新章、スタートです。
懐かしの場所と因縁の戦場
「えーななん。五条先生と一緒にお出かけしようか。」
そんな陽気な声と共に現れたのは、見るものは不審者と思わずにはいられない目隠しをした男、五条先生だった。然し今は目隠しをしておらず、真っ黒なサングラスに黒い服を着ていた。普通にしていればイケメンなんだけどなと思いつつ、私は筆を動かす。
「嫌よ。今絵を描いてるのが分からない?」
「えー。でも絵名を連れて来るって約束しちゃったからな。」
「本人の意思ガン無視で話進めないでくれる!?一体誰によ!」
私は筆を水にポチャンと入れて振り返る。本当は思いっきり置きたかったが大切な画材が傷んだら嫌なのだ。筆先も広がるし。
いや、そんな事は今関係無く、私の預かり知らぬ所で私が何処かに連れて行かれると言う約束を勝手にした事が問題なのだ。いつ。誰と。何処で。どんな理由で約束をした。嘗て伏黒君が言っていた「五条先生はそういうところがある。」とはこういうところなのだろう。
私はハァッと溜息をつき五条先生を追い出す。
「分かったわよ。行けば良いんでしょ、行けば。着替えるからとっとと出てってよね。」
「え?目の前で着替えても良いよ?」
「死ね!!!!」
私は五条先生を蹴飛ばし追い出した。なんなのあの教師。訴えれば余裕で勝訴出来るわよ。
私服に着替え鞄に必要最低限のものを入れて鏡で確認する。今日の服装は白いブラウスにチェックのスカート。ブラウスの上から薄茶のカーディガンを羽織り、白いタイツを履いた。うん。悪くないんじゃない?それにしても出かけるって何処にだろう。五条先生の事だからどうせ碌でもない事は明白なのだが、どうも怪しい。
部屋の扉を開けると、五条先生は窓の外をじっと見つめていた。それはまるで絵画の様な美しさで、あぁ、美しいって言葉は此の人の為にあるんだなぁっと本能的に思った。顔だけはほんっとうに良いのだ。
「あ、着替えた?じゃあ行こうか。」
「うん。」
私は五条先生の声にハッと我に帰る。五条先生はいつの間にか此方をじっと見ていた。サングラスの隙間から覗く青色の目は、晴天の様に煌びやかだった。
校門前に歩いて移動すると、車が停まっていて、近くには伊知地さんと夜蛾学長が立っていた。
「え?伊知地さんは分かるけど、なんで夜蛾学長も一緒に?」
私が学長に疑問をぶつけると、学長はハァッと手を額に当てた。
「……悟。お前説明していなかったのか?」
「いやぁ、忘れててー。……っていででででで!!!!ごめんごめんごめん!!!!」
学長は五条先生にヘッドロックをかましていた。五条先生も夜蛾学長には頭は上がらないのか、素直に受けている。その横であわあわとしている伊知地さん。
「ん?お前ほっぺに何か付いているぞ。」
そう言い学長はウエットティッシュで私の頬を拭った。先程の絵の具が付いていたらしく、私は少し恥ずかしかった。
「えっと、さっきまで絵を描いてたからですかね……。」
「そうか、絵を描いているのか。」
学長はそう言って少し微笑んだ。なんだろうかこの父親の様な人は。くそ、あいつも少しはこんな風だったら良かったのに。
私達は車に乗り、伊知地さんの運転で出発をした。
山を二つ三つ超え、田舎道道を走る。その間私は夜蛾学長から説明を受けた。
私達が向かっている先は東雲家本家。つまり私の実家だという。私は少し背筋が伸びる。何故今なんだ。
「御当主様がお会いしたいと仰っていらしたんだ。粗相の無い様にな。」
「は、はい!」
私は緊張と共に少しの嫌悪を感じる。
今更何よ。十一年前に孫を殺そうとしたくせに。
ぎゅっとスカートを握り締める。私は其の儘外を見た。外は田圃が広がっており、東京でもこんな道があるのかと感心した。然し一つの疑問が浮かぶ。
何故忘れているのだ?
よく考えれば十一年前、つまり六才以前の記憶が全くと言って良いほどない。それは幼児期健忘などではない。スコンと、まるで七才から私は意思を持って産まれて来たかの如くないのだ。
どういう事だ?
「着きましたよ。此処が東雲邸です。」
山道を車で走り、山の頂上ら辺にとある豪邸が威圧的に建っていた。突如現れたそれに、私は目を見開く。だって今まで民家の気配が一つもしなかったんだもの。どういう事?
「結界で隠してんだよねぇ。此処。学生の頃は困ったよ。」
五条先生はやれやれと首を横に振った。矢張り五条先生も此処に来た事あるんだ。
伊知地さんがドアを開けてくれて私は車から降りる。冷たい風が吹き、身体が少し震える。異様に寒いな。此処は。そして呪力の気配。結界を張っているからか、呪力が威圧の様に伝わってきて少し気持ち悪い。
「お待ちしておりました。お嬢様。」
何処からか音もなく現れたのは着物に身を包んだ高齢の女性だった。私は吃驚して振り返る。その時変な声が出たが、女性は気にする素振りもなく、機械的に私たちを中へと通した。伊知地さんは此処で待っていると言っていたが、大丈夫だろうか。
中はこれでもかと思う程広く入り組んでおり、何度目かの角を曲がり、とある部屋に連れてこられた。
「御当主様。お嬢様と五条悟様と夜蛾正道様をお連れしました。」
「……入れ。」
嗄れた声が中から聞こえ、その瞬間襖がゆっくり開かれた。
私はその光景に驚愕する。
東雲家の当主は威圧感があり、威風堂々としているものだと勝手に思い込んでいたのかもしれない。堂々と、椅子に座りふんぞり返っていると。然し何だこの姿は。
皺くちゃな枝よりも細い老人が布団に入っている。その近くには医者らしき人が座っていた。
まさかこの人が私のお爺ちゃんなのか?
「……久しぶりだな。絵名よ。」
「……え?」
「元気にしとるみたいで安心したわい。」
「はぁ。」
私は祖父の側に座る。目が虚で頬は痩け、もう目も当てられない様な姿だった。初めて会った祖父の姿に、私は少し複雑な心境だった。
「今日はある話があってお呼びさせて頂きました。」
近くに座っていた医者が私に向き直りそう言った。その顔は深刻そうで、私にもその緊張が伝わり、少し鼓動が速くなる。
「御当主様は………
今日が山場かもしれません。」
時間が止まった様に感じた。耳鳴りがして、喉に何かが詰まった。そんな感覚が。
山場?山場って、今日亡くなるかもしれないって事?
「どういう……事ですか?」
学長と五条先生も聞かされていなかったのか、目を見開いていた。
「御当主は末期の肺癌を患われておられます。今日まで頑張られておられましたが、もう限界かと。」
「そんな話はどうでもいい!」
骨と皮のみになった喉から大きな声を出し祖父は話を遮った。ビリビリと空気が痺れる。学長と五条先生は「申し訳ございません。」と頭を下げる。私も釣られて頭を下げた。これ程までに人間の恐怖という感情に触って来るのか。あの五条先生ですらも少し冷や汗をかいている。
「絵名よ。これからの話をしなければなるまい。聞け。」
「は、はい。」
先程の大声とは打って変わって、か細い声で私に話しかけた。
「絵名………弟を殺せ。」
瞬間、私は祖父の胸ぐらを掴む。内側からドロドロしたものが溢れ、不快感が溜まっていく。五条先生と学長は私の腕を掴み止めようとした。然しそうしても私の怒りは収まらなかったのだ。
「まだ言うのね。あんた、自分が何言っているのか分かってんの?自分の孫に、身内を殺せですって?ふざけんじゃないわよ。だったらあんたを今から殺してやるわよ。」
「絵名!やめろ!」
学長が叫んでいるが、私の心には何一つ届かなかった。これ程までに憎いと感じた事は無かった。此のジジイが死ぬほど憎い。憎すぎて殺してしまいそうな程に。
祖父はだらしなく口をあんぐり開けて力なく重力に身を任せている。もう身体にも力が入らないのだろう。
「お前らは……チグハグなんだ。本来お前の術式は、彼奴が相伝するものだった……。なのに何かの手違いでお前が先に産まれてしまった……。お前達の才能は逆の筈だったんだ。……良いか?お前の所為で……弟は死ぬんだ。……お前が先に産まれず、その術式を弟に渡していれば……。これでも譲歩して……やっているんだ。……女のお前を……此の家に受け入れてやる……と。」
その為に殺せと。此のジジイが言っているのはそう言う事だった。
私は少し手を緩める。それと同時に五条先生と学長の私を掴んでいた手も必然と緩くなる。
私の……所為。私が先に産まれたから……。
私は………。
「御免。私馬鹿だからあんたの言ってる事何一つとして分かんない。」
私は手を合わせて謝罪する。だって分かんないんだもの。彼奴が私の兄?いやいやないない。こちとら彼奴が産まれてからずっと彼奴の姉なのよ。
その場に居た人間はポカンと口を開けて此方を見ていた。因みに五条先生はプルプルと笑いを堪えている。何わろとんねん。というか此のジジイ、死にかけなのによく喋るわね。
「でも才能が逆ってのは分かるわ。私達二人は今までそれを嫌と言うほど感じているから。彼奴は私が欲しい才能を持ってて、私もまた彼奴が欲しい才能を持ってる。でも私はあんたの言いなりになんかならないし、弟も殺さない。でも一つだけ良い提案をしてあげる。」
私は座り直しそう言った。私が巻き起こしてしまったあの騒動からずっと考えていた事だ。
「私が東雲家の当主になる。」
その場に居る全員が目を見開く。それはそうだ。今まで呪術と何も関わりが無い人物が、然も十一年前に忽然と姿を消した人間が自分達の上に立つと言うのだから。然し、私の腹はもう決まっている。それはあの入院で母に相談した時から。
ジジイもジッと此方を見つめる。
「どう?悪い提案じゃないでしょ。私は東雲家相伝の術式を持っている。そして私が当主になれば長く続く東雲家の歴史も終わる事は無い。」
「……
「少なくとも今のアンタよりは出来る自信しか無いわ。」
私とジジイは睨み合う。それは一歩でも歩けば殺し合いが始まりそうな程。
するとジジイは大声で笑い、笑顔で此方を見た。だからそんな喉でそうやって声を出しているんだ。
「良い!大変愉快じゃ!やってみろ!貴様に当主が務まるか!」
「やってやろうじゃないの。アンタよりは相応しい当主になってやる。」
私はそう言って不敵に笑う。
「……もう良い。退がれ。今日は泊まっていくと良い。」
ジジイの言葉に従い、私達は部屋を後にした。そして襖を閉めた途端に、肩の力が抜けてその場にペタリと座り込んでしまった。
「こ、怖かった……。」
「え?絵名めっちゃ啖呵切ってたじゃん。」
「あんなのはノリと勢いよ!そうでもしなきゃあんな奴に歯向かえるわけないでしょうが!」
私は五条先生に支えられて立ち上がる。何処となく五条先生と学長は顔が穏やかだ。
「あ、そう言えば。明日の引率って日下部先生ですよね。大丈夫かなぁ?ちゃんと纏められるかな?」
「大丈夫だろ。少なくともお前よりは人望あるぞ。」
「え?酷い。」
そう二人は会話していた。引率?明日何かあるのだろうか。そう思いスマホで確認してみるも、予定表には休日と書いてあるだけだった。
「明日は多分彼の方の最期の呪術師総会になるかもな。」
「そうですね。」
「はい。先生質問です。」
私は手を挙げ二人に問うた。五条先生は相変わらず元気な様子で「はい!どうぞ絵名さん!」と指を刺した。
「呪術師総会って、何?」
二人はポカンとした後、学長はジト目で五条先生の方を見た。五条先生はその目と同じ方を向き目を逸らしている。
矢張り言っていなかったのか。此処まで来るともはや驚かないわ。
「呪術師総会。文字通り呪術師が集まる集会だ。勿論此処にな。対象は一級術式以上。そして高専に通っている呪術師だ。」
学長はまたもやヘッドロックを五条先生にかけてそう説明した。なるほど。じゃあ狗巻君も来るわけだ。ふふ、なんか楽しみだ。
「気張ってけよ。」
「はい!」
「毎年此の総会で死者が出るからな。」
「……………え?」
私は足を止めてそう聞き返した。
明日は総会。私、生きて高専へ帰れる?
日を跨ぐ25時。奇しくもその時間に私の祖父が亡くなった。こんな性格だからか、祖母は亡くなっており、母以外に子は作らなかった為看取ってくれる親族は私しか居らず、まぁそれが最期の幸福だったのだろう。祖父が最期に残した言葉は、私にとって呪いの様なものになった。
「呪術師を……全呪術師を……護れ。」
庭から聞こえてくる鈴虫は五月蝿く、布団に入った私の睡眠を邪魔していた。私は布団に潜り、声を殺して泣いたのだ。