零崎人識(ぜろざき・ひとしき)――――――殺人鬼。
朝比奈まふゆ(あさひな・まふゆ)――――――高校生。
日野森雫(ひのもり・しずく)――――――高校生。
■ ■
朝比奈俊希は一般人である。だが、その根底は決して常人のものではない。
朝比奈俊希には、前世の記憶というものがある。
前世。此処とは別の世界。この世界に生まれ落ちる前まで生きていた世界。
よくある話しという訳ではないが、しかし絶対に有り得ないと断言出来る程に不可解な現象という訳でもないのだ。
世界には、前世の記憶を持った子供が何人か居る。大体は外国で、日本に居るのは稀である。だが、稀であろうと居るには居るのだ。
ある者は軍人だった者。ある者は病に苦しんだ者。
ある者は殺された者。ある者は幼くして死んだ者。
自分が住んでいた場所、自分が働いていた場所、自分が遊んでいた場所、自分が楽しんでいた場所、それら全ての記憶を持っている者も居る。
子供の戯言だと流していた親も、子供の戯言にしては現実味を帯びた説明に遂には信憑性を見出し、調べてみる。
そうしてみれば、実際の情報が有る事がある。
其処で確かに暮らしていた人が居ると。其処で確かに働いていた人が居ると。
其処で確かに遊んでいた人が居ると。其処で確かにはしゃいでいた人が居ると。
其処で確かに、死んでしまった人が居ると。其処で確かに―――殺されてしまった人が居ると。
朝比奈俊希の場合は、ある行動がトリガーとなって前世の記憶が鮮明に蘇った。
普通の人間であれば誰もしないし、試そうとすら思わない、常人の枠からあまりにも逸脱した絶対的な犯罪行為。
―――《呼吸》である。
いやいや、待ってほしい。呼吸なんて、人間どころか動物すらやっている事ではないか。何ら可怪しい事ではないじゃないか。
何が常人の枠からあまりにも逸脱した行為だ。何が絶対的な犯罪行為だ。
常人の枠にすっぽりと嵌まった一般的な行為だ。絶対的な生存行動だ。
それが―――《一般人》にとっての《呼吸》だったならば、声を大にしてそう論破した事だろう。
だが、残念ながら。
朝比奈俊希がした《呼吸》とは、決して我々が思うような日常的で生易しい意味の《呼吸》ではない。
ここで、ある《一賊》の話しをしよう。
ソレは、暴力こそが全ての世界で生まれた、生まれてしまった、最悪にして忌み嫌われた集団。
《血統》ではなく《流血》で繋がる家族。個では生きずに群で生き、群の一人に手を出されたら群全体でその相手の血族全てを皆殺しにするという、恐ろしい集団意識の塊。
殺人鬼の家賊。家族ならぬ、家賊。人を殺す鬼の血族。彼らは皆、理由を持たずに人を殺す。
人間のみならず、動物というのは必ず目的が有って何かを殺す。
恨みがあるから殺す。しなければならないから殺す。
頼まれたから殺す。誰かの為に殺す。
何かの為に殺す。守る為に殺す。
理由は様々だが、しかしそこに根本である《理由》が無い事は無い。
だが―――彼らには、その《理由》が無い。
彼らが人を殺す事には、本来ならば必ずしも有る筈の理由というものが存在しない。
そんな殺人鬼の一人に、こんな質問をした男が居た。
「君にとって、人を殺す事はどんな気分なんだ?」―――と。
そんな、ありふれた質問に対して、殺人鬼はこう答えた。
「何もない。それが、して当たり前の事だからな。」と。
殺人など、やって当たり前の事である、と。殺人鬼は、そう答えたのだ。
殺人鬼は、そのまま男に続けた。
「お前は自分が呼吸をする事とか、歩く事に疑問を抱いた事はあるか? “どうしてぼくは息をしているんだろう?”とか、“どうしてぼくは歩いているんだろう?”とか。」殺人鬼は、笑いながら聞いていた。
「……」男は、何も答えなかった。
「思わねぇよな。それと同じだよ。俺たちは、人を殺す事に何か思いを馳せる事なんて無いし、何かを考えて殺してる訳じゃない。それが―――俺たちにとって、当たり前の事だからな。」殺人鬼は、傑作だろ。と言いながら、嗤っていた。
そう。ここで、《呼吸》に戻るのだ。
朝比奈俊希が行った《呼吸》――――――それは、殺人だ。
記憶を呼び覚ますトリガー。それが、殺人だったのだ。
殺人鬼の家賊、その血を引く者。
殺人鬼の父と殺人鬼の母という、殺人鬼の近親相姦によって世界に生まれ落ちた血統書付きの殺人鬼。
その殺人鬼の名を、「零崎人識」。朝比奈俊希の前世の名前である。
「かはは、こりゃ傑作だぜ。妹ちゃんのみならず、一般人にまで見られるたぁ。本気でまいっちまうぜ。」
日野森雫は、その現場を目撃した。その目に、殺人鬼の姿を収めてしまった。
斑に染まった白髪。右頬に刻まれた凶悪な形の刺青。右耳に三連ピアス、左耳に携帯ストラップを付けている青年。
ジッパー式のカーキ色の半袖ジャージの上に襟が付いたタクティカルベストを着ており、両手にはハーフグローブを付けている。ナイフホルダーを左右に一個ずつ付けた黒のジーパンと登山用のトレッキングシューズという、奇抜な格好をした殺人鬼。
その右手には大きなコンバットナイフ。足音には血溜まりと血に染まった衣服。詳しく言うならば―――制服だ。
「 」
目を開いて、絶句する。
絶句したまま、直立不動。指の一本すらも、日野森雫は動かさなかった。動かすことが出来なかった。
直視して得た情報が、処理出来ずにショートしてしまっている状態とでも言えばいいだろうか。
人が人を殺している場面もそうだが、その殺された人が自分と同じ学園の者である事が何よりも大きいのだろう。
誰が死んだのかを、誰が殺されてしまったのかを、深く考えているのかもしれない。予測しているのかもしれない。
もしかして、あの子? もしかして、鳳さん? もしかして、朝比奈さん? それとも、それとも、それとも、それとも。
答えは決して出てこない。何故なら死体が無いのだから。
いや、死体は確かに其処に有る。寸分狂わず細かく切り刻まれて、ケシカスのように細かく小さくなってしまってはいるが、肉片は血溜まりに浮かんではいる。
目に見える事はないだろうが。
「なんつーだろうな。あれだ、猫が背後に置かれたきゅうりに驚いて飛び跳ねてる感じ。」
「――?」
「つまり、今の俺はめっちゃ驚いてるって事だ。ま、俺は猫よりも犬派なんだが。」
くるりくるり、とナイフを回しながら、零崎人識は血溜まりから日野森の方へと一歩踏み出した。
ぴちゃ…と、血溜まりに波紋が走る。靴底が着いた黒い地面の一部が焼けるように赤くなる。
体は震えない。恐怖で体を震わせることすら出来ない。
私の死に場所は此処になるの? 私は、此処で殺されるの?
涙が溢れる。だが、体は動かない。声を出すことも出来はしない。
「おいおい、早とちりはいけねぇぜ、お嬢さん。幾ら俺が鬼だからって、誰でも殺す殺人鬼だからって、妹の友達に手を出す事はしねぇよ。」
んな事したら、まふゆちゃんから何されるか分かったもんじゃねぇし…。
面倒くさそうにぼやきながら、ある一定の距離を保って殺人鬼は立ち止まる。
「あ、朝比奈さん……? 貴方、朝比奈さんを知ってるの……?」
「知ってるも何も、まふゆちゃんのお兄ちゃん様だぜ。でも、そうだなぁ―――今は、《零崎人識》だからな。まふゆちゃんのお兄ちゃんではないな。」
「……?」
意味が分からない。何を言っているのか分からない。
目の前の殺人鬼は、自分を朝比奈まふゆの兄であると言った。
それが嘘であるか真であるかはさておいて、しかし確かに殺人鬼は朝比奈まふゆの兄であると言った。
にも関わらず、その後に自分を零崎人識であると名乗り、零崎人識であるが故に朝比奈まふゆの兄ではないと言った。
言動が支離滅裂だ。日野森雫は、そう感じた。そう思った。
「んー…でも、そう考えると、あれだな。俺がアンタを殺しちゃ駄目な理由が無くなっちまうな?」
どうしよっか? と、愉快に笑いながら殺人鬼は語り掛ける。
まるで、問題の答えを間違えた子供のように。
「一応聞くんだが、あんた、まふゆちゃんの友達か?」
「え、えぇ。朝比奈さんとは、友達だけど……」
「へぇ。まふゆちゃん、こんな美人さんを友達に持ってたのか。かはは、こりゃ傑作だ。こうなってくると、益々まふゆちゃんが《欠陥製品》みたいに思えてきたぜ。」
「け、けっかん…せいひん?」
人の名前ではないだろう酷い単語に、日野森雫は震えながら首を傾げる。
欠陥製品――――――改めて聞いても、酷い呼び名だ。惨い異名だ。
だが、酷いからこそ。惨いからこそ、“彼”はそう名付けられた。
異常である殺人鬼に、正常ではない青年は《欠陥製品》と呼ばれ。
正常でない青年に、異常である殺人鬼は《人間失格》と呼ばれた。
互いに反対。対極の対極。鏡の向こう側に立つ同類。
同じようで違い、違うようで同じな人でなし。
生涯、もう二度と現れる事など無い合わせ鏡の『無関係』――――――関係が無い事こそ二人の関係という矛盾の位置に立つ者達。
「いったい…何なの、貴方は―――」
過去に一度、二人の殺し屋からされたその質問。
暴力の世界を支配する殺人ギルド「殺し名」の第一位にして、最も数が多い「殺し名」―――殺戮奇術集団・匂宮雑技団。
その分家たる「澪標」の双子から、殺人鬼である少年と異常者である少年に放たれた質問。
何なんだ、お前らは!?――――――という、口を揃えた質問に対して。
彼らもまた、同じように口を揃えて、こう答えた。
「なかよしさ。」
彼と口を揃えてくれる少年は、此処には居ないけれど。
□ □
「よぉ、まふゆちゃん。朝方ぶりだな。」
「朝方ぶりって…兄さん、私が起きた頃にはもう居なかったと思うけど…」
帰路の途中、コンビニの空いた駐車場。
其処で、眠ったままの妹に何か告げる事もなく朝早くから勝手に家を空けた兄と、勝手に何処かに行った兄を放って学校に行った妹は、特別何かを思う訳でもない、所謂、普通の再会をした。
傍から見たら、完全に優等生がヤンキーに絡まれている図である。
「まふゆちゃんは、あれか? 学校帰りの道草ってヤツか?」
「うん。あんまり、した事なかったから。」
「かはは、良いじゃねぇか。まぁ、俺も昔はよく道草食ってたからな。」
「…そうだっけ? 兄さん、基本的に帰るの早かった気がするけど…」
「帰りながらでも食えるだろ、道草。」
兄さんの言葉に、私は首を傾げた。
何か、妙に会話が噛み合ってないような…? と。
「よく伊織ちゃんと食ったもんだぜ。美味しくはなかったんだけどよ、道草。」
「………道草って、もしかして…。道端に生えてる草の事?」
「それ以外に何があるんだよ。」
「………」
気が付けば、私は自分の手で口元を抑えていた。
これが、所謂、絶句というやつなのだろう。
予想もしていなかった衝撃的な事実に、体が勝手に反応してしまったのだと思う。
誰が考えるだろうか。自分の兄が、まさか道端の草を食べながら帰っていたなんて。
「伊織ちゃんとよく食ったもんだぜ。まぁ、途中からはコンビニの残飯貰ってたんだけどよ。」
「……よく聞くけど、その伊織って人は、兄さんの彼女さん?」
伊織ちゃん。そんな人の名前を、兄さんはよく口に出す。
決して、これは嫉妬なのではない。親の呪縛、もしくは檻とやらから私を解き放ってくれ、さらには面倒まで見てくれている優しい実兄の口から出される女性であろう人の名前とその人物に対する醜い嫉妬などでは、断じてない。
単純な疑問だ。あるいは、純粋な質問だ。
ただただ単純に、ただただ純粋に、女友達どころか女性と関わりを持っている様には見えない兄さんの口から出される女性であろう人が、兄さんの彼女なのか、ただの友達であるのかという、疑問と質問だ。
「は? 全然ちげぇよ。伊織ちゃんは家族ならぬ家賊だっつーの。まぁ、最期の最期まで俺は伊織ちゃんも石凪砥石も家族だとは認めなかったけどよ。」
「…その家賊っていうのは、兄さんがよく言う『前世』の家賊?」
兄さん曰く―――朝比奈俊希という人物として生きている現代は二度目の生であり、その前は零崎人識として生きていたのだと言う。
《殺人鬼》。人を殺す鬼。かつて京都で無差別な大量殺人事件を引き起こした最悪のシリアルキラーが、零崎人識であるらしい。何とも荒唐無稽な夢物語だと、私は思っていた。
そう、思っていた。過去形だ。荒唐無稽な夢物語だと笑っていたのは、過去の事であり、今現在はその認識を大きく改めている。
何故なら、それが事実だから。朝比奈俊希は前世も現世も、どちらも変わらず立派な殺人鬼であるという、絶対不変の現実が在るからだ。
兄さんが古今東西のナイフを集める事が趣味なのも、前世からの趣味らしい。記憶の引き継ぎというよりは、データの引き継ぎというべきか。
「まぁ、それはともかくとして。」
「かはは、殺人鬼である事を兎も角としてで片付けられるたぁ、成長したじゃねぇか、まふゆちゃん。嫌な方向にだけど。」
その嫌な方向に成長する切っ掛けと過程となる道を切り拓いたのは他でもない兄さん自身なのだけど。自覚がないのだろうか。
まぁ、そんな事は些細な事だ。私がこれから指摘する事に比べれば、本当に小さくて、心の底からどうでもいい事だ。
「なんで兄さんは日野森さんを背負ってるの?」
「気絶しちまったからな。ほっとく訳にもいかねぇだろ。だからまふゆちゃん、そのスマホケース仕舞おうぜ?」