朝比奈まふゆの人間欠損   作:全智一皆

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第九章「真実がないだけ」

 

■  ■

「おんやぁ? 誰かと思えば、いつかの画家少女ちゃんじゃねぇか。お久だなぁ」

「あんたは…!」

 

 街の中、誰もが知っているカフェの前で、零崎人識と東雲絵名は思ってもみない再会を果たした。

 事実、お互いに思ってもみなかったのだろう。いや、東雲絵名からしてみれば、思いたくもなかっただろうし、思い出したくもなかったのだろうが。

 何せ、殺人鬼だ。殺しを殺しと思わぬ人殺し、人殺しを人殺しと思わぬ鬼だ。そんな、人間らしからぬ人間とまた会いたいと思う程、彼女は自殺志願者ではなかった。

 だが、そんな彼女とは対照的に、零崎人識は笑っていた。あいも変わらず、へらへらと。或いは、シニカルに。嗤っていた。

 

「こんな場所で出会うたぁ偶然だな。もしかして運命だったり?」

「ふざけた事言わないでっ。アンタなんかと出会うのが運命だって言うなら、私は喜んで道路に身を投げるわ」

「おいおい、酷い言い様だな。俺が何したってんだ? この清廉潔白で純新無垢な、良い人間の代表者とも呼ぶべき朝比奈俊希くんが、一体全体、何時何処でお前にそこまで言われる様な事をしたってんだ?」

 

 けらけらと、零崎は「朝比奈俊希」という名前を使って笑う。

 朝比奈。その名前は、彼女にも馴染みが深い。何故ならば、その朝比奈という名前を持った少女と東雲絵名が同サークル―――「25時、ナイトコードで。」のメンバーであるからだ。

 仲間であり、友人と呼べる存在。それが「朝比奈まふゆ」であり、そしてその朝比奈まふゆの実兄が―――目の前の殺人鬼であるなど、誰が信じるだろうか。

 

「とぼけた事を……。この人殺し」

「かはは、殺人鬼を相手に人殺しなんて言葉使っても、何ら心痛まねぇぜ」

「そうね、アンタには心が無いものね。だから平然と、のうのうと、私の前に姿を表せる」

 

 零崎を睨みながら、容赦のない毒を吐き捨てる。

 人殺しは忌むべき事だ。否、人に限らず、殺しとはそもそも忌むべきものである筈だ。

 人を平然と殺し、笑う。そんな事が許されてたまるか。そんな事を許してたまるか。

 東雲は、自分の学校の生徒を殺して悠々と逃げた彼を人とはおもっていなかった。

 

「心が無いたぁ失礼だな。俺にだって心はあるぜ? 実の妹を大切に思うくらいの心持ちはある」

「そんな心を持っている人間が、人を殺す訳ないでしょ」

「分かんねぇぜ? 人間、腹の奥底では何を抱えてるのか分からないもんだ。穏やかで優しい心を持ちながら、実は殺人衝動に駆られている、とかな」

「なら、アンタはそうだって言うの?」

「さぁ、どうだろうな? 俺にゃ分からん」

「何よそれ……自分の事でしょ?」

「おいおい、本気で言ってんのか?」

 

 おどけた様な仕草で、零崎は言う。

 

「自分の事なんて、誰にも分かんねぇだろ。自分自身は勿論の事、相手もだ。例えそれが家族であれ、友人であれ、恋人であれ。逆に聞くが、アンタは自分の事が分かるのかい?」

「それは……」

 

 自分の事。自己分析。自己判断。

 殺人鬼からの言葉に、東雲絵名は押し黙って頭を悩ませる。

 答えは、Noだ。自分の事など自分では分からない。同じ様に、自分の事など相手も分からない。

 彼女は画家を目指している。小難しく言えば、自分の描く絵に芸術性を見出す者、絵そのものに何かを見つけ出す者を目指している。

 

 突然だが、画家、或いは芸術家の精神は、凡人のそれに比べれば幾らか逸脱していて、基本的に人の心を理解出来ない傾向にあるのだと言う。

 パブロ・ピカソ。レオナルド・ダ・ヴィンチ。ヴァン・ゴッホ。ミケランジェロ。ラファエロ。

 彼らは世界が誇る偉大な芸術家だが、しかしその心を理解出来た人間などもはや存在しない。

 彼がどういう心でそれを描いたのか、知識として知っているものが居たとしても、果たしてそれは彼らの心を分かっていると言えるだろうか。

 きっと、それを否と断じる者が殆どだろう。彼女も同じく、それを否定する筈だ。

 彼女もまた、絵に携わる少女だ。だからこそ、自分の心の在り方、或いは自己の存在に対する思考には悩まされてきた。

 

 その彼女に対して投げたその問は、確実に東雲絵名という人間を苦しませていた。

 

「そんなの、アンタに何の関係があるっていうのよ!」

「関係ならある。お前はまふゆちゃんの友達だ。だから話を聞いてやろうと思ってな?」

「頼んだ覚えはないし、アンタに話を聞いてもらって何になるっていうの? どうせ無駄になるだけよ」

「それこそ分からねぇだろ。逆説的に考えてみろよ、軽蔑と嫌悪を抱く相手に何かを話すからこそ、人を平気で殺せる様な奴に話すからこそ、分かるものがあるんじゃねぇのか?」

「自分が言ってる事の異常さ分かってる? 正気の沙汰じゃないわ」

「勿論。異常だよ、自覚はある。ただし正気ではある。まぁ、立ち話ってのもなんだ。丁度カフェの真ん前だし、中で話そうぜ。奢るからよ」

 

 まるで友人を誘う様に、零崎は先行して扉を開き、2名ですと勝手に言って店内へと入って行った。

 「ちょ、着いていくなんて言ってないんだけど!?」という彼女の声は通らず、このまま目的も果たせず帰るのは彼女としても腹が立つ事だったのもあって、渋々といった感じで、東雲は零崎を追って店内へと入って行った。

 

▽  △

「さて。それじゃ、好きなだけ聞きたまえ。大人の俊希くんが答えてやろう」

「……チビの癖に」

「あぁ!? テメェ俺の事をチビっつったか!? テメェもまふゆちゃんも揃って人の事をチビ呼ばわりしやがって! 礼儀ってもんを知らねぇのか!?」

「殺人鬼に礼儀云々を言われたくないんですけど! こっちが礼儀無しなら、アンタは非常識ならぬ無常識な大罪人よ!」

「失礼言いやがる! 人が善意で話を聞いてやろうってのになんつー態度だ!」

「善意は善意でも押し付けでしょ!? 余計なお世話なのよ!」

 

 胸焼けしてしまいそうなパフェを挟みながら、奇抜な格好の大学生と女子高生が言い争っている様子というのは、何ともシュールな光景だ。

 此処がカフェの店内ではなく、テラスであった事に感謝するべきか。まぁ、どちらにせよ通行人からすれば「えぇ…なにあの2人……こわ」である事に、何ら変わりはないのだが。

 

「ったく……おら、なんでもいいから聞いてみろ。まふゆちゃんがまふゆちゃんらしくなれたのは、友人であるお前らのお陰だからな。これでもありがたく思ってんだぜ」

「殺人鬼の台詞じゃないわね」

「だな。だが、それ以前にお兄ちゃんなんでな」

「……じゃあ、聞くんだけど。さっきと似た様な感じにはなるんだけど、アンタは、自分って一体何だと思う?」

 

 緊張した様な声色で、東雲は問いかけた。

 自分とは一体何か。つい先程の会話と同じ様で少し違うその質問に、人識は手の中のスプーンをくるくると回しながら、パフェから視線を東雲へと移す。

 

「自分、ね。そりゃまた難しい問題だな。自分はこうである、自分はそうだったと定義付けるのは、簡単な様に見えて案外難しいもんだ。大概の人間は自分はこうだって思ってるんだろうが、実はそれが誰かに“見せたい”自分でしかないのかもしれない。お前も、そうだろ?」

 

 東雲はその言葉に驚き、気まずい様に視線を逸らした。

 零崎の言葉は、的確だったのだ。

 東雲絵名という一人の人間が、SNSで見せている姿と、今こうして存在している自分の姿が違う事。それが彼女の悩みだった。

 否定しようとして、それを止める。否定した所で、現実は変わらない。自分が思い悩むそれは、どう否定しようが消える事はない。

 

「……そうね。私はやっぱり、他人にどう見られるのかを気にしすぎているんだと思う。セカイの中で、奏や瑞希、まふゆと関わって、素の自分を出しているつもりだけど……それが本当なのかも、自信がない」

「自信のない自分を隠す為に、別の自分を作り上げる、か。かはは、お前、まふゆちゃんと似た様な事やってるぜ」

「っ」

 

 そう言われて、そうだと自覚する。

 本当の自分を否定され、皆が思う「優等生」としての顔を作り上げ、その所為で本当の自分がどちらなのか分からなくなった、朝比奈まふゆ。

 本当の自分が分からない。他人にどう見られるのかを気にして、別の自分を作ろうとしている自分。

 それは同じ様で違う。だが、まったく違うかと言えば、そうではない。

 零崎は「まぁ、それを悪とは言わねぇけどな」と続ける。

 

「それが重荷になって、どこまでが本当の自分か分からなくなる―――それがまふゆちゃんだった。なら、そのセカイやらSNSやらで演じている東(・)雲(・)絵(・)名(・)は、お前にとって本物なのか?」

 

 そう問われて、言葉が詰まる。

 本当の自分とは、何か。それが分からなくなる。自分を守る為にやっている事だと信じていた事が、しかし同時に自分を苦しめている。

 彼女達は友人だ。それに変わりはない。だが、その友人である彼女達に何を演じる必要がある? 何故、素の自分を知っている彼女達に演じるという行為をする?

 その切っ掛けとなるのは、あの日の屋上での殺人鬼の出会いだった。

 その殺人鬼と会話して、それに戻るなんて、考えれば考える程に訳が分からない。

 

「お前は見られる前提の世界で生きてる。だが、結局のところ行き着くのは、お前はお前だって事だ。良くも悪くも、どう見せた所で東雲絵名は東雲絵名である事に何ら変わりはねぇんだぜ」

「……私は、私が見せる自分が本当だって、演じているだけかもしれない自分が本当だって、思わなきゃいけないの?」

「そう思わなきゃ、やってられねぇからじゃねぇの?」

 

 パフェを口に運びながら、零崎は平然と答えた。

 

「俺だって自分が何者かなんざ分かんねぇよ。生まれて来た以上、俺は朝比奈俊希なんだろうぜ。でも、俺には朝比奈俊希である以前の「零崎人識」っていう記憶がある。こうやって振舞ってる俺は、果たして朝比奈俊希本来のものなのか、或いは零崎人識としてなのか、またまた零崎人識に成り代わっている朝比奈俊希なのか。なーんにも分かんねぇよ。でもそれで十分だ。自分探しなんざ文字通り死ぬまでやったしな。結論としちゃ、俺は俺で、誰が何と思おうが変わらねぇって事だ」

 

 零崎の言葉に、東雲は息を呑む。

 彼は、「自分」という定義を揺るぎない存在として定義している。

 誰に何と言われようと、思われようと、自分が殺人鬼であったとしても、それすらも、彼はそれを「自分の一部」として受け入れている。

 自分が持つあらゆる側面。それらを受け入れた上で、自分は自分だと認識する。それが、簡単な様でどれだけ難しい事か。

 

「私には、そんな覚悟ないわ……いつも、人の目を気にしている。どう評価されるかを、気にしてるばかりで」

「それも東雲絵名の側面だろ。言ったろ? どうせ見せようが、それがお前だ。お前自身の姿だ。まぁ、画家とか絵師とかやってんなら、他人からの評価を気にするのは当たり前の事だと俺は思うけどな。誰かに期待される自分を演じる、それがお前にとっての“自分”なら、それも答えだろうさ」

 

「いつかその自分に押し潰されない様にすりゃ、後は十分だろ。しっかし、まぁ、ありがたいと思っているとは言え、この零崎人識が人生相談をするたぁ、何とも傑作な話だよなぁ」

 

 シニカルに、零崎人識は笑う。

 自分らしくない自分を、嘲笑う。

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