万の家で勉強会をしよう、と誘い、プリプリと可愛く張り切っていた。
その日の昼休み。アンジェラはケテル、飯田、麗日のいつもの三人に加えて、轟、葉隠、蛙吹と共に食堂で昼食をとっていた。ちなみに麗日は中間13位、蛙吹は6位、葉隠は16位である。
「期末……演習がやっぱ不透明だな」
「突飛なことはしないと思うがな……」
「筆記はまぁ授業範囲内から出るから大丈夫か」
「……大丈夫なんやな……やっぱアンジェラちゃんって頭いいよね。飯田君や轟君もだけど、アンジェラちゃんは突出してるっていうか……」
先の教室での出来事を思い出しながら麗日は呟く。日本に来る上で日本語を勉強してここまで喋れるようになったのかと思いきや、他の複数の言語で正確なノートを纏めていたアンジェラ。国語と歴史のノートが辛うじて少し読めただけで、他のノートは全く読めなかったが、闇雲に言葉を書き込んでいるのではないことだけは分かった。
「…………ああ、オレって皆に言ってないこと結構あるみたいだな」
アンジェラはそう言いながら大盛りオムライスを口に運ぶ。
「……正直、ガジェットさんやインフィニットさんの件でお腹いっぱいなんやけど」
「まだ隠していることがあるの?」
「隠してるっつーか、これに関しては言うタイミング逃してるっつーか……」
「じゃあこの場で言っちゃいなよ! スッキリするんじゃない?」
葉隠の言葉にアンジェラもそうだな、と口を開く。皆、興味津々といった様子でアンジェラの言葉を待った。
「今までのと比べると大したことないんだが」
「うんうん」
「オレ、大卒なんだよな」
瞬間、アンジェラの周囲だけ空気が凍りつく。アンジェラはそんなに変なこと言ったか? と一瞬思ったが、よくよく考えてみると、日本には飛び級制度がなかったことを思い出した。
「……え? 大卒?」
「ああ、語学史専攻な」
「そういえば、ラフリオンって飛び級制度があったわね。それを使ったの?」
「Exactly.だから雄英の授業内容、日本語と日本史にヒーロー関連以外、殆どとっくにやってるんだよなぁ」
「それで……自学のためか、はたまた退屈だったからか……フーディルハインの性格を考えると後者だろうな。他の言語でノートとってた、と?」
「まさしくその通りだ轟。景品にオムライスの付け合せのベーコンをやろう」
「いや、その気持ちだけ受け取っておく。蕎麦にベーコンは合わねぇ」
一瞬、蕎麦+ベーコンという新種のダークマターが誕生しかけたが、麗日達はそのことは華麗にスルーしてなるほど、と納得する。語学の歴史を専門に学んでいたのなら、言語そのものについて詳しくても何ら不思議なことではないだろう。
それにしては出来る言語の数が多い気がするが、それに関してはアンジェラが語学の天才なのだと納得するしかない。
「オレが大学時代に世話になった教授が精神科医なのに語学史学科に籍を置いてる変わり者で、結構無茶な課題を出してくることが多くてさ。それをこなしてるうちに自然と色々な言語が書けるようになった」
「なるほど……例えばさ、どんな課題が出たの?」
「んー……地中海の言語の変遷について調べて中国語とロシア語でレポートを書けとか、古代ギリシャ語とギリシャ周辺の歴史の関係性についての論文をドイツ語と英語で書けとか……」
アンジェラは昔は苦労したなぁ、と当時を懐かしんで一人ごちる。厳密に言えば、今もその教授から定期的にレポートや論文を提出するように言われているので懐かしさを感じるようなものでもないのだが。
「……やっぱりアンジェラ君は凄いんだな」
「まぁ、語学には自信あるけど。理系は……まぁそこそこ?」
「中間1位……全教科においてほぼ満点だった人が何を言いますか!」
「だって高1の範囲だし」
アンジェラはそんなことを言いながらコンソメスープを口にする。アンジェラの言葉には全くもって嫌味などは含まれていない。事実、アンジェラは理系は大卒基準でそこそこできるくらいであり、苦手というわけではないが突出して得意というわけでもない。アンジェラが雄英の理系科目を退屈だと感じるのは、単純にとっくの昔に履修済みの高校の範囲だからである。
「それに筆記はできても演習は分かんないぜ? 採点基準はおろか内容すら知らされてないからな」
「確かに……どう対策すればいいのか分からないよね。一学期でやったことの総合的な内容……」
「とだけしか教えてくれないんだもの、相澤先生」
「一学期でやったことといえば、戦闘訓練と救助訓練……あとは基礎トレ……」
麗日が一学期のヒーロー基礎学でやった内容をざっくりとあげてみる。流石に基礎トレでテストをするのはおかしいので、テストするならば戦闘か救助のどちらかだろう。
今までヒーロー基礎学でやった内容を思い返し、アンジェラは口を開く。
「戦闘か救助……救助は専門知識が多いことを考えると多分戦闘だろうけど、どっちにしろ頭だけじゃなくて体力面も………………!」
ふと、敵意にも似た何かを感じたアンジェラは、反射的に頭部に防御魔法陣を展開する。ガキン! と音を立てて魔法陣にぶつかってきたのは物間。A組を妬んで突っかかってくる面倒なやつである。
「あ、ごめん。頭大きいからぶつかってしまっ…………」
「よぉ、随分な挨拶だな? オレ、背ぇ低いから狙わないと肘がぶつかったりしないはずなんだがなぁ。
あと、あんた名前なんだっけ」
「「ぷっ……!」」
威嚇の後、アンジェラが素で放った言葉に麗日と葉隠が吹き出した。他のメンツも笑いをこらえている。アンジェラ本人は本当に名前が分からなくて聞いただけなのだが、何やら皆の琴線に触れたらしい。
「……何なんだい君は……僕は物間寧人だ!
ったく、これだからA組は……」
悪態をつきながらもなんだかんだで名前を教えてくれる物間も、ちょいと心がアレだが根っこの部分は悪い奴ではない。A組への妬みが酷すぎて台無しなのだが。
「んで、何の用だモノクル。この近くの席は空いてねぇぞ?」
「早速間違ってる! 物間だっつの!」
「ああ、悪い悪いモノクロ」
「わざとだよね!? それ絶対わざとだよね!? モノしか合ってない上に一文字多い!」
アンジェラはバレたか、と言わんばかりにカラカラと笑う。最初に名前が分からなかったのは本当だが、その後の二つはわざとである。麗日と葉隠は大爆笑、他のメンツも笑いを堪えきれなくなっている。
「まったく……僕は君達にちょっと言いたいことがあってね」
「食事中だ、手短にな」
一切調子を変えずにアンジェラはチリドッグに齧り付いた。物間は散々調子を崩されたものの、このままA組にやられっぱなしでも終われないという負けん気で物間は口を開く。
「君達、ヒーロー殺しに遭遇したんだって?」
ピシリ、と場の空気が変わる。麗日達は額に流れる冷や汗を感じていたが、物間は気付いていないのか話を続けた。
「体育祭に続いて、注目浴びる要素ばかり増えていくよねA組って。ただその注目って、決して期待値とかじゃなくて、トラブルを引き付ける的なアレだよね。
ああ、怖い。いつか君達が呼ぶトラブルに巻き込まれて、僕らにまで…………」
ガチャリ。
その言葉の先を物間の口が紡ぐことはなかった。
「……言いたいことは、それだけか?」
アンジェラの冷たい声が響く。
その手には、白地に青のラインが入った拳銃、拳銃の姿になったソルフェジオが、物間の眉間に向かって構えられていた。
「それ以上戯言を口にするな……その頭に、風穴開けられたくないんならな」
アンジェラはそう言いながらソルフェジオに魔力を込める。頭に穴を開けるのは流石に脅し文句と言う名の冗談だが、物間がこれ以上余計なことを口走るのならば、本気で容赦なく引き金を引くつもりだった。
麗日達は、自身に銃が向けられているわけではないと知っているのに、冷や汗が止まらない。アンジェラの顔を覗き込んで見ると、その顔からは何も表情が読み取れない。
アンジェラが怒っていると、理解するにはそれだけの情報があれば十分だった。
「ちょちょ、ストップA組! というかフーディルハイン!」
「かはっ!」
と、アンジェラを諫める声と同時に手刀が容赦なく物間に浴びせられる。物間は声を上げてダウンした。
「物間、洒落にならん! 飯田の件知らないの?
ごめんな、A組。こいつ心がちょっとアレなんだよ。
……私からよく言って聞かせておくからさ、今は拳……というか銃を収めてくれない?」
物間をダウンさせたのはB組のクラス委員長、拳藤だった。アンジェラは真顔のまま、拳藤をじっと見ている。自身に怒りの感情が向けられているわけではないと分かってはいるが、なんだか薄ら寒いものを感じている拳藤は、折衷案をアンジェラに提示した。
「次に物間が余計なこと言ったら、容赦なく発砲していいから」
「……………………っち、しゃあねぇな。
今回だけだ。次はないとそいつに言っておいてくれ」
「うん、本当にごめんな?」
アンジェラはその条件を呑んだのか、ようやく銃を収めてソルフェジオをペンダントに戻した。
「お詫びと言ったらなんだけどさ、あんたらさっき期末の演習、不透明だって言ってたじゃん? 入試のときみたいな対ロボットの実戦演習らしいよ」
「え、どこ情報だそれ?」
ようやく真顔から戻ったアンジェラが疑問をぶつける。拳藤は温度差ヤバいな、と思いながら情報の出処を口にした。
「私先輩に知り合い居るからさ、聞いた。ちょっとズルだけど」
「いや、ズルじゃないと思うぜ? 情報の収集から戦いは始まってるってよく言うからな。
……そっか、先輩に聞けばよかったのか」
普通の学校であればないだろうが、ここは雄英。有り得る話だ。アンジェラは一人納得したように頷いた。
「馬鹿なのかい、拳藤……せっかくの情報アドバンテージを……こここそ、憎きA組を出し抜……かはっ!」
「憎くはないし、フーディルハインを怒らせたのはあんたでしょうが!」
また何かを口走ろうとした物間を、拳藤が再び手刀で黙らせて回収していった。
「……B組の、姉御的存在なんだな、拳藤って」
アンジェラの言葉には、物間に対する呆れが存分に見受けられたとかなんとか。
「「やったー!」」
教室内で嬉しそうな声を上げているのは芦戸と上鳴。期末ちょっとヤバげな二人組である。
「なんだよ、ロボなら楽チンだぜ!」
「ホントホント!」
「お前らは対人だと、“個性”の調整大変そうだからなぁ」
喜び合う二人に相槌を打つのは中間10位の障子だ。芦戸の「酸」も上鳴の「帯電」も、一歩間違えば相手を死に追いやる危険性が他の“個性”よりも高い。
「ああ! ロボならブッパで楽勝だ!」
「私は溶かして楽勝だ!」
「これであとは八百万に勉強教えてもらえば、期末はクリアだな!」
なんだか早くも祝賀モードに入りかけている数名をよそに、アンジェラは考え込んでいた。確かに、今までは対ロボの実戦演習だっただろう。だがそれは、雄英が敵連合に襲撃される前のこと。
……果たして、雄英がカリキュラムをこのままにしておくだろうか。単純な鉄の塊相手の試験を、今も続けるのだろうか?
そこまで考えて、アンジェラは行き着いた。
……ひょっとしたら、期末の演習は先生相手の実戦になるかもな。
が、これを言うつもりはない。不用意に不安を煽るようなことをすれば、筆記の方で躓く奴が出る可能性があるからだ。予想でしかないし、当たったらいいか、とアンジェラはその考えを片隅に追いやった。
アンジェラの予想は、後に当たっていたことが判明することになる。
飛び級制度は欧州だったら普通にあると思います。某汎用人型決戦兵器の弐号機パイロットさんも十四歳で大卒でしたし。
ブラコン怖い………初期設定じゃツンデレキャラだったのに、今やその影も形もない……。