暗い路地裏を二体の呪霊が歩いていた。そして建物の扉を開け、中に入る。其処は建物の中というにはあまりに広く、あまりに殺風景だ。
海だ。
建物の中には海が広がっており、砂浜にはビーチでよく見る椅子がポツンと二つ置かれている。一つの椅子には袈裟を着た男がダルそうに座っていた。
「やぁ、遅かったね。真人、花御。」
真人と呼ばれた男は「まぁね。」ともう一つ空いている椅子に座る。
「そう言えば面白い女の子に会ったよ夏油。」
「そうかい。どういう子だい?粗方想像はつくけれど。」
「ふっふっふ〜。」と真人は得意げに笑う。その表情はとても幼なげで、呪霊にしては愛らしい表情だ。
「何と!あの東雲家のご令嬢に会いましたー!めっちゃ可愛かったよ。人間じゃなかったら結婚したいくらい。」
「結婚は人間の文化だよ。」
「そんな細かい事はいいの!」
真人は椅子に寝そべり本を開く。産まれたばかりの真人にとって読書こそが真人の学であり、教科書なのだ。まるで人間の脳味噌をくり抜いて見ている気分だと前に真人は言っていた。
「東雲か……懐かしい響きだ。」
夏油は一口メロンソーダをを口に運ぶ。それからふうっと息を吐き海を見つめた。海には花御と、タコのような呪霊がぷかぷか浮いている。東雲家。呪術師の元締め及び呪術界最恐の一家。その存在に真人は胸を踊らす。早く遊びたい。早く壊したい。あの希望と正義と慈愛に満ちた彼女を。此の手で。
「そんな珍しい苗字ですかね?」
其の声と共に後ろから現れたのは、此のビーチに似合わぬ学生服を着た青年だった。似合わぬと言ってしまえば夏油の袈裟姿もそうだが。
青年は制服のパーカーを目深に被っており、顔を拝む事は叶わない。此の場にいる誰一人青年の顔を此の目で見た事は無いのだ。
「あぁ君ね。いたんだ。」
夏油はさっきまで気配の一つ感じなかったのにと目を見開く。冷たく思われるだろうが、これでも驚いているのだ。
「いえ、今来ました。というか、そんなに彼女を刺激しない方が良いですよ。何されるか分かったもんじゃない。」
「随分知った口だね。」
「知ってますよ。彼女の事は。」
「ふーん。」
真人はあからさまに不機嫌になる。何だ、彼女の事を知っているのは自分だけじゃないのかと。
「これ、真人さん。頼まれていた本持ってきましたよ。」
「え⁉︎ホント?うわーありがとう!」
真人は先程の不機嫌な顔をコロリと変え、その本を受け取る。青年は手に持っていた本を真人に渡して、「じゃあ帰るんで。」と踵を返した。これ以上此処にいたらまた何か要求される可能性があるのだ。然も断るまでもない面倒臭いどうでも良い事を。所謂パシリだ。
「あ、そうだ。そういえば君の姉、どうなったの?」
真人は青年を引き止めるようにそう聞いた。真っ直ぐ青年を見つめ逃さんとばかりの目に、青年ははぁ、と溜息を吐く。こうなったら真人は意地でも逃さないのだ。それをよく知っている青年は諦め問いの返答をする。
「会ってませんよ。黙って家を出てってそれっきり。」
「会えると良いね。」
「そうっすね。」
今度こそ青年は歩き出す。一刻も早く此処から立ち去りたかったのだ。元より青年は此処が好きでは無い。呪力で作り出した空間はあまり居心地の良いものではなく、人間の青年なら尚更だった。
「あ、くれぐれも俺たちの邪魔しないでよ。」
真人は買ってきた本をもう読んでいた。此方にはもう興味がないのだろう。青年はまた呆れたように溜息を吐く。
「其方もな呪霊風情が。」
————
「んでその怪我か。情けねぇな。」
「五月蝿いわよ。」
「おかか。」
「狗巻君まで。」
「まぁまぁ、でも生きてて良かったよ。昨日の真夜中にずぶ濡れの上に血だらけで帰って来た時はびっくりしたけど。」
とある街。中人が行き交う中心街。私と真希と狗巻君と憂太は其処を歩いていた。ある人物に会う為に。本当は私一人だけで良かったのだけれど、三人が病み上がりで心配だからと着いてきてくれたのだ。因みにパンダ君は任務で来れないと嘆いていたのは面白かった。自分だけ仲間外れだと。小学生か。
「で?結局何処に向かってんだよ。」
「ファミレス。」
「は?腹減ってんのか?」
「違うわよ。ある女性と待ち合わせをしているの。」
私はスマホを見る。十四時。うん、待ち合わせ場所には間に合いそうだ。制服のポケットにスマホを入れると、コツンと硬い物が手にぶつかる。それは昨晩古屋で拾った物だ。只の落とし物を大切にする義理は無いのだが、これが今から会う人にとって、そしてその人とする会話にとってとても重要になってくるのだから、物の価値というものは単純明快では無い。
「だから居るとしても、遠くの方で見ててもらえると助かるよ。」
「邪魔は?」
「何で今の会話の流れで良いと思ったの?」
呪術高専に入って数ヶ月。此の人達の性質はよく分かった。悪ふざけが好きなのだ。私も何度か悪ふざけの餌食になった事がある。その時は心の底から殺意が湧いたものだ。確か一年の時は五条先生がみんなを受け持っていたと言っていが、成程。これが教育の賜物というわけだ。五条先生、貴方の教育は成功しているわよ。悪い意味で。
「にしても昨日の憂太の叫びと言ったら面白かったな。然もその憂太の叫び声に吃驚した絵名も大声を上げて叫んでさ。もうカオスだったな。」
「ちょ、忘れて真希さん!僕達あれからすっごい怒られたんだから!」
「学長に憂太は五月蝿い、私は何処ほっつき歩いてんだって。あんなに怒らなくたって良いじゃない。」
「おかか。」
そう、あれから私は結局歩いて帰るはめになり、訳数時間かけて高専まで歩いたのだ。真夜中なので車は一切通っておらず、タクシーを呼ぼうにも此の怪我を見られたら凄く面倒くさい。そう思った私は骨折した足を引き摺りながら歩いたのだ。帰った頃にはもう日は跨いでいて、偶々起きて来た憂太に遭遇してしまったのだ。あの時の憂太の顔を想像して申し訳なくなる。私がそのタイミングで帰ってきたばっかりに学長からお叱りを受けたのだから。処分は鉄拳で済んだのだが、もはや憂太に至っては理不尽以外の何者でもなかった。
「でもホントあの時はごめんね。」
「良いよ。気にしてないし。絵名が生きてて良かった。」
「憂太……。」
私が憂太の優しさに胸を撫で下ろしていると、狗巻君は何の前触れも無く私と憂太の間に割り込むように入ってきた。
「ちょ、狗巻君?どうしたの?」
「おかか。」
私がそう聞くと、狗巻君はプイッと顔を逸らす。何か悪いことでも言っちゃったのかな?
オロオロするしか無い私に真希が「あーちげぇよ。」と助け舟を出してくれた。
「そいつ自分が頼られなくて拗ねてるだけだって。」
「え?そうなの?」
「お、おかか!」
慌てて顔を逸らす狗巻君の耳は真っ赤で、私は嬉しくなる。こんな私を心配してくれる友達が居るのかと。
「あ、ほら。もしかしてあのファミレス?」
憂太が指を指す方には、とても見慣れたファミレスが建っていた。そう、待ち合わせ場所は此処なのだ。
「じゃあ行ってくるからくれぐれも邪魔しないでよね。」
「危険な場合は?」
「何もしないで。」
「了解。」
真希の質問に即答で答える。此の問題は私でどうにかする。これは初めから決めていた事だ。狗巻君達は此の場合見届け人と言った方がいいか。
私は扉を開け、中を見渡す。そして其処に金髪のウェーブがかかった女性を見つけ、店員さんに「待ち合わせだから。」と告げその方向に向かう。その女性は携帯を見たり辺りをキョロキョロしたりと落ち着きがない。何をそんなに慌てているんだ。
「〝きょうか〟さん、ですか?」
私はその人に声をかけた。するとその人は顔を上げ、効果音がつきそうな程に顔を輝かせ、「はい!」と勢い良く返事をした。
「もしかして〝東〟さんですか?わぁ、想像してた以上に可愛い人。」
女性はうっとりしてジッと見つめる。私はその目をジッと見返した。いつもの私なら此処で怖くなり目を逸らすだろうが、今日はいつもの私ではない。覚悟を決めて此処にいるのだ。
「きょうかさんも素敵な方ですよ。」
「やだ嬉しい。」
此の人はSNSで知り合ったのだ。そしてDMで何度か話すようになり、今日会おうということに。
私達は暫く他愛も無い会話を広げる。この人は自分の話が大好きみたいだ。自分は何が得意だとか、こう優れているとか、逆に自分以外は劣っているとか。とても素敵な自己PRだ。
顔が引き攣っているのが自分でもわかる。私の視界に入るぐらいの位置に座っている狗巻君達は顔を青ざめて此方を見ている。きっと酷い顔をしているのだろう。
「そういえばきょうかさんに見てほしいものがあるんです。」
「見てほしい物?」
「これです。」
私はポケットから例の物を取り出した。それは——。
「え?これ、私のピアス?」
「はい、たまたま見つけて。前に写真で上げていたのを思い出してもしかしてと思ったんです。」
「わぁ、ありがとうございます。これオーダーメイドなんですよ。何処で見つけたんですか?」
「山です。」
「え?」
「山水湖がある山です。」
私がはっきりそういうと、きょうかはみるみるうちに顔色が悪くなっていく。
「きょうかさん。山水湖の近くの古屋で男性の遺体が発見されました。
殺したのは貴女ですね。」
私達の周りだけ時が止まったようだった。私は出来る限り小声で彼女に伝えたので、他の席の人に聞かれている可能性は低い。きょうかはプルプルと震えていた。それは恐怖なのか怒りなのか。
昨晩の呪霊の話を信じるならば、この人が犯人で確実だろう。こればかりは感謝だ。
私が黙って待っていると、きょうかはポツリポツリと語り出した。
「仕方が無かったのよ。だって彼の人、私の言う事全く聞いてくれなかったんだもの。それについカッとなって。前の男もそうだったわ。私の機嫌を損ねるような事を言うから。悪くない。そう、私は何も悪くないの。」
きょうかの言葉はとても理解が出来なかった。要するに自分の思い通りにならないから殺したと言う事じゃないか。
私は徐々に怒りを覚えるが、何とか堪える。
落ち着け。此処で手を出したら私が犯人にされる。それは御免だ。
フーッと息を吐き深呼吸をする。
「悪いわよ。」
はっきりと、断言してそう言う。きょうかは目を見開いて此方を見た。此の後に及んで肯定されると思ったのだろうか。それだとしたらとんだお花畑の脳味噌だ。
「殺した時点で貴女が全部悪いわよ。アンタが殺した理由はただ自分が可愛いだけじゃない。自分の言う通りに動かないから殺すなんて。男はアンタの玩具じゃなければ人形でもないわよ。」
そういうと、きょうかはみるみるうちに顔を赤くして、側にあった食用ナイフを振りかざす。自制心が無い。まるで昔の私を見ているようだった。
「アンタに何がわかるのよ!」
ナイフが私の皮膚を貫こうとした瞬間、きょうかは何者かに机に押し付けられた。
「明太子。」
狗巻君だった。きょうかはまだ唸っていて、まるで獣だ。
店内はパニックになり、視線が此方に集まる。
「アンタに何が分かる!どうせアンタは恋愛なんてした事ないんでしょうけど!男はみんな女に従っていれば良いのよ!男は馬鹿なんだから!」
次々に私や男への罵倒が彼女の口から発せられる。その発言に、内側からスーッと何かが覚めていくような気がした。
「誰に向かって言っている。分を弁えろ。」
シンっと辺りは静まり返る。私はハッとして口を押さえた。
何言った?私。
辺りを見渡していると、客どころか、真希達も一歩引いていた。え?やめて?私今すっごいイタい人じゃん。待って、無意識だから。そんな引かないで。
私が弁明しようとすると、バンッと扉が開き、警察が入ってきた。客の誰かが通報したのだろうか。
きょうかは黙って同行していて、少しホッとする。
「……ねぇ。」
私はみんなに向き直り、弁明しようとする。
「違うから自分多分あれ無意識というか!だからそんな引かないで!」
そう懇願すると、真希達は目を見合わせてプッと吹き出した。何だ一体。
「いやぁ、カッコよかったよ。流石絵名って感じで!」
憂太は悪気なく本当に凄いって顔で此方を見た。やめて。そんな顔を私に向けないで。
何とか誤解は解けたようで、私は警察に事情聴取として警察署に行くよう言われた。その際、真希に引き留められた。
「そういや、何で犯人と接触しようとしたんだよ。あのままほっといても呪霊の所為って片付けられても絵名には何の関係もないだろ。」
確かにそうだ。彼がどう処理されようが、私には一切関係のない事だ。その男とは関わりもないし。然し、だからと言って。
「あのまま暗い所に閉じ込められた上に、犯人は呪霊でしたって、あんまりにも浮かばれないじゃない。」
私は真希に言った。此れはただの私のエゴだ。
真希はフッと笑いながら私の頭を撫でた。
「それでこそ絵名だな。よし、行ってこい。後の処理は私らがしてやるからよ。」
「うん。」
真希の優しさに甘え、私は歩く。昨日とは打って変わって、今日は雲一つない晴天だ。
————
「さっきの絵名。凄かったな。」
真希は買った缶コーヒーを眺めて手で弄びながらそう言った。あの後三人は警察に事情を説明して外に出て公園で休んでいた。そして先程の絵名の様子を振り返るのだった。
「うん。なんだろう。従わなければ殺されるって思ったね。一歩でも歩いたら首取られそう。」
「しゃけ。」
東雲家は代々呪術師を支配していた。だからなのか、東雲家は異様な雰囲気を醸し出しており、誰もそれに逆らう事は出来なかった。真希は昔会ったことはあるが、それはもう存在こそが恐怖だったと真希は覚えている。
それと似ていた。
天性の支配者。人を従わせるに足る恐怖。正しく東雲家の血筋が其処にはいたのだ。然し絵名の場合そうではない。
全てを従わせる畏怖を持っていながら、彼女は人間を許せる心を持っているのだ。それは明らかに現当主と違う所だ。
人間に寄り添い、救い、手を差し伸べ、許すことが出来る。然もそれは義務やらの意識的な物ではない。彼女は無意識に他人を助けるのだ。
だから自分たちは彼女に着いていく。会って間もないが、彼らは彼女の事が大好きになっていたのだ。
彼女だったら呪術界を変えてくれる。そう確信していた。それは五条悟も同じようで、彼女には相当期待をしていた。
さっきだって狗巻は無意識だった。無意識に、東雲絵名を守った。それは血筋に刻み込まれている服従心。
「絵名はどうだろうな。本家の跡を継ぐのか?」
「さぁ、でも本家は逃さなそうだよね。あの術式持ってるから。」
「でもま、どっちでも良いわ。アイツが当主になるってんなら応援しなくもねぇし、嫌だってんならそれでも良いしよ。」
「しゃけ。」
「真希さんは優しいね。」
「うるせぇ耳もぎとんぞ。」
「え?怖い。」
そう、彼らはもはやどっちでも良いのだ。彼らが愛しているのは東雲家の絵名ではない。東雲絵名本人なのだから。
然しもし無理矢理にでも当主にさせようとするのなら、彼らは全力で殺しに行くだろう。
絵名を泣かす本家を、絵名を苦しめさせる人間を。
それほどまでに大切なのだ。東雲絵名という人間が。
「あの。」
三人が話していると、後ろからか細い声が聞こえた。振り返ってみると、綺麗な髪をした小柄な少女が其処には立っていた。走ってきたのだろうか、息を切らしていて汗だくだ。着ているジャージも汗でべっとりしている。
「あの、もしかして、さっき絵名と一緒にいませんでした?」
「え?絵名の知り合いですか?」
憂太はびっくりしたようにそう聞いた。然し冷静に考えてみればそうだ。自分とは違い、絵名は他の人との交流を絶っていたわけではない。
「はい。あの、絵名が今何処にいるかしりませんか?」
三人は目を見合わせる。
そして思う事は一つ。
何をした。絵名。