「…そうかな。私には、分からないけど。」
「おいおい、その冗談は傑作ってやつだぜ、妹よ。お前がその被害者だってのに。」
「期待されてるってだけだよ。」
「それが押し付けがましいって話しさ。ま、お前は俺と違って優しいからな。そういった事にも鈍いんだろうな。」
「…分からないよ。私には、兄さんが何を言っているのか、分からない。」
「そーかい。じゃ、分かるようになるまで頑張れ。俺も分かるまで喋ってやる。お前を《欠陥製品》みたいにはしたくねぇしな。」
「…よく口にするけど、その《欠陥製品》って、誰なの?」
「鏡みてーにそっくりな仲良しさ。外見がどうの、じゃなくて根本とか中身が、な。」
■ ■
生まれた時から、この世界のレールから外れて、落っこちて、生きているだけで罪悪で、存在しているだけで害悪な、人間として失格な、致命傷を負った人間が居るという話しを私は何度も聞いてきた。
《致命傷》。それは、文字通りの致命的な傷の事、肉体的な負傷でも、精神的な負傷の事でもない。
私が言う致命傷というのは、人間が理知的であるが故に抱えてしまう相対的矛盾の事を指している。
生きているのに死んでいる、始まっているのに終わっている、そんな圧倒的矛盾を抱えることになり得る立場にある《衝撃》の事。
それが、いわゆる致命傷。
要するに、失格であるのだと。
私、朝比奈まふゆの兄である朝比奈俊希は傑作だと笑いながら、そう言っていた。
私の兄は、はっきり言って普通じゃない。異常であり、異端であり―――異質だ。
人として大切な何かが欠落している、というよりは、人間として失格しているというか。
欠落というよりは、失格。もしくは、失敗。そんな表現の方が正しいと、私は勝手に思っている。
「かははっ、こりゃ傑作だぜ。実の妹にこんな汚い所を見られちまうたぁ、俺も弱くなったもんだ。」
薄暗い路地の裏、愉快に、しかし自虐的に笑いながら、私の兄はボロボロの(恐らく、いや絶対に兄さんがしたのだろう)男性の胸ぐらを掴んでいた手を、ぱっ、と離して私の方を向いてきた。
私は、無表情だった。
恐怖を隠す為に、無表情を貫いていた訳ではない。ただ本当に、その状況に何かを感じている訳ではなかったから、無表情だった。
…いや、嘘だ。何も感じていない、という訳ではない。
きっと、戸惑ったのだろう。どうして、兄が人を路地裏に連れ込んで、趣味で古今東西から収集した様々なナイフの内の一つを使って、殺人を犯しかけたのか。
それが分からなくて、戸惑って、そして無表情になっていたのだろう。
そんな私を見て、「ちったぁ怖がれよ、妹ちゃん。“鬼ぃちゃん”が人間を殺しそうとしたんだぜ?」と、兄さんはつまらなそうに言ってきた。
「…そんな事、言われても。あと、兄さんは人でしょ?」
「まぁ、そうだな。“今”っつーか、今世は、だな。ったく、傑作なもんだ。」
自虐的に笑いながら、兄さんは私の横を通り過ぎた。
私は倒れた人に少しだけ同情して、でも警察に連絡することも救急車を呼ぶ事もせず、兄さんの横に並ぶようにして帰路を辿った。
「…おい、まふゆちゃん? なに自然に俺の横並んでんだ?」
「これからは兄さんの家で過ごそうと思ってるからだけど…」
「勝手なこと言ってんじゃねぇよ! まふゆちゃんにはちゃんと家が有るだろうが!」
「母さん…親がもう居ないから、お金払えないんだけど…」
もう、私には兄さんしか家族が居ない。より正確に言えば、『兄さんがそうした』から。
兄さんが、母さんを殺したから。お兄ちゃんが、唯一の母親を殺してしまったから。
私がそう言うと、兄さんはあー…そういや、そうだったな。と、頭を掻きながら鬱陶しそうに吐き捨てる。
「責任…取って、くれるよね?」
「止めろ、マジで止めろ! それは洒落にならねぇ! わーった、分かったよ! 泊めれば良いんだろ!?」
「ありがと、兄さん。」
私は笑って、溜息を吐いている兄さんに感謝を述べた。
お母さんが兄さんに殺されてからというもの、私は自分の心が少し軽くなったような気がしている。
錘のようなものが取れたような。鎖のようなものが外れたような。
錨のようなものが外れたような。枷のようなものが外れたような。
そんな風に、今の私の心は、少し軽いようで。だからなのか、やんわりとだけど、笑えるようになった。
「ったく…でも、暮らすからには色々と手伝えよ。制服とかも持ってこい。んで、今から服屋行くぞ。」
「え…? どうして?」
「まふゆちゃんの下着買うんだよ。持ってるもの、殆どアイツが勧めたやつだろ? 男の俺が言うのもなんだが、取り敢えず全部捨てろ。あーいうのは鬱陶しいもんだ。で、まふゆちゃんが買いたいやつを買え。金は出してやるから。」
ほら、さっさと行くぞ。と、兄さんは歩き出す。
私は少し、固まってしまったけれど。
「うん…ありがとう、“お兄ちゃん”。」
「…気にすんな。」
しかめっ面で、兄さんが気にするなと手を振った。
私は、この人がお兄ちゃんで良かったと、思った。