朝比奈まふゆの人間欠損   作:全智一皆

8 / 10
⚠自作品『鳳と玄武』よりオリ主が登場します。

         【登場人物紹介】
零崎人識(ぜろざき・ひとしき)――――――殺人鬼。

鳳えむ(おおとり・えむ)――――――高校生。
玄武(くろい・たける)――――――逸般人。


第八章「欲望の幕が上がる時」

■  ■

 ただの買い物だった。なんて事はない、幼馴染との平和な日々の筈だった。

 学校が休みで、いつもの様に家に突撃されて、叩き起こされて、着替えさせられて、連れ出された。何ら変わりのない光景だった。

 玄武自身も、鳳えむのそれを別に悪くは思っていなかった。どちらかと言えば、その元気の良さがとても心地良いとすら感じていた。

 無断で家に突撃してくるのは、健全な男子高校生としては見られていた場合かなり面倒な事になるので、そこらへんは止めてほしいものではあるが。

 だが―――今は、そんな事はどうでもいい。

 

「かはは。おいおい、今日で何度目だ? 京都旅行ばりに見られるな」

 

 誰も通っていない、誰も通る訳のない橋の下。其処に出来上がっている、大きな血のたまり場。

 斑模様の白髪の少年。軍服の様な長袖と長ズボンを揃えた少年、その右手に握られたナイフが、銀色に輝く凶器が、少年が何者であるかを物語っていた。

 それを理解してからの行動は、まさに迅速だった。

 

「えむ、逃げろ。全力で」

「えっ、でも、」

「早く行け! じゃなきゃ死ぬぞ! お前はまだ成し遂げてない事があるだろ!」

 

 怒鳴り声に体をビクつかせて数秒、鳳えむは後ろを向いて全速力で駆け出した。

 立ち方で分かる。佇まいで分かる。雰囲気で分かる。

 常人ではない。凡夫ではない。明らかな異常。明らかな逸脱。

 殺人鬼。人を殺す事を何とも思わない人間。常人という枠から完全に逸れている人種。

 明らかな―――危険人物。

 

「かっくぃー。此処は俺に任せて先に行け、てか?」

「……」

「だんまりかよ。しかしまぁ、実に傑作だぜ。こんなのほほんとした世界にも、お前みたいなの居るんだな」

「……」

「立ち方。構え方。どれも隙がない。かと言って武術の達人でもねぇな。人類最強みたいなもんか? 或いは純粋なフィジカルギフテッド。身体能力が超人的って所だろ?」

「―――」

 

 見抜かれた。戦ってもいないというのに、そこまで分かるものか。

 ずり…と、僅かに足が後ずさる。

 鋭い殺気。鋭い殺意。これまで経験した事のない感覚。これまで見た事のない―――深淵。

 玄武の最たる特徴は、精神観察。

 無意識の内に相手の表情の硬さや緩さ、言葉や声の強弱、些細な仕草などから精神状態を観察し、深層意識まで感情移入することで相手の心の闇を視る事が出来る高度な技術。

 それを用いた結果、殺人鬼の内面を見た結果は―――深淵。

 煮詰めに煮詰め、混ぜに混ぜ、ぐちゃぐちゃにぐちゃぐちゃにして出来上がった様な黒。闇の中の闇、深淵の中の深淵。

 自由自在にして自由奔放。自由奔放にして自由自在。何にも囚われず、何にも縛られず、ただひたすらに自由な子供。

 何も分からない―――コイツは、朝比奈まふゆなんかよりも質が悪い。

 

「戦闘狂なんざ零崎くんのキャラじゃねぇけど、丁度良いや。結構退屈してた所だ」

「……」

「愉しくやろうぜ、後輩」

 

 にやりと笑う。凶悪に嗤う。殺人鬼は、狂笑を浮かべる。

 構える。大きく息を吐いて、静かに吸って―――先手を取る。

 小細工は使えない。此処は小細工が使える様な場所ではないし、そもそも小細工が使える程に頭が良い訳ではない。

 相手は刃物。此方は四肢。どちらが有利かなぞ明確だが、それを覆すフィジカルが武にはあった。

 

「っ!」

「おっ、結構疾いな。コッチでもやっていけるぜ」

 

 繰り出すジャブ。一般人が繰り出す速度ではなく、もはやそれはプロの加速。

 だが、殺人鬼はそれを難なく流し、呼吸をする様に自然に腕にナイフを走らせる。

 鋭い傷みが体を蝕む。皮膚が裂かれた。鮮血が流れる。だが、無視は出来る。

 右足を上げ、側頭部へと蹴りを薙ぐ。ちりっ、と鋭い蹴りが殺人鬼の髪を僅かに掠り、儚く散らす。

 だが、それと同時に再び鋭い傷みが走った。

 

「疾いが単純でなぁ。飴ちゃん舐めてても避けられるぜ」

「っ…」

「いやいや、流石に硬ぇな。これでもナイフの扱いには自信があったんだが。こうなったのは《人類最強》以来だぜ」

「…勇次郎とでも戦ったのか」

「アレとはベクトルが違う強さしてるぜ、あの《人類最強》は。自分の親父を因果から追放しやがったらしいしな」

「…それは人間か?」

「人間だよ」

「そんな事が出来る奴は、人間なんてものじゃない」

「それでも人間だ」

 

 我最強。最強故に理由無し―――哀川潤。

 《人類最強》・《人類最強の請負人》・《赤き征裁》・《一騎当千》・《仙人殺し》・《相棒殺し》etc。

 零崎人識という殺人鬼の少年が知る中で、最も強く、最も美しく、最も格好良い人間。最も赤い人間。

 人工的な天才。天然の青色に対極する人工の赤色。

 未だ未完成、未だ成長過程にある最強の人類。

 零崎人識は―――それと戦った事があり、生きている。

 

「よぅし、じゃあ今度は俺から攻めてやろう。攻める前にこうやって言ってやんだ、避けなきゃ死ぬぜ?」

 

 笑って―――姿が消える。

 前方から消失。左右、無し。後方、勘が絶叫を上げた。

 足の力を一気に抜き、膝から崩れ落ちる様にして一閃を躱す。殺人鬼の笑みが視界に映った。

 がしっ、と。突き出た殺人鬼の腕を両手で掴み、引き寄せる様に張る。

 ―――重い。少年の体躯にしては、160cm程度の人間の体にしては、些か重たい。

 三日月に裂けた様な笑みが意味するそれを理解した時には、既に手遅れだった。

 

「ぐっ…!」

 

 ずたずた、ずたずた。軍服を掴んだ掌が傷だらけになり、一気に駆け出した激痛に呻きを上げる。

 袖の中に、無数の刃物…!

 

「かはは、懐かしいな。確か初披露は兄貴に変装した時だったか?」

 

 零崎人識の全盛期。自由自在にして自由奔放だった青春時代。

 零崎人識は、全身凶器にして人間刃物だった。体の至る所にあらゆる刃物を内包していた。

 歩き方、走り方、構え方、倒れ方。

 日常的な仕草からそうでない仕草まで、全ての仕草に気を使わなければ自分が滅多刺しになってしてまう程の大量の刃物を、衣服に内包していた。

 殺し名よりも厄介だとされた呪い名すらも、零崎人識はソレを以て殺してみせた。

 

「っっ…」

「流石にこれは堪えるよな。一気に手がズタズタになるなんざ、想像したくもねぇよ」

「お前が、やったんだろうが…!」

「かはは、そういや、そうだな。悪い悪い。欠片も悪いとは思ってないけどな」

「……」

 

 分かってはいたが、強い。レベルが違い過ぎる。

 単なる殺人鬼ではない。ただ悦楽に浸って殺人を犯す狂人ではない。

 ナチュラルキラー。生まれた時から殺人鬼。誕生した瞬間から狂人。

 呼吸をする様に人を殺す。それはつまり、呼吸をする様に人を殺す事が出来る“技術”が身に付いている、或いは身に付ける事が出来たという事だ。

 必然的に、殺人鬼の実力は高い。それは分かっていた。だが―――その理解を、相手は遥か上だった。

 全身に刃物を内包しているにも関わらず、あの身軽さ。あの俊敏さ。あまりにも桁違いだ。

 

「しっかし、あんま気持ち良いもんじゃねぇな。勝手に人の心を視るもんじゃねぇぜ?」

「…視たくてみてる訳じゃない」

「え、マジ? 無意識にやってんのかよ。そりゃ傑作だ、アンタ《殺し名》より《呪い名》の連中と仲良くやれるぜ。時宮にでも改名したらどうだ?」

「…どっちも物騒な名前だな。好き好んでソレをする連中とは、仲良くなれそうにない」

「そりゃ残念だ」

 

 くつくつと笑う。残念だと言いながら、殺人鬼は全く残念そうではない。

 殺人鬼のナイフが頬に触れる。冷たい感触が、僅かに恐怖を胸の奥底から押し出す。

 これは―――

 

「…!」

「お?」

 

 殺人鬼が体勢を崩す。優位を手に取る。

 膝を着いた左足で殺人鬼の足を払い、服ではなくナイフを持った手首を骨を砕く勢いで握り締め、地面へと背負い投げる。

 一閃が輝くが、紙一重でそれを回避して殺人鬼の腹部へと拳を振り抜く。

 刃物があるという事は承知の上。だが、服の内側に刃物を内包しているのなら、全身が凶器であるなら。

 全身凶器はあらゆる人間に牙を向く。全身刃物はあらゆる人間に刃を向く。そこには一切の例外はない。もちろんそれは―――全身を凶器に身を包む当人も例外ではない。

 

「自分の手首にまでは刃物は無いだろ…!」

「かはは、良い着眼点だな。けどまぁ、油断はダメだぜ」

 

 背負い投げられた殺人鬼は、まさかのブリッジをする様に両足で体を支え、空いた左手でさくっと胸元を切り裂いた。

 鮮血が地面を彩る。びちゃびちゃと、どくどくと、大きな切り傷から生きる上で必要なものが溢れていく。

 

「惜しかったなぁ。いやはや、ここまでやるとは恐れ入るぜ」

「無傷の癖してよく言う…」

「別に無傷じゃねぇよ。さっきの腹パンは中々だったぜ? 《人類最強》程じゃねぇがな」

 

 一撃を入れた腹を擦りながら、零崎人識は愉快に笑う。

 

「出来ちゃった?」

「気持ち悪いぞ、殺人鬼」

「ツレねぇの。まぁいいや、残り時間も少ないし…取り敢えずよ、聞いて良いよな?」

「…まともな質問ならな」

「なら安心しろよ。まともで真面目な質問だ。お前さ、人の気持ちって分かる?」

 

 人の気持ち。人の心。精神状態。この世界に存在する無数の難解の中で、最も難しい問題。

 

「よく人の気持ちを考えろ、とか。人の気持ちに寄り添って、とか。色々と言うけどよ、それはあくまでも都合を考えるだけで理解しようとしてる訳じゃねぇよな?」

「……」

「誰も、人の気持ちを理解しろとか言わねぇ。ただ漠然と考えろ、とか寄り添え、とかしか言わない。それってつまり、理解する事を諦めてるって事じゃねぇの?って、零崎くんは思う訳」

 

 数学や論理では言い表す事の出来ない、漠然としたもの。

 考える。寄り添う。どちらも似通っていて、しかし《理解》というそれには遠く及ばない。

 ただ気持ちを考えるだけで、ただ心に寄り添うだけで、人の精神を理解しようとしない。

 それ故に、諦観的。それ故に、厭世的。

 他人の気持ちが分かるか否か。それとも分かった気でいるか否か。

 どちらかなど―――

 

「…分からないさ。自分の本当の気持ちすら分からないんだ、他人の事なんて分からない」

「闇が視えるのに?」

「闇しか視えないから、分からないんだよ。明るい部分じゃなくて、暗い部分しか見抜けない…アンタはどうなんだ、殺人鬼」

「俺か? 俺は勿論―――分かろうともしねぇな」

 

 考える考えられないではなく、考えない。

 寄り添う寄り添えないではなく、寄り添わない。

 分かる分からないではなく―――分かろうとしない。

 零崎人識は、人の心に興味を持ちこそすれ、しかしそれをどうこうしようなどとは、思わぬのだ。

 

「小中高の国語のテストに必ず出てくる『登場人物の気持ちを答えよ』なんて問題を白紙で出し続けた俺だ。つくづく、俺こと零崎人識には人の気持ちやら心やらが分からねぇ。それこそ、生まれ変わってもな」

「分かろうとした事はあった。心っていう曖昧なものを探した事もあった。それがあれば、自分の空いた穴が埋まる様な気がしてた。実際には、どれだけやってもそれが埋まる事なんざなかったけどな」

「結局、どこまでも異端で、異質で、異常で、失格なんだってな。人の心なんざ分からねぇし分かるつもりもねぇ、だから俺は《人間失格》なんだろうさ。まぁ、アイツもアイツで分からなかったからこそ《欠陥製品》なんだろうがな」

「問題。気持ちを理解するとはどういう事か。解答。殺してみれば分かる」

 

「……狂ってる」

「知ってる」

 

 傑作だよなぁ。殺人鬼は、そう言って去って行った。

 玄武は、それを誰かに話す事はなかった。

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