朝比奈まふゆ(あさひな・まふゆ)――――――語り部。
ぼく――――――戯言遣い。
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目を覚ますと見知らぬ部屋に居た、なんて事はミステリー、或いはホラー作品においては多々あるトラブルだけれど、それを実際に体験すると意外と焦らないものだ。
まぁ、単に私の感情がそこらの人間よりも乏しく、どちからと言えば死んでいるからというのが焦らない大半の理由かもだけど。
どちらにせよ、私は意外と冷静だった。兄さんが暮らすマンションの部屋の一室にある自室のベッドではなく、畳部屋に敷かれた布団に倒れていた私は、本当の意味で知らない天井を見て一言。
「知らない天井だ…」
と、溢した。
言わずにはいられない、この一言。人生で一度は言ってみたかったのだ。昔の私なら言いそうにもなかったが、これも兄さんの教育の賜というやつだろう。
これで、まるで別人の様だと誰かに言われたとしても、それは兄さんの所為という事にしておこう。
実際、兄さんのお陰で私は前よりも私らしく、母親の奴隷『朝比奈まふゆ』は、一人の人間『朝比奈まふゆ』らしくなれている訳だし。
えなや瑞希からも、変わったとよく言われる。それは決して悪い変化などではなく、寧ろ最高の変化だ。私が私らしくなれた事は、私にとっても嬉しい事だ。
こうなるまでに苦労した。そう思ってこそいるが、私がこう言えば兄さんはきっと「苦労する程の事はしてねぇだろ」と一蹴するだろう。
「寧ろ遅いくらいだぜ、か。零崎なら、その後に傑作だと付けると思うけどね」
聞き慣れない筈なのに、しかし何故か聞き慣れていると思ってしまう声に反応する様に、私は体を起こした。
正面には―――兄さんにそっくりな、一人の少年が立っていた。
斑模様が入った白髪とは対照的な、何の手も加えられていない茶髪。
派手でお洒落でよく分からないファッションとは対照的な、普通のパーカーと普通のジーンズのファッション。
闇を墨汁で煮詰めた様な瞳に似た、黒曜石の様な死んだ瞳。
纏う雰囲気の全てが―――兄さんに、朝比奈俊希に似ている。或いは、零崎人識に酷似している。
「兄さん…?」
「残念ながら、ぼくは君が敬愛して止まないお兄ちゃんではないよ。一応、零崎と同様に妹が居た身ではあるけれどね」
「兄さんじゃない…なら、貴方が兄さんの言っていた、《欠陥製品》さん…」
「初対面なのに《欠陥製品》呼ばわりされるとはね。流石は零崎の妹だ。いや、この場合だと悪いのは零崎か。けど、《いーたん》とかの名前もあったのにそっちを持ってくる辺り、やっぱり《人間失格》の妹だね」
「えっと…初めまして。朝比奈俊希の妹の、朝比奈まふゆと言います」
「凄いな、そのまま挨拶の流れに持っていくんだ…。ご丁寧にどうも。お兄さんの説明にあったであろう、《欠陥製品》の“戯言遣い”です。名前はあるけれど、教えられない。自慢ではないけれど、ぼくの名前を読んだ人間は一人の例外なく死んでいるんだ」
「それは…呪いみたいですね」
「そうだね。文字通り『呪い名』というやつだ。ぼくには彼らの様な、非戦闘殺人技術なんてものは無いんだけどね。あと、基本的にあだ名で呼ばれているから、君もそうしてほしい」
「では、いの助さん」
「ぼくは鬼狩りじゃないよ。寧ろ鬼に追い掛けられていた側の人間だし、ぼくが追い掛けていたのはいつも狐だよ。使った事があるのは銃だけだ」
「なら、いーさんで」
「うん、ならそれで」
いーさん―――《欠陥製品》。或いは、《戯言遣い》。
兄さんが言っていた。兄さんから教わった。兄さんから学んだ。
曰く―――対極にして相似。
鏡の向こう側。
双璧の鏡。
無干渉無関係な仲良しさん。
優しい人間。
無為式。
なるようにならない最悪。
人間としての欠陥が多過ぎる人間。
腹切マゾ。
「一つだけ意義を申し立てたいものがあるんだけど。何だよ腹切マゾって、何で知ってるんだよ」
「兄さんが言っていたので」
「零崎め、自分の事は碌に話さないくせして他人の事をべらべらと…妹なんだから話せばいいのに」
「先人としてのアドバイスですか? 妹とはちゃんと関わっておけという、なり損ないの兄としての」
「だから何で知ってるんだよ。確かにぼくは先程、妹が居た身ではあると言ったけれど、しかし決して妹が亡くなった事は言っていない筈なんだけど」
「亡くなっていたんですか? それは可哀想に。ご愁傷様ですね」
「全く心の籠もっていないお気遣いどうも。初対面なのに酷い言い様だね、零崎はどういう教育をしてるんだか」
「『もし欠陥製品と出会ったら遠慮しなくて良いぞ』と言ってもらいましたよ」
「ふざけやがって。お洒落ガンバリストとダークネススマイルめ」
「何ですかダークネススマイルって。暗黒微笑はもう古いですよ、時代は希望嘲笑です」
「何だよその捻くれた時代。嘲笑するな、希望を。希望があるなら笑顔を浮かべろよ」
「兄さんは失望爆笑です」
「失望して爆笑してるのは単なる外道だよ。もしくは情緒不安定な患者だよ」
「兄さんが情緒不安定だって言うんですか! でも言われてみればそうかもですね」
「君もだけどね。感情の落差が激しいよ」
しかし事実だ。兄さんが怒鳴ったり落ち着いたりするのはいつもの事である。
まぁ、主に原因は私だけど。
「それはそれとして。此処は何処ですか? 誘拐ですか? 通報しましょうか?」
「質問が多いよ。ぼくは聖徳太子じゃないんだ、質問には一つ一つしか答えられないよ」
「此処は夢ですか?」
「いきなり核心に近付いてくるじゃん。その通りだけどさ」
「どうして貴方が出てくるんですか?」
「なんでだろうね。ぼくにも詳しい事は分からないよ。単に君とぼくが近かったからじゃない?」
「不愉快ですよね」
「零崎、お前本当にどういう教育してんだ…?」
事実を述べてるだけだ。
この人と自分が似ているだなんて―――思いたくない。信じたくない。この人と似ているなんて言われるよりも、誰も彼もに罵倒された方がマシだ。
人間としての欠陥が多過ぎる人間―――まさしくその通りだ。この人を眼の前にしていると、どうにも落ち着かない。動悸がして止まない。
ただ其処に居るだけで人を狂わせる―――《無為式》。兄さんはそう言っていた。
「人間なのか疑わしい。まるで神話生物と対面しているみたい」
「人間らしくないだの狂ってるだの言われた事は多々あったけど、神話生物呼ばわりされたのは初めてだよ。1D100のSAN値チェックが入るよ」
「旧支配者か何かですか? どちらかと言えば独立生物でしょうに」
「生憎と、椅子の偉大なる種族の様な知能は持ち合わせていなくてね。全ての言葉が辞書に乗ってはいるけれど、全ての知識は脳裏に刻まれてない」
「滑稽ですね」
「傑作と言えよ。まぁ、戯言だけどね」
私は笑わなかった。
ぼくも笑わなかった。