その娘達は命を散らし
末の妹は魂を散らし
やがて一つとなるだろう
自我を食い潰す、宵闇の捕食者へ
あなたはきっと、怪物であり人間ではない
だけどきっと、人間だ
──止める暇もなかったと、そんなことも出来なかったと、後に麗日たちは語った。
警備マシンに紛れたあの謎の物体をアンジェラが視認したその瞬間、アンジェラは物凄い勢いで、邪魔な警備マシンを蹴散らしながらその物体のひとつに掴みかかった。その衝撃でアンジェラの肩に乗っていたケテルが落っこち、地面に叩きつけられる寸でのところでテイルスにキャッチされる。
「ウ"……ゥァ……」
物体に掴みかかったアンジェラは、物体の左の二の腕を掴むと、力づくで物体の大きな腕をもぎ取った。物体の左腕から黒い血のようなものがまるで噴水のように湧き出てくる。だくだく、だくだくと流れ、アンジェラの左頬を黒で汚し、床に黒く汚い水たまりを作り、噎せ返るような金属の匂いを周囲に漂わせた。
物体は低い唸り声を上げながら右腕を振り上げてアンジェラを払いのけようとするが、
「
普段よりも低い声の詠唱と共に放たれた
物体に顔があれば、おそらくは痛みで悶えるような表情が見えただろう。しかし、感情を表に出すための部品を持たない物体は、まな板の上の魚のようにビチビチと跳ねることでしか痛みを表現することが叶わない。
残された警備マシンがアンジェラに襲いかかるも、アンジェラは引き千切った物体の腕をまるで棍棒のように振り回し、投げ飛ばし、邪魔をする警備マシンを吹き飛ばした。
「……」
邪魔するものが居なくなったアンジェラは、物体の胸に両手を沈めて肉を引き裂くと、おもむろに口を開く。普段は普通の、口に“個性”の影響がない人間と同じ構造をしているはずのアンジェラの口の中には、確かにギラリと光る鋭利な犬歯があった。
そして、アンジェラは物体の引き裂かれた胸の肉に顔を近づけると、
「……………グァ」
なんの躊躇いもなく、そのグロテスクな肉に噛み付いた。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、
アンジェラが口を動かすたびに鳴り響く、肉が咀嚼される音。己の顔や衣服が物体の黒い血のようなもので汚れることも厭わず、アンジェラは物体を喰らい続ける。
そんな隙だらけに見えるアンジェラに警備マシンや他の物体が攻撃を仕掛けようとするも、「食事」の邪魔をされて、彼女が黙っているはずもない。
「………………」
物体の胸を喰い進めているうちにたどり着いた、小さな金平糖のようなパーツ。アンジェラがそのパーツを口に含んで噛み砕くと、両腕をもぎ取られた物体の姿が黒い霧のようにかき消える。アンジェラに投げ飛ばされていた両腕も同じように、黒い霧のようにかき消えた。
警備マシンや他の物体がアンジェラに飛びかかる。
しかし、はて、彼らは何を勘違いしているのだろうか。
まだ、彼女の「狩り」は、「食事」は、終わっていないというのに。
「…………………………」
物体のひとつを咀嚼しきったアンジェラが立ち上がり、鋭い眼光で警備マシンたちと他の物体を穿く。
いや、穿くなどという生易しいものでは決してない。
アンジェラの瞳は普段のトパーズの色ではなく、ソルフェジオが一時的にアンジェラの肉体を使っているときのようなサファイアの色でもなく、
血に飢えた、グロテスクなアカイロをしていた。
「……ハハっ」
もう数体の「獲物」を目にした少女は、笑う。歪に作られた笑みは、恍惚としていて、恐ろしいはずなのに、どことなく目を離せないような美しさもある。普段のアンジェラからはかけ離れた狂気的な笑みで、そこに理性など、一欠片もない。
先程から、この黒い「獲物」を目にしたその瞬間から、腹が減って減って減って減って仕方がない。1体喰ったくらいでは、彼女の底知れぬ食欲が、収まることはない。
それは、野性的で、しかし生きとし生けるものならば全てが持ちうる感情……否、「本能」。
「アッハハハハハハハ!!!」
今宵は久方ぶりの「ごちそう」。その全てを喰らい尽くすまで、彼女は決して止まらない。止まれない。
邪魔をする全てを破壊して、奴らの全てを喰らい尽くせと、本能が自我に、訴えかけてくる。揺さぶられる。飲み込まれる。
アンジェラは狂ったように笑い、声を高鳴らせる。いや、狂ったように、ではなく、既に狂っているのかもしれない。
はたまた…………彼女は、最初から狂っていたのか。
そんなこと、この化け物と少女が織り成す奇妙な肉の宴の舞台では、関係のないことだけれど。
アンジェラは自我を揺さぶる本能のまま、飛びかかってきた邪魔な警備マシンたちを身体強化魔法を纏わせた脚で蹴り抜き、物体のうち数体に音速の拳を打ち付け床に叩きつけ、物体のうち一体に掴みかかると、ぐちゃり、という音とともに再び物体の胸の肉を切り開き、そこに歯を突き立てた。
「ひっ……!」
あまりにも凄惨な光景、噎せ返るような甘い香り、そして、友人の普段とはまるで別人のような悍ましい行動……そのどれを発端としたものかは、もはや定かではないが、本能に訴えかけるような恐怖に悲鳴を洩らしたのは、誰だったのか。
少なくとも、ソニックたちではなく、クラスメイトたちかメリッサのどちらか、はたまた、その両方だったのは、間違いなかった。
「……あの、アンジェラちゃんを……止めないと……!」
勇気を振り絞って声を出したのは麗日だった。しかし、ソニックは、震えてはいるが今にも飛び出しそうな麗日を、その肩を掴んで制止する。
「今のアンジェラを、止めちゃ駄目だ」
「どうしてっ!? だって、あんな……!」
麗日はソニックにありえない、といったような視線を向ける。麗日には耐えられなかった。大切な友人が、あんな猟奇的な目をして、残忍な行動をすることが。それは飯田たちも同じこと。友人が間違った方向へと進んだときに引き戻すのも、ヒーローの役目と言わんばかりに、なんとか勇気を振り絞って飛び出そうとする。
「行くな!」
そんな彼らを、ソニックは普段の飄々とした態度からは考えられないほどの声量で、引き止めた。
「……今のアンジェラは、何をされても、止まることができないんだ」
ソニックの叫びを引き継ぎ、シャドウが口を開く。
「アンジェラが大学で世話になった教授の話を、聞いたことがあるか?」
「……うん。期末前の、お昼休みのときに。精神科医なのに語学部に籍を置く……変わり者、だって」
麗日は恐怖に震えながらなんとか答える。同じ時にその話を聞いた飯田も頷きを返した。
「そうか……アンジェラも、あの人の過去そのものは知っている。まぁ、話せなかったんだろうな。今は、話す必要があるから話すが。
あの人は元々精神科医として大きな病院で働いていたんだ……“個性”を使ってな。
あの人の“個性”は「相手の自我を読み取る」ものだった。あくまでも深層心理に抱える……いわゆる「心の闇」など、そういう類のものを読み取ることができるだけで、好きな情報を引き出せるようなものではなく読み取れる情報も少ないため、諜報に使えるようなものではなかったが……精神科医にはうってつけの“個性”だった。
だけど、周囲はおろかあの人自身ですら知らなかったことがある。あの人の“個性”は……「使えば使うほど使い手の自我を蝕んでいく」ものだった。
精神科医として“個性”を使い続けた結果、あの人の自我そのものが崩れかけた。そのことを真っ先に察知したあの人は、周囲のあの人を慕う人たちの勧めもあって精神科医の職から一度離れることにした。
……そして、大学時代の伝と元来の常軌を逸した言語好きを使って、アンジェラが通っていた大学の語学部の教授になった」
麗日たちは絶句する。特にあの日、アンジェラから教授の存在を聞かされていた麗日と飯田のショックは大きい。
アンジェラが何気なく話したその裏に、まさかこんな話が隠れているだなんて、夢にも思わなかったのだ。
「……アンジェラさんがお世話になった教授さんの過去の経緯はよく分かりましたが……どうして今、その話を?」
八百万の疑問は麗日たちも持ったものだった。アンジェラが世話になった教授の過去と、現在のアンジェラの暴走。普通に考えれば共通点はない。
「…………その、教授の“個性”ね、教授が教授になったあと、一回だけ使われたことがあったんだ」
シャドウの言葉を引き継ぎ、ケテルを腕に抱えたテイルスが話を紡ぐ。
「そのきっかけは、あの化け物……今も、アンジェラが喰べている、あいつら。
……GUNが、「ワルプルギス」とコードネームをつけた、あいつらだよ」
これは、ブラック彗星事件から数週間後のこと。
ステーションスクエアの郊外に突如として現れた、黒い歪な頭のないヒトガタの集団。
アンジェラがソニックとテイルスを招いて、教授に着いてある史跡を訪れていたとき、偶然にもそれと遭遇してしまった。
『あっ……ああ……!』
それを視認した瞬間、自我が大きく揺さぶられる。どこからともなく湧き上がる、渇きにも似た抗いがたい本能が、「奴らを喰らい尽くせ」と、アンジェラに訴えかけてくる。
理性がガリガリと削られる。自分の意思がナニカに塗りつぶされるような感覚に、アンジェラは恐怖さえ覚えてその場に蹲った。
『アンジェラ!?』
『どうしたの!?』
突如その場で蹲ったただならぬ様子のアンジェラに、ソニックたちが心配と共に駆け寄る。アンジェラの歯がガタガタと音を立て、汗か涙か分からない液体が絶えず頬を滴り続けている。どこからどう見ても大丈夫なんかではない。
『ウ"ゥ……』
刹那、アンジェラの口から唸り声が響く。ソニックが本当にどうしたのか、と手を伸ばそうとしたが、バシン、という乾いた音と共に伸ばされた手は弾き落とされた。
『ッ……! ア、ウァ……ッ』
唸り声が大きくなる。アンジェラの瞳の色が濁り、グロテスクなアカイロに染まる。その瞳が湛える鈍い光に込められていたのは、狂気、恐怖……そして、絶望。
兄たるソニックは理解してしまった。この行動も、ソニックに対する拒絶も、アンジェラ自身の意思では、感情ではないと。アンジェラが操られているか、それか……アンジェラ自身も思いもよらぬ所から湧き出た衝動によるものだと。
下手をすれば、邪魔をするならば、兄たるソニックですら殺そうと動きかねないほどの強い衝動に、アンジェラは必死に抗っているのだと。
『アンジェラっ……オレなら大丈夫だ……』
だから、ソニックは自分なら大丈夫だと、アンジェラに言い聞かせることしか出来なかった。
『アァ……グゥ……』
『……危なくなったら、止めに入る』
『……ッ、ア……』
アンジェラの理性が、本当にギリギリのところで保っていたのはその瞬間までだった。
『ッ、グアァァァァァッッッ!!』
地を穿く咆哮。同時にアンジェラはヒトガタの集団に飛び掛かり、腕をもぎ取り、黒い血のような液体を周囲にぶちまけ、肉を貪り喰らった。ヒトガタが黒い霧となって掻き消えれば次へ、それが消えればまた次へ、少女の食欲は留まるところを知らない。
それはまさしく獣の狩り。化け物と少女が舞い踊る肉の宴。人に似た姿をした滑稽な怪物が、絶対的な強者である人の姿をした、本能に自我を蝕まれた哀れな少女の血肉となり果てるための儀式。
但し、それは神聖と言うにはあまりにも悍ましく、黒い液体に汚された少女は、「天使」は天使でも、「堕天使」のよう。人に似たナニカを蹂躙し続け、殺戮を繰り返す少女の瞳に、もはや正気など、どこにもありはしない。
だが、その姿には、どこか儚く、そして、危険な魅惑的な何かがあって、ソニックたちは目を逸らすことが出来なかった。
『フフ、アハハハッ』
正気を失った少女が笑う。今まで抑圧されていた……否、忘れ去られていた本能を想い出し、呑み込まれ、彼女は恍惚とした、狂気的な笑みを浮かべる。
彼女の頭には、化け物どもを喰い尽くすことしかない。それが、自然の摂理、絶対的な捕食者として、当たり前のこと。化け物どもを喰らったアンジェラの舌は、確かにこの化け物どもの血肉を「美味い」と認識した。
『アッハハハ、アハハハハハハハハッ!!!
…………ァ』
しかし、彼女の「理性」は、この状況を良しとしなかった。
最後の一体の胸の肉を喰い散らかし、金平糖のような塊を噛み砕き、ヒトガタが霧と化したその瞬間、アンジェラは自我を飲み込もうとしていた本能から解放された。