信念があれば、憎悪にだって打ち勝てる。
その心、折り砕けぬ限り。
……十五分後、警察や消防が現場に駆け付け、消火活動や救助が行われた。
その数分前、効果時間が切れたのか、
しかし、その手が届かなかった事実は変わらない。
そのショックが大き過ぎたのか、はたまた、まだ万全の状態ではなかったからか、それとも、その両方か。
轟は、それを知覚した直後に意識を失いその場に倒れ伏した。
その後、警察が三名の敵を現行犯逮捕。それ以外の敵達は、跡形もなく姿を消していた。
被害状況は、プロヒーロー六名のうち一名が頭を強く打ち意識不明の重体、一名が血痕を残して行方不明。
生徒は四十名のうち、敵のガスによって昏睡状態に陥ったのが十五名、治療を施されたものの、意識不明の生徒が二名、重軽傷者九名、無傷で済んだのが十三名。
そして、行方不明が一名。
雄英高校一年生の林間合宿は、生徒たちに多大な被害を及ぼし、あまつさえ拉致されるという、最悪の結果で幕を下ろす事となった。
「……元々、アンジェラさんの役は釣り餌だったとはいえ…………まさか、天使の教会ではなく、敵連合に掻っ攫われていくなんて…………流石にこれは、予想外ですね」
「USJ事件と続いて、一年に二度も同じ組織に襲撃を許す、か……これはもう、雄英の中に連合の内通者が居ることは確定しているだろう」
「…………無理を言ってでも、僕らもついて行くべきだった」
「それはもう完全な結果論でしかない。お前は、俺達GUNが雄英にとって完全なシロであるという証明が出来るのか?」
「………………」
インフィニットの厳しい指摘に、ガジェットは悔しそうに歯噛みする。彼だって、当然分かっていた。完全なシロの証明というのは、どんな天才であっても不可能であることくらい。
一つでも怪しいと思う部分があれば、それがどんなに些細な事であろうとも、どんなに小さなことであろうとも、人はその部分だけを注視する。疑心暗鬼になり続ける。信じようともしなくなっていく。そうして、内側からグズグズに腐ってゆく。今の状況であれば、尚更。
「……あいつが、そう簡単にくたばるはずがないだろう」
あくまでも普段通りを装っているインフィニットだったが、ガジェットの目は誤魔化せない。それなりに長い付き合いになるのだ、このコミュ症上司の感情の起伏くらいは読み取れる。
「……そこまで心配してるのなら、素直にそう言えばいいのに」
「煩いぞ、ガジェット」
あまりにも素直にならない上司に、その右手で手のひらサイズの白い宝石を握り締めながら、ガジェットは苦笑いした。
「しかし……死者が出なかったのは不幸中の幸いとはいえ、襲撃を許し、生徒に被害が及び、あまつさえ拉致されているわけですからね……暫く、雄英は大変でしょうね、色々と」
「大変なのはこちらもだ。これから忙しくなるぞ」
「そうですね」
ツカツカ、ツカツカと、二人が廊下を歩く音がその場に響いていた。
雄英高校には、ひっきりなしに報道陣が詰めかけていた。その全員が、今回の事件に関する疑問を、雄英に対する疑念を、雄英バリアーの前で叫んでいた。責め立てるような、糾弾するかのような声が、反響し、鳴り止まない。
そんな雄英の会議室。根津校長は何時になく真剣な、どことなく後悔の念を含ませた声で口を開く。
「敵との戦闘に備えるための合宿で襲来……
恥を承知でのたまおう。敵活性化の恐れ、という我々の認識が甘すぎた。奴らは既に戦争を始めていた。ヒーロー社会を壊す戦争をさ」
「認識できていたとしても防げていたかどうか……これほど執拗で矢継ぎ早な展開……オールマイト以降、日本では組織立った犯罪がほぼ淘汰されていましたからね」
「要は知らず知らずのうちに平和ボケしてたんだ俺らは。備える時間があるっつー認識だった時点で」
プレゼント・マイク先生の指摘は、日本のヒーロー全体が抱える問題でもあった。オールマイトという平和の象徴が座するこの国は安泰だと、全員が心のどこかで思い込み続けていた。
その平和がいつ崩れてもおかしくないような、たった一人の犠牲の上で成り立つことを知ろうともせずに。
「己の不甲斐なさに心底腹が立つ……彼らが必死に戦っていた頃私は……半身浴に興じていた……!」
オールマイトは自身への苛立ちからか、額に筋を浮かべてそう言った。生徒たちも守れずに、何が平和の象徴か、何が、ヒーローか。
「襲撃の直後に体育祭を行うなどの今までの屈さぬ姿勢は、もう取れません。生徒の拉致……雄英最大の失態だ。奴らはフーディルハインだけでなく、我々ヒーローへの信頼も奪ったんだ……!」
スナイプ先生はそう言うと、机の上に拳を置いた。
根津校長は新聞ネットニュースを表示させたタブレットを見ながら言う。
「現にメディアは、雄英への批難でもちきりさ。
……何故フーディルハインさんが狙われたのかは、我々ではなく、
根津校長が顔を上げる。
その視線の先には、扉の前に立つガジェットとインフィニットの姿があった。
「……一応言っておきますが、僕らもアンジェラさんが何故敵連合に狙われたのかは分かりません。思い当たる節がないわけではないんですが」
「それを話してもらうことはできるかい?」
「……」
ガジェットは無言でインフィニットを見やる。インフィニットの手の中には、書類の束があった。
「雄英に対する開示許可は降りた。これが開示されるのは、ある種GUNから雄英への信頼の賜物であるとは理解しておけ」
「……見せてくれ」
インフィニットは根津校長に書類を手渡す。その書類に目を通していた根津校長は、段々と目を見開き、そして、静かに書類を机の上に置いた。
「…………保護者の許可は、あるのかい?」
「あいつに保護管理者はそもそも
「……君は、彼女が今抱いているであろう感情を、どう思っているんだい?」
「どうもなにも、正当なものとしか言いようがない。その感情を抱くことの、一体何が問題だというんだ? 問題とされるのは、その手段でしかないだろう。あいつは聖人君子でもヒーローでもない、ただの人間だ。それは、世の中の人間全てに言えることだろう」
「…………彼女は、フーディルハインさんは、その感情につけ込まれて、敵に懐柔されると思うかい?」
その質問に、インフィニットはただでさえ普段から不機嫌に見える表情をあからさまに歪めて、口を開いた。
「あいつに、アンジェラに、敵やヒーローという概念はそもそも存在しない。一般論として頭に入っているだけだ。だからそもそも懐柔されることはない。
それに、仮に連合に勧誘を受けたとしても、あいつは確実に断るだろうな」
「…………その心は?」
根津校長の視線がインフィニットを射抜く。インフィニットは少しだけ口角を上げて、言った。
「懐柔とは違うが……あいつは、
襲撃事件から2日。テレビや新聞、ネットニュースで、ひっきりなしに敵連合の話題が上がっている。世間の関心が、雄英高校と、敵連合に集中している。
そんな状況に、死柄木は満足そうな顔をしていた。
「俺らのこと盛大に宣伝してくれてホント助かるよ。
……あとは、あいつが目を覚ましてくれれば完璧なんだけどなぁ」
死柄木の視線はテレビから、アジト内のソファの上に向けられる。
そのソファの上には、今だに一度も目を覚ましていないアンジェラが寝かされていた。多少だが熱があるらしく、顔が赤く吐く息も熱く荒い。
「これじゃあ話をするのもままならない……しかも、この子に“個性”を使おうとしたり持ち物を盗ろうとしたりすると……」
そう言いながらシルクハットの男……Mr.コンプレスは、アンジェラの腰に着いているウエストバッグに手を触れようとする。
すると、寸でのところでアンジェラの全身を包み込むように防壁が発生し、コンプレスの手は弾かれてしまった。コンプレスの手が一定まで離れると、防壁は綺麗サッパリ消え去る。
「……やっぱり、触ることも出来やしねえ」
「でも、トガちゃんが水飲ませてあげた時は平気だったんだろ? 弾かれたけどな!」
「はい、持ち物に触った瞬間さっきみたいになりましたけどね」
「……やっぱり、寝たフリなんじゃないか?」
「でも、この子の具合は本当に悪そうよ。これは流石に演技には見えないわ」
「第一、彼女はステインをお救いしてくださった人間だ、そんな小手先の騙し討ちなどするはずがないだろう」
連合のメンバーは、アンジェラを視界に入れながら口々に言う。死柄木は、何かを思い出したかのように口を開いた。
「……フォニイが前に言ってたことも気になるが……コンプレス、あいつは本当に死んだのか?」
「ああ……あの子がワープとかの能力を持っていない限りは、ほぼ間違いなく死んだんだろうね。塵すら残さずに」
「………………」
Mr.コンプレスのその言葉に、小さなピンクの宝石のペンダントを身に着けた女子高生……トガヒミコは顔を歪める。Mr.コンプレスは流石に言い方が悪かったかとトガヒミコに謝罪の言葉をかけた。
「おっと……ごめんよ、トガちゃん」
「……いえ、構いません。
本当は、なんとなく分かっていたんです。
近いうちに、必ずお別れをしなくちゃいけないって。
どうしてそれを伝えてくれなかったの、とか、言いたいことは山程ありますが……それでも、今泣いたり、あっちに行ったりしたら、ふぉーちゃんに怒られちゃいます。
だから、お別れする時は笑顔、って決めてたんです」
そう言ってトガヒミコは、笑顔を作った。
それは、狂気を感じる、しかし、どこまでも友達を想った、涙混じりの笑顔だった。
それはまるで、水面のように。広がっては、消えてゆく。
揺蕩う意識の中で、記憶が、感情が、流れ込んでくる。
自分であって、自分じゃない誰か。言わば、オリジナルとも、母とも言える、声を交わしたこともない、誰か。
まるで、自分が体感したかのように、伝わってくる。
最初に伝わってきたのは、「憧れ」だった。
どんな状況からであっても、どんな困難からであっても、笑顔で人々を救い出す「スーパーヒーロー」が居た。
幼心に、格好良いと。
自分もいつか、ああなりたいと。
いつか、誰かを救い出すヒーローに、と。
次に伝わってきたのは、「挫折」だった。
齢四歳、この世界の人間の大多数が持っているものが、彼女にはないと言われた。
生きる上では、別になくてもよかった。
しかし、ヒーローには必ず必要な力だった。
彼女は暫く、現実を受け止められなかった。
力が、自分にも備わっているはずだと、力を使う訓練をした。
無意味だった。
憧れの動画を前に、母の謝罪を前に、大粒の涙を流した。
3番目に伝わってきたのは、「小さな憧れ」だった。
彼女には幼馴染が居た。
強い力に賢い頭を持つ、スーパーヒーローに憧れる少年だった。
力が無いがゆえに、少女は虐めを受けた。
少年は不器用ながらも、少女を救けた。
彼が居たから、少女はからかい以上の虐めを受けなかった。
少女は少年に、小さな憧れを抱いた。
平穏が崩れ去るのは、いつも唐突だ。
少女は、少年の眼の前で天使に連れ去られてしまった。
その時、少女が拐われていくのを目にしていたヒーローが居た。スーパーヒーローではなかったが、この国で最もそれに近い位置に居るヒーローだった。
少女は救けを求めた。声を出すことは叶わなかったが、その視線で訴えた。
少女の訴えを、そのヒーローも理解していた。少女と、視線が合った。
しかし、そのヒーローは少女を見捨てた。
少女の視線に気付いていながら、何もしなかった。
動こうとすら、しなかった。
どうして?
ヒーローなのにどうして?
どうして救けてくれなかったの?
手を伸ばそうともしてくれなかったの?
虐めが生ぬるいとさえ感じるような地獄、自分が文字通り自分ではなくなっていくような感覚に、少女の心が狂ったように悲鳴を上げる。
今まで築き上げてきた彼女の「常識」、「価値観」、「憧れ」が、全てバラバラと崩れ去ってゆく。
苦痛は疑念に。
疑念は怒りに。
怒りは絶望に。
絶望は憎悪に。
憎悪は殺意に。
塗り替えられてゆく。
崩れてゆく。
変わってゆく。
他の誰でもない、少女自身の手によって。
そして、その身体そのものが「人間」でなくなった頃、
無理矢理殺人に手を染めさせられて、
「子供」を、産まされた。