人が手を伸ばしていいものではなかった。
人は人以外の何者にもなれぬというのに。
ましてや、神になどなれやしないのに。
遣いを騙る愚か者共は、手を伸ばそうとした。
届くはずがないと分かっているのに。
数えることも億劫になるほどの魂を捧げて。
卵を奪われ、薬物を投与され、身体に手を加えられ。
少女はひたすらに、汲み上げ、産み落とし続けることを強要された。
逃げ道など、どこにもなかった。
救いの手など、差し伸べられなかった。
時間の感覚がなくなっていく。
身体の感覚もなくなっていく。
人としてあったものすべてが、抗う術なく消え去っていく。
憧れがまず消えた。
その次に幸福が消えた。
祈りが消え、
喜びが消え、
楽しさが消え、
正義が消え、
不屈の精神が消え、
優しさが消え、
最後に、想い出が消えた。
積層していく憤怒、恐怖、悲哀、憎悪、絶望、呪咀、嫌悪。
新たに産まれた復讐心と、殺意。
憧れは憎悪に変わった。
憎悪は殺意となり、研ぎ澄まされる。
ただひたすらに、ひた隠し、ひた隠しにして。
奴らの喉元を掻っ切ることを、夢に見て。
許しを請う時間すらも赦さない。
英雄なんて、この世界には存在しない。
天使も英雄も何もかも、全てが血に沈んでしまえばいい。
残されたのは、音のない悲痛な叫びだけ。
肉を、脊髄を、魂を喰らい尽くし、
彼の地にいつの日か与えよう、
終焉を、永久に。
林間合宿三日目。
今日も今日とて、“個性”を伸ばすための訓練が行われている。夜中の二時まで補習があった補習組が動きが鈍いと相澤先生に叱咤されたり、青山と麗日が期末で赤点ギリギリだったと相澤先生に言われたり、全員に向けて相澤先生が「原点を常に意識しろ」と言ったりしていたようだが、その全てがアンジェラの耳には入っていない。まあアンジェラは離れた場所に居るのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
アンジェラは昨日と同じように、カオスコントロールによる短距離ワープの練習は勿論、それ以外にも魔法の練習やワン・フォー・オールの練習なんかをしている。今日は昨日あまり注力していなかった、属性魔法の練習が主だ。
アンジェラの魔法使いとしての実力は、まだまだ荒削りと言わざるを得ない。属性魔法で特に必要となる綿密な魔力コントロールの技術なんかはまだまだ発展途上である。
なのでアンジェラはカオスコントロールのインターバルの間、魔力を細かくコントロールする練習をしていた。
「……それで、エネルギーをコントロールする練習で…………
何で氷像が出来上がってるの?」
マンダレイの眼前に堂々と鎮座しているのは、翼をモチーフにしたように見える、人間サイズの氷像だった。近くで見るとかなり精巧な造りであることが分かるそれは、離れた場所からも感じる、心地よい冷気を放っている。
「綿密なコントロールの練習なら、何かを精巧に作ってみたらどうかって、ソルフェジオが」
「それで氷像を造った、と……」
「氷像が一番難易度低いからな。まずは簡単なところからコツコツと、ってね」
そう、この氷像はソルフェジオの提案を受けたアンジェラが、氷の魔法で造り出したものである。属性魔法のプロセスの一つである魔力の変換と、魔力の微細なコントロールを同時に練習出来る、かなり理に適った手法なのだ。
「こんなのも造れるぞ」
そう言ってアンジェラは地面に手を翳す。すると、その先に魔法陣が現れ、空色の魔力光が魔法陣から溢れ出し、その光が収束して氷でできた美しい樹木へと成った。無詠唱の氷魔法だ。マンダレイはおおー、とアンジェラに拍手を送る。
「形は自由自在なの?」
「ある程度はな。大きすぎるとただ氷出すだけになっちゃうし、ちょっとコントロールミスると形崩れるけど」
「でも人間サイズの氷像が造れるってことは、氷で相手を足止めしたりとかには十分使えるんじゃない?」
「まあな、発動までに時間がちょっとかかるのがネックだけどな」
魔法陣の展開から魔法を発動させるまでの発動時間の短縮は、もちろん鍛錬や工夫でどうこうできるものではあるのだが、それには限度がある。最低限の魔法発動までにかかる時間というものが存在するのだ。スマートフォンの電源を入れても、すぐにスマートフォンの機能が使えるようになるわけではないように。特に、変換のプロセスが必要な属性魔法は発動までに時間がかかりやすいタイプの魔法だ。
魔法陣の展開から氷像の生成までには10秒ほどかかっているが、これでも練習を繰り返し、工夫を織り交ぜたりして大分早く発動できるようになったほうなのである。まあ、魔力コントロールの練習のために精巧な作りにしている以上、どうしても時間はかかってしまうものなのだが。普通に人間サイズの氷を出すだけであれば、今のアンジェラであれば4秒ほどで可能だろう。
しかし、まだ実戦で使うと考えると、遅い。
アンジェラが発動時間の短縮にはどうすればいいのかをつらつらと考えていると、ふと、マンダレイが口を開いた。
「……昨日の夜、女子会してたらいきなり顔色を悪くした、って聞いたけど、もう大丈夫なの?」
「…………」
麗日達にその話を聞いていたのだろう。マンダレイは心配げにアンジェラの顔を覗き込む。
「それで、オレが大丈夫って言ったとして……お前は、それを信用するのか?」
「しないね。こういう時のアンジェラの大丈夫ほど、当てにならない大丈夫はこの世に存在しないもの」
即答。
しかし、アンジェラの「脆さ」や「危うさ」を知る者からすれば、当然の解答だった。
アンジェラは木の氷像にそっと触れて、口を開く。
「……正直、話せることは何も無いぞ。あの時のことは、本当に自分でもよく分からなかった。ただただ、理解しちゃいけないような気がした……本当に、それだけだ」
「そっか…………恋バナをしてたらしいけど、アンジェラが失っている記憶の中に、恋バナとかがトラウマのスイッチになるような出来事があって、それを無意識に思い出しちゃったのかもね。一種の防衛反応、みたいなものなのかな」
「………………」
確かに、仮説としてはそれが一番納得し得るものだろう。自我では失っていても、身体がその記憶を残しているのなら、あの時の反応もあり得るものだろう。
しかし。
しかし、アンジェラは「違う」と、何故か確信を持って言えた。
その確信がどこから来たものなのか、彼女には全く分からない。失われた彼女自身の記憶がトリガーとなっているのか、はたまた記憶にもない何かか。
しかし、アンジェラは「前からそうだとわかっていたかのように」、そう言い切れた。
氷像に触れたアンジェラの指に力が入る。
ピシリ……とヒビが入った樹木の氷像は、次の瞬間には粉々に崩れ落ちていた。
「……オレの記憶は、こうやって粉々になったのかな。崩れて、散らばって、自分でも分からない場所にひっそりとその残骸だけが残って、歯車に挟まってその動きを乱して……」
冷たい瞳、無機質な声。感情の一欠片すらも見えない瞳で、アンジェラは氷像の残骸を見下す。魔力で造られた氷の欠片は、瞬く間に淡い光となって霧散していった。
「……自分でも、理解の及ばぬものに自我を掻き乱されるのは、本当に、癪に障る……
……でも、なんだかな……どうしても、無視できないんだ。無視したら、自分の心が壊れてしまうような気がして」
彼女自身も、理解していない。自分が何者で、どこから来たのか、何故「魔法」という力が使えるのか、ワルプルギスへの捕食本能は誰によって植え付けられたものなのか……
分かっているのは、自我を掻き乱す「何か」が、アンジェラの自我を、守っているのだということだけ。
「……知らないままの方が、幸せなのかもな。忘れ去った過去なんて」
アンジェラはそう言うと、自嘲気味に、曖昧に、笑った。
「……そうかもね。無理に思い出そうとする必要はない。
だけどさ、アンジェラ……
そういう記憶ほど、いつの日か、否が応でも思い出さざるを得なくなるものだよ」
マンダレイの言葉、ヒーローなどではなく、ただただ友人として、人生の先輩として紡がれたその言葉が、アンジェラの頭蓋に染み付いていく。
「別に無理して思い出せ、なんて言うつもりはない。思い出さないままであなたが幸せで居られるなら、それでいいと私は思う。無理に思い出そうとして、その心にヒビが入るくらいなら、いっそのこと、忘れたままでいいと思う。
だけど、覚悟はしておいた方がいい。
不意に、失われた記憶が戻る、その時のための覚悟を」
「……肝に、銘じとくよ」
アンジェラが捻り出した言葉も、生徒などではなく、ただただ友人としての言葉だった。
「…………」
アンジェラとマンダレイのその会話を、通話状態の携帯を通して相澤先生が聞いていたことは、マンダレイと、ソルフェジオだけが知っている。
時は流れて、夕食とその片付けが終わり、太陽が完全に沈みきった頃。
「さて! 腹も膨れた、皿も洗った!
お次はー……」
「肝を試す時間だー!」
『試すぜ──ー!』
異様にテンションが高い芦戸達補習組。ハードが過ぎる合宿の中にご褒美を見出したと言わんばかりのテンションだ。
しかし、相澤先生は容赦がなかった。
「その前に。大変心苦しいが、補習連中はこれから俺と授業だ」
「…………ウソだろ!!!?」
補習組の顔が絶望に染まる。皆が楽しく肝試ししている間、相澤先生の補習を受けなければならないのだから高校生としては当たり前といえば当たり前だ。
相澤先生は逃がすつもりはないとばかりに、捕縛布で補修組を拘束する。
「すまんな、日中の訓練が思ったより疎かになってたんで、こっちを削る」
相澤先生の言葉には、すまないなんて感情は一切込められていなかった。
「うわー、勘弁してくれー!」
「試させてくれー!」
そんな5人の嘆きと抗議の声もまるっと無視して、相澤先生は補修組を捕縛布で引きずって行った。その声をBGMに、プッシーキャッツが肝試しのルールを説明し始める。
「はい! というわけで、脅かす側先行はB組。A組は二人一組で3分おきに出発。ルートの真ん中に名前を書いた御札があるから、それを持って帰ること! 脅かす側は直接接触禁止で、“個性”を使った脅かしネタを披露してくるよ!」
「創意工夫で、より多くの人数を失禁させたクラスが勝者だ!」
「やめてください、汚い」
「もっと他に判別方法なかったのかよ」
「なるほど、競争させることでアイデアを推敲させ、その結果“個性”にさらなる幅が生まれるというわけか、流石雄英!」
「いや、絶対にコレそこまで考えてない」
わいのわいのと盛り上がったり、汚いルールにツッコミを入れたり、深読みしたり、その深読みにツッコミを入れたり、と、生徒たちが盛り上がってきたところで、パートナーを決めるためのくじ引きが行われた。
その結果。
「わー、一人だ」
「マジか……アンジェラがそれ引く?」
クラスの人数は20人。そして、5人が補習で引きずられて行った。この場に居るのは15人。奇数。
つまり、どうあがいても一人余る。
そして、よりにもよって一人になったのは、アンジェラだった。
「ひょっとしてフーディルハイン、怖いの苦手だったり……?」
「いや、逆逆。アンジェラはホーンテッドハウス……日本で言うお化け屋敷に入っても、ず────っと真顔なの」
「真顔!?」
マンダレイの予想外すぎる言葉に、耳郎は肩をビクっ! と震わせて驚いた。というか、クラスの全員が驚いた。マンダレイは昔のことを思い出しながら続ける。
「真顔も真顔、どれだけ驚かしても無反応。むしろお化け役が、あまりの怖さで泣くくらい。話によれば、ホラー映画を見る時も真顔でひたすらポップコーンを貪ってるらしいし……」
「なにそれ……っていうか、マンダレイは何でそんなこと知ってるんですか?」
「成り行きで、アンリーゼ大学の学祭の出し物にあったホーンテッドハウスに一緒に入ったことがあって……あの時は正直、生きた心地がしなかった」
「なるほど……」
「え、そこまで言う?」
アンジェラは心外だと言わんばかりの顔でマンダレイをじーっと見るが、マンダレイは曖昧に笑っていた。
「だからアンジェラには是非とも誰かと組んでもらいたかったんだけど……」
「ま、くじ引きの結果なら仕方ないさ」
「それもそうだね」
「「あっはっは」」
「…………フーディルハインとじゃなくてよかった」
耳郎の声は、それはそれは切実なものだったとかなんとか。
他にも、裏で峰田が何やら不吉なオーラを放ちながら八百万と組んだ青山に交代をせがんだりといったことがあったが、そんなこんなで肝試しがスタートした。
「じゃ、五組目! ケロケロキティ、ウララカキティ、GO!」
何やら悲鳴が響く森の中へ、蛙吹と麗日が立ち入って行く。悲鳴の主はおそらく葉隠と耳郎のものだ。耳郎はともかく、葉隠の悲鳴と思しき声は微妙に楽しそうである。そういえば、葉隠はこういうのが好きだと前に聞いたなと、アンジェラは頭の片隅で思った。
このままいけば、楽しい行事となるはずだった。
突然、アンジェラ達の嗅覚に焦げ臭い匂いがかすめる。
「何、この焦げ臭いの……」
「信乃、あっちに黒煙が見える」
「あれって……まさか、山火事!?」
明らかな異常事態。プッシーキャッツとその場に残っていた面々は周囲を警戒する。
と、突然、ピクシーボブの身体が茂みの方へと引き寄せられるかにように飛んでいってしまう。アンジェラは急ぎ手に魔法陣を展開させ振り向くが、それと同時に何かを殴ったような音が響いた。
「飼い猫ちゃんはジャマね」
その音の方向には、トカゲの姿にステインと似た装備を身に着けた男と、布を巻かれた大きな柱のような物体を持った男。彼らの足元には、頭から血を流したピクシーボブ。
「何で……万全を期したはずじゃあ…………
何で敵が居るんだよぉ!!!?」
恐怖と困惑で峰田が叫ぶ。しかし、ここに現れた事実は覆らない。
悪意が再び、牙を剥いた。
「敵連合……まあ、利用させてもらうわ。
私に残された時間は、あと僅か……それまでに…………」
はい、開闢行動隊が出てきましたね。先に言っておくと、原作通りにはいきません。じゃあどうなるん?って話ですが…………まー、どうなるんでしょうね。