「うぶぶ。やっぱ夜になると寒いわね。羽織着て来て正解だったわ。」
私は夜の遊歩道を歩いていた。道の端に連なる灯籠が足元を明るく照らし、夜だというのに暗さを感じさせなかった。灯籠の中の炎は青く光っており、きっと此の山に巡っている呪力を使っているのだろうと勝手に推測をする。
カランカランと下駄の音が辺りに響く。みんなはもう着いているのだろうかとぼんやり頭の中で考える。
そして母の言葉が頭の中で反芻した。
『覚悟が出来たら来なさい。』
私はこれから11年前の記憶を取り戻すのだ。覚悟と言っても、どんな覚悟をしたら良いのか分からないので、取り敢えず死ぬ覚悟で来た。遺書書いたのはやりすぎだったかな?ニーゴのみんなの遺書はセカイにこっそり置いて来たが、みんなは見てくれるだろうか。少なくともリンは怒るだろうな。如何しよう。生きていたら。其の時はこっそり遺書を回収して破いて捨てよ。その間に見つからない事を祈るしかない。いや、遺書なんだから見つけられないと意味ないのか?
道をひたすら歩いていると、目の前に大きな鳥居が立っていた。そしてその向こうには長い石造の階段が続いている。まるで神社の入り口だ。こんな山に立派な物があるだなんて。
私は其の儘階段を上がる。其の階段の端にも灯籠は立っており、明るく辺りを照らしてる。階段を上がると、でかいお堂みたいなのが聳え立っていた。でかい。あまりにもデカすぎる。其処の周りには五条先生、夜蛾学長、日下部先生が立っている。五条先生は此方に気付き手を振っている。
「割と早かったね。覚悟はしてきたので?」
「うん、大丈夫。で?如何やって記憶を戻すの?」
「これだよ。」
日下部先生から渡されたのは試験管だった。真っ黒な其れは管の中で蠢き這いずっていた。私は其れを見てゾッとする。
私はコレを知っている。
私が目を見開いて其の試験管を見ていると、日下部先生は溜息混じりに私に言ってきた。
「まぁ別にお前が嫌だったら戻さねぇでも構わねぇけどよ。」
「え?」
「戻しても戻さなくても如何せお前自身は変らねぇだろ。戻すことが最適解なだけで他にも道はある。無理する必要はねぇ。」
其の言葉に私は少し嬉しくなる。日下部先生は少しぶっきらぼうだが、生徒思いの良い先生なのだ。良い人かはともかくとして。
「……ありがとう御座います。でもやらせてください。」
「割とあっさりだな。夕方でも思ったが話が早くて助かる。」
夜蛾学長はサングラスをあげながら言う。
「そうですね。少し気になる事がありまして。」
「そっか。なら良いけど。此のお堂の中に入って其の記憶を飲んでお終い。僕達は結界が緩んだ隙に入り込む呪霊を迎え撃つから安心して。」
五条先生の言葉に頷く。出来るだけ早く目を覚ましたい。でなければ延々と呪霊が湧いてきてしまう。そうなれば術師が危ない。
「じゃあ早速入りますね。」
「……気を付けろよ。」
「分かってますよ夜蛾学長。」
私はお堂の扉に手をかけ、三人の方に振り向く。
「なんか、ありがとう御座います。いつも通り接してくれて。」
三人は少しポカンとした。何だ。御礼を言うのはらしくないってか。心外だ。私は此の人達には出来るだけ御礼を言う様にしてるわよ。五条先生は別として。
すると先に言葉を発したのは五条先生だった。
「まぁ絵名は絵名だしね。それに今は東雲家当主としてでは無くて一人の人間として此処に居るんでしょ?」
「……なんか五条先生に言われると複雑なんだけど。」
「え?酷くない?」
「日頃の行いだな。」
「学長まで…。」
私は其の光景を少し笑いながら見る。此の時間が狂おしいほどに愛おしい。ずっと続けば良いのにと思ってしまう。
そしてずっと続く為には先ずは記憶を取り戻す所からだ。
「じゃあ今度こそ入りますね。」
「あぁ。くれぐれも死ぬなよ。此処で死んだら史上最年少且つ最短で死んだ当主として呪術界に名を馳せる事になるからな。」
「いや日下部先生不謹慎でしょ。もう一寸私の事気にかけてよ。」
「ほらさっさと行け。」
「大凡今から命を賭ける受け持ちの生徒に言うセリフじゃない。」
私はそう言いお堂の中に入る。中は先程とは違い真っ暗で、元より持ってきていた(女中に持たされた)提灯で照らし前へ進む。
私が記憶を通して知りたい事が二つ。一つはただ単に自分のルーツ。もう一つは弟の彰人について。
母の話に彰人の話は出てこなかった。五条先生に聞いた話だと母は本家が彰人を殺そうとして出て行ったと言っていたが、何故其の当事者である彰人の事を触れなかったのか。
彰人は記憶を無くしているのか、其れとも………。
お堂の最奥に着いた。中は思ったより綺麗で吃驚した。もう少し埃っぽいのかと思っていたがそうでもなかったらしい。
私は部屋に入り真ん中に座る。呪霊の気配も無ければ人の気配もない。文字通り此の場には一人っきりと言う状況だ。コレを飲むのは八時ごろ。今は七時半。あと三十分くらい時間がある。かと言ってSNSを見る元気も無い。暗闇の中ブルーライトが光る。
其の時にメッセージに一個の通知が入る。其処には『K』と書かれていた。奏からだった。
『この前のラフ凄く良かった。此の構図で宜しく。』
其のメッセージに内側から何かが込み上げる。
嬉しい。嬉しい。
矢張り絵を人に褒められるのは嬉しいものだ。
そうだ。絵の事もある。死ぬ覚悟はしても死ぬ気は無い。これから私は沢山やらねばならない事があるのだ。
私は奏のメッセージに返信をしてスマホを閉じる。そして其の儘目を閉じた。
矢張り11年前の事を思い出そうとしてもダメだった。まるでポッコリと穴が空いた様に真っ暗だ。どんなに今までの記憶を結びつけても其の先は真っ暗だ。矢張りコレを飲まなければダメなのか。
懐から落とさないように試験管を取り出す。記憶を取り戻す事が幸せなのか如何なのか。私には分からないが、毒か薬か決めるのは私自身だ。
暫く経って携帯のアラームが鳴る。私はそれを止めて深呼吸をした。
大丈夫。やれる。
私は試験管の蓋を開けて中身を飲む。すると一気に眠気が襲い私はどさりと倒れ込む。
「チッ。余計な事しやがって。」