東雲の空に鳴り響く聲は   作:亥露

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思いは重くのしかかり、言葉に出来ない叫びを訴える。貴女に届く筈ないのに。


沼に落ちる

 ブゥウウンと私の周りを虫が飛び回る。なんとか振り払おうと手を振り回すが、虫はそれを難なく躱す。私はそれに腹を立てまた一段と激しく腕を振るうがそれも躱される。もういいやと諦めほっといていても鬱陶しい事には変わりなく、虫除けスプレーでもしてくればよかったと今になって後悔をしてしまう。

 周りには草木が生い茂っており、地面の歩道は車一台がやっとの幅だった。スカートにはひっつき虫がついており、それもまた私の機嫌を損ねた。そういえば此の植物の名前はなんだったかな。なんて考えていると、目的地に着いてしまった。

 呪術高専から約二時間かけて向かった先はとある山にある湖だった。其処はあまり綺麗とは言えず、湖というより沼と言った方が近い様な気がする。然し此処はれっきとした(さん)(すい)()というか名前があるのだから仕方があるまい。

 とはいえ酷い臭いだ。生憎私はマスクは持っておらず、何も鼻を覆う物が無かった。然し一緒に来た狗巻君もですらも顔を顰めているため、仮にマスクをしていても気休めにもならなかっただろう。

 此処に来るまでは空気が澄んでいて、景色も綺麗だった。都内でもこんな所があるんだなと感心までしていたのだが、私達が目にしているものは先程迄の景色は全部幻影だったのではないかと疑う程だった。地面は滑っていて歩きづらかった。それに人があまり、いや全くと言って良い程に来ないのか、轍の一つも無く私達は草をかき分けて進んでいく。

 「っと、此処ね。うわぁ、もう底も見えないじゃない。」

 「しゃけ。」

 私達は池の付近迄近づき顔を覗かせる。やはり底が見えないおろか、反射すらもしていない。まさに底無し沼という湖だった。

 「此処で呪霊の報告が来てるの?」

 「はい。それに一人の行方不明者も出ています。」

 「成る程ね……。」

 私は伊知地さんの説明を頭の中で整理する。一人が行方不明という事は二人以上で此処に来たという事。そして残ったもう一人が通報したと言う事になる。此の際何故こんな所に来たというのは放っておこう。

 然し私が此処で推理擬きをしても仕方が無いだろう。これは警察の本分だ。私達の仕事は此処の呪霊を祓う事。そして其の呪霊に巻き込まれた可能性がある人を救出する事だけだ。

 「では帳を張ります。お二人とも、御武運を。」

 そう言い伊地知さんは後ろへ下がり帳を張った。すると瞬く間に辺りは夜の様に真っ暗になる。私は池の周りを歩き回る。此処で大人しく呪霊が出てくるのを待つか、探し出すか。呪力は感じても何処からかなのかがさっぱり分からない。矢張り訓練が足らないのか。

 「高菜〜。」

 狗巻君は真っ直ぐ指を指す。取り敢えず歩こうという事だった。私は狗巻君の後ろをついていく。本当に歩きづらいな、此処は。

 此処の所晴れが続いていたのにも関わらず地面はまるで雨が降った後の様に滑っている。私が履いているブーツは意外にしっかりしていて、滑り止めのゴムが底に付いていた。機動性重視というものだ。私は多分初めてローファーじゃなくて良かったと思っている。

 一方狗巻君の靴は滑り止めが付いていないらしく、ちょこちょこ足を滑らせていた。心配になるレベルで。

 「大丈夫?狗巻君。」

 「おかかぁ〜。」

 私が声を掛けると、狗巻君は子鹿の様に足をガクガク震わせ首を横に振る。そりゃそうだ。こんな所でコケでもしたら(ひと)(つき)は服に付いた臭いは取れなそうだ。しかも制服ときた。

 「良かったら私の腕掴む?気休め程度にはなるでしょ。」

 そういうや否や狗巻君は勢い良く私の腕にしがみつく。危なかった。滑り止めのブーツじゃなかったら私諸共転けていた。そうなれば本末転倒だ。意味が無い。

 私は狗巻君の歩幅に合わせて進んでいく。あれ?此の構図は男女逆なのでは?と思うが、狗巻君は気にしていない様で、否、気にする余裕もない様で、ずっと足場を気にしていた。なんだろう、此の感じ。私がそういう現場に慣れてきた事も勿論あるのだろうが、なんだろうか。一緒に居る人が自分以上に怯えていたら逆にこっちが冷静になる此の現象。まさに今其れだった。地面に怯える呪術師なんて聞いた事ないが。

 「っいくら!」

 「え⁉︎何⁉︎」

 ガサガサと茂みから音がして其方に目をやる。とうとう呪霊が出たのかと身構える。確か呪霊の階級に合わせて同階級の術師が振り分けられると聞いた。狗巻君は確か準一級、そして私は一級だ。然も私は家系という事もあって半ば贔屓のランク付けだろうから恐らく一級の実力ではない。油断は絶対にしてはならない。それは思い上がりというやつだ。

 然しザッとナニかが出てきて、私達は驚愕する。其の姿は毛むくじゃらでマルッとしたフォルムでポテポテという効果音がお似合いの——。

 「……狸?」

 「す、すじこ。」

 目の前に現れたのは野生の狸だった。其の狸は私達の姿を見て遠くに走り出して行った。いや、こんな人も来ない様な山だ。野生動物が居ないなど思って居なかったが、なんというか……。

 「は、はは。狸に身構えて……ふふ。馬鹿みたい。……んふふ。ホント、もうみんな馬鹿……。」

 「……んぐふっ。しゃけ……。」

 私達は堪えきれずに吹き出してしまった。此処で大声を出す訳にもいかないので小声でだが。然し張り詰めていた緊張の糸が解れて、私達の間に穏やかな空気が流れる。そして、そういえば最近、狗巻君とこうして喋って無かったなと考える。狗巻君も任務で、私は訓練と、予定おろか顔も合わせる事が難しかったのだ。

 狗巻君と喋っていると、心が満たされていく様な気持ちになる。ポエムでは無いが、ふわふわした浮遊感にも似た感覚だ。そして時間を忘れて喋ってしまい、もっと一緒に居たいと脳が求める。こんな感覚は初めてだ。然し此の気持ちは恐らく——。

 「私、狗巻君割と好きかもしれない。」

 「ぅえ⁉︎」

 「わ!大丈夫⁉︎」

 狗巻君は驚いた様に此方を見る。其の時に足を滑らせた様で、私は間一髪で狗巻君を支える。

 「あのね、狗巻君と喋ってるとすっごい楽しいの。時間も忘れちゃうし、一緒に居て落ち着くし。私ね、多分狗巻君の事……。

 

 

 

 

 

 

 戦友だと思ってる。」

 そう、とっても仲が言い友達だ。こんな感情は親友の愛莉といる時は感じなかったが、同じ寮に住み、一緒に訓練し、任務をする。命を一緒に乗り越えた狗巻君は、いつしか私にとって欠け替えの無い人物になっていた。

 狗巻君はポカンとした後、少し笑って「しゃけ。」と呟いた。私はそれを見てまた心が満たされる。狗巻君は謂わば美形というやつだった。それに優しいときた。こんな完璧な少年がいてもいいのか。と、私は常々感じている。

 だから感謝をしなければいけない。こんな人が私の友達でいてくれる事に。

 私は其の儘歩みを進める。狗巻君は何故か私の顔をジト目でジッと見てくる。何でだろうか。私何かしちゃったかな。若しかして戦友だと思ってた事に不満があるとか?私だけだったとか?いや、狗巻君は例えそんな事思っていても顔には絶対出さない。理由が他にある筈だと思い聞いてみても「おかか。」と答えるばかりで一向に分からない。

 まぁいいかと前を向くと、ある古屋が見えた。とても古びていて、今にも崩れ落ちそうだった。

 「………分かりやすいわね。」

 「しゃけ。」

 其の小屋からは呪力が流れ出ており、其れが呪霊のものだという事は想像に難く無かった。然しどうしたものか。中に呪霊がいるのはわかっているけれど、馬鹿正直に正面から突っ込むにはリスクがデカすぎる。さてどうしようか。

 此処は呪術師の先輩である狗巻君に任せようかなと思い横を見る。狗巻君は奥の方を指を指す。多分裏の方に回るという事だろう。私はそれを了承し、表玄関に向かう。

 作戦は至ってシンプルだ。

 私が呪霊を引きつけて、呪霊が現れた所で狗巻君の呪言で動きを止める。其の隙に私が小刀で祓う。シンプルだが難しい。タイムングがズレれば取り返しのつかない事になるからだ。然し相手が姿を見せない場合、此方から仕掛けるしかあるまい。先手必勝と行こうじゃないか。

 フーッと息を整える。だいぶは慣れたが、初心を忘れてはいけない。そういう油断こそが死を招くと五条先生も言っていた。

 心の中で十秒を数える。それはまるで湯船から出る子供の様に。されど此れは湯船でも無ければぬるま湯とは言い難い。

 思考が零になったと同時に、私はドアを蹴破り中に入る。中は生活空間こそはあるも、蜘蛛の巣がこびりついており、長らく人が入った痕跡は無い。そう、()()は。

 間髪入れずに私の目の前に尖ったものが迫ってくる。呪霊の爪だった。其の呪霊はでかい爪を持っていながら身体は小さく、アンバランスな体型だった。恐らくそれ故に恐ろしさを引き出しているのだろう。

 何故私がそこまで細部を観れるのかというと、呪霊の爪の先が私の眼球に触れる一歩手前で狗巻君が止めてくれたのだ。私は一旦距離を取り、其の呪霊の首を短刀で切断した。

 如何やら狗巻君は裏口からこっそり入り、物陰に隠れていた様だった。

 「高菜!」

 狗巻君は心配そうに此方へ駆け寄る。

 「大丈夫。怪我はしてないわよ。そんな事より、行方不明者を探さないと。」

 古屋の中は思ったよりも暗く、私は予め持って来ていた懐中電灯を照らし、辺りを照らす。元から若干見えてはいたが、懐中電灯の明かりで更にボロさが増して見えた。

 私は懐中電灯を狗巻君に渡して外に出る。外に居る可能性も零じゃ無いからだ。帳はまだ下がっており、空の色は確認できない。天気予報は今日は一日中晴れだと言っていたから大丈夫だろう。私はもう一度沼に行ってみる。

 矢張り臭いが強烈だった。冷静に考えると、不思議な事だ。こんな所に来るなんて。こんな所、肝試しにもなりゃしないのに。況してや恋愛スポットでもあるまいに。

 「明太子!」

 私が古屋から離れてまだ数分しか経っていないにも関わらず、狗巻君は走って此方へ来た。大丈夫か?転けないかな?

 そう思ったのも束の間、狗巻君は足を滑らせ横転してしまった。あぁ、遂に畏れていた事が現実に起こってしまった。

 「ちょ、大丈夫?」

 「おかかぁ。」

 「う、臭いついちゃったわね。」

 案の定臭いは服に付いてしまい、狗巻君は顔を顰めている。然しハッと我に帰り、私の腕を掴んで小屋へと向かった。何事かと首を捻る。行方不明者を見つけたのか?と思ったが、そうしたらこんなに焦る必要はないだろう。となると別の理由か。

 私は古屋の中に入り、狗巻君に連れられトイレに入った。何だ?ゴキブリか?

 「すじこ。」

 「え?便器の中を見ろって?一体な……にが……え?」

 いや、ゴキブリの方がよっぽど良かっただろう。

 〝ソレ〟を見た瞬間に、背筋に冷たい何かが迫り上がってくるのを感じた。

 

 

 

 

 便器の中身は男性が惨たらしく詰められていた。

 

 

 

 ザーーーーと雨の音がする。あぁ、矢張り天気予報は当てにはならなかったなぁと、思考の外で考える。

 此の寒さは気温の所為なのか、はたまた恐怖なのか。私には分からないが、何故か私はそこから動く事は出来なかった。

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